なぜ、俺は敵と一緒にいるのだろう。
米海兵隊員ジョン・ミラー軍曹は今、おかれている状況に対して素直にそう思った。
彼の周りには鬱蒼と草木が茂り広がるジャングルに、消えかかっている焚火の火、そして一人の日本兵がいた。
本来なら敵であり、殺しあうべき存在の人間が焚火の火を共に囲い座っている。
なぜこのような奇妙な状況に彼らが陥っているのか、これを知るには時間を少しさかのぼる必要がある。
大東亜戦争下の一九四四年の末ごろ、アメリカ軍はミッドウェーでの逆転以来ガダルカナル、タラワ、サイパン、ペリュリューと次々と日本軍を撃破し、勝利まで着実に近づきしかし日本軍の頑固な抵抗によりまだそれが近くて遠かったころ、一人の海兵隊員ジョン・ミラー軍曹が、日本軍の占領するとある南方の島に上陸し部隊とともに作戦行動を行っていた。
その時の彼は日本軍に対する憎悪や敵討ちの念が非常に強かった。それは見つけ次第に有無を言わさず撃ち殺してやろう、皆殺しにしてやろうという凄まじいものであった。
彼がその気持ちを抱くようになるのも無理はなかろう。彼は真珠湾攻撃やその後に続く数多くの戦闘で決して少なくない彼の友人や親族失っていたのだ。しかも当時のアメリカ人は真珠湾攻撃をだまし討ちだと認識していた。恨みの念を持つことは当然の成り行きといえた。
しかし彼のこの恨みの念はその島で作戦に従事する内にやがて疑念に変わっていくのである。
ある日のことだ。
ジャングルを進んでいたジョンの部隊はたまたま一人の痩せこけた日本兵の捕虜を手に入れた。脱走兵なのか武器は持っていないようであった。
そしてジョンともう一人の米兵は、部隊長に自分たちはほかの仲間を引き連れて少しほかの場所も捜索してみるからしばらくの間お前たちはその捕虜を見張っておけ、と命ぜられたのである。
しばらくの間沈黙が三人を包んだ。
十数分ほど経っただろうか、相手の米兵が突然何か良からぬことをたくらんでいるような顔をした。
「なあ、暇だよな」
彼は言った。
「確かに暇だな」
ジョンは適当に答えた。
「思ったんだが、こんな痩せこけたジャップ一人を捕まえたところで食料が無駄になるだけだし、捕虜にしたところで何の意味もないな」
「何が言いたいんだ?」
ジョンは眉をひそめた。
捕虜の日本兵は何か嫌な予感を感じたのか急におびえた顔になった。
「いやな、調度ストレス発散と射撃練習をしたかったところだしな。それに憎いジャップの連中に復讐してやりたいと思わないか?」
「おい、お前まさか」
ストレス発散。射撃練習。復讐。
その言葉にジョンは彼が何をしようとしているのかを察した。
そして、銃声が響いた。
ジョンが、お前まさかこいつを殺す気か、といい終える前に彼は小銃を構えて捕虜を撃ち殺したのだ。
捕虜があおむけに倒れ、血臭と硝煙の臭いが漂った。
その時の彼の表情と言ったら!まるでやっとのことで宿題や仕事をやり終えたようなすっきりした表情であり、満足した笑みを浮かべていた。一切の罪の意識はそこからは読見とれなかった。
その後、部隊が戻ってきたが、撃ち殺した兵は捕虜が抵抗したので止むを得ず射殺したと主張し、隊長のほうもああそうかという風に特にこれといって咎めることはなかった。
ジョンに至っては何も言えずにいた。逆恨みを受けるかもしれないと思ったからでもあるが、突然の衝撃的な出来事に逆にショックで何も言えなかったということが大きかった。
それからというものジョンは何度も仲間の日本兵に対する残虐な行為を目にすることになる。
投降してきた捕虜を撃ち殺すのはもちろん、死んだ日本兵の頬を切って金歯銀歯を取り出す、日本兵の死体を残飯を捨てる穴に一緒に捨てる・・・これ以上書くのはおぞましいような光景を彼は見せつけられた。
その度に彼は自身の体に何度も重石を乗せられたような気分になった。
いったい彼らは何をしているのだ?彼らから遺品を戦利品として持ち出すのはともかく捕虜を殺すなんて!
