日本という国は割と複雑な位置にある。
その最大の原因は篠ノ之束という女が存在したことにあるだろう。
今世紀最大とも最悪の発明される兵器、
誰かが言った、彼女こそが
その言葉を否定する人間は少ない。束という人物は非常に身勝手であり、自身の興味以外には一切視線を向けず、自身が身内と認めた存在以外は視線さえ向けない。ゴミのような視線を向けるのでも否定するのでもなく、
篠ノ之束の生まれ故郷である日本にはISを生み出して大きくバランスを崩した責任がある―――だが同時に日本を威圧しすぎ、それを通して彼女の身内に何かがあった場合、その復讐を浴びるのはプレッシャーを与えた国である。
利権が欲しく、技術もISも欲しいから日本を威圧したい―――しかしやりすぎたら束からの制裁を食らいかねない。あの駄々っ子の様な女の癇癪はどこから来るのか、どこがラインかなんて探りたくすらない。そんなめんどくささの煽りを全力でくらっているのが現在の日本という国である。それが影響してか、警備は非常に厳重であり、そして世界でも有数の安全な国として今は記録されている。
―――なにせ、篠ノ之束は世間的には失踪しているのだから。
だがその事実は違う。
篠ノ之束は囚われているのだ。少なくともそれが真実であると自分、
判明している事実は篠ノ之束の
日本で始まり、アメリカ、中国、ロシア―――何個もの国をわたり、束の痕跡を、亡国機業の足跡を追ってきた。
そして何の因果か、再び日本へと戻ってきた。
「―――入国早々クソみたいな検査だったな」
「仕方がありませんよ、中尉。今の日本は厳戒態勢もいい所ですから」
時間を惜しんで空路から日本へと入り、荷物をすべて回収し終わって空港から出たところで、そんな言葉を漏らすしかなかった。パンツ一枚になるまで剥かれてチェック、その上で違法データを所持していないかブレインチップ内を軽くだがスキャンされた。これでもまだ独立傭兵組合から身分を証明されているからマシな方だった。だがそれでも繰り返される検査とチェックには辟易するしかなく、海路で密入国した方がマシだったのではないか、というレベルだった。
ただやはり、空路が一番安定して早い。亡国機業を追いかけることを考えればやはり、空路を外す事はできない。公的に傭兵身分を保持しているのだから、もう少しここら辺のチェックを楽にしてくれれば、と、どこかの国に入国するたびに考えている。とはいえ、今度の日本に関しては今まで経験した中でも相当レベルの高い警戒態勢だった。クロエから此方へと早速データが送られ、ホロウィンドウにそれが表示される。会話も即座に密談へと切り替えられ、ホロウィンドウの内容を確認する。
そこに表示されているのは織斑一夏、一人の青年の姿だった。
『数週間前に織斑一夏のIS適性が発覚、世界で唯一ISを操作できる男性という事実に殺気立っていますからね』
現代における武力の象徴、IS。それは本来女性にのみ動かす事のできる超兵器である。だが、そんな中、男性である織斑一夏がそれを操縦できることが判明してしまった。神の悪戯か、或いは製作者からの身内に対する優遇なのだろうか? どちらにしろ、一夏の未来はIS操縦者となってデータ提供し続ける事以外になくなった。それにそんな貴重な検体、各国がほしがるに決まっている。今、日本では他国のスパイと
それがもし判明するような事があれば、軍事バランスがまた傾くのだろう。
「……ま、それを利用させて貰うがな」
「南米にいる時にニュースを見たときは驚きましたが……いえ、或いはあの時から日本へと渡る事を決意したのかもしれませんね」
連中の動き、態々警戒が厳重な現在の日本へとやってきた理由―――その中核に織斑一夏という青年の存在があってもおかしくはないだろう。何しろ彼はあの篠ノ之束が身内と認めた数少ない人間の一人なのだから。政府の重要人の保護プログラムを昔の事件以降は受けていると話には聞いていたが、IS適性が判明して表舞台に立った以上、
