ぼっちの門 〜圓明流異聞〜   作:エコー

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第四話の裏の出来事です。


四ノ裏、訃ノ来訪者

 

 

 千葉近郊に「RWF飛田(ひだ)道場」という総合格闘技のジムがある。

 今、そのジム内は不穏な空気に包まれていた。

 

 招かれざる客が来訪したのは、午後九時を回った辺りである。

 入ってくるなり出迎えた巨軀の男を蹴り倒したその来客は、ずかずかと中央に設置されたリングへと足を踏み入れた。

 リングの真ん中で来訪者が立ち止まると、瞬く間に門下生たちがリングの周りを囲んだ。

 

「てめぇ、よくも神聖なリングに無断で……!」

 

 練習生だろうか、血気に逸る若者が怒鳴り声を上げる。が、来訪者は涼しい目で口を歪ませるだけである。

 別の若い練習生が二人、リングから来訪者を引き摺り降ろしにかかる。

 が、その練習生たちは瞬く間にリングに突っ伏した。

 来訪者が動かしたのは、左足だけだった。その左足が放ったのは二発の足刀の蹴上げ。それが綺麗に練習生たちの頭部を捉えて打ち抜いていた。

 

 ジム内が静まり返る。誰もが金縛りの如く硬直し、目の前で起きた出来事を疑う。

 それほどまでに来訪者の蹴りは速く、しっかりと軌道が見えた者はジム内に集う十数人の中で一人か二人。その二人すら眼前の光景を信じられないでいる。

 その他大勢に属する若手たちは、疑問を抱くことすら出来ないでいる。理解不能なのだ。

 理解出来ない状況は恐怖を生む。その負の感情が瞬く間に伝播してしまった。

 みしり、と板張りの床を踏み締める音だけが響いた。

 

 望まない静寂を破ったのは、奥の扉が開く音だった。

 それだけで場の空気は一変する。

 

「どちら様、ですか」

 

 奥の扉から出てきた長身の老紳士が問い掛ける。このジムのオーナーだ。

 

「此処で一番強いのは、誰だ」

 

 不遜。

 来訪者は老紳士の言葉に耳を貸すことなく、一方的に周囲を見渡す。と同時に、ジムのオーナーという後ろ盾を得た練習生たちから怒号が飛んだ。

 四方八方から浴びせられる怒号に怯むどころか、男は何も聞こえていない様な顔をして眼下の男たちの群れを見回す。

 不意に男の視線が止まった。

 

「あんた、強いだろ」

 

 男の視線が射抜く先には、頭一つ抜けた身長を持つ男。遅れて練習生たちの視線がその大柄な男に向けられ、再び複数の怒鳴り声が上がる。

 

「てめぇ、竹松さんになんて口を利きやがるっ」

「殺されテェのかよ」

 

 竹松小市(たけまつこいち)

 知る人ぞ知る、総合格闘技界の新進気鋭である。197センチの高身長ながら体重は82キロと軽く、まだ二十代ながら堅実な格闘スタイルから"職人"と評され、その体格からは"巨神兵"とも揶揄される、飛田道場きっての有望株である。

 

 ジムの壁際に置かれた長椅子にどかっと腰を下ろした老紳士──飛田高明は、その様子をじっと見つめている。

 ふと、彼の脳裏にある懐かしい光景が思い出される。

 

「──陸奥、いや、違うな」

 

 彼──飛田高明が知る"陸奥"とは、陸奥九十九である。

 飛田と陸奥九十九は、二十五年前の全日本異種格闘技選手権で死闘を繰り広げた仲である。

 巧みな関節技と驚異的な打たれ強さを武器に飛田が陸奥九十九を追い詰めるも、最後は圓明流の奥義「龍破」により敗退した。

 

 今リング上に立つ男からは、その陸奥と同じ匂いがするのだ。

 だが、九十九に男児があるとは聞いてはいない。

 

「思い過ごし、か」

 

 だとすれば、一体目の前の男は誰なのか。

 いきがった輩や街の喧嘩屋ならば、歯牙にもかける価値は無い。だがリング上で薄ら笑う来訪者は、決してその類の連中とは違う。

 故に飛田高明は興味を持った。

 

「竹松、スパーリングしてやれ」

 

 師匠である飛田の言葉に口角を上げて応える竹松は、職人という二つ名を持ちながら実は非常に好戦的な性質である。

 売られた喧嘩はひとつ残らず買ってきたし、何なら相手から喧嘩を売るように仕向けてきた男だ。

 このジムに入門したのも、飛田に喧嘩を売らせる為に訪れたのが切っ掛けであった。

 

「──師匠のお許しが出た。やってやろう」

 