一般の兵士ならこれを特に悪いとは思わなかったろう。
憎悪と偏見にとらわれた彼らには、非常識の世界である戦場では、それが普通の反応だったのだから。
しかしジョンの場合は人の理性というか、恨みとはまた別の良心というか、獣とは違う人を人たらしめる部分というか、とにかく心のどこかで疑念を感じ、それまで抱いていた憎悪の感情が揺らぎ始めていたのである。
自分たちはこれが正義と信じて戦っているがはたしてこれは正義なのか?
自分はなぜ、こんなところで戦っているのだ?
いつの間にかジョンはそんなことを考えるようになったのである。
そんな彼が仲間とともにジャングルを進んでいた時、彼らは突然敵の奇襲に巻き込まれた。
突然の、予兆のない全くの奇襲であったことと、ジョンの部隊長が真っ先に戦死したことで部隊はあっという間に混乱に陥った。
ジョンは仲間と共に必死に応戦したが、敵の投げた手榴弾に気づき咄嗟に避けようとして躓いた。
幸か不幸かそこはたまたま崖に近くジョンは躓いた拍子で崖から転落してしまった。全身を擦る痛みと急な坂を転がり落ちる感覚、ぼふっという音と全身を打つような強い痛みを最後に彼の意識は一旦閉ざされることになった。
こうしてようやく、冒頭の敵と火を囲む奇妙な状況へと繋がるのである。
ジョンが次に目を覚ました時、彼はすぐに自分が生きていること、擦り傷に打撲などかなりのけがを負っていること、そして痩せこけた日本兵たちが向ける銃口や刀の刃で囲まれ自分が敵の捕虜になったことを認識した。
「○○○○?」
「▽▽▽」
「□□□□!」
彼らは日本語で何かを相談し始めた。当然、アメリカ人のジョンには日本語はわからない。が、彼らが自分の処遇をどうするか相談しているのはすぐに分かった。
そして、部隊長らしき男が一人の日本兵に何かを指示した。彼は頷いた。
それとともに、その日本兵を残して彼らはどこかへと向かっていった。
彼はジャングルの奥を進む仲間たちの背中を見つめ続けていたが、やがてジョンのほうを見ると、こちらに近づき、相対するように座った。夜だったからだろう、そこら辺の木々を簡単に集めると彼は火をつけた。そして、火をつけ終えると今度はポーチから何か布切れのようなもの――ぼろぼろの包帯であることに気付くのに時間はかからなかった――を取り出し水筒の水でそれを濡らすと、ジョンの傷跡や打撲の跡に巻きつけたりし始めた。
すぐに男が自分のけがの応急措置をしていることに気付いた。この男は捕虜である自分をまるでそれが規則であるように治療している。こちらは捕虜を殺した。何故あちらは助けるのか。
男は作業を終えるとまたジョンから離れてこちらを監視するように座り込んだ。
こちらをじっと見つめている。そこには何の敵意も感情もない。ただ、こちらを見つめているだけだった。あくまで任務だというような瞳だった。
ジョンは最初はどうも気味悪く感じられた。だが、そのうち無駄だと考え、考えることをやめることにした。
どれほどの時がたっただろう。突然、そう遠くない場所から銃声や怒号、悲鳴が響いてきた。
ジョンと彼は身構えた。
音はしばらくの間続いていたが、やがて再びジャングルを静寂が包んだ。
男はもしや、という顔をしていた。何か悪い予感を感じたかのような顔。
しばらくの間彼らは立ち尽くしていたが、やがて男はジョンを見るとついてこいというような仕草をして歩き出した。
背中を向けて歩き出した様子にジョンは少し驚いた。
この男は丸腰とはいえ敵に背中を見せて、襲われないとでも考えているのだろうか。盾にしようとか考えていないのだろうか。それても自分を信用しているのか、馬鹿にしているのか?
