ドラゴンクエストⅢ 時の果てに集いしは   作:ゆーゆ

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第1章
タバサ・エル・シ・グランバニア


 

 アリアハン城下町南部の居住区。民家が軒を連ねる細い通りにひっそりと構えられた門の前で、私は箒を手にしながら日の光を浴びていた。

 本日も天気は良好。故郷ジパングが冷え込みの厳しい季節を迎える一方、アリアハンでは過ごし易い日々が続いている。

 

「ふう」

 

 手早く掃き掃除を済ませ、門の脇に設けられた木箱から紙束を取り出す。週に一度発行される情報紙。私の一週間が始まりを告げる合図。もう七年間も前から続く、お馴染みの光景だ。

 

 

 

 アレル様が実家を離れ、この街区に移り住んだのは、私が使用人として仕えることが決まった直後のことだった。その頃には新しい住居の建設も終えており、アレル様は皆の目から逃れるように、一人暮らし―――私という使用人を置いた、独り身での生活を始めた。

 何故家族と離れて暮らすのか。成人した一人の男性として、自立心を養うため、というのがアレル様の表向きの言い分。つまり建前だ。その裏には、まるで異なる類いの真情があった。

 良くも悪くもアレル様は、魔王を討った英雄として名を馳せ過ぎていた。当初は勿論、数年間を経た今も尚、勇者様の尊顔を一目拝みたいという目的で、このアリアハンを訪れる観光客が後を絶たない。更に言えば、英雄という後ろ盾を欲する者は、どの世界にもいる。政治、軍事、教会、商業。物を知らなかった頃の私は理解に及ばなかったけれど、今は違う。要するにアレル様は、そういったあれやこれやで家族に迷惑が掛かるのを避けたかったのだろう。

 ともあれ、アレル様は新しい生活の共に、私を拾ってくれた。最上級のメイド達、という王様のありがた迷惑な褒美を回避するための逃げ道ではあったけれど、事実として私はアレル様との共同生活を続けている。そして今日も新しい一日が始まる。お父様、ヤヨイは今も元気でやっています。

 

「ヤヨイちゃーん、おっはー」

 

 意気込みを新たに張り切っていると、透き通るような声が耳に入る。私は自然と笑みを浮かべ、アレル様と同い年の聡明な女性と挨拶を交わした。

 

「おはようございます、ジル様。戻っていらしたのですね」

「昨晩にね。あのバカ、いる?」

 

 

_______________________

 

 

 寝惚け顔のアレル様が二階から姿を見せたのは、ちょうど朝食の準備を終えた頃。私と同じ色の短髪には寝癖が付いていて、表情は優れない。まだ酒が残っているようだ。

 

「おはようございます。昨晩は随分とお楽しみでしたね」

「おはよ……はぁ。第七兵団の中将さんの誘いを断れなくて。ルイーダさんにも付き合わされた」

「……相当飲まれたようで」

 

 並々と冷水を注いだコップを差し出すと、物の数秒で空っぽに。アレル様は決してうわばみではないけれど、強引な誘いを断り切れないことが多い。二日酔いを見越した朝食を選んでおいて正解だったようだ。

 

「軽めの物を用意しておきました。すぐに召し上がりますか?」

「食欲ないんだけどな……」

「駄目ですよ。少しでも口に入れておかないと、後々支障が出てしまいます」

「……何だろう。君は段々と母さんに似てきた気がするな」

「味が似るのは当たり前だと思いますが……」

「そういう意味じゃないって。まあいいや、頂くよ」

 

 料理の味が似るのは極自然なことだ。七年前の私に、ルシア様―――アレル様のお母様は、沢山の宝物を与えてくれた。使用人という立場に求められる知識と技能は勿論、幅広い教養や嗜みを教わり、教会の日曜学校にも通わせてくれた。年端もいかない子供達の輪に加わるのは多少恥じらいがあったけれど、学ぶことの喜びを教えてくれたのは、紛れもないルシア様だ。片親の私にとって、二人目の母親と言っていい大切な存在だった。