『それで……日本に到着したのはいいのですが、ここからはどう行動するつもりですか?』
『コネを使うのに決まってるだろ? そうでもなきゃIS学園になんて潜り込めるわけがないだろ』
デコード出来る範囲にあった情報ではIS学園の単語があった。そして一夏のIS適性の発覚、これを考えれば彼がどこに行くかは見えてくる―――彼もIS適正なんてものが発覚しなければ普通の学校通うことができただろうに、と、同情するしかなかった。とはいえ、それは利用させてもらう。ホロウィンドウを消去し、そして所持しているアドレスを選択して連絡を入れる事にする。新たなホロウィンドウにCalling、と表示される。
数秒間、そのまま相手がそれを受けるのを待っていると、やがて、ホロウィンドウの表示が変化する。そこに表示されるのは鋭い釣り目に黒髪の女の顔だった。女は驚いたような表情を浮かべており、そして此方へと向けて言葉を放ってきた。
『貴様……亮、なのか』
『なんだその表情は。まるで死人を見ているかのような様子じゃないか……酷いなぁ、学生時代は一度、付き合った事もあるだろうに』
その言葉で驚きから立ち直ったのか、彼女が睨むような視線を向けてくる。
『昔だ、それは昔の話だ。それよりも……そうか、貴様今日本にいるな? 成程、大体読めたぞ』
『だったら話は早い、旧交を温めないか? 通話で話すのにはお互い、もどかしすぎるだろう?』
『誤解させるような言い方はやめろ愚か者が。……まあ、いい。家の住所は変わっていない。来い』
そう告げるだけ告げて、通話が切れた。懐かしい不愛想な表情、そして無駄な会話を好まない性格、そして男を寄せ付けない雰囲気、通話の向こう側からであっても一切変わることなく伝わってきて。あーあ、やれやれ、と呟き、ホロウィンドウを消去してクロエへと視線を向けた。
「―――見たかよ千冬の顔? 絶対この歳になっても絶対処女だぞ」
俺の知っている織斑千冬は、どうやらそのままだったらしい。
織斑千冬という女は、実に筆舌にし辛い。
幼い頃に両親が蒸発した織斑千冬は親戚の援助を受け入れながらも、それ以上の力を借りることなく、弟である織斑一夏の面倒を一人で見ていた。外から見れば美談の類に聞こえるだろうが、実際そんなことはない。まだ中学に上がったばかりの子供に税に関する話は無理だし、生活のアレコレを教えてくれる人間も居らず、放っておけば発狂してしまうのは目に見えることだった。そこに色々と声をかけたのが、
篠ノ之家、そして藤原家―――つまり自分と束の家になる。
近所だった事で当然見過ごせる訳はなく、そして変にコンプレックスを拗らせていた千冬を助けるために色々と奔走した記憶がある。当時から自分がすべてをやらなくてはならない、と変な方向に責任感を突き抜けさせていた千冬はそれが原因で何度か疲労で倒れそうになっていた。それにあれこれと世話を焼いたり手伝ったりをしているうちに家ぐるみでの付き合いが始まって、しかし、
おそらくはそのコンプレックスの一端が束をISの開発へと導いたのだろう、と本人は思っているのだろう。
「―――ここら辺は変わらないなぁ」
空港からバスに乗って一時間、それから更にタクシーに乗って一時間ほど。久しぶりに歩く日本の街中は少し前までいた南米と比べるとはるかに平和で、安全で、バスが全く汚れていないことや、清潔なタクシーの姿に思わず驚いてしまうぐらい整っており、しかしこれがちゃんと国家として機能している場合の風景、と考えるとどこか安心感を覚える。
