彼が極道になる切っ掛けの物語です。
「深夜食堂」とのクロスオーバ一です。
真夏の路上~柏木任侠伝~
「たちばな」 の花ことば 「追憶」
「かしわ」 の花ことば 「愛は永遠に」
昭和六十二年(1987)。
新宿神室町のー角に、チャンピオン街と呼ばれる呑み屋街がある。間口がー間から二間の酒場が所せましと軒を連ねている、ディープな場所である。そんな中でも、見落されそうな細い路地があり、そこにー軒の飯屋がある。
家号は無く、ただ暖簾に「めしや」とある。深夜12時から朝7時頃まで開いているその店を、人は「深夜食堂」と呼んでいる。
「おう、マスター、邪魔するぜ」
午前1時過ぎ、深夜食堂の引き戸を開けて、柏木修が入って来た。シノギの集金を終わらせて来たのだろう、黒いサイドポーチをドンとテーブルに置いた。その後ろから、5人ほどゾロゾロと付いて入って来た。4人はあからさまに未成年で、1人はどう見ても小学生である。柏木ともう1人の大人は正面に陣取り、子供達は右奥からずらりと列んだ。
「何だ修、今日は大勢だな」
「そうだろ。今日は、まあ研修みたいなもんだ」
柏木は、笑いながら言うと、奥から順に紹介していった。由美、大吾、錦山、桐生である。
「大吾ってえと、あの…」
「ああ。堂島組の御曹司さ。で、桐生と錦は、堂島組のホープってとこか」
「なるほどね」
「で、このタカが」柏木は、横の男―柘植―を親指で示す。「3日前にシリアから帰って来たんで、歓迎会も兼ねてる」
「お前さん、まだ外人部隊にいるのか?」マスターが、肩をすくめて言った。「早稲田ボーイが何だって」
「まあ、人生いろいろって事で」と、柘植。
「それよりマスター、冷麺あるか?」
柏木が思い出したように言った。
「あるけど、どうした?」
「ほれ、新しく出来た焼き肉屋、あんだろ。雀荘の隣の」
「中道通裏の『白山苑』か」
「そう、それよ。さっき行ってみたら、冷麺やってねぇって言いやがんだ」
「で、どうした?」
「注文全部キャンセルして出て来てやった」
「大人気ないよね」
柘植がポツリと呟いた。
「じゃあお前は、冷麺いらねえんだな?」
「マスター、俺も冷麺」
柘植はしれっと注文した。
「俺も!」 横から、錦山が割り込んだ。「腹減ってんだ。大盛りで」
「俺は豚汁定食で、メシ大盛り」と、桐生。
「大吾くんは何がいい?」
由美に問われて、大吾はむっつりと答えた。
「オムライス」
「あ、いいね。じゃあ、大吾くんと私は、オムライス」
「あいよ」
マスターー人が、急に忙しくなった。
食べ物が全員に行き渡ったところで、戸が勢い良く開けられた。背の高い男が入って来ると、店全体をギロリと見渡した。ー呼吸置いて、空いている席に着く。そのすぐ横に、舎弟らしき男も座る。
「夕コさんウィンナー大盛りと、ビール」
「竜ちゃんゲンさんいらっしゃい。ところで竜ちゃん、どうしたそれ」
マスターが見兼ねて声を掛けた。竜ちゃんこと剣崎竜は、鬼島組の若い衆だが、左目の上が青く腫れ、上等なスーツの右肩が破れている。
「どうしたもこうしたも、借金回収に行ったら、5人で待ち伏せしやがって」
「全部のして来たんだろうな、竜ちゃん」
冷麺をすすりながら、柏木が突っ込んだ。
「ったりめーだ」
「そう言えば、お前も良くヤンチャしてたよな」
マスターが笑いながら、柏木に言った。
「柏木さんとマスターと、俺で『谷中の三バカトリオ』って言われてたもんな」
柘植がそう返すと、錦山と剣崎が反応した。
「何、その話し。聞きたいな」
「俺も興味あるぜ」
「なに、大した話しじゃね一けどな」
そう言いながら、いつの間にか入ったビールで、柏木のロは滑らかになっていた。
×
昭和四十七年(1972)。
柏木の父親・勝は、谷中を中心に営業するテキ屋であった。広島風お好み焼きは当時の谷中界隈では珍しく、結構繁盛していた。軽トラ1台で神社仏閣の祭や縁日に駆け付け、出店していた。