 

「情報紙、もう読んだ?」

 

 物思いに耽っていると、スープを口に運んでいたアレル様の視線が、テーブルに置かれていた情報紙に向いた。週に一度発行される、国内外の時事に関して記された貴重な情報源。既に大まかには目を通してあった。

 

「先週末に予定されていたエジンベアとポルトガの大臣会合ですが、延期となったようです。ポルトガ側の頑なな態度が原因とされています」

「あまり良い報せじゃないな。他には?」

「……例の『営利目的のルーラ課税法』について、ポルトガが前向きな姿勢を見せているとのことです」

「……勘弁してくれ。頭痛は二日酔いだけで充分だ」

 

 同感と言わざるを得ない。少なくとも私が知る限り、呪文が課税の対象になるだなんて議論は、歴史的に見ても存在しない。教会への献金とは別次元の問題だ。

 背景は理解できなくもない。魔物の脅威が去った今、とりわけ船旅の安全性は以前とは比較にならない程に保障されている。『ルーラなんて使わずに船に乗れ、ウチが作った船を使え』という、造船業が盛んなポルトガならではの主張が込められているに違いない。それにルーラの効力を秘めたキメラの翼は、老衰した個体からしか手に入らない。魔物の数が減り、入手自体が困難となった今、キメラの翼が担っていた金銭的価値は、ルーラへと移りつつあることは確かだ。

 

「実際のところ、どうなのでしょう。営利目的、の線引きが難しいような気がします」

「だろうね。もしかしたら、ヤヨイも気軽にルーラで帰郷できなくなるかもよ」

「そ、それは困りますね。……あの、アレル様。その件なのですが」

「ああ、休暇のこと?いつでもいいさ。日程が決まったら教えてくれればいいから」

 

 話題を移そうとするやいなや、先回りをして答えが返ってくる。

 故郷の大集落では、冬を迎えるに当たって何かと準備が要る。食糧の備蓄に防寒等々、男手も女手も多いに越したことはない。毎年この時期になると、私は数日間の休暇を貰い、故郷で暮らすのが常だった。

 

(……私から言わないと、駄目ですよね)

 

 気を遣わせてしまっていることは明らかだ。きっとアレル様は、私の胸中を察しているのだろう。

 始まりがあれば、終わりがある。私がアレル様に仕えてから、もう七年が経つ。今年で二十二歳。故郷では家庭を築き、子を産んでいて然りの年齢だ。

 この七年間、満ち足りた日々だった。外の文化と概念を知り、沢山の人に恵まれ、何よりこの世界の広さに触れた。もう充分だろう。自由気侭な人生を謳歌するには長過ぎたぐらいだ。節目は私次第。こればっかりは、私から切り出さなくてはならない。

 何れにせよ、今はアレル様のために尽くそう。この世界を救い、希望の象徴となった今だからこそ、アレル様は多くを背負っている。その重荷を軽くするためなら、私はどんな苦労も厭わない。

 

「アレル様。今日のご予定を確認させて下さい」

「軍務会議なら欠席するよ。ナジミの搭の様子を見ておきたいんだ」

「ええ、ジル様から聞いています。今日の十時半に、船着き場で落ち合おうとのことでした」

「は?あの、え?ジルから?」

「今朝方お見えになり、言伝を預かりました」

 

 勇者という肩書は、広義で言えばアレル様の他に三人。アレル様は十六歳の誕生日を迎えたその日、後に聖戦士と称されることになる三人の仲間と共にこの国を発ち、魔王討伐を成し遂げた。

 アリアハン城の王宮戦士、ヴァン様。カザーフ出身の女武闘家、リーファ様。そしてアレル様と同日に生を受け、幼少の頃から付き合いの長い僧侶―――今では最も『理』に近いとされる大賢者、ジル様。私にとっては呪文の師であり、憧憬の女性でもある。

 

「変だな。会議を欠席するって話、まだ誰にもしていないはずだけど」

「『全部お見通しだからうだうだ言ってないで早く来なさい。遅刻したら燃やすわよ』」

「……おえ」

 

