やっとまともな格闘シーンがやって参りました。
ざわり、風が木々の葉を揺らした。
「不破が、陸奥より……弱い、だと?」
その言葉を吐いた瞬間、覆面の雰囲気ががらりと変わる。いや、変わったのは雰囲気だけではない。道着の上からでも筋肉に力が入っているのが判る。
「決めた。お前も殺す。死んで不破圓明流
ゆらり、覆面野郎の肩先が揺れた。次の瞬間、覆面の身体は陣雷支部長の懐に入っていた。
びくんと反応して上体を逸らす陣雷さんの懐、低くしゃがんだ覆面は頭上に左拳を構えて、そのまま伸び上がった。
「──"浮嶽"かっ!」
圓明流の打撃技、"浮嶽"。頭上に拳を置き身を屈め、全身のバネを駆使して相手の顎を打ち抜く技。簡単に言えば、体全部を使ったアッパーだ。
覆面の頭上に置かれた左拳は的確に陣雷さんの顎を捉え、跳ね上げる。だが陣雷さんもその技を知っていたらしく、がちりと顎と首を固め、足を踏ん張って顎への衝撃を耐える。
元々筋肉の塊である陣雷支部長である。予測される衝撃を耐えるのはあの太い首ならば不可能ではない。
覆面の放つ"浮嶽"を耐え切った陣雷さん。その直後、その強固な筋肉に支えられた頭部が──激しく横に揺れた。
「──がっ!?」
たたらを踏んで後ずさり、砂利引きの河原に片膝を着く。
何だ。何が起こった。陣雷さんは覆面野郎の"浮嶽"を耐えた筈だぞ。
「……不破圓明流、"
──は?
何だそれ。知らない技の名前だ。てことは今のは不破独自の技か。つーか何でわざわざ技の名前を言ったの?
ヒーローなの? 技名を言う決まりでもあるのん?
そんな間抜けな覆面野郎の前で膝を着く陣雷さん、ちょっと可哀想だよ。
「──くっ、ちょっと脳を揺らされちまった」
膝を着いた陣雷さんは、頭を振りながらむくりと立ち上がる。
いやいや、普通は脳を揺らされたら脳震盪になるでしょ。どんな鍛え方してんの。
ぷっ、と陣雷さんが河原に唾を吐くと、カキッと音がした。歯が……折れたのか。
「あーあ、差し歯が取れちまった。弁償しろよ」
「それは悪かった。歯を全部へし折って、お前の
左の頬を押さえる陣雷さんを見て梵字の下で満足そうに嗤う覆面野郎は、悦に浸っている様にも見えた。
「さあじじい、来いよ。まだやれるだろ。不破が陸奥に劣るかどうか、たっぷりと教えてやる」
「ガキ、調子に乗るなよ……?」
やべ、陣雷さんの目が変わった。
そこからの陣雷さんは、まさにハリケーンだった。一撃必殺と云うべき重い打撃を、四肢を駆使して出し続ける。
右のストレートの後に左のローキック、そして左のフックからのコンビネーション。
対する覆面野郎は、その打撃を躱し、いなし、受け止め続ける。
そして──ついに覆面野郎は二分に亘るローキックのラッシュを耐え切った。
「もうスタミナ切れかよ、じじい」
「……はあ、はあ……歳は、取りたく、ねぇなぁ」
ファイティングポーズを取り続ける陣雷さんは、今のラッシュの影響か少しガードの腕が下がっている。
「どうだ、これでも不破は陸奥に劣るというのか。それともじじい、お前が弱いだけか」
頭一つ以上の身長差がある陣雷さんを、覆面は見下すように吐き棄てる。その態度に苛立ちを露わにした陣雷さんは、すぐにその顔を消して瞑目。
目を開けた時には清々しい表情だった。
「──悪りぃ、訂正するわ」
口を開いた瞬間、再び陣雷さんの表情が変化する。より挑発的に、より侮蔑を込めたものに。
「お前は……陸奥九十九よりも弱い」
吐き棄てて、にやりと口角を上げる。その陣雷さんに対して覆面野郎は、殺気の高まりで無言の怒りを表す。
が、陣雷さんはそれを歯牙にもかけずに自然体のままで立っていた。
「──ま、どっちにしろ、俺に勝てる相手じゃねえけどな」
あり。思ったより素直に負けを認めるのね、眉毛がない癖に。
「それより……見えたか、八幡」
「は?」
「奴の攻撃と動きだよ。これでちったぁお前のハンデも減るだろう」
何だよ。結局は俺にやらせるつもりだったのかよ。無理だって、今の俺には圓明流の記憶なんて無いし。
「じゃあ、最後は……これだっ」
「──懲りないじじいだ」
陣雷さんが大振りの右拳を顔面目掛けて繰り出す。が、速度は遅い。ただのテレフォンパンチの方がまだマシだ。
迫る陣雷さんの右拳を最小限のヘッドスリップで避けた覆面野郎は……油断していた。
耳を掠めた陣雷さんの右拳は引き戻されずに覆面野郎の襟首を掴む。その間に左手は覆面野郎の股間に割り入れられて、そのまま陣雷さんは覆面野郎を頭上に担いで掲げた。