だが、ともかく彼はついていくことにした。
少し歩いて進んでいくと、そこには死体がいくつか転がっていた。
ジョンには彼らの死体に見覚えがあった。
男の仲間、自分を捕虜にした日本兵達だった。米兵の死体もいくつか見える。ジャングルを捜索するうちに不幸にも敵に遭遇して戦闘に陥り全滅してしまったのだろう。
しばらくの間二人は茫然と見つめていたが、やがて男は死体の処理をし始めた。武器弾薬を集め、彼らの遺品を整理し始めた。
ジョンはじっとその様子を見つめていたが、すぐに男のこっちへ来い、これを運べという動作で遺体の整理の手伝いをされた。確かに一人でやるには少し時間がかかるだろう。
ジョンがすぐ傍にいた若い兵士の遺体とその遺品を整理することにした。
姿勢を整え、服やポーチをまさぐっていると胸ポケットから何か紙がはみ出していることにすぐに気が付いた。
紙の正体はすぐに分かった。
写真だった。遺体の男と、若い女性、赤ん坊が写っていた。
家族写真であることはすぐに分かった。
ジョンはしばらくの間それに見入っていた。
写真の男は硬い表情だった。ある種の覚悟を決めたような表情と悲しみとも安堵も言えぬ、なんとも言えない感情がこもっていた。
この男は何を思って死んでいったのだろう。
祖国のためか、家族のためか、それとも・・・
敵も怪物や化物などではなく普通に家族のいる人間なのだ。普通に酒でも酌み交わしながら笑い合って話せあえるような。
それがお互い敵同士で殺しあっているのは何故なのだろう。
自分が戦っているのは国のため、家族のため、大義のためだ。
ではこの男が戦っているのは、戦ったのは何故なのだろう
ジョンがそう思いながら写真に見入っていると、男が肩をポンとたたいて写真を撮ると遺体の胸ポケットにそっと戻した。
男は遺体をじっと見つめていたが、やがてゆっくり目を閉じて手を合わせた。
ジョンはしばらくの間それを見つめていた。が、ジョンもすぐに遺体の男にして十字を切った。
やがて男は仲間だけでなく米兵の遺体の整理もし始めた。もちろんジョンも手伝う。
敵の遺体に対しても丁重に扱う姿勢にジョンはさっき男が自分に対してけがの治療を子なった理由がわかった気がした。
我々は日本兵を単なる敵としてしか見なかった。
だが少なくともこの男は敵としてだけでなく同時に一人の人間としても見ている。だから怪我をしても一人の捕虜、人間として扱ったのだ。
しばらくして、遺体の整理が終わった。
彼らの遺体を埋めたり運んだりしている間に敵に見つからなかったのはかなりの幸運といえるだろう。
作業を終え、ジョンは男を見つめた。
男もこちらを見つめ返す。
澄んだ目だった。
この男は何のために戦っているのだろう。
彼もまた敵であると同時に一人の人間だ。彼にも家族がいるのだろう。彼にも自分と同じく守るべきものがあるのだろう。
そうだ。
ジョンは思った。
彼にもまた、守るべきものが、戦う理由があるのだ。
こちらにも故郷に守るべき家族が守るべき国があるのと同じように彼にも守るべきものがある。あの家族の写真を胸に死んだ若い兵士のように、いま目の前にいる男のように、彼らも一人の人間であり、大義を持っているのだ。
こちらが自分たちが正義と信じて戦うように、彼らも彼らなりの正義を持って戦っている。
ジョンはしばらくの間男と見つめあっていたが、すぐに男は向き直ってついて来いという仕草をすると、ジャングルの中を歩きだした。
新たな安全な場所でも探しに行くのだろう。
しばらく歩いているとやがて砂浜が見えてきた。
夜明け前で、まだ暗く白い砂が灰色に見えた。
遠くを見渡してジョンは目を見開いた。
砂浜にいくつも乱立するテントに数多くの弾薬が入っているであろう。
紹介する兵士に懐かしい英語の発音がかすかに耳に入ってくる。
間違いない。味方の基地だ。
駆け出しそうになってふと、ジョンは男のほうを見た。そういえばこの男はどうするのだろう。
彼からすれば、敵の基地をたった一人で目の前にしているのだ。その心境はどのようなものか。
しばらくの間男はジョンとテントを見比べていた。が、ジョンのほうを見つめた。
お前はどうするんだ、というような感じだった。
ジョンも男のほうを見つめ返した。
別に自分一人が助けを求めてあそこに駆け寄っても問題はないだろう。
だが、二人で一緒に助けを求めに行っても問題はないはずだ。殺されることはなかろう。
捕虜になるだけで済むはずだ。
それになにより、この男にまた会えるだろうか、と思った。
敵である自分を助け、敵も人間だという根本に気付かせてくれたこの男に。
ジョンは男の肩をポンと叩いた。
「一緒に行こう。悪いようにはされないはずだ」
自分の英語が通じたかはわからない。
だが男はうなずいた。
ジョンが思わず笑うと男も笑った。
ゆっくりと向き直る。
次は、友人として会おう。
二人はテントに向かって歩き出した。
夜が終わり朝日が昇ろうとしていた。