「妖怪は私の敵。あんたは妖怪」
にとりを不幸にしたくないと願う雛に、侑子が示した解決策とは――
例大祭開催日――東方心綺楼頒布開始日の今日、
この話を投稿することができて本当によかったです。
妖怪の山の
暗い灰色の玄武岩が多く見られることからそう名付けられたらしい。
らしいというのは、いつの間にかそのように呼ばれており、誰も確かなことを知らないからであった。
そこに三つの人影と一匹の獣がいた。
河童の
流し雛の
外来人の
九つの尾を持つ大型の狐である
そして――
「自分を知るというのはね、とても大切なことなのよ」
沢を流れる川の上に浮かぶ円い水の鏡。
そこに映る着物姿の
川の流れは穏やかに、そよぐ風は束の間の清涼を与えてくれた。
「自分のことは自分が一番わかっているなんて言う者もいるけれど、それさえも自分にとって都合のいい自分でしかないの。誰もが自分のすべてを受け入れられるわけではないしね」
葉の擦れ合う音がこぼれ落ちる河原。
四月一日は侑子の言葉を聴きながら流し目で雛の様子を窺っていた。
目からハイライトが消え、暗い光を宿してうつむく雛を。
長らく自分を厄の神だと信じていたのだ。
厄を司る神――
「それでも、長く付き合う相手ですもの。自分のことぐらい自分が一番知ってあげないとね。自分のことを知らないのに自分のすべてを知った気でいるのは、自分に対する不誠実よ」
にとりが心配そうに眉尻を下げて雛を見ている。
雛が厄神ではなく、厄を力にして生きる流し雛の妖怪であることが判明したのだ。かけられる言葉などそう簡単に見つかるはずはなく、先ほどから手を出しかけては引っ込めていた。
何て声をかければいいのか、迷っている様子だ。
信仰を
妖怪が生きるのに必要なのは――
「さて、雛ちゃんが自分を取り戻したところで……」
そう言ったところで、侑子は打ち鳴らすように扇子を開いた。相も変わらず、白い扇面を二匹の赤い金魚が尾ひれを揺らしながら艶やかに泳いでいる。
扇子の開く音に、辛気臭い顔をする三人と一匹が無意識に顔を向けた。
皆の視線を受け、鏡越しに侑子は言う。
「これからのことだけど、雛ちゃんには信仰を『
その一言に、三人の身体が固まった。
すぐには理解できないといった様子で、口を小さく開けて呆然としていた。
雛の口から理解のための言葉が漏れる。
「厄神に、なる……?」
「ええ、そうよ。今の雛ちゃんが生きるために必要なのは厄、または恐れ。妖怪は人間に恐れられることでその存在を確かなものにしている。そうよね? にとりちゃん」
「あ、うん。妖怪が人間を食べるのもそのためだよ。食われるというのは原初的な恐怖だからね。一番効率がいいのさ」
妖怪は人間を食う。
はっきりとにとりに言われ、四月一日は軽いショックを受けていた。
……わかっていたことだ。
今までアヤカシや妖怪に狙われ、その命を脅かされてきた。実際に右目を食われたりもした。それでも、目の前の河童は、そんな妖怪たちとはどこか違うと思っていたのだ。
自分がそう勝手に考えていただけなのに。
……わかっていたことだけど。
妖怪は人間に恐れられないと生きていけないという。彼らにしてみれば、妖怪には妖怪の
ただ、自分が人間の側に立っているだけのことだ。
「ねえ、雛ちゃん。アナタは人間の敵?」
「私は……」
その問いに雛は答えようとするが、わずかの逡巡の後に口を閉じた。
迷っているのだろう。――妖怪である自分に。
躊躇っているのだろう。――人間の側に行くことを。
「雛……」
にとりが自分の胸の前に垂れ下がる鍵を握り、一歩前に出る。
「私は雛の幸せを知ってるよ」
「にとり……」
「いつか私に言ってたよね。『人間の厄災を引き受けることができて嬉しい』って。自分が存在することで人間たちが平和に暮らせるなら、それに勝る幸せはない。そう言ったのは雛だよ」
「……でも、私は……」
「妖怪だったとしても雛は雛。……『
舌を出し、にとりは悪戯っぽく笑った。
「だから妖怪であることなんて気にせず、正直に言っちゃいなよ。自分の気持ちをさ」
「……うん」
雛の目に光が戻る。
陽の光を受けてきらきらと輝く雛の瞳は、秋の紅葉のように鮮やかで綺麗であった。
曇りの無い表情で、雛は迷い無く答えた。
すっきりとした表情で、躊躇うことなく侑子に告げた。
「私は、人間の味方。私が妖怪になっても、それだけは変わらないわ」
「人間想いなのね」
「悪い? 身体は妖怪でも、心まで妖怪になったつもりはないわ」
「いえ、悪くはないわ。厄神の心を持った妖怪というわけね」
「ええ、そうよ。私の幸せは、今もえんがちょの向こう側にあるのよ」
えんがちょ?
