にと雛が俺の(ry
無月はもともと侑子が雨童女から依頼の対価として受け取った『報酬』である。
細長い身体を持った管狐という種族で、譲渡の際も
また対価として受け取ったということは相応の価値があるということであり、妖怪よりも格上の「雨を司るモノ」である雨童女にふさわしい、巷のモノよりも高い質を持った管狐であった。
高い質。
雨童女から渡された管狐は高い霊力を持っていた。
霊力の消費量の問題からか管狐であるときは霊力を抑えており、霊力を開放するときはそれにふさわしい姿へと形を変える。すなわち、狐の中の最高位である――九尾の狐へと。 雛とにとりが水の棘と水の弾を互いに撃ち出す様を見て、四月一日は咄嗟に無月の名前を呼んだ。
「……無月!」
このままだと棘と弾によって二人が傷つき、危険だと思ったからだ。
幸いにも無月はこちらの意図を汲んでくれたらしく、九尾の狐の姿となって炎を吐いてくれた。
手足の無い管狐モードの無月の体長が四〇、五〇センチであるのに対し、九尾モードの無月は鋭い爪を有した手足とふさふさした九つの尻尾を持っており、体長も頭から尻尾の先まで含めて二メートル以上の大きさとなる。
無月が吐いた炎は『
「にとり!?」
水の棘と水の弾が狐火によって蒸発したことにより、玄武の沢は水蒸気に覆われた。
棘も弾も一発残らず蒸発できたか、四月一日に視認する
……頼む。二人とも無事でいてくれ。
四月一日の願いが通じたのか、山から風が吹き、水蒸気を押し流した。滝つぼを背にした雛がいる上流から下流側にいるにとりの方へと。
蒸気が晴れて、沢の様子が明らかになってくる。
右に見えたのは両腕を交差させて顔を隠すにとりだ。幸いにも雛が放った棘が当たった様子はない。
「雛ちゃん、大丈夫?」
「がるるるるるるる……」
尻を着いていた雛に、まさか弾が当たったのかと心配になった四月一日は声をかけた。九尾になり声を発することができるようになった無月も不安そうに喉を鳴らしている。
「えっええ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ……」
「よかった……河城さんは?」
ほっと胸を撫で下ろし、今度は顔に付着した水滴を拭き取るにとりに声をかけた。
「あ、うん、大丈夫……ってうわっ、九尾!」
にとりが無月を見て驚きの声を上げた。
彼女にしてみれば今までいなかったはずの九尾の狐がいきなり現れたのだ。驚くのも当然であった。
「無月だよ。今はこんなに大きくなっちゃったけどね」
「ぐるる……」
四月一日は茶化すように笑って無月の頭を撫でると無月が嬉しそうに声を漏らした。
その様子を見て、雛とにとりが感嘆するように息を吐く。
「高い霊力を感じてはいたけど、まさか九尾の狐になるとはびっくりね……」
「
「水をあっという間に蒸発させるなんて、それに燃えた痕も残ってない……」
「どうやったんだろう……狐だけにやはり狐火かなぁ?」
と同じように嘆息する二人だったが、先ほどまでの自身の状況を思い出したのか、ハッと気づいたように顔を背けた。
そんな二人の様子に四月一日は苦笑し、
「河城さん、よく知ってるね。今のは狐火といって無月が燃やしたいものだけ燃やすことができるそうだよ」
「がるる……」
四月一日の言葉を肯定するように無月が尻尾を振る。もふもふといった擬音語が似合いそうな九つの尻尾が左右に揺れた。
疑問が生じたらしく、にとりが片手を広げ、
「できるそうだよって、四月一日、持ち主なのに知らないの?」
「いや、無月の持ち主は俺が働いてる店の主人だよ。俺は借りてるだけなんだ」
雛が四月一日と無月を眺めながら自身を抱きしめるように腕を押さえた。
「その割にはずいぶん懐かれているようね」
「うん、なんでも俺の気に引かれてるらしいんだけど、よくわかんないんだよね」
四月一日が腕を組んで首を傾ける。
初めて会った時から無月は自分に絡んできた。それは大きくなった時――九尾の狐になっても例外ではなかった。
「私にはわかる気がするよ」
神妙な顔でにとりが四月一日を見ていた。言うまいか言おうか迷ってるような仕草で頬をかき、
「四月一日からは色んな気を感じるんだよね、清浄な気、そして美味しそうな気」
「…………」
にとりの「美味しそうな」という言葉に四月一日は眉をひそめた。
妖怪は四月一日の身体を食らうことによって自身の力を数十倍にも引き上げることができ、またいつも彼を困らせていたアヤカシたちも彼の血に惹かれて彼を追い回していたという。
それほどまでに四月一日の身体は、妖怪やアヤカシにとって魅力的なのだろう。
にとりに対する警戒が無月にも伝わったらしく、四月一日を庇うように彼の前へと進み出る。