 言伝を告げると、アレル様の顔が青ざめていく。返事がない、驚き戸惑っているようだ。

 正直なところ、アレル様とジル様の関係を、私は未だに理解できていない。相思相愛なのは誰の目にも明らかなのに、互いに意識をして距離を取っているようにも見受けられる。ヴァン様とリーファ様の二人は、カザーフの地で円満な生活を営んでいるというのに。一方のルシア様は、完全に二人を夫婦扱いしているのだから、益々分からない。とりあえず、今は置いておくとしよう。

 

「ナジミの塔、と言いますと……例の噂、ですね」

「ああ。四件目となると、流石に無視できない」

 

 物騒な話ではない。けれど、私も気に掛かっていた。事の始まりは約一ヶ月前に遡る。

 アリアハンの西部、入り江の小島にそびえるナジミの塔は一般に開放されていて、アリアハン地方を高所から見渡せる観光地として知られている。小島へは定期的に船が出ているし、気軽に足を運ぶこともできる。

 そのナジミの塔で、不気味な声を聞いたという観光客の証言が一件目。二件目も同じ類で、続く三件目が一週間前。塔の管理人が、夜間に上層で奇妙な光を見たのだという。そして四件目が一昨日の晩だ。目撃証言は多数あり、塔の頂上の辺りが、やはり光に包まれたというのだ。

 

「念のために、昨日から立ち入りを禁止するよう言ってある。既に一度調査はされているけど、俺も一応見ておきたいんだ」

「そうでしたか。私はてっきり、会議を欠席するための建前かと」

「……それも、ジルが言っていたのか?」

「いえ、ただの感想です」

「あれだな。君はジルにも似てきた」

「本当ですか?ありがとうございます、光栄です」

「違う違う」

 

 現時刻はアレル様の遅い起床もあり、午前九時過ぎ。まだ幾何かの余裕はあるけれど、身支度を始めるとしよう。何せ今日はジル様直々に、『調査に同行してもいい』という許可を得ているのだから。

 

 

_______________________

 

 

 小島の船着き場に設けられた案内所には、観光客用に馬車が置かれており、馬を使って周辺の様子を調べながら塔へ向かう手筈となっていた。約束の時間の十分前、アレル様のルーラで船着き場に降り立つと、待ち構えていたかのように、腕を組んで立つジル様の姿があった。

 知性を表す銀色のサークレット。目が冴えるような青の長髪と同色のマントに、純白のドレス。表情はやや不機嫌そう。いや、相当に悪そうだ。

 

「よう。帰ってたんだな」

「……つい先日にね」

「ジル様、お待たせしてしまい申し訳ありません」

「いいのよヤヨイちゃん。手綱、お願いできるかしら」

 

 アレル様とジル様が荷台に乗り、私が手綱を握った。調査のために遠回りをしても、塔まで一時間と掛からない道のりだ。

 馬が駆け出して間もなく、後方から二人のやり取りが聞こえてくる。会話の内容は予想していた通り、ジル様の機嫌を大いに損ねた原因にあった。

 

「情報紙、読んだか?」

「『営利目的のルーラに課税』なんていう馬の肥やしにもなり得ないクソ法案のこと?」

「……読んだんだな」

 

 聖職者らしからぬ罵詈雑言はこの際仕方ない。それ程憤りを覚えているということだ。

 呪文という存在を、ジル様は誰よりも神聖視している。私にとっても当たり前のことだ。ジパングにも生まれながらに才を持つ人間はいたけれど、神より授かりし賜物として、術者ではなく呪文その物を敬っていた。

 

「呆れて物が言えないわ。呪文っていうのはね、皆が考えている以上に尊い物なの。それに税を課すですって?冗談じゃないわ。ルビス様に唾を吐くのと同じよ」

「落ち着けよ。まだ成立した訳じゃないし、現実的に考えて通りっこないさ。ポルトガの戯言だ」

「議題に上ること自体が問題だって言ってるの。近いうちに罰が当たるわよ、きっと」

「お前が言うと怖いからやめてくれ……」

 