勝は関東尾野組に属してはいたが、ヤクザでは無かった。言わば生粋のテキ屋である。しかし、ヤクザの傘下でなければ、テキ屋は店を出す事も覚束ない。勝としては、仕方無しの所属であった。
尾野組は、江戸時代から続くテキ屋組織であり、ヤクザ嫁業も生き残りの為であったから、その点は勝も受け入れる事が出来た。
ただ谷中は、極北組というヤクザの縄張りであり、こちらは逆に生粋の暴力団であり、テキ屋はシノギでしか無かった。当然態度も悪く、良くイヤガラセを仕掛けて来た。尾野組のケツ持ちで対抗出来たのは、尾野組が当時旭日の勢いの「東城会」の三次だったからである。
「おーい、オヤジ、メシ食わしてくれよ」
柏木修(17)が、勝の屋台へ来るなり言った。
「馬鹿野郎!売りモンに手ェ出す気か!」
勝は笑いながら応えると、それでも生地をまぜ始めた。修の後ろには三人いる。
「よう、マリちゃん、今日も可愛いね。」
「ありがと、おじさん」
橘真利子が溌剌と返した。修の同級生で、所謂彼女である。
「なんだ、タカ。お前と修はキャベツでもかじってろ」
柘植は、修とは幼な馴染み(くされえん)なので、扱いもぞんざいである。
「しかもなんだ、マスターまでいるのか」
マスターは修より4才上のくされえんで、勝と同じテキ屋をしている。本名はあるのだが、その雰囲気から、「マスター」と呼ばれている。
「マスターなら、友達価格で500円だ」
「値札より高いぜ、大将」
マスターは穏やかに笑った。
修は、大概は柘植とマスターとの三人でつるんでいた。馬鹿もやったし、筋を通さない愚連隊連中とは、毎日の様にケンカに明け暮れた。で、付いたアダ名が『谷中の三バカトリオ』である。
「で、お前ら学校はどうしたんだ?」
勝が、出来立てのお好み焼きを頬張る修を睨み付けた。
「あ?ああ、今日は自主休校だよ」
「馬鹿野郎。そんな事でマリちゃんまで引っ張り出すんじゃねぇ。今日び、大学くらい出とかねえでどうする?せめて、高校生の本分を全うするのが筋ってモンだ。俺のような人生を、お前は選ぶんじゃねぇぞ」
「はいはい、判ってるよ」
適当に答えながら、修は周囲に目を配った。ここは某寺の参道で、毎月20日と21日は宗派の開祖を祀る縁日が執り行われる。本堂前から山門までの境内地は、極北組がガッチリと取り仕切っているので入る隙間も無いが、山門からの参道は、極北組に届け(上納金)さえ出しておけば、出店を「見逃して貰える」無礼講ゾーンである。
しかし、最近は極北組の三下の嫌がらせが目に余る様になって来ていたので、様子を見に来たのである。
「やっぱり来やがった」
修は、舌打ちして呟いた。程無く、チンピラが三人、向かって来るのが見えた。
「よお、おっさん、元気かい?」
チンピラの一人が、肩をいからせて声を掛けた。勝は、無視を決め込んでいる。
「悪いが、ここが誰のシマか、知ってるよな?」
何を言われても、勝はだんまりである。
「尾野組の奴に、日の前をウロチョロして欲しく無いんだよ。言ってみりゃあ、お前らは『お呼びでない』って事だ」
「何だ、黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがって。こっちは節を通してるんだ。ごちゃごちゃ言われる節合いはねぇ」
修は堪え切れずに噛み付いた。
「ウルセエ、黙ってろガキ」チンピラはにべもない。「馬鹿野郎が。節合いを決めるのは、俺達だ。お前らじゃねえ」
「何だとコノヤロウ!」
飛び掛かろうとした修を、マスターが危うい所で止めた。何でだよ、と問いたげな修のふて腐れた顔に向けて、マスターは「今はダメだ」と囁いた。
「おーい、ちょっと待ってくれ」
そこへ、一人の若い男が近付いて来た。人当たりの良い雰囲気の男前だが、目は恐い。
「何だテメエは」
チンピラは睨みを利かせるが、男には効果は無い。
「極北組のニイさん達、ここは引いちゃくれませんか?」男は、あくまでも下手に出る。「このお好み焼き屋さんは、ウチの知り合いでね、いい人なんですよ」
「何モンだ?」
