これでやっと公務の全てを済ませた後、同盟の一行はオーディンを出立した。
帝国と同盟の捕虜交換の約束は成った。後は実務のみとなる。
イゼルローンへの帰路は気楽なものだ。
もう予習もダンスの練習も必要なく、暇がある。
アッテンボローはキャロラインをせっついてまたケーキを作らせていた。
それに嫌々応じ、少し工程は複雑になるが、キャロラインはスフレを作り上げた。小麦粉を温めながら練るのが難しい菓子だ。下手にすると卵が先に熱で固まってしまう。逆に温度が低いとバターと混ざらず粉っぽくなる。しかし、うまくいけば口当たりの滑らかさではスフレが一番だ。
出来上がりを、アッテンボローと共においしく食べたフレデリカが言う。
「キャロル、戦艦で作れるお菓子っていう本が出せるわよ」
もちろん冗談で、そんな本に需要があるはずはない。
世の中にあるのは、誰でも作れるお菓子、とかいうタイトルのものだ。でもそのタイトルのものが一番難しいのではないだろうか。
キャロラインは目の前のフレデリカを見て失礼だがそう思う。
奇しくも、横にいたドワイト・グリーンヒル大将も全く同じことを考えていた。
いよいよ旅路も終わり近く、あと一日でイゼルローンに着きそれぞれの職場に別れるという頃になった。
そんな時、集会をしたいとアッテンボローが各人に声をかける。
もちろんアッテンボローが集めたいわけではなく、ヤンのメッセンジャーである。
それでヤンをよく知っている人は皆集まってきた。
後でボロディン中将、クブルスリー本部長まで加わり、結局全員になる。
しかしヤンは何のために呼んだのだろう。
「あと一日で皆元の職場に帰る。そこで今考えていることを話しておきたいんだ」
皆にそう話し出した。
いつもの軽口の前置きもなく、ヤンらしくない。その深刻さはいったい何だろう。
「なぜ帝国がこの時期に捕虜交換を言い出したか考えてみた。聞いてみてくれないだろうか」
それはヤンの洞察力による驚くべき考察だった!
ヤンはそれを共有したくて集まるように呼び掛けたのだ。
「それにはいくつか考えられる。本当に新皇帝の恩赦のついでなのか。帝国軍に人員が足らないのか。あるいは、捕虜になっている重要人物をどうしても取り返したいのか。普通にはこう考える」
皆は口を挟まず、ヤンは続けて話す。
「しかし、今回はどれにも当てはまらないように思える。帝国は今、新しい人事と新しい体制で事を運んでいるし、事実これまで以上にうまくいっている。つまり、捕虜交換は帝国にメリットがあるからいいだしたのではない」
「確かに、情報部の話では捕虜の中に帝国にとって重要な人物はいないということだった。こちらも捕虜を返す以上精査させている」
ここでグリーンヒル大将が一言補足した。
それはヤンも知り得ない同盟軍最上層部の機密だ。そしてそれはヤンの話を裏打ちするものだった。
「そうなのでしょう。では捕虜交換を帝国が言い出したのは、同盟の方の事情によるものでしょう。といっても帝国から言いだしてきたからには同盟にとってメリットではなく、もちろんその逆です。とすると消去法で考えられるのは、同盟に返す捕虜を使って何かをするとしか思えない」
「何かって、何ですか? 先輩」
「アッテンボロー、それが何かは分からない。ただしこれほど大掛かりな捕虜交換式を行うほどだから、単なるテロではない。なぜなら単純なテロではそうたいしたダメージにはならない。地下組織、麻薬、ということも考えられなくはないが…… いやしかし、一番可能性が高いのは思想面だと考えたい」
「思想って、民主主義から帝国主義にってことですか? それを広める工作を? まさかあり得ませんよ!」
アッテンボローがそう言って驚く。そこまでヤンに事前に知らされていなかったのだろう。
「いやいやアッテンボロー、それは極端だ。無理過ぎる。ただし人間は自分が正しいと思っている方が無茶をやらかす。むしろ同盟を良くすると思って行動する方が危ない。そして思想と言えばいろいろあるだろうが、この場合軍人の捕虜を返すということを忘れちゃいけない」
「軍人らしい、思想……」
「軍人が自分の理想を思い描くんだ。軍事政権思想が最も怪しい。というよりそれしかない。その軍事政権を作るのは、もちろんクーデターだ」
ヤンは結局これを言いたかったのか!