 同じく。ジル様の口から語られると、現実味があるから恐ろしい。心なしか馬が怯えている気がする。 

 

「まあいいや。一応聞いておくけど、どうしてお前まで着いて来るんだよ。例の噂、そんなに気になるのか?」

 

 話の流れを変えたかったのだろう。アレル様の、そして私が抱いていた素朴な疑問が、ジル様に投じられた。少々の時間を要してから、ジル様は声色を変えて言った。

 

「私も見たのよ」

「え?」

「だから、ダーマ神殿で私も見たの。あれは多分、ガルナの塔の光だった」

 

 予想だにしない五つ目の証言。会話が途切れ、馬の蹄が鳴らす渇いた足音だけが、風と共に流れていく。

 塔。そして光。その二つが意味する物は。考えたところで、答えが見付かるはずもなかった。

 

 

_______________________

 

 

 塔の根元に着く頃には、太陽は真上に位置していた。馬車を停めて塔の正面に立つと、正門は施錠がされていた。立ち入り禁止なのだから当たり前かと思いきや、アレル様が「うわっ、鍵掛かってんだっけ」と呟きを漏らす。ジル様がアレル様の後ろ頭を小突いた後、その場はジル様の『アバカム』の呪文で事無きを得た。

 ナジミの塔には以前にも来たことがある。というより、この地上で名が知れた観光地には、アレル様のルーラで一通り足を運んだことがある。レイアムランドのど真ん中で凍えた直後、イシス地方の砂漠で肌を焼いたあの日を、私は生涯忘れないだろう。

 

「それで、昨晩アンタは何をしていた訳?」

 

 注意深く周囲を見渡しがら三人で歩を進めていると、ジル様が素っ気無く告げた。その一言で、不機嫌さの根底にあった、もう一つの存在に気付かされる。

 

「何って、ただ酒の席に誘われたから、応じただけだ。それがどうかしたのか?」

「兵団の中将と?何度も言ってるでしょ。アンタ自分の立場を分かってるの?」

 

 アレル様は、何処にも属していない。何事にも中立の立場を貫き、己の思うが儘の言動を選ぶ。政治や軍事に携わる機会はあれど、あくまでアリアハンで暮らす一人の人間として立ち振る舞っている。

 英雄としての影響力が強過ぎるからだ。アレル様の一挙手一投足に、誰もが注視している。右を向けば右に、左を向けば左を向く。事実として、アリアハンの国力は勇者という存在なくして語れない。それすらもが、アレル様に圧し掛かる重荷の一つに過ぎない。

 

「分かってるよ。俺は何者にもなるつもりはない」

「私はその言葉をどう捉えればいいのかしら」

「俺は俺ってことさ。別に深い意味はないって」

「だったら潰れるまで飲まされてんじゃないわよ」

「悪い。心配掛けたな」

「……バカ」

 

 けれど、私が思い悩む必要はない。ジル様という存在が、アレル様を支えてくれている。私にできることは、ジル様が苦手な料理を振る舞い、身の回りのお世話に尽力すればいい。

 いつのことだろう。以前にルシア様が、私はアレル様とジル様の妹のようだと言ってくれたことがある。前を行く二人を追い掛けることが、私にとっては誇らしく、嬉しくもある。私に兄妹はいないけれど、きっとこの温かみは、本物のそれだ。

 

 

_______________________

 

 

 少々入り組んだ内部を順調に上って行き、最上層へ。老朽化の影響で頂部は多少崩れ掛かっていて、保全のために補修された跡が所々に見られた。一昨日の晩の目撃証言によれば、光とやらはこの周辺から放たれたことになる。

 

「特に変わった様子はないな。ジル、どうだ?」

「そうね……多少空気が淀んでいるけど、別にって感じ」

 

