ドラゴンクエストⅢ 時の果てに集いしは   作:ゆーゆ

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第1章、最終話です。


勇者のいかずち

 

 ジパング。アリアハン地方は比較的寒暖差が穏やかな一方、この国は四季がはっきりとしている。不死鳥の月中旬の今は、真冬の峠を越えた頃。段々と春が近付いてきてはいるけれど、朝は吐息が真っ白に変わる。私はこれぐらいの季節が好きだ。

  

「おはよ、ヤヨイ」

「ん。おはようございます、タバサさん」

 

 薪を抱えて朝空を仰いでいると、実家の建屋からタバサさんが顔を覗かせた。寝ぼけ眼を擦っている辺り、今し方起床したのだろう。若干の疲労感が窺えるけれど、表情は晴れやかだった。

 

「よく眠れましたか?」

「ええ。ここ最近じゃ、一番熟睡できたかも」

「……それは意外です」

 

 海を渡ってきた異国人にとって、ジパングの衣食住は大抵『時代遅れ』として映る。ふかふかの綿布団なんて物が存在するはずもなく、藁や稲で編まれた『ござ』に拒否感を示す者が大多数を占める。刀鍜治のような例外はあれど、ほとんどは他国に比べて後進的と言っていい。

 

「まあ、野宿とかは慣れっこだしね。こう見えて、小さい頃は色々と苦労をしてきたのよ」

「そうでしたか。アレル様とジル様は、まるで逆の見解でしたが」

「あら、そうなの?」

「『家名が刻まれた隼の剣』なんて高貴な代物は、お二人も見たことがないと言っていました。しかも二刀流」

「……あ、そう。と、とりあえず私の話はまた今度に」

 

 ぎこちない身振りで話題を変えようとするタバサさん。目に見えて動揺し始めた理由は、一先ず置いておくとしよう。誰にだって触れて欲しくない物はある。それは私だって―――同じだ。

 

「さてと。私に手伝えることはある?お父さんはまだ眠ってるみたいだし、お世話になった分、何だってするわよ」

「そう言われましても……あっ。でしたら、私と一緒に『火』を採りに行きましょうか」

「火?火って……ああ、そういえば昨日、話していたわね」

 

 冬の季節に置いて、この集落で『火』が意味するところは、熱を帯びた小石。寿命を迎えた『溶岩魔人』の欠片は、長期に渡り熱を発し続ける。冬に採取しても春先まで使える、貴重な暖なのだ。この習わしに目を付け、氷河魔人の欠片に同様の有用性を見い出したのが、アレル様。食材の足を緩めてくれる氷石は使い勝手が大変良く、私もその恩恵に与っていた。

 

「魔王バラモスが討たれて以降、火は容易に採取できるようになりました。私達二人でも、何の問題もないかと。寧ろタバサさんにも来て頂けると、私も心強いです」

「勿論構わないわよ。それで、何処へ行けばいいの?」

「少し遠いので、ルーラを使います。お父様が起きるまでには、戻って来れると思います」

「……ルーラ?」

「だ、大丈夫ですよ。遠いと言ってもすぐそこなので、失敗はしません。故郷ですし」

 

 思わず左腕を隠してしまった。ナズナ様の治癒術で完治はしたものの、着地の直後に響いた骨折音が未だ耳に残っている。ルーラに付き纏う危険性は常々頭の片隅に留めておこう。

 とはいえ、目的地は集落からそう離れてはいない。長年暮らしていた故郷で失敗の可能性は皆無と言っていい。そう何度も説明しても、タバサさんの笑みはぎこちなかった。

 

___________________

 

 

 手早く身支度を整えてから、ひとっ飛び。目的地付近へ無事着地した私達は、開けた平地にぽっかりと空いた大穴の、数メートル手前に立っていた。

 

「あれが、そう?」

「はい。かつてヤマタノオロチが巣食っていた、大蛇の洞窟です」

 

