ドラゴンクエストⅢ 時の果てに集いしは   作:ゆーゆ

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光を求めて

 

 ―――起床。瞼を開けると同時に、全身から一気に冷や汗が浮かんだ。

 窓から差し込む陽の光が多過ぎる。慣れ親しんだ朝とは異なる空気。恐る恐る半身を起こすと、時計の針が『寝坊』の二文字を報せてくれた。

 

「ああ!?」

 

___________________

 

 

 大急ぎで身支度を整えて、母家へと走る。玄関を開けると、案の定アレル様はリビングで情報紙を片手に、紅茶を啜っていた。どう見たって、食後の一服だった。

 

「おはよう、ヤヨイ」

「も、申し訳ございませんアレル様。食事の用意もせずに……あの、誠に、誠に申し訳ございません」

「いいってそんな。ぐっすり眠ってるみたいだったから、俺も敢えて起こさなかったんだ」

 

 勿論、今回が初の寝坊という訳じゃない。何度か覚えはあるけれど、少なくとも直近は一年以上も前のことだ。しかも二時間以上の寝過ごし。最悪な記録を塗り替えてしまっていた。

 

「そういう時もあるさ。寧ろヤヨイはもっと気を抜いてもいいぐらいだと思うけどな。使用人って言ったって、働き過ぎだよ」

「そう言われましても……はあ」

 

 ともあれ後悔しても仕方ない。失態を犯したその分、普段よりも働いて返せばいい。

 気を取り直してテーブル上の食器を片していると、今度はアレル様が溜め息を付いて、肩を落とし始める。

 

「アレル様、今日のご予定は?」

「月一の剣術指南役だよ。帰りは遅くなると思う」

「ああ、通りで」

 

 すぐに合点がいった。アレル様の凛とした顔に憂いが浮かぶ原因は、大まかに二つ。パートナーであるジル様から無理難題を吹っ掛けられたか、或いは気乗りのしない職務を任された時。今は後者だ。

 アレル様としては、アリアハン国軍への剣術指導に前向きではある。一方で魔物の脅威が激減した昨今、専ら『対人』を想定した術技が重視されているらしい。得手不得手という話ではなく、アレル様が気後れするもの無理はない。

 

「あっ」

 

 ―――パリン。

 失態その二。利き手から落下したガラスのコップが一つ、砕け散る。尖った音が響き渡って、言葉を忘れた。

 

「……えー。その」

 

 私は何をしているのだろう。早朝から泣きたくなってくる。というか既に視界が滲んでいた。

 身体を強張らせて立ち尽くす私に先んじて、アレル様は身を屈めてガラスの破片を拾い集めながら、やれやれといった様子で告げた。

 

「やっぱり、休んだ方がいいみたいだな」

「いえ、違うんです。疲れているとか、そういった訳では」

「違うなら、尚更だよ」

 

 言い淀んでいると、アレル様の真っ直ぐな瞳が、私の中を覗き込んでくる。

 不快感のない見透かし。滅多にない寝坊と食器の破損を仕出かした時点で、隠しごとどころの話じゃない。

 

「今年はまだ、故郷に帰ってもいなかっただろ。気持ちは分かるけどさ……タバサの件は、ヤヨイが気に病むことじゃない」

 

 あれから。唐突な出会いと別れの一夜から、今日で二ヶ月間が経つ。

 常日頃意識をしている訳じゃない。けれどあの部屋で寝床へ入る度に、どうしたって思い起こしてしまう。

 彼女は今、何処で何をしているのだろう。

 微塵も覚えのない異世界で、生き永らえているのだろうか。

 

「……眠れないんです。眠ろうとすると、思い出してしまって」

 

 考え出すと目が冴えて、眠りに付こうとすることそれ自体に、罪悪感が伴う。まるで私が見放したかのように、胸の奥底へと突き刺さる。微睡みとの境界を彷徨っている間に、どれだけ長い夜でも終わりを告げて、太陽が昇る。その繰り返し。

 慢性的な寝不足は苦痛じゃない。罪滅ぼしにもならないことは理解しているけれど、帰郷を躊躇っているのも、結局は同じことなのだろう。私には、最近の私が分からない。

 

「だからまあ、好きにすればいいさ。ヤヨイの気が済むまで、長期休暇にしよう」

「はい?」

「暫くは母さんと実家で過ごすよ。たまには親孝行もしておかないとね」

 

