先ほどまで空を覆っていた雲は晴れ、月明かりが
不気味な雰囲気を肌で感じながら、私と旦那様は紅魔館が見える高台、奥様が眠る墓地へと急ぐ。嫌な予感がする。今まで感じたことがないような寒気が私の心を包む。この先へ行ってはいけないと私の第六感が警鐘を鳴らす。だが、行かねばならない。
「……なぁ、家庭教師。」
「如何なさいましたか、旦那様?」
「フランは、大丈夫だよな? どうにも嫌な予感が離れん。」
「……大丈夫ですとも。旦那様ご自身が信じて差し上げねば、どうするというのです?」
「そうだな……すまん、変なことを言った。忘れてくれ。」
弱気になった旦那様である。だが、その気持ちは分からないでもない。
「……もうすぐ、到着いたします。急ぎましょう。」
墓地に到着した。普段は固く閉ざされている門扉もひしゃげてしまっている。地面についた小さい足跡はおそらく……
「家庭教師、この足跡は……」
「ええ、フランお嬢様の物でございます。」
「そうか、中にいるんだな。」
旦那様は覚悟を決めたようにうなずき、中へと入っていった。私もそれに続く。墓地の一番端、崖沿いに奥様のお墓はある。フランお嬢様は奥様のお墓の前でしゃがみ込んでいた。後ろ姿からは何もうかがい知ることは出来ない。
「フランッ!!」
旦那様が声を掛ける。フランお嬢様は反応を示さない。ただ奥様のお墓の前でしゃがみ込み、時折左右に身を揺らすだけだ。
「フラン、聞いてくれ。さっきの言葉は完全に誤解なんだ。今まで父さんはお前に対して辛く当たってしまっていた。それを悔いて、父さんの娘に産まれてこなければ、そんな思いをしなくて済んだかもしれないな、って話していただけなんだ! なっ、フランの事を決して嫌っているわけではないんだ、分かってくれフラン!!」
旦那様は誤解を解こうと必死に言葉を吐き出す。だが、フランお嬢様は依然として反応を示さない。
一陣の風が墓地を通り過ぎる。突然フランお嬢様が立ち上がりこちらを振り返った。そこには、何の感情も浮かんでいなかった。虚空を映す瞳が、無表情にこちらを見つめる。
「フ、フラン……? どうしたんだ?」
「……もういいよ。お父様もせんせーも、そんな無理しなクていいンだよ? わたシ分かってるカら。わたしハ望まれない子だモん。お母様を犠牲に産マれた忌み子だッて、言ってタ人もいたし。」
「……フランお嬢様、ご自身のことをそんな卑下なさらないでください。それこそ、奥様に対し冒涜です。」
「奥様、お母様、マリア様! みーんナいっつもそノ人のこと言ウンダもン! わたしは知ラナイのに、ソンなこと言われたって分カラナいよっ! 誰もわタシを見テクれない! お姉様ダッテそうだ! もう疲レタヨ……ダカラ、ネ?」
フランお嬢様が手を前に出す。手の平を上に向け、何かを手に乗せているかのようだ。猛烈な嫌な予感と寒気を感じた私は、《欺く程度の能力》を発動して、フランお嬢様に私たちのダミーを誤認させた。
「ダカラ……全部壊シチャウコトニシタンダ。ホラ、『キュットシテ、ドカーン』!!」
次の瞬間、私たちのダミーが木っ端みじんにはじけ飛んだ。魔法の兆候は感じなかった。つまり、あれは魔法ではなくフランお嬢様の能力と推測できる。
――しかし、ダミーを用意しておかなければ、今頃木っ端みじんになっていたのは私たちでしたか。なんとも強力な能力です。流石はスカーレット家のご息女と言った所ですね。
フランお嬢様は狂気の笑みを浮かべ、飛び去っていった。私は、信じられないといった表情を浮かべる旦那様を立たせる。実の娘から攻撃されたのだ、愕然とするのも無理はない。
「旦那様、お気持ちはお察ししますが、ここでヘタレている場合ではありませんよ。」
「だ、だが、俺は今、フランに殺されかけたんだぞ!? よもや、実の娘にだ! もう、マリアにあわせる顔がない……」
