第三十話 宇宙暦796年十一月 疑惑
自由惑星同盟ではアムリッツァ会戦のあまりの損害の大きさに驚愕、悲嘆、慟哭した。艦艇や物資もさることながら、失われた人の命は取り返しがつかない。膨大な未帰還兵士、それ以上の数の家族、妻、恋人は涙するしかない。
帝国領侵攻が途中まで上手くいき、帝国を民主主義で塗り替えていく姿は何だったのか。その怒涛のような歴史的進撃は何だったのか。それに参画する栄誉など霞のように消え去り、後には哀しみだけが残された。
同盟為政者にとって、我欲の結末ではあるがもちろん最悪の結果だ。
歯噛みをするが、浅慮の当然の報いだった。選挙に利するどころか当てが外れたロイヤル・サンフォード以下多数の最高評議会議員が引責辞任せざるを得なくなり、逆に出兵に反対したホアン・ルイやヨブ・トリューニヒトの見識が祭り上げられた。
結果、ヨブ・トリューニヒトが暫定で評議会議長になる。
軍部でもロボス元帥、シトレ元帥の両方が引退を余儀なくされた。
どちらも第一線を去る。
帝国領侵攻に何も関与していないシトレ元帥までそうなるのは道理に合わないが、そうも言っていられないほど損害が巨大であり、軍部に対する非難は激しく、総入れ替えしかなかった。おまけにシトレ元帥自身がそう望んだのもある。
シトレ元帥は同盟軍士官学校の特別講師職を要請され、それを受け、一教官になる。
ロボス元帥は長々と弁明したが否応なく辞任させられ、雌伏することになる。
当事者の一人である参謀長グリーンヒル大将もまた責任を取り、査察部長という大将の地位にはふさわしくない閑職に異動することになった。これは事実上の左遷である。
他の将は作戦中の行動を振り返って功賞が行われた。
ごく稀に帝国領惑星での悪行動から処罰されるものもいないことはなかった。しかし、多くは昇進だ。生き残った者の特権といえばそうだが、複雑なものである。
そして敗戦とはいえ、いや敗戦だからこそ英雄が必要とされる。
功が大きいものはアムリッツァの英雄と称された。
その筆頭はヤン・ウェンリーとキャロライン・フォークである。
ヤンは全艦隊でも最小限の犠牲で済ませていたのだ。ヤンの同盟第十三艦隊の帰還率は8割を優に上回る。また、戦いを避けた結果ではなく、それどころか撤退戦の殿の働きは見事だった。
キャロラインは全般を通して恐るべき戦術を幾度も見せつけた。キャロラインに導かれた第九艦隊は勝利を続け、帝国軍に打撃を与えている。
その異才を目にした多数の者は、彼女がアムリッツァの英雄と言われるのを当然だと思う。
同時に彼女のブラコンというのを代名詞、いや愛称のようにして使うようになった。そのため同盟内のブラコン子女たちは堂々とブラコンを名乗れることにもなったのである。
ヤン・ウェンリーは大将、キャロラインは少将にそれぞれ昇進することになった。
尚、キャロラインには悔しいことだが、一日違いで先にアッテンボローも少将に昇進している。わずか一日の先任だ。
勤務場所としてキャロラインに異動はなく、引き続き第九艦隊の参謀として残る。
アッテンボローは本人の希望通り第十艦隊からヤンの第十三艦隊に異動になっている。
しかし、これらのことはキャロラインにはどうでもいいことかもしれない。昇進も異動も、いや、自分についての全てのことを。
兄のことを考えたら。
兄アンドリューはもちろん全ての人の非難をまともに浴びた。
大損害に終わった軍事行動の司令部参謀なのだ。
いや、単に参謀だっただけの話ではなく、この軍事行動の発端、首謀者としてやり玉に挙げられている。
それも当然のことだ。
この戦いの顛末を綴ったドキュメンタリーが連日放映されている。
アンドリュー・フォークの横紙破りの上奏から始まった顛末が。
無駄な戦闘、無謀な作戦、無意味な命令、ひどい戦いの一部始終が検証されている。
アンドリュー・フォークは犯罪者扱いだ。
いや、並みの犯罪者の方がマシだ。
功名心からの焦り、同僚への嫉妬、才能の過信、自我の肥大、あらゆるマイナス面の言葉が投げつけられた。
同盟兵士の一千万人を殺した犯人として。
同盟軍部内でも、妹キャロラインの活躍はそれらの非難を減らすのに1%しか役に立たなかった。仮にアンドリュー・フォークが戦死していたのなら非難も和らいでいたかもしれないが、生きて帰ってきたことが尚更許されないのだ。
軍内から擁護する声など一つも上がらなかった。
先の物資補給のことから各艦隊はアンドリュー・フォークに決していい感情を持っていない。いやむしろ、小気味いいと思っている人間が圧倒的に多い。最前線には出ず、補給物資を意のままに動かし、担当者である権勢をいいことにえこひいきで苦しめたアンドリュー・フォークなど、なぜ擁護する必要がある?
キャロラインはもちろん抗議したかった。兄は正当なことをしただけだと。
だがもしも兄の言葉が聞けたなら、そんなことはしなくていいと言われたろう。話ができたとしたら。
それには確信がある。
兄は同盟の将来を案じているのであって、自分の汚名は甘んじて受けても構わない、そういう人だからだ。その高潔さと私心のなさなど分かり切っている。
そんな報道は嘘だよ。
でもほっとけばいい、キャロルはわかってるだろう?