 重い瞼を擦っていると、アレル様は私の肩をぽんと叩いた後、踵を返して玄関口に向かった。

 完全な置いてけぼり。確かに今年はまだ休暇を貰っていなかったけれど、あまりに唐突過ぎる。思わず呼び止めようとするやいなや、アレル様は振り返って言った。

 

「それともう一つ。ジルから伝言だ。今後一切、『呪文』は好きに使っていいってさ」

「え……あ、あの」

 

 バタン。アレル様の背中が消えて、静寂が訪れる。室内に残された私は、アレル様が集めてくれたガラスの破片を一瞥して、右手の掌を見詰めていた。

 

「ジル様……。アレル様」

 

 呪文。一度は闇に包まれたこの世界を再び光で照らした、賢者様が授けてくれた力。その行使はほとんどが禁じられ、必要最低限しか許されていなかった。

 でも今なら。私にできることはある。たった一夜の付き合いと言えど、本物だった。掛け替えのない時間を取り戻すことが、できるはずだ。

 

___________________

 

 

 不死鳥の月、初旬。

 真冬の峠を越えて、山々が雪を被った季節に、ジパングと呼ばれる小国の東部、大集落を訪ねる女性の姿があった。

 

「止まれ。何者だ」

 

 入口の警備に当たっていた兵士は、長槍を女性―――タバサ・エル・シ・グランバニアに向けた。

 タバサの出で立ちはあまりに際立っていた。金色の短髪は乱れていて、異国民のそれと一目で分かる。衣服は小汚く随所が解れており、長旅の真っ只中を思わせる。浮浪者と捉えられても無理もない様相は、とりわけジパングという島国では、受け入れ難い姿だった。

 

「怪しい者ではありません。女王様に、お目通りを願います」

「ふざけたことを。大方貴様も、下らん流言を聞き及んだ口だろう」

 

 兵士が指した噂は、主要各国に広まりつつある、不可思議な術技に関する物だった。

 曰く、ジパングを統べる女王は、手を使わずに大岩を動かす。

 曰く、他者の感情を読み取る。

 曰く、天候を操り雨を降らすことができる。

 曰く―――未来を、見通す。

 

「ガイジンを通す訳にはいかん。即刻立ち去れ」

「待って下さい。違うんです。私はただ、見て頂きたいだけで」

「帰れと言っている!」

「お願い、します。私はっ……!」

 

 タバサにとって、女王は最後の希望。藁をも縋る思いで海を渡り、ジパングに流れ着いていた。

 喪うことの苦しみを、彼女は知っていた。物心が付いた頃には、既に喪っていたからだ。

 両親を求め、幼少から剣を握り、双子の兄と死に物狂いで世界中を回った。一生物の傷をその身に刻みながら戦い、戦って取り戻し、守り抜いた大切な光。その全てが、消えてしまった。

 

「お願い。もう、いやよ」

 

 唐突に落とされたこの世界に、家族はいない。どころか、彼女を知り、名を呼ぶ人間すら存在しない。着の身着のまま路銀もなく、生きることさえ儘ならない、何も知らない世界で、たったの一人。心が、限界を迎えていた。

 嘆きが呻きとなって、叫び吐いてしまいたくなる。

 分からない。分からない。もう、考えたくない。

 

「もう、いや。誰か、誰でもいいから。私は、わたし、は―――」

「探しましたよ。タバサさん」

 

 刹那。あるはずのない声。いないはずの人間。誰かが、名を呼んだ。

 そっと振り向いた先には、朗らかな笑みが浮かんでいた。

 

「こんな所にいたんですね。食事はきちんと取れていますか?ぼろぼろじゃないですか」

「……ヤヨイ、なの?」

「はい。私です」

 

 目を疑う光景に、しかし別の違和へと気が向いてしまう。ヤヨイの左腕には添え木が当てられ、布で固定されていた。

 あまりに痛々しい負傷。タバサは懸命に嗚咽を抑えて、両手で口元を覆いながら聞いた。

 

「その腕……なに?」

「ルーラの呪文、実は苦手なんです。連日何度も唱えていたら、着地に失敗しまして。一週間ぐらい前に、骨を折ってしまいました」

「そ、そんな。どうして」

「ルーラなしでは、時間が掛かり過ぎますから」

 

 ヤヨイの魔力というより、ルーラという呪文その物に付き纏う危険性の問題だった。高等な瞬間移動呪文であるルーラは、一歩間違えば即死。余程の使い手でない限り、発動した時点で最期を迎えてしまう。

 アリアハンを発って以降、ヤヨイは幾度もルーラを使っていた。骨折で免れたのは、寧ろ幸いと言える。その全てが―――タバサの行方を求めるため。

 