「申し遅れました。私、関東尾野組の若いモンで、尾野一八と申します。ついさっき、そちらの若中の鬼束さんと話しをつけて来たんで、ここはひとつ、穏便に済ましちゃくれませんか」
鬼束の名前は、劇的な効果をもたらした。チンピラ達は、言葉も無く去って行った。
「一八くん、済まねえな」
勝は、あまり済まなさそうに礼を言った。
「柏木さん、申し訳ない。あいつ達が調子に乗ってるってのは、報告が上がってたんですが、対応が遅れちまって」
「まあ、助かったぜ。ありがとな」
「何だよオヤジ、助けてもらったのに、随分素っ気ないな」
勝の木で鼻を括ったような態度に、修は文句をつけた。
「ウルセエな、黙ってろ」
勝にはとりつく島もない。
「親父さんは、ヤクザが好きじゃないんだよ」
「はっきり言って、キライだね」
一八の言葉に、勝は苦々しく返した。
「でも、助けてもらったんじゃねえか」
修は不満げである。
「俺達が出来る事は、これくらいですから」
ー八が済まなそうに頭を下げた。
「縄張りだのケツ持ちだの面倒くせえ。俺はただフツーに商売してぇだけだ」
勝は吐き捨てるように言った。
問題は、すぐに起こってしまった。
谷中の某神社の夏越の祭りは、もの凄い数の屋台が出る事で有名であり、勝も毎年出店していた。余りの屋台の多さに、テキ屋の元締も極北組と尾野組とだけでは対応しきれず、この祭りに関しては、境内は完全な中立地帯となっていた。
勝の屋台は、大鳥居と山門の間の参道にあり、古参の店という事もあり、結構良い場所をあてがわれていた。この区画は尾野組の勢力が強く、そのお陰で店同士の雰囲気も和気藹々として、感じが良い。
夜ともなると、参道の灯籠や提灯にも明りが灯り、祭り気分は益々盛り上がる。
そこへ、極北組のチンピラのー団がやって来た。十人が手に手に金属バットを持ち、およそお祭り気分とは程遠い。
一団は到着するや否や、手当たり次第に一帯の屋台を叩き壊し始めた。当に無差別である。テキ屋の店主達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。命あっての物種である。
勝と駄弁っていた三バカトリオは、三軒隣で買った木刀を手にして立ち上がった。来る事は予測していたので、反応は早かった。一緒にいた真利子を避難させると、雄叫びを上げてチンピラのー団に飛び込んでいった。
お互い武器の嗜みは無いので、バットも木刀も目くら滅法振り回すだけではあるが、木刀の方が軽くて早い。十対三でも力は拮抗していた。
少し離れて様子を窺っていた勝と真利子の所へ、チンピラが一人やって来た。柘植の木刀に倒されたものの、ダメージは少なかったらしい。額から血を流しながら、凄い形相で二人に近付いて来た。
金属バットを大きく振りかぶったチンピラの腹に、勝はケンカキックをぶち込んだ。しかし、真利子を背中へ庇っての一撃は、僅かに踏み込みが浅かった。チンピラは前のめりになりながらも、耐えた後にバットを振り降ろした。
蹴りで半歩退がっていたので、その一撃は勝の左膝を正面から叩く結果となった。膝を砕かれて、勝は声も出せずに蹲った。更に頭にー撃を喰らい、勝は地面に倒れ込んだ。チンピラは、もう一度バットを振りかぶった。
「やめて!!」
真利子は突作にチンピラを突き飛ばすと、そのまま勝を庇っておおいかぶさった。少し体勢を崩したチンピラは、直ぐに立ち直ると、今度は真利子にバットを向けた。
それに気付いた修は、目の前の男に背を向けて、真利子目掛けてダッシュした。しかし、間に合いそうもない。
そこへ、反対側から走って来た男が、チンピラに石を飛げつけた。それは見事に頭に命中し、それたバットは真利子の左肩を打って、側頭部を掠めた。頭を押さえて身を縮める真利子の手に、血が付いていた。
「カズヤさん!」
修が叫ぶ声に、一八は目で応えると、チンピラのバットを押さえ、背中側へ引き上げた。そのガラ空きの腹を、修の木刀がフルスイングで薙いだ。バットを落とし、体を二つ折りにしたチンピラに、修は木刀を捨て、顔面に正拳の連打を突き込んだ。そいつが倒れるのを待たず、修は真利子に駆け寄った。