一同はもちろん驚く。
「なんと、クーデターとは! 捕虜の中に帝国に操られるものがいて、クーデターを引き起こす可能性が」
ボロディンが結論だけをまとめて言って唸る。
「もしそうだとして、未然に防ぐにはどうすればよいのか」
このボロディンの問いに対し、ヤンにしても妙案はなく答えられない。
大体にしてどの捕虜が帝国にそう吹き込まれるかはわからないからだ。
まさか返ってくる二百万人全員を疑って監視するわけにもいかない。隔離もできない。捕虜の家族は、帰ってくるのを一日千秋の思いで待っているのだから。怪しいからといって家族の元に帰さなければそれこそ民主国家の本末転倒だ。
「せめてもの対策としては発生する隙を作らないことが一つ。むやみにハイネセンを空にしたり逆に集まり過ぎないように。クーデターの計画が綿密なら注意していても発生は防げないかもしれないが、燃え広がらない準備はだけはできる」
ヤンは考えられる次善の策を語る。
「クーデター勢力に力を与えないこと。またクーデターに組する艦隊とやむを得ず戦うことになったら速やかに打ち破ることが必要だ。騒乱が広がって同士討ちをすることがおそらく帝国の一番願うところだ。当然だが軍事政権で同盟が強化されるためじゃない。軍事政権で民主国家じゃなくなれば同盟といえない、という議論は置いておくとしても。そして最後に、せめてここにいる皆はクーデターが帝国の謀略であることを理解しておくのが必要、これを言いたい」
最後にまたアッテンボローが確認する。
「では同士討ちで同盟を弱らせるために帝国はわざわざ捕虜交換なんて謀略を。そんな大掛かりなことをする目的は、まさか……」
「そう、アッテンボロー。帝国が新体制になったこの時期に同盟の弱体化を図るということ、目的は一つしかない」
ヤンは考察の結果として導かれる恐ろしい未来図を示す。
「それはすなわち帝国が侵攻を決めているからだ。あの軍務尚書、ローエングラム公が」
全員が息を飲んだ。
この一行がそれぞれ元の職場に帰ったころ、ようやく現在同盟にいる帝国軍捕虜がきちんと輸送艦に揃った。
総数二百万人に近いのだ。使う輸送艦もまた五千隻という大掛かりなものが用意された。
同盟にいる帝国軍捕虜を乗せて、イゼルローン要塞からやや離れたところに待機する。
もちろんトゥールハンマーの射程外だ。
そこに回廊帝国側方面から、帝国に捕まっていた同盟軍捕虜を乗せた輸送艦の一団がやってきた。
ようやく捕虜交換の準備が整う。
そこからは延々と単調な作業が続く。提示されたリストと照らし合わせて綿密な人物確認をするのだ。それは替え玉を防ぐのにどうしても必要な作業である。
同時に肉体的精神的にもチェックするのは、精神障害や洗脳がないかどうか見るためである。
こうしたチェックを当然帝国、同盟側のどちらも行う。
人数が多いので二日という時間を要してようやく終わり、ここに捕虜交換の一切は終了する。
ここで帝国輸送艦はイゼルローン回廊から帰っていった。
一方の同盟の帰還捕虜は皆、いったんハイネセンへ行き、大々的に行われる式典に出席することになっている。配属が決まり、軍に復帰するのはその後になる。
そのため輸送艦も再び船団を組みハイネセンまで行かなくてはならない。
それら数多くの輸送艦を動かすためイゼルローン駐留艦隊から臨時に人員が集められた。
この場合物ではなく人間を輸送するのだから、大半は主計部が担う。
しかしとても人員が足らず、多くの部署からかき集められている。
ここで司令部からもフレデリカが応援に出ることになる。階級や所属などは一時棚上げして、主計部の指揮の下で動くのだ。
フレデリカはさっそく輸送艇に乗り込んだ。
「あら、やっぱり。一緒になったわ」
「よろしくね、イブリン。誰が決めたのかしらね」
フレデリカとイブリンは二人相部屋になった。士官でもとても士官用個室は使えない。輸送艇はぎりぎりいっぱい人を乗せている。
それでイブリンとフレデリカが一緒になったのだ。
そして発進前から二人とも業務が忙しい。
補給用品のチェック、各艦との物資の融通の連絡、捕虜同士のトラブルの仲裁、いくらでもやることがある。
しかしその忙しい合い間に、フレデリカがベッドの上に何やら紙片を並べているではないか。
たまたま部屋に戻ったイブリンがその様子を見る。
「あれ、その紙…… 何なのフレデリカ?」
イブリンが最も手近にあった紙を見て、それに書かれてあった文字を読んでみる。
「え~~と、アッテンボロー、チェスの駒は超過勤務でも文句を言わないからな、提督が三次元チェスで六連敗を喫した時の悔し紛れ。何よ、これ!」
「イブリン、これは、後世に残る歴史的資料よ」
何とそれはヤンの語ったことを走り書きにしたものだった。フレデリカが聞いて、即刻書いておいたものである。
それをきちんと日付と時間ごとに並べて保存しているらしい!