 魔王バラモスが健在だった頃は、溶岩魔人をはじめ多数の魔物が蔓延る、正に魔窟だった。しかし今となってはそのほとんどが鳴りを潜め、魔物による被害も過去の物。寧ろ熊や狼といった獣の方が怖いぐらいだ。

 周囲を見渡しながら洞窟に向かい、入口の手前で立ち止まる。火の採取には松明が必需品だけれど、私には『これ』がある。

 

「レミーラ」

 

 呪文の詠唱。広大な洞窟通路が、レミーラの光で照らされていく。私が先導して再び歩き出すと、タバサさんは意外そうな表情で言った。

 

「ヤヨイって、色々な呪文が使えたのね」

「一部の系統なら、中級まで修めています。でも私の場合、師に恵まれているだけの話です。元々ジパングの民の気質には、合っていないようですね」

 

 使い手はゼロじゃない。先天的な才がある者は過去にもいたけれど、よくてメラ系統やギラ系統。回復呪文や補助呪文は勿論、中級以上の呪文を修めたのは、恐らく私が初だろう。それだけ師であるジル様の存在が偉大だということだ。

 

「なら、神仙術は?女王様以外に、神仙術を使える人はいるの?」

「それは……今はもう、ほとんどいません。ナズナ様の血縁に限られています。みんな、亡くなりました」

「え……?」

 

 無意識のうちに、声色に感情が混ざり込んでしまう。私は努めて平静に、歩みを止めずに告げた。

 

「この洞窟には、生贄の祭壇と呼ばれる一角があります。ヤマタノオロチの支配下で、多くの女性が犠牲となりました」

 

 アレル様と聖戦士によってヤマタノオロチが討たれ、魔王バラモスの脅威が去った今も尚、傷は癒えていない。このジパングが見舞われた惨劇は、数多の犠牲者を生んで、私達は絶望という名の暗闇に、叩き落されてしまった。

 

「九年前のことです。オルテガ様がお亡くなりになり、ジパングに戻られたヒミコ様は、やがて正式な女王の座に即位されました。それが、全ての始まりでした」

 

 ヒミコ様の心は、その頃には既に蝕まれていた。心身をヤマタノオロチに乗っ取られたヒミコ様は、圧政の限りを尽くした挙句―――人身御供。ヤマタノオロチを鎮めるという名目の下、うら若き乙女を、次々とこの洞窟に送り込んだ。

 どういう訳か、神仙術の使い手は真っ先に槍玉となった。元々神仙術の才は女性にのみ発現することから、集落の女性の数は減少の一途を辿り始めた。直に見境が付かなくなり、集落中の女が狩り出されていき、最後に残された若年層は、私と『カヨ様』。カヨ様は私を護るために、進んでその身を。

 

「気付いていたかもしれませんが、同年代の同性は、あの集落に存在しません。集落の存続と繁栄が難しいぐらい、歪んでいるんです」

「……そうだったの」

「だから、タバサさん。今後も仲良くして頂けると、嬉しいです」

「え?」

 

 正直な話、アリアハンにおける私への風当たりは手厳しい。世界中から羨望を集める英雄に、異国から流れ着いた田舎者が仕えているのだから、無理もない話だ。とりわけ同性からは拒絶されることが多い。

 どうせ色香を使って、アレル様に取り入ったのだろう。

 アレル様の優しさに付け込んで、あの女は。

 夜伽の役目なら、私にだって。

 そんな根も葉もない噂を耳にしたのも、一度や二度じゃない。

 

「割り切ってはいますが、長年続いてしまうと、流石に。恥ずかしい話……同い年の友人は、貴女しか、いないから」

「……フフ。案外、寂しがり屋なのね、ヤヨイって」

 

 私が差し出した右手を―――タバサさんは、両手で包んでくれた。その温もりが心地良くて胸が弾み、不覚にも目頭が熱くなる。こんな風に充たされた感情は、いつ以来だろう。

 大切にしたいと思える。いずれは元いた世界に去ってしまうのだとしても、この温かさと笑顔だけは、本物なのだから。

 

「―――!?」

 