戦死者の遺族は感情をぶつける相手が欲しい。せめてそれに役立ってあげよう。それくらいは参謀になっていたものの取るべき責務だ
たぶんそう言ってくれただろう。兄はそれほどまで心正しい人なのだ。
しかし、兄アンドリューが妹の出世を妬み、という記事を見た時にはさすがに怒りで自分が抑えられなかった。
コップや皿、型枠や計量器などの料理道具を叩きつけた。割れる物は全て割った。
後のことを考えてキッチンのシンクの中に。そこまでが最低限の理性だったのである。
そしてテレビ報道の中で解せないことがある。
それは、最後の撤退戦の談話だ。
ロボス元帥が同盟軍の犠牲を減らすため、冷静な判断で撤退を決めたのにも関わらず、作戦失敗を認められないアンドリュー・フォークが執拗に反対を言い立てたという話だ。アンドリュー・フォークは自分の栄光のため、前線兵士の犠牲を顧みずあくまで戦闘継続を言いつのり、そのために撤退命令が遅れてしまったという。
そんなことはあるはずもなく、嘘だと断言できる。
気になるのはそこではない。
自分の主張ばかりして周りの声に耳を貸さないアンドリュー・フォークはついに発作を起こして倒れたというのだ!
その病名は解離性ヒステリー。
耳慣れない言葉だ。
兄が病気? 話の内容はさておきこれがキャロラインには全く解せない。兄は体力はともかく、何かの病気をするような人ではない。健康だ。健康でなければ、士官学校を首席で卒業などできるはずがないではないか。
どういう病気かはわからないが、今までそんな発作など起こしたことはない。
間違いない。
妹の私がそう言うのだ。何かがおかしい。
アンドリュー・フォークは司令部の艦内で言い争う最中に病気の発作を起こし、すぐに拘禁され、同盟軍の帰還後は艦を降ろされ、そのままハイネセンポリスの軍病院に入院になったと発表されている。
もちろんキャロラインはすぐに軍病院へ向かおうとした。
しかしハイネセンで片付ける仕事が多く、またその直後に帰還将兵の慰労式があった。その次には昇任式も控えている。
じれったい思いで式が終わるのを待った。
終わるや否や、無人タクシーに乗ろうとしたが、なかなか捕まらない。
二十分待っても無駄だった。
しかし諦めるわけにいかない。なんとしても早く病院に行くのだ。
その時、後ろから声をかけられた。
「キャロル?」
「え、フレデリカ、どうしたの」
「どうしたのって、あなたこそどうしたの」
そうだった。昇任式なら当然フレデリカもいるはずだ。
彼女は少佐に昇任したのだから。
兄のことで頭がいっぱいで、頭から消えていたのだ。だからあえて探すこともなかったのだが、逆に声をかけられた。
「フレデリカ、軍病院に行きたいんだけど、車が捉まらなくて」
ここは素直に事情を説明した。それしか頭にない。
「そうなの? だったら車があるわよ。」
フレデリカが違う方を向いて少し大きな声を出した。
「提督! 少しお時間取らせてもらってよろしいですか?」
フレデリカの視線の先には、何とヤン・ウェンリーとダスティー・アッテンボローがいた!
そしてヤン・ウェンリーはフレデリカから話を聞いて、すぐに軍病院行きを申し出てくれた。
アッテンボローは目が踊っていたが、もちろん拒否のそれではない。
本当ならキャロラインは慌てて申し出を断っただろう。迷惑になり、とんでもないことだと。でも今だけは好意に甘えさせてもらいたかった。とにかく軍病院へ行きたいのだ。早く。
「ヤン提督、すみません。お願いします」
艦隊司令官用の公用車に四人が乗りこみ、素早く車を出す。
その様子を遠くからラザール・ロボス退役元帥が見ていたのには誰も気がつかなかった。
ハイネセン軍病院の前に着くと、キャロラインは何度もヤンにお礼を言って降りようとした。
「いや、一緒に行こう」
意外にもそうヤンが言ってきた。え、どういうこと?
キャロラインが戸惑ううちに、さっさとヤンも車から降りる。それにつられて不思議そうにフレデリカもアッテンボローも降りてくる。四人全員がそろった。
それとなくヤンの顔を見ると、ヤンは送っていくついでに、あるいはお見舞い、などという軽い表情ではなかった。
それは否をいわせない硬い表情で、それも不思議だ。
ヤンの方はといえばキャロラインと似て非なることを考えていた。
アンドリュー・フォークが病気だとは、確かにおかしい。
それ以上に発作を起こしたという顛末で、アンドリュー・フォークが戦闘継続を無理に主張し続けた。これが解せない。
アンドリュー・フォークは確かに帝国軍侵攻に賛成、それはあの将官会議で明らかだ。
しかし、決して暗愚な人物には見えなかった。それどころか相当優秀な部類に入る。キャロラインの話を半分にしても充分に英才だ。
帝国領侵攻の作戦内容はアンドリュー・フォークの語ったところとまるで違ってしまった。そしてアムリッツァのあの状況から撤退以外のことを考えるはずがない。少しでも頭があれば。栄達しか考えないロボス元帥ならともかく。
伝わっているあの談話はまるで逆に思えるが、どういうことだろう。
ひっかかるものがある。何かが決定的に違う。
これは真相を確かめなければならない。