なんだこの動きは。空手の動きのようでそうではない。見た目はタワーブリッジだし。
ここから陣雷さんはどうするのか。
あのまま石がごろごろしている河原に背中を叩きつければ、いかに不破圓明流を身につけた覆面野郎といえども相応のダメージを受ける筈だ。てか下手すりゃ頭を打って死ぬぞ。
「りゃあっ!」
覆面野郎を担ぎ上げた陣雷さんは、掛け声と共にバック転の様に後方へ跳んだ。そして宙返りの最中に膝を畳んで覆面野郎の腹に押し付け、そのまま覆面野郎の背中を河原に──叩きつけた。
背を河原、腹を膝に挟まれた覆面野郎は、その衝撃をモロに食らったように見える。
あ……これ、"徹心スペシャル"だ。
今は亡き神武館先代館長、龍造寺徹心が対不破戦で披露した投げ技。
相手を抱えて後方宙返りで跳び、背中を叩きつけると同時に鳩尾へと体重を乗せた膝を入れる。
普通ならば、これを食らって立てる筈がない。それどころか、背中は打撲、内臓は損傷。下手をすれば後頭部をも打ってしまう、危険な技だ。
案の定というべきか、下敷きになった覆面は動かない。
勝負、あった……か。てか勝負あって欲しい。
そう思った瞬間、技を仕掛けた側、上になっている陣雷さんが吐血した。その鮮血が覆面に描かれた梵字に色を付ける。
どういうことだ。
何故、技を仕掛けた陣雷さんが血を吐いたんだ。
「──不破圓明流奥義……"
神威──だと?
「不破には、陸奥や比企が知らぬ技がある。これは……その一つだ」
言い捨てた覆面は、血を吐いた陣雷支部長の巨軀を巴投げで河原に棄てた。
その光景を見つめ、思わず呆然としてしまう。
陣雷さんは、少なくとも今の俺よりは強かった筈だ。その陣雷さんに血ヘドを吐かせた覆面野郎は、即ち俺よりも遥かに強い。
「陣雷……さん」
河原の石ころに抱かれて仰向けに倒れている陣雷さんは動かない。
まさか……!
「……あー、痛ってぇ。久しぶりだぜ、この感触」
よかった、生きてた。しかし久しぶりとはどういうことだ。陣雷さんは不破と戦い、この奥義とやらを受けた覚えがあるのか?
「八幡、気をつけろ。こりゃあれだ、"虎砲"だ」
圓明流の技である"虎砲"は、相手の身体に拳を密着させた状態、即ちゼロ距離から放つ打撃技である。
だが、今の技は違う。あいつの、覆面野郎の両手は陣雷さんの身体には密着していなかった。
密着していたのは、奴の足……まさか。
「陣雷さん、それって……」
「けっ、やっぱりお前はあの八幡だな。多分、その想像で合ってるぜ」
俺の推測が正しければ、覆面はあの密着した状態で虎砲を撃ったことになる。しかも、足か膝でだ。加えて、その放ったタイミングは自身の背中が河原に叩き付けられた瞬間。
つまり奴は、自身のダメージを気にもせずに反撃のみに徹したのだ。
何それ、肉を切らせて骨を断つにも程があるぞ。
その思考の論理に恐怖を感じて身震いしていると、陣雷さんが言葉を続けた。
「いやぁ、楽しかったぜ、不破圓明流。俺は負けだ。リタイアだ」
口の隅から血を垂らしながら愉快そうに笑う陣雷さんはもはや人間には見えない。何かしら凶暴な肉食獣のフレンズそのものだ。勿論、可愛くはないけど。
この姿を肝試しの時に見せていたら、小学生たちは軒並みトラウマを抱えて帰ることになっただろうな。
傍観者が葉山しかいないのが幸いだった。葉山になら幾らトラウマを植え付けても構わない。むしろ推奨だ。
ちらとその葉山に目を向けると、見事に硬直していた。月明かりに照らされた茫然自失の顔は、思い出のポートレートに残したいくらいに見事なリアクションだ。
覆面野郎が俺に向き直る。
「さあ、比企谷八幡。比企圓明流の技を全て見せてみろ。この不破の糧としてやろう」
いや、そう言われましてもね。
どう弁解すべきか迷っていると、河原に巨躯を横たえたままの陣雷さんが代弁してくれた。
「はん、そりゃ無理な話だな。こいつ……八幡には圓明流の記憶が無え」
「記憶が……無い、だと? どういうことだ、比企谷八幡」
「いや、子供の頃に事故に遭いましてですね、その前の記憶が──」
「なら……オレが身をもって思い出させてくれる」
あー、終わったな、俺。
今回もお読みくださいましてありがとうございます。
陣雷さん、負けちゃいました。
果たして八幡は陣雷さんの犠牲をどう活かすか。
それとも……活かさないのか。