 心からの笑みで応えようとした、その時。洞窟内部が突如として、揺れた。

 同時に地下深くから噴き上げてくる殺気。一気に周囲の温度が上昇すると共に、その熱源が巨腕を地面から突き出して、半身が露わになる。ぎょろりとした真っ赤な瞳が、私達に向いていた。

 

「そ、そんな。こんな場所で……!?」

 

 唐突に現れた溶岩魔人。想定外の事態に見舞われ、思わず腰が抜けてしまい、尻餅をついていた。

 おかしい。溶岩魔人の縄張りは、大蛇の洞窟の奥部。洞窟の入口付近に魔物が現れるなんて、魔王が息絶えた八年前から一度もなかったというのに。

 

「オオォォォッッ!!!」

「ひっ!?」

 

 いや―――それよりも。この異常な殺気の方が妙だ。魔物のほとんどは温厚になったはずなのに。まるで以前の魔物と同じか、それ以上。

 身を焦がされるような眼光に射抜かれて、呼吸が儘ならない。頭上に掲げられた右腕は赤々と燃え盛り、今にも振り落ろさんとばかりに、揺れ動いていた。

 

「ヤヨイ、じっとしてて」

「た、タバサ、さん?」

「大丈夫だから。多分、いけると思う」

 

 地べたで身動きが取れないでいると、間に割って入るように、タバサさんが一歩前に出る。タバサさんは腰に携えた剣を抜こうともせず、両腕を大きく広げて、何かを言った。

 

「―――!」

 

 『音』のない声が、辺りに響き渡った。頭の中に直接言葉が入ってくるかの如く、タバサさんの意思が、耳鳴りと共に流れ込んでくる。力強く、それでいて優しげで、抱き留めるような声。

 

(なに、これ?)

 

 呆然として見守っていると、当てられていた殺気が揺らいだ。魔人の焔が収まりを見せ始め、半身が洞窟へと同化していき、巨腕が沈んでいく。

 やがてその場に転がっていたのは、魔人を成していた欠片。目当ての小さな火だけが、通路の中央に残されていた。タバサさんは何ごともなかったように、振り返って言った。

 

「ふう。敵意がないことを話したら、分かってくれたみたいね」

「ま、待って下さい。タバサさんって……『魔物使い』、だったんですか?」

「私がというより、父がそうだったの。色々なことを教えてくれたわ」

 

 存在自体は知っていた。動物の調教と同じで、獰猛な魔物を従えて、己の意のままに操る。中でも鳥獣族の魔物は最も扱いが容易く、街中で見掛ける機会だってある。動物よりも灰汁が強い分、一度手懐けさえすれば、その有用性は言うまでもない。

 しかし相手はあの溶岩魔人だ。温厚になったとはいえ、一角ウサギや大アリクイとは訳が違う。今し方目の前で起きた一連が、今でも信じられない。

 

「よ、溶岩魔人が自分から欠片を差し出すなんて。聞いたことが、ありませんよ」

「まだ子供だったからじゃないかしら。あの子、素直な良い子よ。私は好きかな」

「……ぅゎ」

「ねえちょっと。どうして離れるの。引き過ぎでしょう。なによその顔は」

 

 おっといけない。知らぬ間に数歩後ずさっていた。少し落ち着こう。

 それに、腑に落ちない点は残っている。タバサさんの手腕は別として、溶岩魔人が異様に殺気立っていた事実に変わりはない。ここ数年は魔物の方が逃げ隠れをするぐらいだったのに、あれはどう説明すればいいのだろう。

 

「多分、だけど。あの子、何かに怯えていたみたい」

「怯えていた?」

「ええ。だから気が立っていたんだと思う」

 

 怯えていた。溶岩魔人ほどの魔物が、何に対して。

 考えようとするやいなや、再び地面が揺れた。

 

(地震―――?)