もしかしたら女郎蜘蛛のことを思い出したのかもしれない。にとりと同じ、四月一日の右目を食った妖怪である彼女を。
にとりは自分を警戒する無月に気づき、「ああ、ごめんごめん」と手を振った。
「四月一日に危害を加えるつもりはないよ。一応、人間は河童の盟友だからね。それにいくら私が『水を操る程度の能力』の持ち主だといっても、九尾の狐が吐く狐火に勝てるか怪しいし」
……今のところ、危険はないようだ。
肩をすくめたにとりに四月一日は苦笑する。彼女の声音は冗談か本気かわからないものではあったが。
「わかった。そういうことにしとくよ。無月もそう警戒にしないで」
無月が頷き、前足を伸ばして姿勢を低くする警戒の態勢を崩した。
それでいい、と四月一日は再度無月の頭を撫でる。
「そうだ。……雛」
「…………」
名を呼ばれ、雛は視線だけをにとりに送った。
にとりは構わずに笑顔で言う。
「さっき、久しぶりに名前呼んでくれたよね。心配してくれてありがとう」
「……っ」
迂闊だったと言わんばかりに雛がそっぽを向いた。恥ずかしさからだろう、わずかに顔を赤くしている。
その様子から四月一日は頃合だと判断し、雛に話しかけた。
「ねえ……雛ちゃん」
「何かしら?」
そっけなく雛は応えた。今の状況を明らかによく思っていないみたいだった。
「君の気持ちを、正直に河城さんに話してあげたらどうかな?」
「…………」
四月一日の進言にうつむく雛。肯定も否定もない。沈黙がそこにあった。
真剣な顔で四月一日は続ける。
「雛ちゃんが河城さんを避けた理由。間違ってたらごめん。それって河城さんを不幸にさせたくなかったからだよね?」
「えっ……」
「…………」
にとりが目を丸くする一方、雛はまたしても沈黙だった。四月一日の言葉を肯定するわけでも否定するわけでもない。ただ口を閉ざしていた。
「雛ちゃんの近くにいる者は厄に当てられ、不幸になる。雛ちゃんは河城さんを不幸にしたくなかった。なぜなら河城さんは雛ちゃんにとって大切な……」
四月一日は最後まで言わなかった。自身を抱きしめる雛の身体が震えていたのだ。
何かに耐えるように歯を食いしばり、腕を握る力を込め、雛は震えを無理やり抑えつけると顔を上げた。
「……ええ、そうよ。四月一日の言う通りよ。私はこれ以上にとりを不幸にしたくなかった」
「そんな……私は雛といて不幸なわけじゃ……」
不幸であることを否定するにとりに雛が言う。
「光学迷彩スーツだったかしら。私に見せてくれたよね? あれが壊れたときあなたが何て言ったか覚えてる?」
「いっいや……」
「私は覚えてる。『おかしいなぁ。さっきまでなんともなかったのに』ってあなたは言ってたわ」
「単なる故障だよ。機械にはよくあることだよ」
「私に会う度に壊れても?」
「…………」
今度はにとりが黙った。口がわずかに開いているが言葉は出てこなかった。
「いつしかあなたはスーツを着てこなくなった。私もそれが正解だと思う。あなたがそのツナギを着出したのもそのためよね。だってこれ以上スーツを壊されたらたまらないものね」
雛は言葉を区切り、眉尻を下げたにとりを見据える。
「私の厄があなたのスーツを壊したことに私は罪悪感を感じていたの。スーツが壊れるたびに罪悪感は増していった」
「いや、これはただの……」
「私はね、あなたに話しかけられて嬉しかった。一緒にお酒が飲めてよかった。星を眺めるのも楽しかった。だけど、私が幸せになればなるほどあなたは不幸になる。私にとってそれはとても耐え難いことだったの」
「雛……」
「あなたが機械いじりが好きなのを私は知ってる。工房に遊びに行った時、機械について話すあなたは本当に楽しそうだった。……でも、工房にあった機械が次々壊れていくのを見て、私はもう耐えられなかった」
工房に遊びに来てくれてすごく嬉しかった、と語るにとりの様子を思い出しながら四月一日は雛の言葉に耳を傾けた。
二人は最初から同じ位置に立っていたというのに。
「機械が好きなあなたの邪魔をしたくなかった。あなたの幸せを奪いたくなかった。私は、私のせいであなたを不幸にしたくなかった。だって私は機械と戯れるあなたが好きだから」
「…………」
「なのに、あなたは私に会いに来た。不幸になってしまうのに私のところにやって来た。私はあなたを不幸にしたくなかったのに!」
肩を震わせ、目には涙を浮かべ、雛は叫ぶ。
「ねえ、どうしてわかってくれないの? あなたが不幸になる様子を見て、あなたを大切に思う人がどう思うのか、どうしてわからないの?」
雛の悲痛な叫びが沢に響いた。
そして、それは四月一日が気づくきっかけになった言葉で、先ほど雛がにとりに向けた言葉だった。
