ぼっちの門 〜圓明流異聞〜   作:エコー

34 / 38
千葉村編もやっと終わりが見えてきました。
負傷した八幡が目を覚ました場所は……


三十、記憶

 

 

 永い夢を見ていたように思う。

 覚えている筈のない、子供の頃の俺が出て来る夢。

 あり得ないくらいにひどい夢だ。

 小さい俺が血塗れで嗤っていた。それは誰かの血ではなく、どうやら小さな俺自身の流した血のようだった。

 我ながら気味が悪い。何でこのガキはセルフ血化粧で嗤ってるの?

 早く病院行けよ。轢かれるぞ。

 ああ、ほれ、言わんこっちゃない。跳ねられちまった。

 

 

 

 意識がブツっと途切れると、瞼の向こうに人工的な光が見えてきた。

 薄っすらと目を開けて、視界に入る景色を見る。

 

「──知らない天井だ」

 

 使い古された表現だが、その通りなのだから仕方がない。

 視線をずらすと、液体の入ったでっかいパックと小さなパックがぶら下がっていて、そこから伸びた管は俺の左腕に繋がっている。点滴か、これ。

 枕元の左右からピッ、ピッとテンポの違う電子音が聞こえて、時折ハモっている。

 

 ここは……病院か。

 

 起き上がろうとして、身体中に激痛が走る。あの覆面め、俺が気絶したのを良いことに好き放題やりやがったな。

 ……ということは、勿論だが俺はあの覆面野郎にやられちまったんだな。

 まあ当然か。

 方や全開バリバリの不破圓明流、方や修錬の記憶を失くした比企圓明流のダメ息子。

 勝敗なんぞ火を見るよりも明らかだ。

 くそっ、寝返りも打てねぇじゃねえか。今度覆面野郎に会ったら……ダッシュで逃げてやる。

 

 陣雷さんは、葉山は、無事なのだろうか。

 それに、鶴見留美。あの子は結局どうなった。

 解らないことだらけだ。

 

 だがここは病院。俺は怪我人。

 選択肢は一つしかない。

 ──二度寝しよう。

 

  * * *

 

 再び目覚たのは人の気配の中だった。

 

「……誰か、いるのか」

 

 恐る恐る発した声に、周囲の声が消えた。

 

「……お、兄ちゃん?」

 

 お、この声は小町か。

 ちょうどいい。喉が渇いて仕方がなかったんだ。何か飲み物、出来ればマッカンを──

 

「……お母さああああん!」

 

 あ、あれ?

 叫びながらどっか行っちゃったよ。

 ここは病院だろ。静かにしろよ。

 

 足音が遠のいて、それが戻って来た時には複数になって聞こえた。それも二人や三人ではない。もっと大人数の靴音だ。

 こえぇ。超こえぇ。

 何の集団暴走(スタンピード)だよ。

 開け放たれていたドアをくぐって来たのは、白衣の数人。医者と看護師だ。

 よかったー、敵だったらどうしようかと思っちゃった。敵って誰だよ。

 

「おお、目が覚めたかね」

 

 笑顔を作って顔を覗き込むのは初老の医者。その脇でナースキャップの無い看護師さん数人が点滴を見たり電子音のする機械を見たりしている。

 

「しかし、熊に襲われたとは……災難だったね、キミ」

 

 ……は?

 熊って、なに。

 

「まあ、覚えていないのも無理はない。これだけの傷を負って助かっただけでもキミは幸運だよ」

 

 初老の先生が仰るには、俺の状態はかなり酷いらしい。右肩は脱臼、左腕は筋肉のほとんどが細かい肉離れを起こしていて、両足の腿や脹脛(ふくらはぎ)も同様に細かい肉離れが多数あるとのことだった。

 つまり無事に動くのは足首だけ、らしい。

 

「まあ、ざっと二ヶ月はかかるね」

 

 ええ……夏休み終わっちゃうじゃん。

 せっかくおおっぴらに怠けられる長期休暇だってのに。

 いや、待てよ。二ヶ月ってことは、二学期も半月くらい休めるのか。

 これぞ怪我の功名……いやいや、痛いのは嫌だからね。

 

 と、初老の先生の向こう、明らかに医療関係者では無い人物たちの影が見えた。

 初老に視界を妨げられて良く見えないが、ぴょこんと揺れるアホ毛が見える。

 その横にはピンクがかった茶髪のお団子頭が揺れている。

 医者と看護師たちが部屋を出ると、ピンクのお団子が駆け寄ってくる。

 

「ヒッキー、大丈……夫?」

 

 ふっ、愚問だな由比ヶ浜。

 

「これが大丈夫なように見えるか」

「み、見えない、かな……」

 