 

 先ほどの震動とは異なる地響き。巨大な何かが地下深くから這い出てくるかのような威圧感。膨れ上がっていく脅威。私はタバサさんと視線を合わせて、お互いに首を縦に振った。

 

「「リレミト!」」

 

 すぐさま瞬間移動呪文を唱えて、視界が暗転する。ふわりとした浮遊感と共に瞼を開くと、ルーラで降り立った着地点に戻っていた。

 同時に背後から叩き付けられた巨大な殺気。溶岩魔人のそれとは比較にならない重圧。振り返った先には―――耳をつんざくような咆哮を轟かす、巨体があった。

 

「や、ヤヨイ。あれって、ヒドラ!?」

「なんて大きい……大きいにも、ほどがあります」

 

 ヒドラ族。彼のヤマタノオロチと同属の、ある意味では希少な存在が、木々を薙ぎ倒しながらゆっくりと前進していた。

 まるで動く城塞だ。巨大な胴体と繋がった五本の首が、それぞれの意思を以って大蛇のように宙を舞っていた。口元からは焔が絶え間なく滲み出し、吐息が赤色の瘴気となって、森林が火の海へと変貌し始めていた。

 

「どうして、あんな魔物が……そ、それにあの先には、集落が」

 

 魔物の行き先を察した途端、全身に戦慄が走る。

 鈍足ではあるものの、少しずつ歩は進んでいた。ヒドラが向かっている先は、私が生まれ育った大切な居場所。あのまま足が止まらなければ、いずれ。最悪の事態に陥ってしまう。

 

「ヤヨイ。先回りをして、集落のみんなを避難させて」

 

 不意に、風を切る鋭い音が鳴った。見れば、すらりとした細い刀身が二本、タバサさんの両手に握られていた。

 

「ま、待って。まさか一人で、ヒドラと対峙する気ですか」

「勿論。早く止めないと、手遅れになるわ」

「無茶です!私達と一緒に、安全な場所へ―――」

「大丈夫、信じて。絶対に守ってみせるから」

 

 凛然とした声と同時に、激しい鳴動が響き渡ると、ヒドラの周囲にいくつもの火柱が突き立った。火球が爆ぜて轟音が鳴り、緑が瞬く間に赤へと染まっていく。

 どうすればいい。私は今、どうすれば。

 

「っ……必ず、帰って来て下さいね」

「勿論。昨日、そう約束したでしょ?」

 

 迷いに足を取られながら、私は下唇を噛んで、ルーラの詠唱を始めた。

 

___________________

 

 

 集落に降り立つと、既に住民らは悲鳴を上げながら、我先にと避難を始めていた。ヒドラの首は集落からも遠目に映っていて、やがて到達するであろう脅威のほどは、誰に目にも明らかだった。

 

「お父様、お父様!ヤヨイです、何処ですか!?」

 

 駆け足で唯一の肉親を探しながら、声を振り絞って名を呼び続ける。すると不幸中の幸いか、お父様の背中はすぐに見付かってくれた。

 

「や、ヤヨイっ……よかった、無事でいてくれたか」

「申し訳ございません、タバサさんと外に出ていて。ここは危険です、すぐに離れて下さい」

「ああ、分かってる。急いで避難しよう」

 

 お父様の大きな手が、私の左腕を掴んだ。

 行き先は住民の間で共有していた。アレル様に追い詰められたヤマタノオロチが、この集落で暴れ狂った過去の教訓として、万が一の事態に備えた避難先が山の麓に設けられている。ある程度の備蓄も用意されているはずだし、一刻も早くヒドラの進路から外れなくては。

 

「ヤヨイ?」

「私は……」

 

 しかし私の足は、自然と止まっていた。少しずつ蓄積していた迷いが、足を捕えて離さない。お父様が腕を引っ張れば引っ張るほど、両足に力が入り、お父様の戸惑いが増していく。

 

「ど、どうしたんだヤヨイ。一体何のつもりだ?」

「……分かりません。でも、嫌なんです」

「馬鹿を言うな、さあ、急ぐんだ!」

 

