キャロラインとフレデリカがキャゼルヌ宅を後にする。
「オルタンス夫人、今度はアップルタルトを持ってきますわ。お子さんのためにシナモン抜きで」
「それは楽しみ、菓子作りのレパートリーではキャロラインさんのレパートリーに負けます」
まだキャゼルヌ宅に残っていたヤンがアッテンボローに言っている。
「やれやれ、今日はできる限りのことをやった。キャロライン・フォーク准将も分かってくれたかは知らないが、第九艦隊で頑張ってくれるのは確かだ。結果も良くなればいいんだが」
「先輩、気苦労が多くて大変ですね」
「おっ、やっとわかってきたじゃないか。遅かったなアッテンボロー。では、ブランデーで飲み直しの二次会といくか」
「どうせキャゼルヌ先輩の持ってるブランデーなんでしょうよ」
そんな会話をしながら、アッテンボローはもうちょっとキャロラインといたかったな、と思う。
間近で見ていた亜麻色のボリュームのある髪を思い出す。
フレデリカ大尉もかわいい。しかし、キャロラインのすっきりした顔が髪に合ってきれいではないか。自分にはとても魅力的だ。
その日、事件は密かに起きた。
自由惑星同盟最高評議会議長ロイヤル・サンフォードに同盟軍の作戦行動の案が入った封筒が届けられた。
通常ではそんな軍の作戦など直接議長がもらうことはない。
それ以前に手渡しでないということも考えられない。
いぶかしく思ったがサンフォードは一応その中身を見た。その作戦案の作出者のところには、アンドリュー・フォーク准将という名前があった。
サンフォードには聞き覚えがない名だ。
作戦内容を見ても詳しいことは分からないが、何やら派手に帝国に攻め入ることだけは分かった。
ここで考えることは一つ。それは軍の犠牲でも市民の安全でもない。ましてや同盟の将来などでもない。自分の票になるか、ならないか。それだけがサンフォードの価値基準なのだから。
これは、票になる!
古今東西、外征こそ政治家の支持率アップに最適だ。しかも派手なほどいい。
さっそく他の最高評議会議員に根回しを始める。おそらく他の議員にも手応えがあるはずだ。誰しも得票と自分の議員席が大事に決まっている。
やがて同盟軍内にアンドリュー・フォークの横紙破りの噂が立った。上司を無視していきなりトップに自分の作戦案を見せびらかしたというような。事実ならばそんな売名行為は大問題だ。
しかしアンドリュー本人が何も身に覚えがなく、当然聞き流していた。
だが周りのアンドリューを見る目はもとよりあまり良いものではなかったが、いっそう疑いを持って見るようになった。
なぜそんな馬鹿な噂が?
アンドリュー・フォークが思うには、自分のような一介の准将、同盟軍ではもっと上の階級の人間は何十人となくいる。百人近いかもしれない。
そんな准将程度の者が、同盟の最高評議会議長に直談判?
馬鹿げている。誰がどう考えてもあり得ない。
それを真実と思うような人間とはどうせ話もできず、納得させられるとも思えない以上放置するしかない。正式に査問がくればその場で反論すればいい。
ところが噂は勝手に盛り上がり、尾ひれが付き、ついにアンドリュー・フォークの個人攻撃にまで至る。
アンドリュー・フォークは英雄ヤン・ウェンリーに嫉妬している。
階級まで追い抜かれて焦っている。見返すために何でもするつもりだ、と。
噂にはもっと悪いものもある。
妹にまで階級を追いつかれ、実はねたんでいる。見かけ仲が良いように見えるが内心は穏やかでない。足を引っ張りたくて仕方がない、という。
正に心外だ。そんな、ヤン・ウェンリー中将に嫉妬だとは! アンドリューにとってヤンはエル・ファシルの英雄の頃より尊敬してやまない先輩だ。
キャロラインとの話はもはや笑うしかない。いかにも世間でありそうな話ではある。だが、自分たちに限って当てはまらず、どうやったってそうなりっこない。
そのうちアンドリューは艦隊用物資の大規模な発注があることを知った。
これは近々作戦行動が存在すると解釈するしかない。自分に関する根も葉もない噂などどうでもいいが、物資が動いているのは事実であり、どういうことなのか確かめなければならない。
アンドリュー・フォークはロボス元帥府での定例会議の後、少しばかりロボス元帥に時間をとってもらった。
