心地よい春の陽気。まさに春眠暁を覚えず。
孟浩然が雅に詠ったのも良くわかる。
唯でさえ怠惰な俺がこんなモノに包まれてしまえば、起きるという行為は意味を成さず。
「――リン、朝だよ? そして好き」
ふにょん、と俺の顔が柔らかなモノに埋め尽くされた。
香水のような匂いではなく、ただ女性特有の甘いフェロモンを含んだ香り。それは愛する幼馴染が起床を告げる合図。
だが、俺はそれに抵抗するようにぐっと腕に力を込め、そのまま布団に引きずり込んだ。
「おぉ? 朝からリンってば大胆」
「……京ぉー、もうちょっと、寝ようぜ? 具体的に言うと後三時間くらい」
「それだと学校に遅刻しちゃうでしょ。一応今日から新学期だよ? 皆待ってるよ?」
「むぅ……」
碧い髪の少女――椎名京は、グズる俺を宥めるように髪を優しく撫でた。
身体は俺に抱きしめられてると言うに、何気に器用である。
ふんわりとしたマシュマロのような胸が俺の眼前に広がり、甚く眼福。微妙に切ない吐息が漏れているのはご愛嬌。
ブラジャーを付けているのに縦横無尽に姿形を変えるこの秘宝は、最早国宝といって差し支えないだろう。
「ほら、そろそろ起きよ?」
「しゃーない、起きるか……」
「相変わらずリンは気怠げだ」
苦笑一つ零し、京は俺の腕からするりと抜ける。
男として情けないが、徒手空拳――というより、身体能力として京に劣っていた。
つまるところ、京に襲われれば為す術もなく犯(や)られるというわけで――、それはそれでアリだな。
そんな下らない妄想を繰り広げていると、既に京が用意してくれていた学生服が渡される。
中に着るシャツにすら皺一つないとは、京もやりおる。
「リンの未来の奥さんだからね。しっかりしないと!」
力瘤を作り、ドヤ顔を見せる少女。彼女と出会ってもう五年以上も経つ。
最初の出会いは壮絶だった。
健康的なエロスを含む肢体も、昔は見る影もなく痩せこけており、その瞳には光が薄らぼんやりとしか灯していなかった。
家庭内の不和。子供の残酷な苛め。誰も手を差し伸べることのない孤独。
それは想像すら出来ない地獄だったのだろう。
俺には愛情を注いでくれる両親がいた。
俺には友愛を向けてくれる親友がいた。
俺には親愛を振りまいてくれる"ファミリー"がいた。
だが、彼女には?
そう、彼女には誰もいなかった。
家族はすれ違いによる不和を起こし、一人娘に正しい愛情を注げず。
根拠のない噂により、彼女と友愛を繋いでくれる友達もおらず。
温かさを、親愛を与えてくれる"ファミリー"もおらず。
そんな孤独の中で京は生きて抜いた。
そんな孤独の中でさえ、京は他者を気遣う心を忘れていなかった。
そんな彼女だからこそ、俺は気付けば好きになっていた。
「なぁ、京」
「ん、なに――」
不意打ち気味にキス。
積極的な癖して、微妙なところで純な奴。
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうにするこの子を俺は好きになった。
✝
「――ってことがあったんだよ」
「いや誰も朝からそんな惚気話聞いてねーっつーの! 俺様だってそんな朝を迎えたい!」
京は筋骨隆々の男――島津岳人に今朝の出来事をドヤ顔で披露していた。
晩年モテない勢であるガクトにそれを言うのは酷なものだろう。事実、人を呪い殺せそうな、血涙を流しそうな目で俺を睨んでいた。
そんな彼の状態を無視する形で京は惚気続ける。そしてガクトも何だかんだ聞いている。
何気にアイツ優しいからな、いい加減誰か貰ってくれないかな。良い奴なんだよ、あれで。ちょっと鬱陶しいとこあるけどさ。
「てーか大和、キャップってどこ行ってんの? ここ数日帰ってきてないだろ」
「なんか東北の方に行ってるみたい。新しいバイト先の店長が東北推しの人みたいで、それに触発される形で出てったよ」
「何故に東北推し……」
「さぁ?」
俺は俺で親友の一人である大和――直江大和に雑談を吹っかけていた。
俺は軍師! なんて中々痛い言葉を未だに言う彼であるが、その智謀策略は目を見張るものがある。
事実、彼は俺が通う川神学園でトップの成績を誇る冬馬――葵冬馬と知の二大巨頭とまで呼ばれていた。
純粋な策略なら冬馬に軍配が上がるが、大和の持ち味はその人脈を活かした政治戦だ。
嘘、ハッタリ、なんでも御座れ。勝負に勝つためなら何でも利用し、時には己すらもチップに賭けるその姿はある意味ギャンブラーと言えるかもしれない。
だが、その根底にあるのは"家族"を守る強い意志。大切なモノを守る為なら悪とさえ呼ばれることすら厭わない彼だからこそ、その周りに人が集まるのだろう。俺もそんな内の一人だしな。
「――やー、皆おはよう」
「おはよーさん」
「おはー」
「おはよう、モロ」
「お、今日はジャソプの発売日か。何かエロいのあったか、モロ?」
地味で影が薄そうと評判のモロ――師岡卓也。
女の子が好きな癖に女の子と話すが恥ずかしいシャイボーイである。
ファミリー内の女の子は女の子と認識していないのか、普通にツッコミを入れるから見ていて面白い。というより、コイツのツッコミのキレは芸人にも劣るまい。ガクトとコンビを組めばM1王者だって夢じゃない!