えんがちょって何だろう。
四月一日は疑問に思ったが、澄み切った青空のような雛の前にはそれさえも霧散してしまった。
「今までは人間を不幸から守れたらそれだけでよかった。でも、大切な友人ができて、それだけじゃ駄目なことに気づいたの」
「雛……」
目に涙を浮かべながら見つめるにとりの視線を、雛は顔を赤くして目線を逸らした。
「私は、人間も、側にいてくれる友人も不幸にしたくない」
「フフ、欲張りね」
侑子が薄い笑みを浮かべる。
雛はその笑みさえも一蹴するように不敵に笑った。
「そうよ、だって私は妖怪だもの。――だから」
雛は言う。
妖怪のように自分勝手に。
厄神のように大胆不敵に。
「――だから、私を厄神にしなさい」
他者を思いやる優しい流し雛は、自身の願いを口にした。
その顔に未練はない。
あるのは決意に満ちた表情のみだった。
「対価がいるわ」
「構わない」
「わかったわ。契約成立ね」
実に簡略的なやりとりだった。
対価が何かもわからないまま雛が了承を示していた。
「流し雛の名にかけて、どんな対価でも払ってみせるわ」
「そう……なら始めるわ」
始める――
始まる――
今から神を生み出す儀式を行うのだ。
それは新たな神様を創り出すということ。
そんなことが可能なのだろうか。
いや、しかし。
……侑子さんができると言ったんだ。
……できるに決まっている。
そうだ。
以前、出張中の侑子からかかってきた電話。その時に彼女は何と言っていたか。
『神様創ってるの』
侑子が過去にも神様を創ったことがあるのを四月一日は知っている。
今回は多少変則的とはいえ、雛を立派な厄神に変え、新しい神様を生むことだろう。
彼は確信の極地を持ってそう信じていた。
侑子が問う。
「雛ちゃん、流し雛に使われた人形はまだ持っているかしら?」
「ええ、今はないけど
苦笑する雛の笑みからは余裕が感じられる。
さっきまでの絶望感は完全に消え失せてていた。
「そう。その中にある最初の一体、厄集めの始まりとなった一体を見つけなさい。同じ流し雛のアナタならできるはずよ」
「わかったわ。それでその人形をどうするの?」
「巫女に祓ってもらうの。厄は除かれたとはいえ、霊気や妖気、邪気が付いていると思うから」
「了解したわ。幻想郷には妖怪向けと人間向け、二つの
「雛ちゃんの望みは人間の神となることだから、人間向けの方にするべきね」
「博麗神社か。あの人間と会うのも久しぶりだわ」
雛のどこか懐かしそうな口調に、どういう関係なんだろうと四月一日は疑問を覚えた。
侑子は続ける。
「祓ってもらった人形をご神体にして祠を作り、人里に置かせてもらいなさい。妖怪と人里の仲介役を務める者がいるでしょうからその者に頼むといいわ。そしてその祠の横に販売所を設けるの」
「販売所? いったい何の?」
「人形よ。家には流れてきた流し雛の人形がいっぱいあるんでしょ? それを売るのよ。言うなればリサイクルショップね」
リサイクルは大切よ、とのたまう侑子。
そこで雛が陰りを見せ、少し悲しそうに口を開いた。
「私が行っても誰も寄り付かないわ」
「そうね。だから無人販売所にしなさい。値段はアナタが適切だと思う金額に定めること」
「無料じゃ駄目なの?」
「駄目よ。お金を出して買う。売ってお金を受け取る。という
サイクル。
循環。
「それって……」
その言葉に珍しく四月一日が気づいた。
妖怪と神様の関係。
信仰がもたらす循環を。
「ええ、そうよ。妖怪が神を信仰し、神は神徳を与える。それと同じ。人間が神を信仰し、神は神徳を与える。結果、妖怪も人も豊かになる。神だけ、人だけ、妖怪だけでは一方的で壊れてしまうの。与えるだけ、もらうだけじゃバランスが崩れてしまうのよ」
侑子の説明に妖怪組がうんうんと頷き、人間側である四月一日はへえーと感嘆の息を漏らしていた。
ふと雛のスカートに目をやれば、裾の方に
「祠と人形の販売所を建てたら、後は今まで通りにすればいいわ。やがてアナタを厄神として奉る信仰が生まれ、アナタは厄神になるでしょうから」