 取り立てて気になる点は見当たらない。以前よりも草臥れた感はあるけれど、それが寧ろ居心地の良さを思わせた。

 上層ならではの風が頬を撫でて、汗ばんだ肌を乾かしていく。名所とされるだけあって、眼下に広がる光景も格別だ。浅い青色の入り江に広大な平野、峻厳な山々。やはり私は故郷を思わせる自然が好きだ。気分が高揚する。

 

 

 

 ―――私は、何者にもなれない。

 

 

 

「へっ?」

「うん?」

「え?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れる。我に返ると、二人の怪訝そうな視線が私に向いていた。

 

「ヤヨイちゃん、どうかした?」

「何だ。何か気付いたのか?」

「いえ……その」

 

 空耳だろうか。声が聞こえた気がする。

 何者にもなれない。似たようなことを、先程アレル様の口から聞いた。でも若干の違いがある。それに、確かに聞こえた。淑やかで優しげな声が、そう言っていた。

 

「ま、待って。これはっ……何か、来る!」

 

 ジル様の警告と同時に、正面に光の粒が浮かんだ。粒は一気にその数を増していき、やがて一つの集合体となり―――眼前が、光に包まれる。眩しさのあまり、私は目を閉じて身を屈めた。

 

 

 

 どれぐらいそうしていただろう。光に当てられた目を擦り、恐る恐る瞼を開くと、私は知らぬ間にジル様の胸に抱かれていた。前方を見れば、背に携えていた剣を正面に向けるアレル様。光は跡形もなく消えていて、その代わりに―――床に横たわる、人の姿があった。

 

「……女性、か?」

「……女性、ね」

「……女性、ですね」

 

 三人の視線が交差をして、首が縦に振られた。

 見間違いではなく、錯覚や幻でもない。光が放たれた場所のすぐ傍に、人間の女性が仰向けの姿勢で眠っていた。

 

「コホン。その、なんだ。ち、近付くぞ?」

 

 誰に向けた言葉やら、アレル様は丁寧に前置いた後、そっと歩を進めた。私とジル様も、手を取り合いながらアレル様に続いた。

 たっぷりと時間を掛けて歩み寄り、アレル様の背後から様子を窺う。見紛うはずもなく、やはり女性だった。

 

「……ヤヨイと同じぐらいの歳かな。すごい美人さんだ」

「アンタ何言ってんのよ」

 

 場違いとも取れるアレル様の言葉に、しかし同意せざるを得ない。

 金色に輝く細髪は短く切り揃えられていて、猫のような小顔は幼さを感じさせるけれど、アレル様が言ったように恐らく同年代。服装はジル様と似通っている一方、レッドパープル色のマントが違った印象を抱かせた。

 他に気になる点と言えば、剣だろうか。女性の傍らには二本の剣が置かれており、柄には鳥のような装飾が施されていた。

 

「ねえ。それってもしかして、『隼の剣』?」

「ああ、多分な。この軽さはどちらも……こいつは、名前か?」

 

 アレル様の指が、剣の鞘の部分を差す。そこには文字が彫られていて、アレル様が指でなぞりながら文字列を読み上げていく。

 タバサ・エル・シ・グランバニア。アレル様の「名前だよな?」という問いに、ジル様が「名前でしょうね」と返答する。あまりに異様な事態を前に、互いに慎重な判断を下そうとしているのだろう。

 

「あ、あのー。一体、何が起きたんですか?」

「俺が聞きたいよ」

「私が聞きたいわよ」

「……ですよね」

 

 分かってはいたけれど、聞かずにはいられなかった。無理もないと思いたい。

 目の前が光に包まれた後、見知らぬ女性が眠っていた。それだけだ。見事に前後半の現象が繋がらない。まさか昼寝の最中にバシルーラで飛ばされてきたとか、ルーラの直後に居眠りを始めたとか、いやいや落ち着こう。冷静になろうとして、冷静さを欠いている気がする。

 

「参ったな。こいつはどうしっ……ああもう。ジル、気付いてるか?」

「当たり前でしょう。ヤヨイちゃん、こっちに来て」

「え、え?」

 