 そうだろう、そうだろう。

 ベッドの枕元の両サイドでは訳の分からない機械がピコピコ鳴ってるし、天に吊られた点滴の大小のパックからは俺の左腕に何かしらの液体を送り込まれている。

 しかも俺は身体の自由が利かない。仰向けのまま、首から上と足首の角度を微調整するくらいしか出来ないのだ。

 

 ふと考えてしまう。

 今のこの状態で、鼻の頭にピトッと虫が止まったらどうしよう。とりあえず小鼻をひくひくさせて無駄な抵抗でもしようかね。

 

 おっと、愚考だった。

 と、可動域の狭い視界の隅に、慣れ親しんだ憧れの色合いが見えた。

 その下品なくらいに濃い黄色は練乳の、そのサイドに波打つ茶色はちょっぴり入ったコーヒーを表す細長い缶。

 俺、いや千葉県民にとっての甘露であるところのマックスコーヒー、通称マッカンである。

 それを手にしているのは、我が愛妹である小町だ。

 

「お、気が利くじゃねぇか小町」

 

 ほら、早く。

 そのプルタブをくりんと開けて、この哀れな兄の口元に──。

 

「……ばかぁ」

 

 おお、マッカン様が震えていらっしゃる。と思ったら、震えているのは小町だった。

 由比ヶ浜が小町の狭い肩を両手でそっと包むと、怒号と共に小町は泣き出した。

 

「……どんだけ心配したと思ってるの!?」

「こ、小町ちゃん、ここ病院だから、ね」

「大体なに、比企圓明流って。お母さんとお兄ちゃんが拳法やってるのは知ってたけど、こんな大怪我をすることやってたの?」

「いや、違う。違うぞ小町」

「何が違うの。五文字以内で言ってみて」

「五文字は無理だろ……」

「じゃあ三文字」

 

 減ってどうすんだよ。

 ドアの辺りで見ていたお袋に視線で助けを求めると、小町の手を引いて病室を出て行ってくれた。由比ヶ浜もこちらに弱く微笑んで二人の後を追った。

 

  * * *

 

 戻って来たのは由比ヶ浜だけだった。小町はと聞くと、何やらメランコリックな気分だから風に吹かれたい、と言って屋上に行ったらしい。

 まあ、小町にはお袋がついてるし、大丈夫だろう。

 

 さて、俺も起きるか。というかトイレに行きたい。

 

「──うぎょっ」

 

 身体を起こそうとした瞬間、全身に鋭い痛みが走った。

 忘れてた。ほぼ全身肉離れ状態だった。

 あんの覆面野郎め。九十九さんに頼んでぎったんぎったんにしてやるっ。

 再び枕に頭を沈めて全身の状態を確認する。

 その結果、主に痛いのは頭と両腕だ。足もかなり痛いけど、力は入る。我慢すれば何とか歩けそうだ。

 

「ぐ……あああっ」

 

 よし、変な声上げちゃったけど立てた。これでトイレに行け……ぐああっ。

 

 声に気づいた由比ヶ浜に、ベッドに押し戻される。ついでにお袋まで戻ってきやがった。

 

「駄目だよヒッキー。寝てなきゃ」

「そうよ八幡、頭の傷は縫ってもらったし、右肩の脱臼は修復しておいたけど、二週間は動いちゃ駄目」

「え、さっきお医者さんは二ヶ月って……」

「あら、そうだったかしら」

 

 我が母ながらいい加減だな。

 

「つーか、トイレはどうすりゃいいんだよ」

 

 ずっと点滴を流し込まれていたのだろう、何も飲み食いしていないのに膀胱だけは弾けそうなくらいになっていた。

 

「あ、あたし、やるっ」

 

 ずざっとしゃがみ込んだ由比ヶ浜がベッドの下から持ち上げたのは……尿瓶。おいおい、何をやる気になってるんだよ。どうせなら勉学に向けろよ、そのやる気。

 つーかそこの実母、笑ってんじゃねぇよ。

 

「あら、じゃあ由比ヶ浜ちゃんに任せちゃおうかしら♪」

「ヒ、ヒッキー、あたし……覚悟、決めたから」

 

 俺抜きで覚悟すんじゃねぇよ。こらこら、深呼吸すんな。手の平に人って書いて飲み込むな。

 いいから車椅子を持ってきてくれよ。

 

「はーい八幡、脱ぎ脱ぎしましょーねぇ」

「いやっ、やめてくださいお願いしますお母さま後生ですから」

 

 この後、由比ヶ浜が渋々押したナースコールに応えた美人なナースさんは車椅子ではなく、新しい尿瓶(しびん)を持ってやってきた。

 八幡、もうお婿に行けないっ。

 

 

 




お読みくださいましてありがとうございます。

のんべんだらりと続けてきた千葉村編もあと3話で終了となります。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。