何より自分の故郷がまだ自分でも解るぐらいに形を残しているのが良かった。昔は見慣れていた景色でも、傭兵として世界を飛び回っている間に、どんどんと見知らぬ景色で記憶が上書きされて行く―――その結果、こうやって直に見ないと思い出せなくなるのは、当然ながら寂しいものもあった。自分でもまだ郷愁を感じるんだな、なんてことを思い、記憶に従って道を進んでゆく。
やがて小さな一軒家を見つける事ができた。ここからさらに歩けば篠ノ之道場や、実家を見つける事もできるだろう。が、自分の実家も、篠ノ之道場ももはや無人となっており、誰もいない。さすがにすべてが昔通りとはいかないか、嘆息しながらクロエにすまんな、と心の中で謝りつつ、視線を織斑家へと向ける。各所に見える警備システムを除けば昔とあまり変わらないな、と心の中で思い、家の前のインターホンを押す。
ピンポーン、と音の鳴るインターホンの前で待つこと数秒、ガチャリ、と音を立てて扉のロックが外れる音がした。どうやら門前払いされることはないらしい。クロエに視線で来いと、と指示を出しつつ自分が前に、織斑家へと通じる扉を開ける。扉を開けた向こう側にいたのはスラックスにワイシャツ姿、ホロウィンドウに映し出されていた織斑千冬、本人だった。
「……本物か」
「俺のような個性の塊を騙る様な奴がいるなら一度見てみたいもんだ」
「それに関しては完全に同意だな。後ろにいるのは……」
千冬がこちらの後ろへと視線を向け、それを受けたクロエが頭を下げた。
「初めまして織斑千冬様、私は副官のクロエ・クロニクル少尉と申します。よろしくおねがいします」
「様はいらん……上がれ、そこに突っ立っていられると近所迷惑だ」
「それじゃあ邪魔するぞ」
居間へと向かって行く千冬を追いかけるように玄関へと上がる―――思わず靴を履いたまま上がってしまいそうになるのは、西洋文化に長く浸かりすぎた結果だろうか、そういえば日本では室内では靴を脱いでいたよな、とくだらないことに懐かしさを感じつつ靴を脱いで上がる。懐かしさを感じつつある景色に、やや戸惑い気味のクロエを背後に連れつつ、彼女の背景を考えれば戸惑いもするか。そんなことを考えながら懐かしい居間へと上がった。
中央に足の低いテーブルがあって、そこから見える位置にテレビが、と、本当に普通の、どこにでもある日本の家庭の姿があった。そんな一家の風景を見て、意外と思ったのは、
「小奇麗にしているんだな? 昔は一夏がいなければ掃除さえできなかったというのに……」
「幾らなんでもそのままに甘んじている訳がなかろう。流石に社会人にまでなってそうなっている奴の方がおかしいだろう……」
まぁ、それもそうだよなぁ、と納得しつつ、示されるままに足の低いテーブルに座る。慣れている此方と千冬に対して、こういう文化に馴染みのないクロエはやや困惑しているよく考えればクロエはドレス姿だからそりゃあ床に座布団で座ることを想定していないよな、という話だった。まぁ、習うより慣れろだ、困惑しているクロエに横の座布団に座れ、と密談で伝える。それを表情に見せずにせっせとクロエが座布団へ、此方を真似るように正座で座り込む。
そこでテ-ブルに音を立てて乗せられるのは、
「麦茶だ……飲むか?」
「懐かしすぎて涙が出そう……貰うわ」
どうせこれからいやというぐらいに話をするのだから、喉を潤す何かは欲しかった。麦茶の入ったボトルとともに運ばれてきたグラスに勝手に麦茶を注ぎ、それに口をつける―――特に美味しいというわけでもない、普通の麦茶の味だった。
旧交を温めたいところだが、
「さて、旧交を温めよう……つってもどうせ信じないだろうしとっとと本題に入ろうか」
「あぁ、そのほうが私としても楽だな。で、いまさら日本へ何しに来た?」
解っているんだろう? と言葉を置き、続ける。
「―――
こっそり更新。自覚している汚点を克服しないわけないだろう、という簡単な話。