 自分でも理解できない苛立ちに似た感情が、お父様の腕を振り払った。まるで娘に裏切られたかのようなその表情を直視できず、視線が泳ぐ。

 分からない。何故私の足は、動かないのか。募り積もっていく漠然とした葛藤の正体が、見えてこない。

 

「ヤヨイ」

「……ナズナ様?」

 

 お父様の傍らで立ち尽くしていると、いの一番に避難したとばかり考えていたナズナ様の声が、聞こえた。ナズナ様は背後に二人の侍女を引き連れて、普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべながら、私とお父様を交互に見やってから、告げた。

 

「ヤヨイ。貴女は今、何を考えていますか」

「私は……私はただ、嫌なんです。もう、逃げるのは、嫌で」

「だから何を言っているんだヤヨイ。お前は、一体何を」

「もう、嫌なんです!!」

 

 そう。私は嫌なんだ。逃げたくない。私はもう、逃げたくない。

 あの頃。まだ十三歳だった私は、逃げることしかできなかった。直向きに私を守ろうとするお父様に甘えて、逃げ惑っていた。同年代の同性が人身御供となり、段々とその数が減っていく中、私は逃げ続けていた。

 その果てに待っていたのは、別れ。母親代わりの大切な女性が犠牲となり、私に残されたのは、底なしの自己嫌悪と後悔。身を裂かれるような想いで慟哭しながらも―――結局私は、現実から逃れるために、逃げたんだ。生贄の祭壇から、逃げ出して。勇者様に、命を拾われた。

 

「私は、私のせいで、カヨ様は。私は……逃げて。アレル様に、全部、押し付けた」

 

 もう終わりにしよう。私は変わりたい。全部、変えたい。私の意志で選びたい。

 勇者様に尽くすのは、贖罪や負い目ではなく『誇り』。

 外の世界に飛びだしたのは、逃避ではなく『前に進むため』。

 戦う術を求めたのは、もう逃げたくはないから。だから―――私は。

 

「大切な友人が、戦っているんです。私はっ……ナズナ様。私、行かないと」

「……そうでしたか。これもクシナダの、運命なのかもしれませんね」

「え?」

 

 クシナダの運命。ナズナ様の呟きを訝しんでいると、侍女の一人が抱えていた包みを、ナズナ様が受け取った。

 

「これを貴女に託しましょう。今はまだ、全てを話せませんが……貴女の行く末を、どうか見守らせて下さい。クシナダヤヨイ」

 

 手渡された包みは、ずしりと重かった。その重みが、私の心を、軽くしてくれた。

 

___________________

 

 

 ヤヨイが肉親を探し当てた頃。ヒドラの前進を止めるべく駆け付けていた兵士達は、眼前で繰り出される異次元の剣技に、誰もが見惚れ、我を忘れていた。

 

「はああぁ!!」

 

 隼二刀。逆手に握られた隼の剣が、瞬く間にヒドラの体躯を深々と斬り裂いていく。激痛のあまり五本の首がのた打ち回り、咆哮と共に吐き出される焔が、肌を焼いた。

 隼の如く舞っていたタバサがヒドラから距離を取って着地すると、兵士達は奮い立つように歓声を上げた。しかしそれも束の間のことで、ヒドラの傷が塞がっていくに連れて、絶望感が漂い始める。

 

「くっ……何なのよ、こいつ」

 

 優勢ではある一方、戦局は平行線を辿っていた。

 ヒドラ族の生命力は、他の魔物のそれとは比較にならない。とりわけずば抜けた再生力は広く知れ渡ってはいるものの、眼前のヒドラは常軌を逸していた。あまりに、異常だった。

 

(このままじゃ、じり貧になる)

 

 一瞬のうちに深手が癒えるほどの再生力。そして『スクルト』の呪文。ただでさえ分厚い皮膚が、変動呪文を以って更に密度を増して、刃が通らなくなっていく。そもそもの話、呪文を操るヒドラ族など前例がない。速さと鋭さに特化したタバサの剣技とは、あまりに相性が悪かった。

 

「ス、ク……ルト」

「ま、また呪文をっ……?」

 