「元帥閣下、かねてより帝国への出兵の噂があります。その噂では小官が最高評議会議長に直接出兵案をねじ込んだとか。そんな荒唐無稽な噂でも、小官が悪く言われるのは構いませんが、同盟軍の士気にかかわると思われます。調査してよろしいでしょうか。それと実際に物資の購入があるようです。これの規模や目的も小官に教えて頂ければありがたいのですが」
「おお、フォーク准将、実はこちらも君に話があった。もし帝国へ出兵するとしたら君は反対かね」
「いいえ、小官は出兵自体には反対ではありません。せっかくイゼルローンが通行可能になったのです。機をうかがって侵攻すべきだと思っています。この長く続く戦争に終止符を打つために」
いったいロボス元帥は何を言いたいのだろう。
質問に対して答えはなく、基本的な考えの確認を返してきた。それには普段からの考えを述べたが、侵攻の時期も規模も含めていない。
「ではフォーク准将、出兵を確定するのに最善の方法は何かね」
「……元帥閣下、意味が分かりかねますが…… 軍事作戦をするならば、それに必要な正式の手続きは決まっています。民主主義国家においては、先ず市民の代表たる評議会が対外軍事活動を発案、軍部にてその具体案を検討、もう一度評議会にて討議の上、採決点……」
あっ これは、なんということだ!
喋りながら頭のいいアンドリュー・フォークには全体像が見えてきた。
横紙破りの出兵案提出は現実にあったのだ! 最高評議会議長へ向けて。
噂だけではなかった。
それが動き出し、物資の発注へとつながっていた。
そしてそのことをロボス元帥は知っている。というより質問からしてたぶんロボス元帥が首謀者だ。
しばらく黙っていたが、やっとアンドリュー・フォークは声を出した。
「それで、小官の名前が出たのも、そういうことですか」
「そういうことになるな。これも全て出兵を可能にするため。同盟のためだ。わかってくれるだろうね。准将」
そういうことだったとは。
正規の手順ならば、最初に同盟政府が軍を起こすかどうか、そして起こすとしたら大まかな目的を決める。次に同盟統合作戦本部で可能か検討し、規模や戦費を含めた案にまとめつつ、軍内の意見を一本化する。そして政府に具体案を提出、それを更に評議会にかけるものだ。
もちろん戦いというのは相手あってのこと、侵攻された場合の迎撃なら悠長なことはできない。だが最低限軍内の意見を統一して案を作るのが原則だ。
それではたとえロボス元帥が出兵を考えたとしても何もできない。
軍内で検討する段階において大きな障害がある。統合作戦本部にはロボス元帥にとって政敵ともいうべきシトレ元帥がいるのだし、クブルスリー大将やグリーンヒル大将といった比較的中立に近い者たちもどう転ぶかわからない。
それならば直接最高評議会議長に案を持って行った方が確実だ!
政府が出兵を最初から決議し、出動を命じれば同盟軍としては否とは言えなくなる。
しかし、その正規ではない案の提出者の名前をまさかロボス元帥本人にするわけにはいかない。あるいは側近のドーソン大将やルフェーブル中将などにするのもまずい。
出兵案が通る通らないに関わらず反発を受けるのは必至、しかも仮に通らなかったらいい笑い者になる。
それでアンドリュー・フォークの名前が使われたのだ。
ロボス派の中でも末席であり、汚名を受ければ切り捨てても構わない、そういう者を。
しかし、アンドリュー・フォークは勝手に名前を使われたと知っても、騒ぎ立てることはない。しがらみが多過ぎる。
それは正にロボス元帥にとって思うつぼとも言うべき都合のいい反応だ。
予定通りだといえる。そのためにロボス元帥はアンドリュー・フォークをこれまで飼いならしてきた。若者の扱いなど手慣れたものだ。ちょこちょこ声をかけて関心を示してやり、褒めてやればいい。意見を聞いたふりをして大げさに驚いてやればイチコロだ。その上で出世させれば勝手に忠誠心が育つ。
純粋で真っすぐな若者を手懐けるのは造作もない。
この若者もいい捨て駒に育ったものだ。
アンドリュー・フォークはロボス元帥の悪辣な意図を見透かした。もちろん気分のいいものではないが、自制心により激発はしない。