「いつか会わせる顔の心配より、現在の心配をしましょう。フランお嬢様が飛び去って行かれた方向、あれは紅魔館です。『全部こわしちゃう』と言うあの台詞が本気ならば、今最も危険なのは他のご家族ですよ! それこそ、奥様に何と言い訳するおつもりですか!?」
「――! だ、だが、いくら何でも、他の者に手を出したりはしないだろう!? アイツが、フランが恨んでいるのは俺のはずだ、レミィや門番達に手を出す理由があるか!?」
「……残念ながら、今のフランお嬢様は狂気に飲まれています。狂気に飲まれた者は、失礼ながら、何をするか分かった物じゃありません。我々が到着した頃には、紅魔館の住人皆殺しなんて事もあり得なくはないでしょう。」
「そ、そんな……」
我々悪魔は、人間の汚い部分をよく見てきた。狂気に飲まれた者の末路も嫌と言うほど知っている。旦那様が先祖と称しているブラド公のあの所業とて、正気の沙汰ではあるまい。
「……止めるぞ、家庭教師。フランに、家族殺しという重荷を背負わせてなるものか! 付いてこい、紅魔館は俺が守る!」
「
吸血鬼と悪魔が、守るべき者のために今、走る。
崖を飛び降り、湖を飛び越え、紅魔館に到着する。だが、我々は、手遅れを悟った。紅魔館の外にいながらも存分に匂うこの匂いは、紛れもなく血のにおいだ。
破壊された門を抜け、粉砕された玄関扉をくぐる。そこには、この館で最期まで従事していた従者が、メイドが、我々の家族たる皆が、目を背けたくなるような惨状で横たわっていた。五体満足で死んでいる者は、一人たりともいない。
「……間に合わなかったか……クソッ!! 俺の不甲斐なさのせいで!」
絶望したように膝を突く旦那様。だが、私にはわかる。この館の中に、まだ生きている者の気配がする。
その時、遠くから爆発音が鳴り響いた。
「――! い、今の音は!?」
「旦那様、まだ諦めるには早いようですよ。急ぎましょう、本当に手遅れになる前に。」
「あ、ああ!」
玄関ホールを抜け、階段を上がり、廊下を行き、爆発音のした方向へ急ぐ。遠く、かつ高い位置からの音だ。フランお嬢様の破壊の跡をたどりながら行き着いたその先は、かつての奥様の部屋だった。
半分壊れ掛かった扉を蹴破り中へ入る。そこにあったのは、右腕を吹き飛ばされ苦悶の表情を浮かべるお嬢様と、それをかばうように立つパチュリー様。そして、それを冷酷な瞳で見詰めるフランお嬢様だった。
「レミィ!」
「お父様! それに先生も!」
こちらを見て安心したように声を上げるお嬢様。パチュリー様も少し安心したような顔を見せた。
「あレ~、どウしてお父様トせんセーがいるの~? さっきちゃんト壊したはズナのにナぁ?」
「フフフ、スカーレット家の家庭教師たる者この程度の事が出来なくてどうします? ……フランお嬢様、もう止めましょう。これ以上何かを、誰かを壊しても貴女の気持ちは晴れませんよ。」
薄笑いでこちらを見ていたフランお嬢様だったが、私の言葉を聞いた途端に表情が抜け落ちる。その表情からは何も読み取ることが出来ない。悪魔である私が理解できない。
「……何さ、せんせーに言われなくたって分かってるよ。でも、わたしはもう、戻れないんだよ? いっぱい、いっぱい殺した。わたしの事を可愛がってくれたメイドさんだって、美味しいご飯作ってくれたコックさんだって……」
フランお嬢様の声が震える。
「……何より、お母様だってわたしが殺したようなものじゃないっ!! もう、戻れないんだよ……? 狂気に身を任せないと、わたしが壊れちゃうんだ。」
瞳から流れた一筋の涙と共に、再度お嬢様の顔に狂気が宿る。私に向かって手の平を向ける。
「せんセーを壊シタら、お姉様ダッて悲しむカナ? オ姉様はパチュリーが守ってルから、腕しカ壊せてナいし、ココロを壊したイな? アハハ! お人形ミタいにナルかな!?」
「ヒッ!?」
狂気に視線にお嬢様がおびえる。お嬢様の能力の詳細が分からない以上、下手に動く事も出来ない。せめて、もう一度目の前で見る事が出来たなら!