「わた、わたしの、せいで」

「いいんです。こうしてまた会えましたから。ついでに帰郷まで……一石二鳥です」

「う……うぅ、う」

「タバサさん。ご無事で、何よりです」

 

 止め処なく溢れ出る大粒で、タバサは両頬を濡らした。一方のヤヨイは、優しげな色を浮かべてタバサを受け止めた後、傍らで呆けていた兵士に、小声で言った。

 

「クシナダヤヨイ、ただいま戻りました。『ナズナ様』にそうお伝え下さい」

 

___________________

 

 

 集落の大通りを歩きながら、タバサはこの二ヶ月間半の旅路について、ヤヨイに語り聞かせた。

 故郷を求めてタバサが渡り歩いたのは、西大陸の一部。北レーベから海を越えて、ロマリア、カザーブ、アッサラーム、バハラタ、ムオル、そしてジパング。食い扶持は教会の炊き出しが主で、それも街を離れればあり付けない。行き当たりばったりの流れ旅だった。

 

「随分と無茶をしていたんですね。少し痩せましたか?」

「疲れてるだけだと思うけど……ねえヤヨイ。一つ、聞いてもいいかしら」

「何ですか?」

「すごく、見られてる気がする。すごーく」

 

 二人に降り注ぐ数多の視線。奇怪な生物を恐々として見るかの如く、住民の誰もが近付こうとしない。寧ろ逃げるように二人から遠ざかっていく。妙な挙動の根底にあったのは、所謂国民性。ジパング人特有の気質にあった。 

 

「私も外に出て初めて認識しましたが、このジパングで暮らす住民は、他国に対して非常に閉鎖的なんです。近年は国交が盛んになってきましたけど、今でも住民の大半は、あんな感じです。他の集落も同様ですね」

「そ、そうなの。でも何だか、ヤヨイも変な目で見られてない?」

「もう七年間もアリアハン暮らしですから。私も少々奇異な存在となってしまいました」

「平然と言っちゃうのね……」

 

 同じ集落で暮らしていたはずのヤヨイに対してですら、この有り様。その排他性は言うまでもなかった。

 とは言え勿論、例外は存在する。少なからず変化の兆しはあり、それが他国との僅かな繋がりを生み始めていた。

 

「それに親しい友人や家族は、帰りを喜んでくれますよ。後ほど実家にご案内しますね」

「あ、ありがとう」

「話を戻しましょう。あれがナズナ様の宮殿です」

 

 連続鳥居の入り口付近で、ヤヨイが足を止めた。タバサはその先に佇む厳かな建屋に、自然と目が釘付けとなる。

 知らない世界と言っても、共通点の方が圧倒的に多い。生活様式や習わしを含め、細かな差異に目を瞑れば、不自由のない生活を送ることだって可能ではある。そんな中でも、ジパングはとりわけ特異な存在で、眼前の宮殿も神々しさで満ち溢れていた。

 

「では、行きましょうか」

「ま、待って。こんな恰好で謁見は、流石に失礼よ」

「心配は要りません。ナズナ様はお優しい方ですから、私なんかとも気兼ねなく接して下さいます」

「……もしかしてヤヨイって、そういう身分の人だった?」

「あはは、一介の農民ですよ。でも、そうですね。私とナズナ様の関係は、話すと少々ややこしいんです」

 

 ヤヨイの思わせ振りな物言いに、タバサの頭上へ疑問符が浮かんだ。

 ヤヨイは一考してから、タバサにも理解し易いよう、取っ掛かりとなるであろう人物の名を口にした。

 

「タバサさんは各地を転々とする中で、『オルテガ様』のお名前を耳にはしませんでしたか?」

「オルテガ……ええ、何回かは。『この世界』の大まかな史実は、頭に入ってるわ」

 

 かつてこの地上に蔓延っていた悪魔達。その頂点に君臨していた魔王。平穏が訪れた今も尚、勇ましき親子の名は、世界中で語り継がれている。タバサの知るところでもあった。 

 

「タバサさんもご存知の通りです。オルテガ様は魔王バラモスを討伐せんと、たったの一人でアリアハンを旅立ちました」

「その約一年後に、魔王城の目前で……ネクロゴンド、だったかしら。その火口で、強大な魔物と対峙した末に、亡くなった、のよね」

「そう言われていますね。今の話、少し妙だとは思いませんか?」

「え?」

「だってオルテガ様は、単身で旅立たれたのですよ。誰がオルテガ様のご勇姿を見届けたんですか?」

「……あ、そっか。そうよね。でも、誰が?」

 