「それが形になるまで『二、三十年』という意味ね」
「ええ。早ければ十年、もっと早ければ五年ぐらい」
顎に指を当て、雛が考え込む。
侑子の言葉を頭に一生懸命叩き込んでいるようであった。
「厄祓いの神になれば、厄を神々に渡すことなく自分で祓うことができるようになるわ。信仰を力にするから厄を纏う必要もなくなる。これで周囲を不幸にすることも無くなるわ」
そこで侑子がちらりと四月一日を見た。
気遣ってくれているのだろう。
雛と同じように、見ただけ、話しかけただけ、触れただけで周囲を不幸にする友達を持つ四月一日を。
有り難く四月一日は思った。その心遣いが嬉しかった。だけど、四月一日はすでに決めている。
……ひまわりちゃん。
彼女のために自分ができることをしようと。
目が合った雛を見据え、侑子は言う。
「後はアナタ次第よ」
●
「それで、対価だけど……」
こくりと頷いた雛の頭を扇子で指し、侑子は対価の内容を告げた。
「アナタが頭に着けているリボンを頂くわ」
雛は白いフリルがあしらわれた暗い赤色の長いリボンで頭部を飾っている。リボン型のヘッドドレスだ。リボンの表面には赤い文字らしき線が描かれており、記号らしいが四月一日にはその文字が何と描いてあるのかまったく読めなかった。
「こんなのでいいの?」
「厄神になる方法を教えた
ウフフ、と笑う侑子は実に妖艶で、実にうさんくさかった。
でも、言わない。
言ったら最後、何を言われるのかわかったもんじゃないと黙っておく四月一日だった。
雛がリボンを結んだまま、ヘッドドレスを外す。
エメラルドグリーンのふわふわとした髪だ。長時間押さえられていたために、頭にはヘッドドレスの痕が残っていた。柔らかく線の細い髪がわずかに潰れている。
「これ、どうすればいいの?」
「
「わかったわ」
雛は宙に浮かぶと、そのまま川上の水鏡に近づき、リボンを鏡面に押し込んだ。触れた先から波紋が広がり、リボンは沈み込むように鏡の中に入っていく。
最後まで入れ終えると、鏡にはさっきまでこっちにあったリボン型ヘッドドレスを持つ侑子の姿が映っていた。三人に見えるように両手でリボンを掲げている。
「流し雛のリボン。確かに受け取ったわ」
「……どんな原理よ。まるでどっかのスキマみたいね」
呆れたように呟き、雛が宙を飛んで岸に戻る。
それだけだった。
お互いに依頼と対価を交わし、それを果たすだけで充分なのだろう。
店の主人と依頼者。
お互いの領域を守った実にシンプルな関係だった。
「で、次はにとりちゃんね」
唐突に、リボンをわきに置いた侑子が閉じた扇子をにとりに向けた。
「ひゅい!?」
思わずといった感じで突拍子もない声を上げるにとり。
雛たちのやりとりに心を奪われていたのだろう。
若干の静寂の後、口を両手で押さえたにとりを雛がジト目で見つめ、
「……にとり、今の声なに? ひゅいって……ププ」
「アハハハ、にとりちゃんっておもしろーい!」
口元を押さえて静かに笑う。それは爆笑をこらえているようでもあった。
反対に、侑子は露骨に笑っていたが。
四月一日だけが「二人ともそんなに笑っちゃ駄目ですよ……」と雛と侑子をたしなめていた。
「もうっ、笑うなよ! ちょっとびっくりしただけ!」
憤慨したにとりが大声を出したことにより場は収束し、仕切り直しになる。
さっきまで張り詰めていた空気がかなり弛緩していた。
「アナタの願いは雛ちゃんに幸せになってもらうこと。雛ちゃん、アナタの幸せは?」
「私はにとりが不幸になることなく一緒にいられたら……それが幸せかな」
「そのためにも早く厄神になる必要があるわね」
侑子が扇子を顎に当て、何かを考えるよう目を閉じた。
三秒ほど経ってから目を開く。
「近々、幻想郷で戦争が起きるわ。それも神道、仏教、道教が入り乱れる宗教戦争」
「はいぃいいいいいい!?」
耳をつんざくような奇声を上げたのは四月一日だ。
あまりのうるささに妖怪二人がしかめっ面で四月一日を睨み、両手で耳を抑えていた。
……戦争?
……それも宗教戦争!?