ー八はそれを確かめつつ、今だ乱戦が続いている集団の中に飛び込むと、三人のチンピラを殴り倒した。三人とも一発で気絶していた。
「何のつもりだキサマら!」ー八は怒気を吐いた。「これは、極北組の、尾野組に対する宣戦布告と捉えていいか!?」
「うるせえガキが。三下はすっこんでろ」
「若中の福山よ、オマエ随分とエラくなったモンだなあ」ー八は動じない。「オマエのひと言で、全面戦争を決めるだけの権限があるって事だな」
「ボンボンは黙ってな」
「鬼束さんは、気に入らんだろうぜ」
「知った事か!」
福山は不意を衝いてバットを抜き打ちに振り抜こうとしたが、その出掛かりの手首をー八は足で押さえた。動きの止まった福山の首筋を、止めた足を降ろす動作のまま手刀で打ち抜いた。福山は白目を剥いて倒れた。
それを恐しく冷めた目で見下しながら、ー八は口を開いた。
「俺は、鬼束さんを通して、組としての話はつけてある。その上でのこの狼藉は目に余る。しかも、カタギにまで手を出したとあっちゃあ、事は重大だ。仔細は組長に報告する。覚悟しておけよ」
一気に戦意を喪失した極北組のチンピラ達は、ケガ人を抱えて退散していった。
誰かが通報したのだろう、大量のサイレンが近付いて来ていた。しかし、修はそれどころでは無かった。
「おい、真利子、オヤジ、大丈夫かよ?」
修は、虫の息で横たわる勝と、うなされたように「ごめん、修、ごめん」と呟き続ける真利子との間で、ひたすら途方に暮れていた。
祭の境内は、十台以上のパトカーと数台の救急車とでごった返す修羅場と化していた。一般人にも外傷人が出たので、警察も躍起になっていた。
勝の左膝と側頭部はかなりの重傷だったので、ひと足先に病院へと搬送されていた。真利子は救急隊員の手当てで間に合った。頭の傷は、軽い擦過傷で、血が出た割には大したものでは無かったが、左肩はかなりの打撲傷で、大きなアザが出来ていた。腕を吊った白い三角布が痛々しい。
警察は、かなり厳しくーハ、そして修、柘植、マスターの三人を取り調べた。極北組と比べて、尾野組は警察にもかなり覚えはいいのだが、こういった喧嘩となると、「所詮は極道」となる。
ただ、一般人やテキ屋の被害が大きく、極北組の蛮行を阻止する為に斗ったという事は復数の証言で明らかなので、現場での調書だけで済みそうだった。
とりあえず「厳重注意」だけで開放された修達の近くに、もの凄い勢いでベンツが突っ込んで来た。
車内からスーツ姿の男が鬼の形相で飛び降りて来ると、真利子を介抱していた修の襟首を掴んで引きずり起こし、有無を言わさず殴り倒した。
倒れた修に尚も殴り掛かろうとするのを、マスターが体で止めた。
「退け!」
男は怒鳴ったが、マスターは動かない。
「お父さん!」
真利子は言いつつも、倒れている修に駆け寄った。
「小僧、真利子から離れろ!」
「嫌よ!」
「いつも言ってただろうが、娘を巻き込むなってな」真利子の父は激昂の態である。「挙げ句の果てに、外傷までさせおって」
「私が自分から一緒にいたの、修は何も悪くないわ!」
「黙れ、真利子」
父はにべも無い。
「真利子さんのお父上ですか。私、関東尾野組の若い者で、尾野一八と申します。この度は、大事な娘さんにご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありませんでした」
ー八は、慇懃に頭を下げた。
「ヤクザに用は無い」
「それでも、外傷の治療の事もありますので、また後日改めてご挨拶に伺います」
「必要無い。放っといてくれ」父はぴしゃりと言い放った。「真利子、帰るぞ」
「待って下さい」修は立ち上がると、頭を下げた。「真利子に外傷をさせてしまい、すいませんでした」
「二度とは言わん。金輪際娘に近付くな」
「何よ、私が誰とー緒に居ようと、私の勝手じゃない」
真利子は勢ー杯の反抗を見せた。
「生意気を言うな!」
父は手を振り上げたが、真利子の包帯を見て、思い止まった。