 ジル様に手を引かれて、強引に背後へと立たされる。何事かと思い、何もない方向に歩き始めたアレル様の背中を見て、戦慄が走る。血の気が引いた。

 先程とは正反対だった。漆黒の闇が、前方に広がっていた。まるでそこだけに夜が訪れたかのように、黒に染まった空間があった。息を飲んで見守っていると、やがて闇の中から、何かが姿を顕し始める。

 

「魔物の殺意なんて久しぶりだ。しかもこいつは、相当に厄介だな」

 

 筋骨隆々とした四肢。紫色の禍々しいたてがみ。青白く生気が感じられない肌。口部から滴る液体。この地上から消え去ったはずの脅威。

 足が竦んだ。馬と形容するには邪悪過ぎる存在が、何の前触れもなく顕れ、仁王立ちをしていた。

 

「オオオオォォオオッッ!!!!」

 

 雄叫びが耳の奥に刺さり、この付近一帯に横溢する空気を震わせ、足元が揺れる。頼りない古びた塔が崩れ落ちてしまいそうで、私はジル様の腰に縋り付き、恐怖に身を震わせていた。

 

「マホカンタ」

「え?」

「ヤヨイちゃん。口を開けて耳を塞いで。安心して、すぐに終わるわ」

 

 言われるがままに耳を塞いだ途端。両手越しに、轟音が辺りに鳴り響く。

 

(―――!?)

 

 瞼の裏に、光の点滅が刻まれた。脳裏に過ぎったのは雷雨。音と光が頂点に達し、落雷の直後に放たれる鳴動が、塔の内部で幾度も反響を繰り返すかのように余韻を残していき、徐々に収まりを見せ始める。

 

「ふう。もう大丈夫よ」

「……?」

 

 先ず感じたのは、焦げ臭さ。ジル様の優しい声に促され、前方を見やると、そこには真っ黒な何かがあった。アレル様はそれを見下ろしながら、首を傾げて言った。

 

「手加減したつもりはないんだけどな。即死を免れたみたいだ。平和のせいで腕が鈍ったか?」

「きっと無意識のうちに抑えたのよ。流石に観光の名所を壊す訳にはいかないしね」

 

 ああ。どうして忘れていたのだろう。この二人はかつてあの魔王バラモスを、そして人知れず大魔王との死闘に臨んだ、勇ましき聖戦士だというのに。不謹慎ではあるけれど、黒焦げにされ虫の息となった魔物に憐みさえ覚える。

 

「それで、俺達はどう受け止めればいいんだ?人間の女性が現れたと思いきや、ボストロール級の魔物だぞ。賢者様の個人的見解を聞きたいところだな」

「うっさいわね。私だって何が何や……ら……」

 

 尻すぼみになっていくジル様の声。食い入るように見開かれた眼の先には、上半身を起こした女性。

 静寂が時が止めた。アレル様はやれやれといった仕草のまま立ち尽くし、ジル様も頭を抱えた状態で目をぱちぱちとしている。起き上がった女性はきょとんとした表情を浮かべて、私は両者の間に挟まれていた。

 さてどうしたものか。とりあえず、挨拶ぐらいはしておこう。

 

「お、おはよう―――」

 

 一陣の風と共に、女性の姿が消える。

 

「―――ございます。って、あら?」

 

 からんからんと音を立てて、床に置かれた二本の鞘。鞘の中身と女性は何処へ消えた。ぐるりと見回すと、アレル様とジル様の向こう側。女性は剣をそれぞれ逆手に構えながら、ひどく取り乱した様子で口を開いた。

 

「だ、誰!?貴方達はっ……あれ?わ、わたし……え、あれ、ええ!?なな、ちょ、ふぁ!?」

 

 私達の比ではなかった。女性は狼狽えながら後ずさっていき、やがてその踵が真っ黒な魔物の成れの果てにぶつかる。

 

「……ジャミ?」

「「じゃみ?」」

 

 三人の声が重なり、訳の分からなさが最高潮に達した。私達とタバサさんの出会いは、そうして始まった。

 

 

 

 

 

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