 負ける要素はなく、しかし討ち取る術が見当たらない。このまま長丁場になれば、こちらの体力が先に尽きてしまう。

 どうする。どうすればいい。タバサが活路を見い出そうとしていると、ヒドラの背びれが一際強く発光して、五つの大蛇が大きく口部を開け放った。

 

「いけないっ……みんな、逃げて!!」

 

 遠巻きに見守っていた兵士らに、タバサが叫び声を上げた。男達が一斉にその場から逃げ去って行く中、視界の端に、力なく座り込んだ少年の姿が映る。

 

「っ!?」

 

 十代前半、若年の兵士。その場から動けないでいた少年を庇うように、タバサが踵を返して走り出す。同時に吐き出された膨大な火炎が、タバサが羽織っていたマントを燃やした。

 もう、間に合わない。少年を抱いて蹲ったタバサの体躯を、焔の渦が飲み込んでいき―――上空から降り立った女性が、その全てを撥ね退ける。

 

「フバーハ!」

 

 間一髪のところで展開された防御呪文は、三人を聖なる衣で包み込み、熱を遮断した。恐る恐る顔を上げたタバサは、ぽかんとした表情で、ヤヨイの笑顔を見詰めていた。

 

「や、ヤヨイ?」

「ご無事でしたか、タバサさん。間に合ってよかったです」

「あ、ありがとう。じゃなくって!どうして、ここに?」

「苦戦しているようですね。私にも、手伝わせて下さい」

 

 ヤヨイは言いながら、背に縛っていた包みの布を解いた。中から取り出されたのは、煉瓦色の両刃剣。ヤヨイが頭上に掲げた剣が深い碧色の光を放つと、その輝きが地面を走り、やがてヒドラの足元から伝っていった。

 

「『草薙の神剣』よ、彼の者の邪なる衣を剥ぎ取れ」

 

 光が全身を覆った途端、禍々しい紫色の皮膚が、目に見えて緩んでいく。スクルトの効力が立ち消えて、ヒドラの動きが止まった。

 タバサは目を見開いて、畏縮したヒドラとヤヨイを交互に見やりながら言った。

 

「や、ヤヨイ。今貴女、何をしたの?」

「ええっと。よく分かりませんが……この剣には、ルカナンの魔力が秘められているようでして。恐らくは、そんな感じです」

 

 スクルトとは真逆の効果を及ぼす変動呪文。ルカナンの呪文はタバサも熟知している一方、ヒドラが見せた変貌振りを、タバサは信じられないといった様子で、食い入るように見詰めていた。

 

(あれが、ルカナンだって言うの?)

 

 スクルトにより厚質化していたはずの皮膚が、だらしなく垂れ下がっている。筋力自体が緩んでいるせいか、途方もない自重を支え切れておらず、動作の一つ一つが鈍い。守備力の変動どころか、最早あらゆる点で弱体化していた。

 それほどの魔力がある神剣なのか。それとも、別の何かか。疑問は残るものの、舞い降りた勝機。この機を逃す訳にはいかない。

 

「ヤヨイ、この子をお願い。決着を付けてくる」

「任せて下さい。でも、どうやって?」

 

 無防備と言えど、驚異的な再生力は依然として健在。呪文の効力は一時的な物である以上、一撃で仕留めなければ、また振り出しに戻ってしまう。

 

(今の、私なら)

 

 邪悪を祓う一閃。私の身体に流れる血。誰の物でもない、私の力。

 守りたい物がある。守りたい者がいる。このちっぽけな手で、私は守りたい。今の私になら、絶対にできる。不思議とそう信じることができる。

 

「ふう……はあぁぁ!!」

 

 地を駆けて、真正面から打って出る。ヒドラは即座に動きを見せ、五頭の大蛇がタバサへと牙を向いた。

 足を止めずに、バイキルトの呪文を詠唱。速さに重みが加わったタバサの剣技は、五本のうちの二本を斬り落とし、頭部が音を立てて落下した。

 

(まだ―――)

 