「柏木くん、尾野くん、悪いが、住む世界が違うのだよ」
父はそれだけ言うと、真利子を連れて去っていった。
翌日の新聞は、祭での大騒動で大いに盛り上がった。事態を重く見た学校当局は、修と柘植に一週間の謹慎を申し渡した。だが、謹慎と言われても、修はじっとしている訳には行かなかった。勝の外傷は思ったよりひどく、特にバットで殴られた頭は、頭蓋骨骨折の上、脳圧が高い、という事で緊急手術を受けていた。手術からまだ目を覚ましていないので、修の母は勝に付きっ切りである。
修は、父の見舞いをして、母の世話をして、洗濯や買い物をして、父の商売道具の手入れをして、とむしろ学校へ行くよりも忙しく走り回っていた。
謹慎の間に学校は夏休みに突入した。夏祭りのシーズンで、テキ屋としては稼ぎ時なのだが、勝は膝を固定しており、まだ退院出来そうに無い。修は、馴れないながらも屋台を開いて、日銭を稼がなければならなかった。当然やった事も無かったが、マスターに助けられて、マスターの屋台と抱き合わせで何とか商売が成り立っていた。
そうこうしているうちに夏休みも終わりが近付いて来た。勝は何とか退院して来たものの、杖無しでは歩けない上に、常に頭痛に悩まされ、とても仕事に復帰出来るとは思えなかった。その上、思い通りに行かない歯がゆさから、酒の量が増えて、いつも不機嫌な様子であった。
夏休み最後の日に、柘植が訪ねて来た。
「よお、タカ、元気だったか?」
「柏木さんこそ。何度か店やってるトコ見たんですが、何か声掛けそびれて」
「まあな。忙しいのは確かだな」
「親父さんの調子はどうっすか?」
「あんまりだな。酒ばっかりかっ食らってるよ」
「…で、真利子さんとは」
「ああ」修は大きく溜め息をついた。「あれから何の連絡も取ってない」
「俺も全然姿を見てませんね」 柘植もそう言って肩をすくめた。「結構な外傷だったんで、気になりますね」
修も無言で頷いた。
そこへ、軽トラに乗ったマスターが現れた。見ると、何時に無く真面目な表情である。
「どうしたんだいマスター。似合わないカオしちゃって」
柘植の軽口を、マスターはスルーした。
「今日、極北組の福山から呼び出しがあった。俺と修とタカの名指しだ。明日の午前四時に、駅北第三ビル前だ。黙っていようか、とも思ったんだが、奴らにいきなり襲れれても、と思ってな」
「いや、教えてくれてありがとう」
修は毅然として答えた。
「カズヤさんには連絡したから、夜には来るはずだ」
「判った。家の事を片付けるから、もう少し時間をくれないか」
修の言葉に、マスターは小さく頷いた。
「来なくても良いんだぜ」
マスターの言葉に、修は首を小さく横に振った。
「これは俺のケンカだ」
出店の準備、仕込みを全て終えると、修は電話の前に立った。このーヶ月は、忙しさを理由に真利子の事は無理矢理頭の中から締め出していた。が、今度のケンカは特別である。極道からの呼び出しという事は、向こうは面子を賭けている、という事だ。無事に済む保障はない。もしかしたら、殺されるかも知れない。その前に、一目だけでも逢って、顔を見ておきたかった。せめて一言、あの夜守れなかった事を謝りたかった。
電話をかけると、直ぐに受話器が取られた。
「もしもし」
真利子の声だった。
「もしもし、俺、修だけど…」
そこから、言葉が出て来なかった。言いたい事は沢山あるのに、喉が詰まってしまった。
「ねえ修」真利子が、間を空けずに切り出した。「今日、逢いたい。七時に、ハンバーガスタンドで」
「判った。でも、大丈夫なのか?」
「じゃあ、後でね」
電話はすぐに切られた。
体は空いていたので、1時間程前だったが、家を出て、谷中唯一のハンバーガスタンドへ向かった。
このハンバーガスタンドは昨年、銀座に一号店が出店してから、あっという間にチェーン店が広がった。谷中には出来て間が無い事もあり、若者で大いに賑わっていた。