私が半ば覚悟を決めたその時、今まで黙っていた旦那様が前に出た。
「フラン、もう止せ。家庭教師も言っていただろう。これ以上自分を傷つけるんじゃない。」
突きだしたフランお嬢様の手にも臆さず前に進む。その様子にフランお嬢様が一歩たじろぐ。
「確かに俺は、立派な父親じゃなかった。マリアが、お前のお母さんが死んでからは特にな。俺のその意気地のなさが、この紅魔館に……フラン、お前に余計な心配を与えていたんだろう。……すまなかった。」
一歩、一歩、また一歩。フランお嬢様の元へと歩みを進める。フランお嬢様はすでに壁際に背中がついている。
「すまなかった……すまなかったなぁ……! フラン、これから一緒にやり直そう。お父さんと、手遅れかも知れないけれど、もう一度やり直そう。まだ、戻れる。フラン、お前は優しい子じゃないか。」
「お、とう、さま……」
「なっ、フラン。大丈夫だ、大丈夫。お前の罪も、不安も、全部俺がもらうから……」
「お父様、お父様……!」
旦那様は跪き、フランお嬢様を優しく抱きしめる。フランお嬢様も背中を腕に回し旦那様を迎える。これにて一件落着か、失ったものは多いが、これも一つの運命だったのかもしれない。
そう、私は安心していた。もう悲劇は幕を下ろしたのだと。……だが、カーテンコールはまだ先だった。
「――今更なんだよ、お父様。」
「ガハッ!!?」
瞬間、旦那様の身体に、大きな穴が開いた。フランお嬢様を抱きしめていた腕から力が抜けて、旦那様は床に倒れた。
「お、お父様ァアアアァアアアッ!!!?」
お嬢様が錯乱したかのように叫ぶ。旦那様の身体に開いた傷は一向にふさがらない。吸血鬼の再生が及ばないのか?
同時に、私にとってとてもまずい事態が生じる。私の召還主である旦那様が瀕死である現在、私の存在が危くなった。もし、旦那様が死んでしまわれたら、私は魔界へ強制送還である。
「アハハッ! 壊れちゃった! ……叫んでも無駄だよ、お姉様。わたしの能力、《ありとあらゆるものを破壊する程度の能力》は吸血鬼の再生能力だって無視しちゃうんだから!」
楽しそうに笑うフランお嬢様。言葉も意志も明瞭に、完全に狂気と一体化している。もうすでに、手遅れだったようだ。
次の標的を見つけたとばかりに、私の方に手を向ける。だが、皮肉にも能力の発動を見る事が出来たのだ。そのからくりは分かっている。
「……無駄ですよ、フランお嬢様。私にその能力は効きません。」
「そんなの試してみなきゃ分からないよっ!? ほら、壊れちゃえ! 『きゅっとして、ドカーン』!」
私に向けて開いた手の平を握りしめる。だが、私には何の傷も生じていない。当たり前だ。フランお嬢様が今握りつぶした私の破壊の目は、
「な、なんで!? どうして!? どうして壊れないの!?」
「これだけ能力発動の様子を見せて頂いたのです。もう、私には通用しませんよ。」
「クソッ……なら、お姉様とパチェから壊すもん!」
横を向き、お嬢様とパチュリー様に両の手の平をむけるフランお嬢様。しかし、次の瞬間には、そこにフランお嬢様の肘から先の手はなかった。
「……えっ? い、ギャァアアアァアッ!!?」
「申し訳ありませんが、切り取らせて頂きました。」
フランお嬢様の腕を抱え謝罪をいれる。お嬢様の能力発動のプロセスには手が必要不可欠だ。少しの間預かろう。
「しばらく再生はしませんよ。少しばかりオシオキでございます。」
その時、窓を割って美鈴が飛び込んできた。全身から気をあふれさせ、まさに臨戦態勢といった風である。
「ハァッ、ハァッ……み、皆さん……これは一体どういった状況なんですかッ!?」
「美鈴、丁度良いところに! 説明は後です、まずはフランお嬢様の狂気を沈めてください、早く!」
「は、うえぇ!? わ、わかりました!」
美鈴がもだえるフランお嬢様に近寄り狂気を沈める。正気に近づいたフランお嬢様は、今までの疲れか腕の痛みか、意識を失ってしまった。ようやく一息つく事が出来る。