『傷ついた
女郎蜘蛛の言葉が四月一日の脳裏で反響する。
にとりもその真意が飲み込めたようで、「あっ……」と声を漏らし、歯がゆいような顔をしてうつむいていた。
「不幸になるあなたを見ることが私の不幸。それほどまでに私の中であなたの存在は大きくなっていったの。こんなことなら、私はあなたに出会わなければよかった……」
出会わなければよかった。
そう述べた雛の目から滴が流れ落ち、顔を伏せた。止め処なく流れる嗚咽だけが川のせせらぎ、葉のざわめく音と交じり合い、玄武の沢における一つの音響となっていた。
……どんな出会いにも意味がある。
出会いは偶然ではなく必然であり、出会えたことが幸せなのだから。
四月一日は雛の言葉を否定しようとして、止まる。
四月一日の視線の先、にとりが口を開いたのだ。
目に先ほどまでの無力さはない。あるのは決意の表れのような力強い瞳だった。
「雛、一つだけ間違ってるよ」
「え……」
顔を上げた雛に、にとりは問い詰めるように言う。
「私は自分を不幸だと思っていない。私がいつ不幸だなんて言ったの?」
「だって、機械が壊れて……」
雛の答えに、にとりが一歩前に進み出る。その足はしっかりと河原を踏み締めていた。
にとりの接近に気圧されたのか、雛が怯む。
「壊れたらまた直せばいい。機械だから当然でしょ。……私の気持ちを勝手に決めるなよ」
それは冷えた声音だった。聞く者を否応なしに緊張させる、静かでいて内部に激しい衝動を込めた声だ。
「なあ、私がいつ不幸だと言った? 雛のせいで不幸になったなんていつ言った? 私を勝手に不幸にするなよ! ……雛、私は怒ってる。私が何に怒ってるかわかるか? 一つは私の気持ちを勝手に決めたこと。もう一つは私を勝手に不幸にしたこと。そして、私の幸せを勝手に決めたことだ!」
呆れを通り越して怒りに満ちたにとりの言葉に雛が身を竦ませ、膝を着いて座り込んだ。
そんな雛の様子に、にとりは息を吐く。空気を送り込み、身体と心の熱を冷ましているかのようだった。
「私はね、雛。確かに機械いじりをしているときも幸せだけど、それと同じくらい雛と一緒にいると幸せなんだよ。……さっきも言ったけど、私は雛と話していると楽しいし、雛と飲むお酒はすごく美味しいし、雛と眺める星空はすごく綺麗に見えるんだ。だからね……」
にとりは笑みを浮かべて告げる。それは太陽のような眩しい笑顔であった。
「私、雛と会えて本当に幸せだよ」
果たして、その言葉は雛を強張らせ、揺らし、震わせ、潤し、一筋の涙を流させた。
「にとりの馬鹿ぁ……」
「雛と妖精だけには言われたくないなぁ」
子供のように泣く雛と雛の姿に腕を組んで苦笑するにとり。
その二人の光景に四月一日も思わず笑んでいた。
九軒ひまわりとの過去を想い、懐かしむ。
彼女も自分の言葉で少しでも救われていたらいいな、と切に願う。
想いは力だ。言葉が想いを伝えるものならば、言葉もまた一つの力であろう。
にとりの力――想いは確かに雛に届いたのだった。
……ていうか妖精って……妖精もいるのか幻想郷は……。
「もうそんなに泣かないでよ、雛ぁ……」
やれやれと嘆息し、にとりがなだめようと雛に近づいた。
――だが、
「来ないで!」
急に雛が叫び、にとりを制止させる。
その声に、にとりは硬直したように身体を止めた。
その顔から笑みは消え、悲しみの色が現れていた。
「雛……」
「にとりの気持ちは充分わかった。すごく嬉しかった。でも、私の気持ちは変わらないの。いくらにとりが幸せだって言っても、私の厄がにとりと一緒にいることを許さないの……」
ひまわりと違い、雛の周りに厄の影響を受けない者はいない。
ひまわりの場合は、彼女に当てられない者が幾人かいたが、雛の場合は誰もいないのだ。
人間・妖怪問わず、雛の近くにいれば不幸な目にアってしまう。
それはにとりも例外なく――。
「そんな……」
にとりが絶望的な表情を浮かべ、悲痛な面持ちでうつむく。
二人の表情に四月一日は拳を握り締めていた。
……河城さん。
……雛ちゃん。
なぜ。
なぜ、この子たちがこのような顔をしなければならないのだろう。
なぜ、この子たちは泣いているのだろう。
なぜ、自分はここにいるのだろう。
きっと、それは……。
「……このために俺をここに送ったんですね」
四月一日がぽつりと漏らした言葉に、雛とにとりが顔をこちらに向けた。
困惑の視線を受けた四月一日の正面、突如川の水面が持ち上がり、切り離され、平たい円形となる。
それは円い鏡のようだった。まるで、
驚く二人の視線の先、鏡面に人の姿が浮かぶ。
四月一日が務める店の主人でもある女性の名は――
「――侑子さん」