──我ながら長かった。
久々に帰ってきた比企谷家のリビング。そのソファーの前に置かれたローテーブルの左右には見知った顔が並んでいる。
車椅子を降りた俺は何故かお誕生日席に座らされ、その左にはぴったりと小町が寄り添う。
そのテーブルの長い辺の右側には由比ヶ浜結衣、川崎沙希、龍造寺つむぎ。反対側には平塚先生、戸塚、あとお袋と……え?
「お帰り。八幡」
千葉村で出会った小学生、鶴見留美が座っていた。
「え、なんでルミルミがいんの?」
「キモい。留美でいい」
口唇を尖らせて睨むその目に思わずグッと来て……いやいや、俺はロリコンじゃねぇから。ただのシスコンだからっ。
「留美ちゃんね、ヒッキーが退院するって言ったら是非来たいって、ね?」
いつの間に連絡先交換してたんだ。たまに出来る営業マンみたいなことするよな、由比ヶ浜って。
「怪我……大丈夫?」
「ん? ああ、全然大丈夫だ。むしろ堂々と外出の誘いを断る理由が出来て有り難いまである」
あれ、その前に俺を遊びに誘ってくれる相手なんていなかった。てへ。
泣きたくなっちゃうけど泣かないよ。だって八幡、男の子だもん。
「──八幡、なんかキモい」
おうふ、ルミルミから早くも二発目の
「ま、とにかく君はこうして退院出来た訳だ。今日は大いに食べ、大いに飲み、大いに騒ごう」
いやいや平塚先生。一応まだ怪我人なんで騒ぐのはご勘弁を。
* * *
「はい、お兄ちゃんあーん」
ぱくぱくぱく。
「八幡、あーん」
もぐもぐもぐ。
「お兄ちゃん、あーん」
もぐもぐ……って、どうしてこうなった。
小町とルミルミが代わる代わる俺の口内にスプーンを挿し入れてくる。その後ろでは由比ヶ浜と雪ノ下がじっとりと睨みをきかせ、川崎までも真っ赤な顔で怒りを主張している。
つか怒るなよ。俺の両手を見ろ。
俺の右腕は拘束具で現在絶賛封印中。左腕にも指先以外は包帯が巻かれ、あまり力が入らない状況だ。
畜生、見てろ。この
覚悟しろ、葉山。
……はぁ、
「八幡、あーん」
ルミルミの「あーん」が妄想すら打ち消す。ルミルミ恐るべし。
そういや、ルミルミを助けるってミッションはどうなったんだ。
スプーンを胸元に俯く鶴見留美の様子を見る限り、問題は解決どころか解消すらできなかったようだな。
──悪いな、ルミルミ。結局何も出来なかった。
「ほら、留美ちゃん」
「う、うん……」
由比ヶ浜に何かを促された留美は、胸元のスプーンをきゅっと握って、何かを確かめるように頷いた。
「あの、八幡」
やべえ、怒られるかな。
そりゃまあ、怒っているだろうな。変な梵字仮面に恐い思いをさせられて、それが俺のせいときたら、怒らない方がおかしい。
「ありがとう」
は?
別にお礼を言われるようなことはしてないけど?
留美を連れて逃げたのは三浦だし。
そこで由比ヶ浜の補足が入った。
留美はあの合宿二日目の夜の、俺と梵字仮面の戦いを遠くで見ていたという。ついでに雪ノ下や由比ヶ浜、川崎、戸塚、更には三浦たちまで俺のやられっぷりを見ていたというからびっくりだ。
うわ、恥ずかしい。
そんな大勢の前で俺ってば失神しちゃったのかよ。また黒歴史ゲットしちゃったぜっ。
……泣きたい。
などと脳内で大瀑布の如く涙を流していると、目の前の少女が不満そうに見つめていた。
「……悪い。で、何だっけ」
「だから、ありがとう」
いや、だから何のお礼だよ。
「八幡の戦いを見て、戦うってことが少しだけ分かった。戦うって、あんなに恐いんだね」
ははーん、ルミルミめ。
俺が覆面野郎にぎったんぎったんにされて気絶する様子を見て、戦うことが恐くなっちまったのか。もしかして妙なトラウマを植え付けてしまったのだとしたら非常に申し訳ない。
だが今更取り繕ったところで格好はつかない。ならば正直に語ってやろう。
「──ああ、恐い。超こえぇ」
「でも八幡は逃げなかったよ」
いや、いくら俺がヘタレだからって、さすがにあの状況で知り合いを放ったらかして逃げ出す程の勇気は無い。
それにだ。途中で気を失っちまったから逃げることも出来なかったし。
「戦うってことは、逃げないことなんだね」
「ばーか、逃げたっていいんだよ」
少々痛む左腕を持ち上げ、掌をポンっと留美の頭に軽く乗せる。こら小町、生温かい目を向けるんじゃない。
「でも……八幡は逃げなかった」
あの時、俺一人なら迷わず逃げていた。
一人なら、独りなら可能だった。
だが、俺の前には葉山がいた。三浦がいた。戸部がいた。後ろには雪ノ下がいた。何より、覆面野郎に腕を掴まれた留美の不安そうな顔があった。
──ただそれだけだった。
頭に置かれた俺の左手を拒否する訳でもなく、だからといってそれを喜びはしない留美は、呟いて口を真一文字に結ぶ。
「あの状況で自分だけ逃げるほど俺は鬼畜じゃねぇよ。あの場で何とか出来そうなのは俺だけだったし。だけどな……逃げたっていいってのは本当だ。俺一人だったら一目散に逃げてた」
情けない台詞を吐いて胸を張る俺に、留美は不思議そうな顔を向けてくる。
「つまりだ。逃げは戦略的撤退だ。一旦逃げて、対抗出来る力をつけて……戦うのはそれからでもいいだろ」
「対抗出来る、チカラ」
噛みしめる様に留美は呟く。
「いいか、勝負はな、最終的に勝った奴が勝ちだ」
前漢の始祖劉邦は、何十回も項羽に負け続けて、最後の一戦で勝利した。
徳川家康は、今川から逃げ、武田から逃げ、豊臣から逃げて、最後の最後に天下を取った。
そんな偉人たちと俺のような捻くれぼっちを一緒くたには出来ないことを承知で告げる。
「だから、相手には何度負けたっていい。でも、自分には負けちゃだめだ」
この手の精神論が小学生には難しいのは分かっている。それでも伝えたかった。
「うん……わかった。負けない」
弱く頭を撫でると、少しだけ留美は笑った。
「わたし、空手習うから」
……何でそうなった。
「そうそう、八幡。あんた明日からまた検査入院だからね」
だから何でだよっ。
お読みくださいましてありがとうございます。
幾つかの謎を残しておりますが、今回で千葉村編は終了とさせていただきます。
そして、ここで一旦の区切りを付けたいと思います。
この先の構想はまだ未定です。
時間に余裕があればこの先も書き進めていきたいと思っておりますが、なにぶん時間が……(涙
とりあえず閑話というか番外編を投稿する予定はありますので、よかったら引き続きそちらもよろしくお願いします。