「お父様、お父様!!」
お嬢様が旦那様の元へ駆け寄る。涙でぬらしたその顔は、奥様が亡くなったときに見たあの時の顔にそっくりだった。
「……ハハッ、なんて顔を、しているんだ、レミィ……マリアが、笑うのも、納得だ……」
「お父様! やだ、死なないで!」
「……死なないで、か……まさか、不死者《イモータル》である俺が、そんな事を言われるときが、来るなんてな……」
旦那様の最期の時が近い。それはつまり、私の最期の時でもある。
「美鈴、話があります。少し、こちらへ。」
「……わかりました。」
私は美鈴を連れて部屋の隅へと向かう。
「美鈴、率直に言いましょう。旦那様は直に亡くなられます。それに伴って私も魔界へ強制送還でしょう。」
「――ッ! そ、そんな! こんな惨状の紅魔館を置いていくんですか!? あんまりですよ!?」
「私とて本意ではありません! ……時間がない、手短に行きますよ。美鈴、私と旦那様がいなくなった後、この館で大人と呼べる者は貴女だけになります。守りなさい。お嬢様を、フランお嬢様を、パチュリー様を、全霊を賭して守り抜きなさい! 契約を、奥様との約束を守れなかった私が言うのもおこがましい事、ですがね。」
「……私には、荷が重すぎますなんて、言えないですね……分かりました! ……でも、一つだけ条件があります。」
美鈴は私の胸ぐらをつかみ、私の身体を引き寄せた。そして腕を背中に回し、私を抱きしめながら、震える声で言葉を吐き出した。
「いつか必ず、帰ってきてください……! 私、待ってますから……!」
「……分かりましたよ。」
美鈴を抱き返し、約束をする。魔力を介さない只の口約束が、こんなにも破りがたいものだとは、今まで知るよしもなかった。肩が熱い。出血にも似たそれは、悪魔である私を持ってしても敬虔な気持ちにならざるを得ない物だった。
私の身体が光り出した。足下に魔方陣が浮かび上がる。どうやら、時間のようだ。見ると、お嬢様が旦那様の身体にしがみつき泣いている。先に逝かれた様子だ。
「……美鈴、時間です。離れてください。」
「…………」
「美鈴!」
「……分かりました。」
私から離れ、真っ赤になった目元を隠すようにうつむきがちにたたずむ美鈴。お嬢様もこちらを見る。
「お嬢様、ここで失礼いたします。ご無礼、お許しください。」
「……許さないわ! 絶対に許さないんだから! ……だから、許して欲しかったら、必ず、絶対! 戻ってきなさい! それまで先生の事は許さないんだから……ッ!」
涙を流しながら言われても、何の迫力もないというのに。私は苦笑をしながら最期のお願いをする。
「お嬢様、お願いがあります。フランお嬢様の事を恨まないでください。此度の事件は、様々な不幸が重なった、まさに悲劇でございます。ただ、踊らされるしかなかったキャストのことを悪く思わないでください。」
「……それは、お父様にも言われたわ。分かってるわよ、私はお姉様だもの。フランの事を恨みはしない……それにね、私分かるのよ。不思議と確信が持てる。将来、先生とフランを含めたみんなで楽しくお茶会をするのよ。これは外さないわ。デザートを賭けたって良いわ!」
フランお嬢様の髪の色を当てたあの時のように、確信をもって断言するお嬢様。これも能力による物なのか。
私の身体が透け始める。本当に最期の時だ。
「……これでお別れですね。では、皆様。お先に失礼いたします。ご縁があれば、また。」
「待ってるから! いつか絶対、先生の事召喚するんだから! 待ってなさいよ!」
泣き笑いで叫ぶお嬢様の顔を見ながら、私の意識は消えていった。
如何でしたでしょうか?
今回で過去編は終了となります。お付き合いくださりありがとうございました!
次回から一気に時代が飛びます。間の話は幕間としていつか投稿します!