第六十八話 宇宙暦799年 九月 再出発
ついにグリルパルツァーもクナップシュタインも諦めた。
正攻法で要塞を陥とすことはできない。さすがに材料に糸目を付けず作られた大要塞、その防御は堅く、トゥールハンマーの威力も健在であるからには何ともしようがない。
そして二人はここで何の戦果を挙げられない以上、別のところへ向かうしかないではないか。
つまりイゼルローン要塞をそのままにして同盟領へ向かうことをやっと決断した。
トゥールハンマーの射程内を避けて、回廊内にわずかに残る通過可能宙域をこわごわと通っていく。
そこを見透かしてか、要塞にあるなけなしの同盟艦隊千隻が横撃をかけてくるではないか。それはマリノ准将の分隊だったのだが、自由に艦隊形を作れない以上そんな小勢をも払いのけることができず、なおもグリルパルツァーとクナップシュタインは損害を受ける。
しかし何とか回廊通過を果たすことはできた。
だが時期を既に逸していたのだ。
回廊から同盟領に入って艦隊を展開させたとたん、敵襲を受ける羽目になった。
それはおよそ六千隻、二人の帝国艦隊よりも少ないのに大胆に突っ込んできたのだ。
流れるような線を描き、的確な攻撃を仕掛けてくる。
「くそ、先手を取られた。いったん固まって防御だ。横撃に徹して撃ち減らせ!」
グリルパルツァーもクナップシュタインもそう言うが、上手くはいかない。受けている攻勢はあまりに苛烈なものであり、対処は後手に回ってしまう。撃ち減らされながらなんとか再編するしかなく、やっとのことで防御の強い艦を並べて緊密な球形陣をとった。
グリルパルツァーらの艦隊再編と陣形を見て取ると、すぐさま敵はそれに合わせた戦術を使ってくるので反攻したくてもその間もない。
手をこまねいているうちに事態は更に悪化してしまった。
何と次に近接戦闘を仕掛けられてしまったのだ!
せっかくここまできたというのに帝国艦隊が見る間に浸食されて虚空に消えていく。
損失艦数のゲージの数字がどんどん積み上がっていく。
ここに至ってグリルパルツァーもクナップシュタインも出世欲より恐怖が勝る。
今は敵領地内にいるのだ。ある程度以下の規模にまで撃ち減らされれば、撤退すらできなくなり、そうしたら全滅するしかない。おまけに今でさえ帝国艦隊より少ない艦隊にいいようにやられている体たらくではないか。
早めに全面撤退にかかる。
途中からは撤退というより文字通りの敗走だ。向こうの追撃は鋭く、普通にしていたらとても振り切れない。イゼルローン回廊に逃げ込んでからもなりふり構わない潰走を続ける。
一方、第十三艦隊分艦隊旗艦マサソイトではアッテンボローがただ驚いていた。
艦橋でこの分艦隊の指揮をとっているのは自分ではなく、帝国から来た客将アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトである。
先ほどの苛烈にして的確な攻勢はファーレンハイトのものだ。
アッテンボローとしては亡命してきた帝国の将、どんなものかと危ぶんだ。
ヤンが自信を持って推薦の言葉を与えてきたので、いったん指揮させてみるだけだった。初めに参謀として意見を聞いていたのだがそれがあまりに的確でしかも速かったために任せたのだ。
もちろん危なくなればいつでも自分が代わるつもりだ。アッテンボローもまた可愛い分艦隊を預かっている責任がある。
ところが、この亡命してきた将は想像よりはるか上の実力を見せつけた!