店内に入ると、ごった返す若造どもをかき分け、窓際の席を確保した。何も頼まず、ぼんやり窓の外を見ていた。と、丁度、その窓の前にあるス囗ットに車が入った。七〇年型のトヨタブルーバードだ。そこから降りて来たのは、真利子とその兄だった。
真利子はノースリーブのミニのワンピースにポニーテールと、かなり刺激的な出で立ちである。
店内に入った真利子は、修を見つけると小走りで駆け寄って来た。
「もう来てたんだ。ごめん、待たせた?」
「約束にはまだ随分早い時間だぜ」修はそう答えると、真利子の兄に目を向けた。「わざわざ送ってくれて、ありがとう」
「なあに、お安いご用さ」
兄はそう言うと、鍵を放って寄越した。
「ぶつけないでくれよ」
「えっ?」
「俺の大事な妹だ。よろしくな」
思わず返答に困った修に、真利子は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「よろしくね、修」
「俺が無免許だって、知ってるよな」
修の問いに、真利子は笑って答えた。
「誰もいない海まで行きたいな」
「…判った。まかせろ」
修の言葉に、真利子は小さく頷いた。
修はブルーバードのエンジンを掛け、海に向かって走り出した。ラジオはFENで、洋楽と英語のDJが流れている。
「今日、ヤクザから呼び出された」 修は、間を埋めるかのように切り出した。「この間の奴等だ。多分、縁日の件で、何かあったんだろうな」
「どういう事?」
「俺達素人にやられた上に、カズヤさんにまで散々糾弾されたんだ。へタしたら、組を追い出されたかもな。多分、俺達に復讐したいんだろう」
「大丈夫なの?」
「正直、判らない。奴らはヤクザだ。まあ、カズヤさんもいるし、あんまり心配はしてないんだけどな」
修は自らの不安を振り払うように微笑んだ。
「それよりも、済まなかったな。外傷させちまって」
「んーん。私こそごめん。お父さんの事、守れなかった」
「何言ってんだ。こっちこそ、遅くなって悪かった」
「でも、あの時、皆凄かったね。タカくんも、マスターも、修も」
「あん時は、自分でもあれだけやれるとは思わなかったな」
自分の気まずさを隠すため、修は話しを他愛の無い方向に切り換えた。そして、その切っ掛けを作ってくれた真利子に、心の中で感謝した。
東京の街の明かりを背にして、国道十六号線を南下すると、横浜の市街地を通り抜け、金沢八景と呼ばれる海岸へとやって来た。この辺りは昭和三十年代に急速に護岸工事が行われ、今では防波堤が長く続いている。
その防波堤に車を停めて、そこに立って二人で打ち寄せる波を見ていた。八月の終わりともなると、海の夜風は意外に冷たい。修はトランクから毛布を引っ帳り出すと、毛布で包むように真利子を背中から抱き抱えた。
しばらくは、無言でお互いの鼓動だけを感じていたが、やがて真利子が口を開いた。
「私ね、もうすぐ引っ越す事になったの」
修は、無言で真利子の言葉を待った。
「理由は、一応『銀行での出世の為の栄転』とか言ってるけど、要はこんな土地には居られない、もっと言うと、修とー緒にはいさせたくないって事らしいわ」
修は、声無く頷いた。
「私、修と離れたくない。でも、両親と別れる事も出来ない」
「そりゃあ当然だ。親は、大事だ」
「離れ離れになっても、修の事、忘れたくない。だから」そう言うと、真利子は抱き締められたまま修を見上げた。「私の想い出を、修で一杯にして」
修は、そのまま覆い被さるように唇を重ねた。
遠くで、空から海へ一条の稲妻が疾った。
海辺の安モーテルで、二人はひとつになった。互いの声を、仕草を、感触を、身体と心に刻み込むように、何度も激しく求め合った。
午前2時過ぎに、兄がハンバーガスタンドへやって来ると、ブルーバードが帰って来ており、真利子だけが助手席に座っていた。
無言で車に乗り込んだ兄は、何も問わずにエンジンを掛け、走り出した。
何も言わず、身を固くしている妹に、兄は努めて何気無く声を掛けた。
「ちゃんとお別れ出来たかい?」
その言葉に、真利子は俯いて声を出さずに嗚咽した。固く握りしめた両手の上に、大粒の涙がハラハラと落ちた。