「こうやってヤン提督の言葉を私がまとめておけば、後の歴史家がどんなに助かることか。なんていいことをしてるんだろうと自分でも思うわ」
病気だ。
フレデリカ。それはおかしい。
イブリンはもう一枚読んでみた。
「紅茶にもし角砂糖を使ったら、絶対にスプーンが必要かなあ」
こんな語録が歴史的な資料になってたまるものか。
いや、こんなことに驚いている場合じゃなかった。
イブリンはとても嫌なことがあって、誰かに聞いてほしいために部屋に戻ってきたのだ。
「それはともかく、ちょっと聞いてくれる?」
といいながらイブリンはもう話を始めている。
「奴、奴って元恋人のことだけど、帰ってきた捕虜の中にいたのよ。偶然見つけたの。良かったわ」
「イブリンの元恋人が捕虜になってたの? 生きて帰ってくれて良かったじゃない」
「そうよ。死んでたら殺すこともできないでしょう? 生きて帰ったんなら殺してやれるから良かったわ」
「え、ちょっと……」
フレデリカには意味が分からないが、何やら穏やかな話ではない。
詳しく聞くと事情が分かった。
そのイブリンの元恋人というのはよく口の回る男のようだ。
言葉巧みにイブリンに近付き、すっかりイブリンをその気にさせた。根は軽薄でちゃらんぽらんな男だったが、ここぞという時には結婚を口にして騙し続けたのだ。
結局は他に女をつくって乗り換えた。
バレるまで二股を続けていたのだ。いや、本当は三股かそれ以上だったかもしれない。あまつさえ、未練がましくイブリンが送った文などを仲間内で公開して笑い者にするというオチまでつけた。
「何それ、ひどいじゃない!!」
フレデリカもカンカンだ。よくある話といえばそうだが、そういう男が周りにいないフレデリカには信じられないひどい話であった。
「もうポプランがいるから、そんな男どうでもいいんだけど、あ~でもやっぱり腹立つわ」
「で、どうするのイブリン?」
「どうするって、そりゃ殺してやりたいけど、そうもできないわ。私はもうポプランのものだし」
「でもこのまま無罪放免にはできないでしょ!」
そしてフレデリカは少佐権限で捕虜交換者のデータにアクセスした。
自分の地位が役に立ったのは初めてだ。
いつもヤンの秘書官として変わりなく過ごし、ヤンの活躍に付随して勝手に地位が少佐になっていただけなのに。
その軽薄男のファイルを見ると、その男は三年前に第九艦隊所属から第六次イゼルローン攻防戦において捕虜になったと記載されていた。
何だ、第九艦隊か。
そうであれば、ハイネセンの式典の後はまた第九艦隊配属になる可能性が高い。
フレデリカはそのファイルに書き加えた。
再教育の必要あり。特に女性の一人もいない職場のみ適すること。詳しい話を聞きたい場合は女性将官を通し、第十三艦隊に問い合わせのこと、である。
女性将官といえばキャロラインしかいない。
これで第九艦隊はその男について妙に思い、おそらくキャロラインを通して第十三艦隊へ問い合わせてくるだろう。
フレデリカにとってこれは職権乱用ではない。事実なのだから。
「これで少しは気が晴れた?」
「ありがとう。おまけに噂でも流して一生女日干しにしてやるわ」
そうしているうちに、ハイネセンに到着し帰還兵を降ろし、この二人も無事に任務を終えた。
次回予告 第五十六話 同盟騒乱~隠れ家
ついにクーデター発生!