帝国艦隊が後手に回ったのもあるが、あれほど短い時間に手も足も出ないほど追い詰めるとは。
そして別の艦ではやはりアンドリュー・フォークが驚いている。
その一隊で指揮を任せたもう一人の客将の手際が見事だったからだ。メルカッツ提督、実力も実績もある帝国軍の宿将とは聞いていたが、格の違う近接戦闘ではないか。
ほぼ壊滅し、わずか数百隻にまで減らされたグリルパルツァーとクナップシュタインはひたすら帝国方向へ逃げる。
ところが中間地点のイゼルローン要塞までも行かないうちのことだ。
前方に三万隻を超える大艦隊が見えてきた。
「これは、もうダメか…… 挟撃されたのでは、もはや我らもこれまでのようだ」
「いえ、これは敵ではありません! 帝国軍です!」
「何! どこの艦隊だ!」
「ミッターマイヤー提督とロイエンタール提督のようです」
「そうか、助かった……」
イゼルローン方向から向かってきたのなら敵勢であるはずがない。イゼルローン要塞に艦隊は大した数はないのだから。すぐにそれに思い至らないほどグリルパルツァーもクナップシュタインも気が焦っていた。もう一つ、自分たちの敗戦が伝わる前にやってきた救援に我らは信用されていないのか、とまで考えもしていない。死地から逃れ出たのだ。単純に喜んだ。
命からがら合流を果たし、後は帝国領に戻るだけという時に回廊内を同盟側から六千隻ほどの艦隊が追撃して来たのが分かった。
ここでミッターマイヤーとロイエンタールはあまり戦う気はない。
グリルパルツァーらの救援という目的を果たせば戻るだけだ。戦うのは作戦目的に入らず、しかも戦略的に意味がないのを知っている。
そんなことは充分わかりつつも、相手がわずか六千隻ということもあって多少戦ってみる気になった。
帝国軍は一連の戦いで軽く一万隻以上も失ったのである。行きがけの駄賃にも足らない。
接触間近、だが向こうはこちらの三万隻を見ながら怯んだ様子がなかった。
しかも一戦したところ意外な強さを見せつけた。油断が即損害につながる。
ミッターマイヤーもロイエンタールも舌打ちをしたが、しかしその戦い方に見覚えがあるではないか。鋭い攻勢や近接戦闘に。
ミッターマイヤーはいったん退いて通信を開いた。
「帝国軍ミッターマイヤー中将である。貴艦隊の司令官はどなたか」
「ミッターマイヤー提督、儂は貴公とよほど縁があるようだな」
返ってきたその声はあまりに懐かしい。
それは内戦でブラウンシュバイクの艦隊と戦った時以来になる。
「やはり、指揮をとっておられたのはメルカッツ提督でしたか。ということはファーレンハイト提督もいるのですね」
ミッターマイヤー、ロイエンタールはそれだけ確認できれば充分だ。
もう危ない橋は渡らず、撤退の用意にかかる。数で力押しなど愚者のすることだ。それは賢明な判断だった。
するとまたオペレーターの報告が飛び込んでくる。
「新たな敵艦隊発見! 数、一万隻以上!」
次はもちろんヤンの第十三艦隊の本隊、それががすぐ側まで迫っていたのだ。
その整った陣形を見るだけで明らかに強敵と分かる以上、ミッターマイヤーとロイエンタールは敵が自分たちの半数に過ぎないからといって侮ることはしない。撤退を最大限急がせる。
実のところヤンは既にイゼルローン要塞に連絡して、要塞周囲への機雷敷設を命じていた。
その狭い通り道さえきっちり塞ぎ、回廊内に閉じ込めて料理するために。作業は半ばまで終わっていたのだ。
ヤンは帝国からの救援艦隊の可能性さえ予期し、それを動きのままならない状況に追い込み、第十三艦隊とイゼルローン要塞で挟み撃ちにするのを狙っていた。
帝国艦隊が思いのほか多かったのは誤算だがそれでも勝てる。
第十三艦隊の方が少なくても問題ではない。
ちまちま間欠的な攻勢を加えるだけで帝国艦隊は物心両面から疲労が蓄積して瓦解するだろう。簡単なことだ。最低でも機雷撤去を邪魔するだけで事は済む。帝国軍はここで補給を受けられない以上立ち枯れるのを待てばいい。
ミッターマイヤー、ロイエンタールの判断が遅ければ全滅したかもしれない。
思い切りのいい撤退でイゼルローン要塞と敷設の始まっていた機雷を回避し、回廊を通り抜け、帝国側へ戻ることができた。
それを見てヤンが言う。
「良将だな。退くタイミングがいい。この数なら油断してくれると思ったのになあ」
ともあれこの顛末によって帝国による同盟クーデターへの干渉は間一髪のところで未発に済ますことができたのだ。それは振り返れば際どいタイミングだった。
オーディンに帰り着いたクナップシュタインとグリルパルツァーはラインハルトの前に平伏し敗戦の口上を述べる。