戦後の生まれである四月一日にとって戦争など過去の出来事であり、どこか遠い国の他人事であった。
さらに宗教戦争である。このご時勢のこの国で、しかも三つの宗教による戦争など四月一日にはまったく考えられないことだった。
「侑子さん、冗談ですよね……?」
「冗談ではないわ。それより、なんでアナタが驚くのかしら四月一日?」
「だって、宗教戦争ですよ! そう簡単には信じられませんよ!」
「といっても幻想郷レベルなんだけどね。里のお祭りみたいなものよ。皆でお酒を飲みながらわいわいとね」
「……一気に牧歌的になったっすね。ていうか、それほんとにお祭りじゃないっすかー!」
「アハハ、幻想郷の人々にとってわね」
四月一日の早とちりー、と彼の盛大なリアクションを侑子は指差して笑う。
笑われた四月一日は拗ねたように口を尖らせた。
……戦争とかと言われたら誰だって勘違いするっつーの。
ぶつくさ文句を言う四月一日を置いて、侑子は言葉を続ける。
「戦争の目的は人気の奪い合い。つまり、信仰よ。人心を掌握しようと誰も彼もが躍起になるわ」
「あの宗教家たちか……」
思い当たる節があるのか、にとりが苦々しく呟く。
その宗教家たちにいい印象を抱いているとは到底言いがたい反応であった。
侑子が形の良い眉を寄せてぼやくように言う。
「信仰を奪われるのは色々とまずいわね」
「……何がまずいんだ?」
不安気な様子でにとりが問いかける。
そんな河童に向けた侑子の顔に浮かぶのは、言葉とは裏腹ににやりと妖しげな笑みだ。
ゆえに、付き合いの長い四月一日は気づいた。
あの顔、あの笑み。あれは……
「そうねえ……」
……何かロクでもないことを考えている顔だ!
「雛ちゃんに信仰が集まらなくなっちゃうわね……困ったわ」
「そっそんな、困るぞ! 雛には早く厄神になってもらいたいのに!」
「でも、雛ちゃんが参加するのは難しいわね。人前に出て厄を振り撒くことになったりしたら……」
「信仰が得られない……いったいどうすれば……?」
「知りたい?」
「しっ知りたい! 対価なら払うから早く教えてくれ!」
「じゃあ、河童手製のお酒があるでしょう? それを頂きたいのだけど」
「いいよ! 河童の酒をあげようじゃないか!」
毎度あり♪ ……そう口が動いたのを四月一日は見逃さなかった。
また一人、酒が大好きな大喰らいのウワバミに飲み込まれていく。
……ああ、河城さんが侑子さんの毒牙に……。
触らぬ神に祟りなし、と彼は蛇を飲まれる河童を静かに見守ることにしたのだった。
「ことは簡単よ。にとりちゃんが戦争に参加すればいいのよ」
「えっ、私が!?」
「ええ。この宗教戦争に参加するの」
「でも、私は別に宗教家じゃないし……」
「だからこそ、この戦争に参加して彼ら――いえ、彼女らに信仰が集まらないようにするのよ」
「なるほど、特定の宗教を持たない無宗派層からの人気と信仰が奴らの方に行かないようにするってことだな」
「そういうこと。それからじっくりと雛ちゃんの信仰を集めればいいわ」
「わかった! 私、この戦争に参加するよ! 前から
ぎったんぎたんって……。
感情を爆発させるにとりと煽る侑子を四月一日と雛たちは呆れたように見ていた。
二人の表情からは、なるべく関わり合いになりたくないという心情がありありと浮かび上がっているようだった。
「……これでひとまずは解決したのかな?」
「……解決したんじゃない? ……たぶん」
にとりを刺激しないようにこそこそと話す二人。
無月が雛の厄に当てられないように、いつも以上に四月一日に絡み付いていた。
●
こうして四月一日と本来なら無関係であったはずの戦争に河城にとりの参戦が決定した。
一部の河童の宗教嫌いは昔から噂されていたが、はからずもにとりの参戦はそれを裏付けることとなった。
あくまでも宗教嫌いの河童による宗教家たちへの宣戦布告であったが、その裏に何があったのかはにとりと極一部の者しか知らない。すなわち、鍵山雛と幻想郷の外に住む二人の人間にしか。
ええじゃないか! ええじゃないか!
ええじゃないか! ええじゃないか!
ええじゃないか! ええじゃないか!
ええじゃないか! ええじゃないか!
多大なる興奮と熱狂を沸き起こし、数多の信仰を生み出すことになる宗教戦争。
狂乱の戦争の足音はすぐそこにまで迫っていた。
『ええじゃないか!』の波は近い。
ええじゃないか! ええじゃないか!
エピローグに続く。
ええじゃないか! ええじゃないか!