 間を置かずに第二撃。胴体を駆け上ったタバサは、首の根元付近で構え直し、渾身の力を込めて隼の剣を突き下ろした。沸騰した血液が肌に纏わりついて、耐え難い苦痛が全身を蝕んでいく。しかしタバサは手を止めず、足を止めずに宙返りをして、胴体の頭上へと舞った。

 

「我は天空の光人、轟け、聖なる雷」

 

 戦いに塗れた過去。かつての嘆き。長年兄に抱いていた劣等感も、何もかもを力に変えて。私は今、一筋の光となる。

 

「ライ、デイィン!!」

 

 遥か上空から射られた矢が、鳴動と共にヒドラの巨体を貫いた。光と音が周囲に広がり、幾度も反響を繰り返すかのように余韻を残していき―――やがて、束の間の静寂が訪れる。その身を焦がされたヒドラは目の光を喪い、ゆっくりと崩れ落ちた。勝敗は既に、決していた。

 

「……タバサ、さん?」

 

 ヤヨイは地上に降り立ったタバサの背中を、呆け顔で見詰めていた。

 ライデイン。選ばれし勇者のみが操る、雷鳴を生む究極の天候操作。全ての呪文を修めたとされるジルでさえもが匙を投げた、勇ましき者の証。この地上において、アレルだけが手にした光。

 それなら、彼女は。彼女は一体、誰なんだ。言葉に窮するヤヨイに先んじて、タバサは晴れ渡った面持ちで、告げた。

 

「改めて、自己紹介をしておくわ」

「はい?」

「タバサ・エル・シ・グランバニア。誇り高きグランバニア王国、現国王の子女。それが、私」

「……えーと。つまり、王女様?」

「そういうことになるわね」

「ええええええええ」

 

 火傷の痛みに悩まされながらも、タバサは笑った。心の底から、笑い声を上げた。

 生きていこう。いずれ訪れるであろう別れの、その時まで。笑いながら、私は生きていく。掛け替えのない友と一緒に、ずっと。

 

___________________

 

 

 同日の深夜帯。ダーマの神殿二階のテラスからは、周囲の景色を一望できる。ジルは所持品である世界地図を片手に、山脈の間から顔を覗かせるガルナの塔の頂上を、見詰めていた。

 

「……本当に、不思議ね」

 

 ガルナの塔は近年、ガルナの『斜塔』と称されることが多い。ギアガの大穴を塞いだ大地震を境に、ガルナの塔は南側に傾いてしまっていた。当初は崩落の危険性があるとされ、一時は立ち入りが禁じられた一方、ガルナの塔は今も尚、傾いたまま。ジルの目には寧ろ、以前よりも安定しているように映っていた。

 

(あんなに歪なのに……倒れない)

 

 歪んでいるからこその安定。人工的な建物とは異なり、自然界には左右非対称が溢れ返っている。ガルナの塔も周囲の風景に溶け込んで、当たり前の一枚として成り立っていた。

 そもそも地上に聳え立つ四本の塔には、多くの謎が残されている。ナジミの塔、ガルナの塔、シャンパーニの塔、アープの塔。魔石を交えて建築されたそれぞれに、現代の建築学は通用しない。

 誰がいつ、何の目的で建造したのか。それすらもが不透明。

 けれどこの世界で、何かが起きようとしている。その起点が、塔。

 

(ナジミの塔で起きた異変と、私が見たガルナの塔の光。異世界から現れた人間に、魔物)

 

 手掛かりらしい手掛かりは限られている。現時点では、判断材料が少な過ぎる。ジルは頭を掻きながら、手にしていた世界地図を広げた。

 ナジミ、ガルナ、シャンパーニ、そしてアープ。座標に規則性は見い出せない。しかし改めて見ると、等間隔のようにも映る。

 規則性と不規則。歪な安定。歪んでいるから、整っている。

 

「……もう寝よ」

 

 考えが纏まらず、ジルは地図を折り畳んだ。

 ガルナの斜塔は、誰の目にも映らない光を、湛えていた。

 

 

 

 

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