「自らの不明により敵領内での蠢動もできなかったばかりか、お預かりした艦隊を大きく損なったこと、釈明のしようもございません。いかなる処断にも謹んで服する所存であります」
「クナップシュタイン、グリルパルツァー、正直に言えば事の経緯には大きな不満がある。なぜイゼルローン要塞にこだわらねばならなかったのか。しかしこれで卿らには良い勉強になったろう。次の勝利で必ず贖え」
クナップシュタインとグリルパルツァーは断罪を半ば覚悟していた。これほどの惨敗、しかも救援がなければ一隻も戻れなかったろう。その責任は重い。それが処分はせいぜい叱責、降格もないとは予想外だった。
横でキルヒアイスが安心して表情を緩ませる。
実のところこの処分に関してキルヒアイスのとりなしの部分が大きい。
それともう一つ、ラインハルトにはクナップシュタインとグリルパルツァーの処遇よりもいっそう考えるべきことがある。
「キルヒアイス、厄介なことになった。メルカッツとファーレンハイトは亡命し、だが良くても軟禁だろうと思っていた。だが既に艦隊指揮を任されているとは。しかもあの第十三艦隊で」
「気を引き締める必要がありますね、ラインハルト様」
一方の同盟である。
首都星ハイネセンではクーデター後の多難な再興が始まったばかりだ。
経済的な混乱が大きく、経済官僚はもちろん仕事が多い。市場、投資、流通全ての混乱を収めなければならない。
それに併せて人心の動揺も激しい。法務官僚もオリベイラなどを中心に各種制度の変革にかかりクーデターの再発がないことを市民に教えなくてはならない。
もう一つ軍部の消耗は激しく、これを立て直さなくてはならない。もちろん戦闘艦艇という戦力も減ったが何よりクーデターではあまたの将を失った。
その司令官人事と再編が急務である。
第一艦隊司令官の職にクブルスリー本部長が異動になる。
元々クブルスリーは長いこと第一艦隊司令官を務めていたので戻る形だ。前線指揮官不足を補うため病院から復帰しだい就任する。
代わって統合作戦本部長にドーソン大将が就いた。
後方職の重鎮ドーソン大将が就くのは順当であり、ロボス元帥の側近だったという過去は水に流されたのだ。
そして同盟軍トップにシトレ元帥が復帰した。
宇宙艦隊司令長官に就き、首都星防衛艦隊指揮官も兼任する。退役後間もなくの復帰に本人は複雑なのは当然だ。しかしこのシトレ元帥の現役復帰は多くの者に喜ばれた。
第二艦隊はそのままパエッタ中将の指揮下だ。
ここへビューフォート准将が分艦隊指揮官として新たに加えられる。
第三艦隊の司令官には、中将に昇進したライオネル・モートンが第九艦隊から異動して就任する。
そこへザーニアル准将が参謀につく。
第四艦隊は第六艦隊の残存を加えて立て直された。その司令官はこれも中将に昇進したラルフ・カールセンである。
参謀としてマリネッティ准将も加えられた。
第五艦隊は相も変わらずビュコック大将が指揮し、そこへ参謀チェン・ウー少将が新たに加わる。
第六艦隊は欠番だ。
第七艦隊の司令官人事は驚きをもって迎えられた!
それは何とドワイト・グリーンヒル大将だったのだ。
グリーンヒル大将はクーデター事件の責任を問われても仕方がない。一時期はクーデターの首班というところに担がれていたのだから。
しかし、これを同盟軍は災い転じて福となした。
艦隊司令官は新たに就任する場合には中将が充てられる。そのため、グリーンヒル大将を表向きはやや降格ともとれる形にしている。見方によっては軽い懲罰である。しかしその実は本人の能力を発揮できる艦隊司令官職なのである。
むろん、誰も異をとなえるはずもない。
この艦隊にはまた驚きのアンドリュー・フォーク少将が付けられた。
アンドリュー・フォークについてロボス元帥は尋問され自白した。
全ての事実が明らかになったのだ。
アンドリュー・フォークはロボスによって冤罪を着せられていただけであり、帝国領侵攻の発端になったという事実はなかった。おまけに帝国領からの撤退を執拗に妨害したというのも全くの事実無根、むしろその逆だった。
ここに名誉は回復された。
ただし帝国領侵攻作戦の責任が全くないとは言えない。末端でも参謀職であったからには。
しかしそれでも現役復帰の上に少将昇進とは、クーデター鎮圧への貢献もさることながら、何より元帥による薬物投与というありうるべからざる過酷な被害に対する同盟軍としての贖罪という意味合いが含まれている。
この第七艦隊において、第十三艦隊から異動してきたグエン・バン・ヒュー少将と共に分艦隊司令となる。
第八艦隊はそのままアップルトン中将が変わりなく司令官を務める。
しかし、次の第九艦隊では同盟軍として異例の人事があった。
次回予告 第六十九話 暗闘