皆が
俺や雪ノ下、由比ヶ浜が気に掛けた少女──鶴見留美である。
彼女はグループ内で孤立していた。
同じ班に属していながらも彼女に発言権は無く、彼女はいない者として扱われていると云う。その癖、面倒事は全て彼女──鶴見留美へと押し付けられているのだ。
「お母さんに、友達と写真いっぱい撮ってきなさいって言われたけど……」
真新しいデジカメを胸に抱えてそう呟く鶴見留美の目に光はない。今の彼女では叶わぬことだと痛感しているのだ。
所謂ハブ、古い言い回しで云えば「村八分」と云う奴である。
お互いの自己紹介の時に一悶着あったが、そんな鶴見留美の現状を聞き出すことには成功した。
* * *
そしてその日の夕食。
屋外に設置された木のテーブルを囲む他の面々もやはり鶴見留美の孤立には気づいていた様で、自然と話題はそちらに流れる。
真っ先に口を開いた葉山隼人は、みんなで仲良くする方法を探すべきと云う。その尤もらしい意見に噛み付いたのは雪ノ下雪乃だ。
当然だ。
一見、葉山の意見は正しい。が、それは集団の内側に立った意見だ。集団の外側にいる雪ノ下の正義と相入れる筈はない。当然の帰結である。
その雪ノ下に噛み付いた三浦の主張は、これまた女王様気質そのもので、由比ヶ浜や海老名さんにやんわりと否定される。
平塚先生が退席した後も議論は続き、その夜は具体的な結論が出ないままの解散となった。
風呂から上がってロッジの男子部屋に戻ると、スマホに着信が残っていた。
ひとりウェイウェイと騒ぐ戸部を尻目にスマホをタッチ。留守電を再生する。
留守電には音声は無かった。が、お袋からの着信だった。
「はっちまん、何してるの?」
不意に肩に乗せられた柔らかい何かに驚いて振り向くと、そこには戸塚の顔があっ……うわぁ、近い、近いっ。
でもいい匂い。
互いの息がかかる距離に戸塚の天使の笑顔。
おおっ、これが噂に聞くエンジェルブレスか。こうはかばつぐんだ。
思わず上がる体温に心地良さを感じてしまった。
「あ、いや、お袋からの着信があった」
戸塚は男、戸塚は男、と頭の中で
「あっ、そういえば僕、八幡の番号知らないや」
「ん、そうだな」
「教えて……もらえる、かな」
お、な、なにぃー!?
「ダメ、かな」
「ダメじゃない。ダメじゃないぞ。是非、是非番号交換をば」
自分でも分かるくらいキモいな俺。
だがこれは俺にとっては千載一遇のチャンス、逃す訳にはいかんのだよ。
そんな俺を戸塚のエンジェルスマイルが優しい包み込む。
「あははっ、もちろんだよっ」
神様、俺──生きてて良かったです。
こうして俺は、天使の連絡先をゲットした。
ぴるるるる。
んだよ、無粋なスマホだな。少しは余韻を味合わせろ。
画面をタップしてオンフックすると、耳に響くは肉親の軽い声。
『八幡、元気してるー?』
スマホを耳に当てて立ち上がると、戸塚が上目遣いで首を傾げていた。
「悪りぃ、お袋からだ。先に寝てていいぞ」
「うん、じゃあ、おやすみ、ね」
何この、付き合いたてのカップルみたいな会話。経験ないから全部想像だけど。
胸元で小さく手を振る可愛さ全開の戸塚を残して、俺はロッジの外へ出た。
「で、どうしたんだよ」
『ああ、あたしは用事は無いんだけどね……ちょっと代わるよ』
そう告げられてから数秒後、がちゃがちゃがしゃん、と音がして。
『も、もしもし……ひひひ、比企谷くんでしょうかっ』
「え、誰でしょうか……」
『り、龍造寺……でしゅけろ』
けろ?
カエルかな?