 のっそりとリングに上がると、竹松の目の前に立つ来訪者の体格が判る。明らかに竹松の方が頭一つ以上高い。

 格闘において高さは一つの武器になる。どんなパンチも打ちおろす攻撃となるし、相手の拳は打ち上げる形となり、ともすれば顔面まで拳は届かない。

 

「なんだ、思ったより小兵だな」

 

 竹松に不安が生じる。

 この体格差でまともにやり合ったら、この小柄な男は死んでしまうのではないか。実際竹松にはそれだけの技と力が備わっている。

 戦車とスクーター。そこまで極端ではないにしろ、その差は歴然。

 

「手加減は苦手なんだよなぁ」

 

 ごちる竹松に、来訪者はいやらしい笑みを放つ。

 

「……気が合うらしい。オレも手加減は苦手だ」

 

 ひくん、と竹松の眉が上がる。

 ああ、こいつは強さを知らない。世間も知らない。ただのガキだ。

 ならば、少しでも性根を叩き直してやるのが先達の役目。

 建前を頭の中で反芻しながらも竹松の放つ雰囲気は既に平常ではない。

 これから為されるのは、一方的な蹂躙。いわば獅子が兎を狩る様なもの。

 竹松だけでなく、練習生たちも一様にそう思っていた。

 

「こい、教育を施してやる」

 

 教育という薄布に隠されて、狩りは始まった。

 

  * * *

 

 終わってみれば、あっという間だった。

 初撃、竹松が打ちおろす右ストレートを躱した男は、その右肩に軽く拳をつけて距離をとる。ダメージは無い。柔らかく触っただけである。

 だが、それが竹松を混乱させた。

 何故思い切り打たない。千載一遇のチャンスだったかも知れないのに。

 だがそこは竹松も実戦経験を積んだ者だ。即座に理解した。

 ──舐められている。

 明らかに来訪者の動きは竹松の目には追えなかった。

 何が起こったか分からないが、舐められている自覚だけを持った竹松は──真顔になった。

 こいつは速い。手を抜いて何とか出来る相手ではない。

 即座に思考を切り替えた竹松は、気を取り直して距離を詰め、右のローキックで男の足を止めにいく。

 相手の足を止め、関節技に持ち込む。竹松の必勝パターンだ。

 ノーモーションから放たれた右足は、的確に来訪者の膝を捉える。

 

「……ぐぅっ」

 

 ガジンッと打撃音が響いた後に蹲ったのは──竹松だった。

 男は微動だにしていない。ただ蹴られただけである。なのにダメージを受けたのは竹松の方だった。

 (すね)を抱えてしゃがみ込む竹松が来訪者を見上げる。

 

「てめぇ、鉄かなんか仕込んでやがるな……」

「ほう、何故そう思う」

 

 竹松の蹴り足に残るダメージは金属を蹴ったのと似ていた。実際、竹松の脛には骨を砕かれたような鈍く熱い痛みが残っている。

 冷静さを欠いていた竹松にはわかるまい。来訪者は、蹴られる瞬間に膝頭を向けて迎え撃った。

 種を明かせばそれだけのことなのだが、それを見抜けたのは遥か後方から静観する飛田高明だけだった。

 

 竹松と小柄な来客の立場は、逆転していた。そしてその状況に我慢出来る竹松ではない。

 右足を引き摺りながら立ち、不意をついて男の奥襟を掴む。そのまま力任せに引っこ抜いてマットに叩き付ける……つもりだった。

 だが、実際には男の襟を掴んだ右手はあっさりと切られた。

 男はその伸び切った右腕に飛び付く。十字固めの態勢だ。

 

「──いかん、逃げろ!」

 

 叫んだのは最後列、壁際の長椅子から立ち上がった飛田高明。

 飛田の脳裏には陸奥がいた。

 あれがただの十字固めならば、竹松のパワーで逃れることも出来るだろう。

 だがそうでなかった場合。

 最悪、竹松の右腕は折られる。

 しかし──すでに技は決まりつつあった。

 股に竹松の腕を挟む様にしがみついた男は、まず振り上げた右の踵を金的に向けて打ちおろす。

 

「あぎゃああっ」

 

 男性にとって最大の急所を蹴られた竹松は苦痛に顔を歪める。その顎には残る左足の踵が飛来。

 瞬間……がこり、と鈍い音がした。

 竹松はそのまま仰向けに倒れ、立ち上がることは無かった。

 

  * * *

 

飛燕十字蔓(ひえんじゅうじかずら)──お前、陸奥か」

 

 飛田の問い掛けに、男はにやりと嗤って去って行った。

 気を失っている竹松は、下顎が砕かれ、右肘を脱臼していた。

 

 

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