 誰しもが行き着く当たり前の疑問。一般的には、オルテガに仕えていたアリアハンの従者が報せたとされていた。

 しかし実際は異なる。一部の者のみが知る、公にはされていない真実。ヤヨイも、その一人だった。

 

「実のところ、オルテガ様はこのジパングで、一人の女性と出会います。それが後の先代、ヒミコ様……当代の姉君に当たるお人でした。ヒミコ様はネクロゴンドに至るまでの間、影ながらオルテガ様を支えていたんです」

「えええ?」

 

 それがどれほどの驚愕に値するのか。タバサは推し量りながら、再度首を傾げてしまう。

 そもそも一体何故、オルテガとヒミコの名が上がったのか。自分はヤヨイとジパング女王の関係について、尋ねただけだというのに。

 

「えーと。今の話って、ヤヨイと女王様にどう繋がるの?」

「まだお話の途中ですよ。続きは後にして、そろそろ向かいましょう」

 

 ヤヨイの声に、タバサは改めて自身の身嗜みを確認した。

 

「う、うーん」

 

 仮にも一国の―――グランバニア王女という立場柄、この恰好は流石に。タバサは頭を痛めつつ、ヤヨイの背中を追った。

 

___________________

 

 

 木と漆の香りが漂う宮殿内。謁見の間。

 タバサはヤヨイの隣で、藁椅子に座るジパング女王ナズナの繊手を見詰めていた。

 

「おかえりなさい、ヤヨイ。頭を上げて下さい」

「はい」

 

 色白の肌よりも更に白い、純白の見栄えた着物。真逆の黒髪は腰元まで届き、化粧気はない。あまりに特異な外見にも関わらず、不思議と目が離せない。吸い込まれてしまいそうな、白と黒。

 

「そちらの女性は?」

「アリアハンで知り合った、私の友人です」

「まあ……こんなことは初めてですね。嬉しく思います」

「お初にお目に掛かかれて光栄です。タバサと申します」

「ようこそジパングへ。ジパング女王、ナズナです。以後よしなに、タバサ」

 

 閉鎖的な島国の主とあれば、身構えてしまって然り。しかし集落の住民とはほど遠い、ナズナの慈しみとその笑顔に、自然とタバサの表情が緩んでいく。

 何時だって孤独だった。文字通りの別世界で過ごした二ヶ月半は、何かを憎まずにはいられなかった。理不尽さばかりだったけれど。恐らく自分は、間違っていたのだろう。

 

「あら、ヤヨイ。その腕はどうしたのですか?」

「不得手の呪文で、少々ありまして」

「……ヤヨイ、こちらへ」

 

 ナズナの声で、ヤヨイはゆっくりと歩を進めた。ヤヨイが膝を付いて身を屈めると、ナズナの両手が光を帯び始める。固定された左腕を撫でるように、指先が白光の軌跡を描いて、光が生まれては消えていく。

 タバサが二人の様子を見守っていると、やがて変化が訪れる。ぴくりと左腕が反応して、動きが増す。段々と力が込められていき、骨が折れていたはずの腕は、まるで何事もなかったかのように、生気を振りまいていた。

 

「ふう。具合はどうですか?」

「もう痛みもありません。ありがとうございます」

「え……え?」

 

 信じ難い現象を前に、タバサは口をぱくぱくとさせて、ヤヨイの左腕に見入っていた。

 回復呪文とも異なる、自然の理に反した奇跡。正に奇跡と称するに相応しい光だった。

 

「今のは、ベホマ?」

「違いますよ、タバサさん。神仙術と呼ばれる、この国の限られた人間が操る術技の一つです」

「しんせんじゅつ?」

「私はてっきり、タバサさんもナズナ様のお力がお目当てだと考えていたのですが」

「あ……」

 

 図星を突かれて視線を落としたタバサは、居た堪れないといった様子で一歩、後ずさった。

 贔屓目に言っても半信半疑。漂う中で誇張された、中身のない噂だとばかり考えていた。それでもタバサは、願わずにはいられなかった。窮地に立たされた故の逃避の末に、この国を訪ねていた。

 真実を見通す眼。未来を予見する力。

 もしかしたら、知っているのかもしれない。いや、このヒトなら、きっと。

 

「何やら込み入った事情があるようですね」

「私からお話します、ナズナ様」

 

 タバサに代わって、ヤヨイがナズナへ経緯を明かした。タバサが見舞われた一連の現象。ナジミの塔での邂逅。二ヶ月半に及んだ揺蕩い。

 ヤヨイが語り終えると、ナズナは瞼を閉じたまま、深い悲しみの色を眉間に浮かべて口を開いた。

 