そして考えたが、経過が何であれ出兵案が通ればいいではないか。
もちろんアンドリューが考えるには拙速に過ぎる出兵である。
同盟軍はティアマト会戦、アスターテ会戦で受けた損失をまだ消化しきれていない。同盟軍全十三個艦隊とはいっても、中身はそれに伴っていない。
第十三艦隊はやっと正規艦隊にしたものの、中身は寄せ集めと新兵だ。
第十一艦隊は司令官にルグランジュ中将が当てられたばかり。ティアマトで一度壊滅した艦隊なのだ。立て直すのは難しい。
それはアスターテで叩かれた第四艦隊、第六艦隊も同じようなものだ。
だからアンドリュー・フォークはこれらの艦隊の充実を待つと同時に、イゼルローン失陥後の帝国の情勢を見極めるべきだと思っていた。そして謀略と欺瞞を仕掛け帝国を更に混乱させ、弱点を叩く。最終的には一気にオーディン攻略、というような。
それまでは力を蓄える。幸いにして帝国からの侵攻がなくなれば、イゼルローン回廊近辺の入植が進み、同盟の生産力増強に寄与するだろう。避難したり戻ったりを繰り返すエル・ファシルのような不安定さでは、せっかく条件のいい惑星でも充分に入植できない。
しかしながら帝国領への出兵自体について自分も賛成なのはその通りなのだ。
今回イゼルローンを取ったことで防衛が容易になり、同盟が安住してしまうことの方がよほど気がかりだ。
帝国領への興味関心そのものを失ってしまえばどうなるか。
自分たちが安全になったからといって戦いを放棄したら、帝国側に住んでいる民衆はどうなるのだ。
帝国には同盟の二倍以上の民衆がいる。
それらの人々は相変わらず帝室や貴族の搾取の下にある。民主主義など知らされることもなく、想像もできないまま、生まれてそして死んでいく。
それらの民衆を見捨てるのか。
自由惑星同盟は自分たちのことばかりで、帝国の民衆はどうなってもいいと言うのか。
それは責任放棄というべきだ。
もっと懸念が考えられる。
人命重視という美名のもとに、帝国から政略的な休戦を持ちかけられたら飛びつくかもしれない。
しかし、帝国がそんな欺瞞の休戦を守るはずがない。
民主主義は帝国にとっても赦すべからざる思想的癌細胞なのだ。それを認めることは帝政にとって致命傷になる。
いずれは再戦になる。帝国と同盟は思想的に絶対の敵同士だからだ。
今、この時代に生きている者は、勝機をみすみす逃した言い訳をこの先何世代にもわたって言い続けるのか。帝国の人口と生産力は同盟をいずれ圧し潰すに充分と分かっているのに。
この一点においてアンドリュー・フォークとヤン・ウェンリーは決定的に違っている。
それは同盟の民主主義を純粋に信じるか、懐疑的に見るかの差といえる。
アンドリュー・フォークは、今帝国と戦う方がまだベターなのではないかと考え、決断する。
自由惑星同盟のためだ。あえて汚名も着よう。
信じる民主主義のため、犠牲にもなろう。
全ての人が非難しようとも。
汚名を着るのは死ぬよりも辛いこと、しかし理想のために殉じるのだ。何をためらうことがある。
いや、全ての人が敵ではない!
妹キャロラインだけは信じていてくれる。どんなことになっても。
それを疑うべきことなど何もなく、確信がある。
話をして、理屈を語って、それで作られるのはただの納得というものだ。そんなのは信じることとは全く意味が違う。
信じるということは、なんの言葉も説明も根拠も必要がない。
だがそれでも心が決まって揺るがないことをいうのだ。
妹は、その深い意味において自分の全てを信じてくれるだろう。
自分にはたった一人でも味方が残っているのだ。
ちょうど同じ時刻、キャロラインの方も同盟軍に流れている噂を聞いた。
兄アンドリューが嫉妬と野望に狂って考えられない逸脱をしているという。噂というのはたいていひどいものだが、しかしこれほど事実と違っているものは他にないだろう。
兄さんは、そんな同盟軍の手続きを破ることなどするはずがない。
ない。絶対にないことだ!
たとえその場を自分の目で見たとしても、それが何だというのか。
もしもそんなものが見えたとしたら、私の目が狂っているのだ。
そんな目は必要ない。
一生光を見なくとも構わない。濃い青の瞳をえぐりとって捨ててやる。