「みんなー! おっはよー!」
次々と合流してくるファミリーのメンバー。
この犬属性過多の少女はワン子――川神一子。
"武神"川神鉄心が引き取った養女であり、今では武の聖地、川神院で師範代へ昇りつめるため、日々鍛錬を欠かさない努力の子だ。
今でも足にはタイヤが括り付けられ、重さなど知った事かと言わんばかりに俺たちに合流して登校している。
「まーたうちのキャップは旅に出てるのねー。今度のお土産は何なのかしら?」
「おい大和。東北って何が有名なんだ?」
「場所によりけりだと思うが……。きりたんぽやら牛タンは美味しそうだよね」
「「おぉ……」」
「二人とも涎たらさない。……しょーもない」
人数が四人から六人へと増え、そのまま一行は先へと進むと、そこには大勢の人集りが。
そこには一人の女性を取り囲む十数人の男の影。あ、察し。
「よし、放っといて学校向かうべ」
ファミリーの六人は碌に視線も向けることなく、そのまま川岸を進もうとする、が――
「おいおい、こんな美少女無視して行くとかお前たち正気かー?」
気付けば十数人の男は地に伏せ、六人の集団は七人の集団へと姿を変えていた。
黒髪は朝陽に反射して煌めく。人集りを作っている集団はそんな女性に見惚れているが、ファミリーの全員は呆れ顔だ。
「だって姉さんの心配したって無駄でしょ?」
「酷いこと言うなぁ、大和。お姉ちゃんが心配じゃないのかー?」
「姉さんが負ける姿なんて想像できないし。強いて言うならリンと闘うって言うならわかるけど、リン以外に姉さんが負けるヴィジョンが思い浮かばないや」
「むぅ……」
まるでコアラのように大和の背に引っ付くのが川神鉄心の孫にして、"武神"に最も近い女性――川神百代。
凛とした面と相反するかのような無邪気さ、そしてその圧倒的カリスマと呼ぶに相応しい武によりファンクラブすら設立される女傑である。そんじょそこらの男より男らしく、ファミリー内で太刀打ち出来る男性陣はいないだろう。
その強さは既に"壁を超えし者"の一角であり、武道四天王最強と広く知れ渡っている。
何かに特化した能力があるではなく、全てが最高水準で纏まっているが故の隙のなさ。"瞬間回復"という内気功の一種で、自身の怪我を一瞬で治癒するチート染みた技。それらが合わさるが故に太刀打ちすることが難しい強さとなる。
「モモ姉もいつまでも大和にくっついとらんで歩く歩く。大和はお前ら武士娘みたく身体が頑強じゃねーの」
「お? リン、もしかして嫉妬か? 可愛いなぁ、よし私の腕の中へ飛び込んでこい!」
「けけけ、大和言われてんぜ? 貧弱ボーイだってさ。俺様みたいに鍛えれば俺様ほどじゃないにしてもナイスボディになれるぜ?」
「俺は軍師担当だから良いのさ。ほら、姉さんもリンの言うとおり離れてくれないと俺が歩けないんですけど」
「そうそう、飛び込まないからさっさとその腕降ろせ。じゃないとさっきから嫉妬の視線が俺を焦がしてんだよ」
「リンは私のモノ、リンは私のモノ、リンは私のモノ、リンは私のモノ、リンは私のモノ――」
「おぉぅ……。京のその一途っぷりも可愛いけど、呪詛は私でも流石に怖いな」
モモ姉も合流し、残るメンバーは俺たちのリーダであるキャップ――風間翔一を残すところ。
アイツは俺にとって特別だ。
他の皆にとっては頼りになるリーダーってところだろう。アイツの豪運は留まることを知らないし、アイツほど意思を貫き通す男を見たことない。
だが、俺にとってもリーダーであることは疑いようもない。が、それよりもアイツのことは"親友"と認識していた。
風を体現する彼が俺を見つけ、そして手を差し伸ばしてくれたからこそ、俺は俺を始めることが出来た。
そう、アイツは風。
誰にも縛られることなく、突拍子もなく騒動を届ける厄介で、それでいて憎めなく、愛すべき風だ。
「――お、全員集合してるな! 風間翔一、ただいま帰還だぜ!」
合計八人。
"キャップ"――風間翔一。
"軍師"――直江大和。
"筋肉担当"――島津岳人。
"ツッコミ担当"――師岡卓也。
"天真爛漫"――川神一子
"俺の嫁"――椎名京。
"次期武神"――川神百代。
そして俺こと久堂凛。
いつの間にか絆が繋がり、何時しか名ばかりの"ファミリー"ではなく、本当の家族になったこの集団を俺は愛している。
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