「そんなことが……。大変な物を、背負ってしまったようですね」

「……ナズナ様?」

「大丈夫。少しだけ、私と目を合わせて頂けますか?」

 

 タバサは小首を傾げつつ、藁椅子から立ち上がったナズナと顔を見合わせて、真っ直ぐに正面を見据えた。

 目を合わせてと言われても、ナズナの瞼は落とされたまま。かと思いきや、ヤヨイの左腕を癒した光と同じ色の輝きが、瞼の裏から溢れ出す。見えないから見えるという矛盾が、タバサの瞳を捉えて離さない。

 ほどなくして、ナズナは口尻を上げた。しかしその穏やかな表情の裏には、寂しげな影が落ちていた。

 

「概ね、理解しました。確かに貴女は、この地上とは異なる別の世界から迷い込んでしまった」

「っ……で、では私は、どうすればよいのですか?」

「ごめんなさい。私にも、そこまでは。私はただ、貴女という存在を認識したに過ぎません」

 

 ナズナの言葉に、重い沈黙が漂い始める。極度の疲労と底なしの落胆。足元から世界が崩れていく感覚に陥り、タバサは立ち眩みをするように、力なく身体を揺らした。それを抱き留めたは―――ヤヨイだった。

 

「ですがその出会いを、どうか大切になさって下さい。この世界は決して貴女を拒みません。勿論、私も」

 

 ナズナの声掛けを体現するかのように、ヤヨイは両腕に力を込めて、抱き包んだ。感情を押し隠さずに、全てを露わにして、叫ぶようにそっと囁く。

 

「もう二度と、黙っていなくならないで下さいね。タバサさん」

「……うん」

 

 いるはずのない人間が、それでもこの世界に存在するのだと、ヤヨイは誰かに示したかった。

 今し方生まれ落ちた赤子のように、タバサは誰かに声を届けようとしていた。

 様々な感情と願いをない交ぜにして、二人は声を上げた。きっと誰かが聴いていると、頑なに信じて。

 

 

 

 

 

 ややあって。

 タバサが落ち着きを見せ始めた頃。ヤヨイとナズナは長年親しんだ友人のように、よしなしごとで話に花を咲かせていた。

 

「ヤヨイも元気そうで何よりです。アレル様にも、お変わりはありませんか?」

「はい。ジル様とも相変わらずです」

「フフ。ヤヨイの見立てでは、アレル様は今頃ジル様を娶っていたはずでしたが?」

「……外界には、私の理解を超えた男女仲が存在するようです」

 

 その場凌ぎの言い逃れに、ナズナは品の良い笑みを浮かべて、頭上を仰いだ。

 

「ヤヨイがアレル様に見定められた時、私は運命のような物を、感じずにはいられませんでした」

 

 不意に、タバサの脳裏に一つの繋がりが浮かんだ。

 アリアハンとジパング。過去と今。ヤヨイとアレル。そして―――ヒミコとオルテガ。

 タバサが黙考していると、ナズナはその先回りをして、タバサに告げた。

 

「オルテガ様への同行は、姉様……先代の意志によるものでした。この地上を覆っていた闇を祓い、光を取り戻すべく、影ながらオルテガ様を支えたいと」

 

 勿論、契機は複数あった。

 ヒミコは真の平穏を求め、勇ましき者に願いを託して。魔王の根城に繋がるネクロゴンド活火山の脈動は、神仙術なくして治まらない。

 一方のオルテガも、大蛇の洞窟で深手を負い、ムオルの村で療養の日々を送る中で、良くも悪くも己の力に限界を感じていた。

 

「ですがお二人の邂逅は、悲劇的な終末を迎えてしまった。先代も心を蝕まれ、ヤマタノオロチという悪夢へと変貌して……。だからこそ私は、ヤヨイに光を見い出したのです」

「ナズナ様。私は、なにも」

「それにこの国も、変わるべき時期にあると考えています。私はアレル様とヤヨイの関係が、ジパングと諸外国の友好の象徴になると、そう信じていますよ。ヤヨイ」

「……光栄です」

 

 何度目か分からない息苦しさ。ヤヨイはひた隠しにして、平静を装った。

 勇者に仕え、日々尽くすことに誇りを抱く自分。目が眩むような大役を背負わされたような気がして、気後れをする自分。一体どちらが、本物なのだろう。答えはまだ、見付かりそうにない。

 

 

 

 

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