午前三時過ぎ、修は駅北第三ビル近くに居た。マスタ一と、柘植、そして一八も一緒にいた。
「どうした修、何だかお疲れだな」
柘植が修に声を掛けた。それに、修は無言で頷いた。
「もしかして、マリちゃんと、か?」
マスターの言葉に、修は夜目にも判るほど赤くなった。
「なんだ、カマ掛けただけなのに」
話しを振ったマスターが、逆に気を使うほどの反応だった。
「その反応、もしかして、柏木さん、童貞だったんですか?」
「でっかい声で言うな!」
「奴さん、来たようだぜ」 一八がうたうように言った。道の反対側に人影が認められた。11人いる。「何だ、1人多いな」
「助っ人を呼んだのか。フェアじゃねえな」
柘植が肩をすくめた。
「おい福山、何があった?」
「うるさい!お前らのせいで、俺はこのザマだ」一八の問いに福山は叫ぶと、包帯を巻いた左手を振り上げた。「きっちり礼はさせてもらうぜ」
「そいつ、見た事あるぜ」一八は助っ人を見ながら言った。「確か、『長ドスの政』だったか。刃物で人を切り刻むのが大好きな、モノホンのキチガイだ」
「カタギに手を出した挙げ句、責任取ってエンコ詰めさせられたら、逆恨みして呼び出すたあ、見下げ果てた極道だな」
柘植が嘲笑うように言った。
「うるせえ、お前らに仕返ししねえと、俺の男の一部が立たねえ!」
「お前のイチモツなんか勃起も出来ねえだろうがこのインポ野郎!」
初めて聞く修の下衆な罵倒に、マスターも柘植も思わず振り向いてしまった。ー八は小さく口笛を鳴らした。
「てめえ、ここでコロす!コイツら、生かして帰すな!」
福山は激昂した。ヤクザ組は政を除く全員が手にしたバットを振り回している。政だけが長ドスをギラつかせていた。
修は、手にした木刀を小さく振った。唇には薄笑いが貼り付いている。
「色々と鬱憤が溜まってんだ。思いっ切りやらせてもらうぜ」
修はそう言うと、真っ先にヤクザに向かって走り出した。
×
再び昭和六十二年(1987)。
柏木の話しは佳境に入っていた。
「で、どうなったんだい?多勢に無勢じゃないか」
常連客の忠さんがビールを呑むのも忘れて尋ねた。すっかり話しにのめり込んでいる。
同じく常連客の、カメラマン小道も頷いて同意した。
「まあ、三下にやられるほど、こっちは根性腐っちゃいねえけどな」
柘植が横から口を挟んだ。
「それより大変だったのは、長ドスの政だったよな」
マスターも同調した。
「それよ、俺も気になってたんだ」剣崎が尋ねた。「『長ドスの政』の噂は、俺も聞いた事があるんだ。叔父貴の杯兄弟だったらしいんだが」
「これよ、これ」
柏木とマスターは、同時に自分の傷を指差した。マスターは左目、柏木は鼻を横切る大きな傷である。
「他の有象無象は何とかなったんだが、政が厄介だった」柏木が感慨深げに言った。「俺とマスターと、カズヤさんとでようやく倒したんだ」
「カタギにやられて引退したって聞いてたけど、まさか柏木さんがヤッた当人だとは」
剣崎は思わず溜め息をついた。
「この業界は狭いよな」
柏木は笑って応えた。
桐生と錦山は、ただただ感心して聞くだけだった。こんな男が兄貴分である事が、何だかとにかく嬉しかった。
大吾は途中まで懸命に聞いていたが、遂に眠気に勝てず、由美にもたれて眠ってしまっていた。
柏木ナイトは、まだ続いていた。
終 20160305了
※相方の小説の設定に乗っかってみました。浜田省吾ネタで。
柏木修高校生のお話し。話しのタイトル、文章の一部、ストーリーのシチュエーション等、かなりの分量を浜田省吾の歌から引用しています。探してみて下さい(笑)。
ちなみに、修と真利子のイメージは、レベッカの『フレンズ』も入っています。
マスター、剣崎竜、ゲン、忠さん、小道 ー TBSドラマ『深夜食堂』の登場人物。
『深夜食堂』には、明確な年代設定がないので、当方に都合の良い設定にさせて貰いました。
このハンバーガスタンド : 言わずと知れた「マクドナルド」の事。