いや待て。カエルは喋らない。唯一俺が知っている喋るカエルは、ネットの動画で見たど根性ガエルのピョン吉だけだ。
すげぇよな、あいつ。潰されてTシャツにへばりついたのに寿司食うんだぜ。
おっと。愚考が過ぎた。
「あ、ああ、龍造寺か。どうした」
『あの……』
言ったきり、無言。
漸く電話口から聞こえた声は意味不明のものだった。
『あの、あ、あ、ああ、し……た、よろし……く』
──あ、切られた。何だったんだ。
* * *
意味不明の電話の後も、コテージに戻る気にはなれなかった。
昼間見た鶴見留美の物憂げな表情が脳裏に浮かぶ。
『自分の番が回ってきただけ』
自分が疎外されている現状をそんな言葉で片付ける留美は、意地を張っているでもなく、かといって憐れんで欲しい訳でもない。
あの顔は、諦めの顔だ。
同級生、教師、もしかしたら親も含めた、自分を取り巻く人々への諦め。
俺はあれと同種の顔を見た記憶がある。鏡の中に。
自分が疎外されることに不安を抱き、疑問を持ち、足掻き、やがて諦める。
記憶を失くした後の俺が辿った暗黒の軌跡だ。
そうなると、誰の言葉も軽く感じてしまう。上っ面の心配、お為ごかし、訳知り顔で美辞麗句を並べる偽善者。
そんなものはすぐに見抜けてしまうようになる。それはやがて、外界すべてを遮断するまでに至るのだ。
鶴見留美は、その境地の直前まで辿り着いてしまっているのだ。
月明かりを頼りにコテージの周囲を散策しながら考えていると、誰かの声が聞こえた。
その声は弱く、儚い。だが、確かに美しい旋律を奏でていた。
──きらきら星。
生憎俺には記憶は無いが、幼稚園や保育園で習うだろう歌。
その声に導かれて草木を分け入る。
ぱきり。
足の下で小枝が弾けた瞬間、その旋律は止まる。
「──誰」
月光の下、微かな歌声を紡いでいたのは、雪ノ下雪乃だった。
不審者では無い証として、雪ノ下の眼前に歩み出る。
「──誰」
「今俺の姿、見ただろうが。一応顔見知りのつもりなんですがね」
「……冗談よ」
は? 冗談? こいつが?
「何かしら、その信じられないものを見たような顔は」
「え、いや。お前が冗談を云うなんて思わなくて、だな」
「心外ね。私だってユーモアのひとつくらい持っているのよ」
ユーモア、ねぇ。堅苦しい言い回しがいかにも雪ノ下らしくて笑えてくる。
「悔しかったら、あなたも冗談の一つでも言ってごらんなさい」
「いや……別に悔しくないんですけど」
やんわりと否定するも、雪ノ下はじっと俺を見据えたままだ。
何これ、俺に冗談でも言えっていうの?
「ふとんが……ふっとんだ」
もはや死語と化した使い古された駄洒落に、雪ノ下が顔を背ける。その肩は小刻みに揺れている。
あれ、もしかしてこいつ。
「ストーブがすっ飛ぶ」
「みかんが見っかんない」
「コンドルが尻に食い込んどる」
矢継ぎ早に放ったくだらない駄洒落に、雪ノ下はしゃがみ込んで笑いを堪えている。
やっぱりこいつ、ダジャレに弱え。
てってれー、はちまんはゆきのんのわらいのツボをえとくした。あんまり使い道はないスキルだな。
「──はぁ、はぁ、中々やるわね」
「いや、手ごたえ無さ過ぎて逆にびっくりだわ」
涙目を向ける雪ノ下にはいつもの刺々しさは微塵も感じられない。それどころか、柔和な雰囲気さえ漂わせている。
ざわ、と温い夜風が木々の枝葉を揺らす。
と、我に帰る。
こんな夜中に男女が二人でいて良いものでは無い。例えそれがただの顔見知り程度の関係だったとしても。
「わ、悪りぃ……邪魔したな」
雪ノ下に背を向けて手を挙げ、歩き出す。
「……待ちなさい」
優しい命令口調に振り返ると、月明かりに照らされた雪ノ下の俯向く姿があった。
美少女は得だな。こんな姿も絵になるのだから。
「少し、時間……いいかしら」
それは思いもかけない申し出だった。
お読みくださいましてありがとうございます。
やっと合宿初日の夜まで漕ぎ着けた感じの今回でした。
次回、あの男が登場します。