キャロラインの方では、グランド・カナルでこの時思いっ切った質問をしている。
長い間、疑問を解消したかったが、ようやく踏ん切りがついた。
今は艦隊戦シミュレーターではなく実戦だ。聞くべき時ではないか。
「あなたは誰なんですか…… そしていつもいつも戦いの時に私を助けてくれますが、いったいどうして」
「ふふ、助けるのは当たり前。だってあなたはわたしの娘だもの」
「え…… そんな、娘って、どういう意味で」
「言っても仕方ないけれど…… でも、かわいい娘。わたしはカロリーナ。覚えておいて」
それだけで終わった。
謎でしかなかったが、そういうものだと思うしかない。カロリーナ、帝国風の名に感じてしまうが聞き覚えはなく、まして母でも何でもないからには。
そしてキャロラインの次の出撃は半年後に来た。
航海訓練を中止し、艦隊編成に加わり、またしても帝国軍との会戦を行うために出陣する。
キャロラインはこの時グランド・カナルではなく、戦艦に移っている。やや戦艦としては小さい型だが、それでもグランド・カナルのような巡航艦から見れば格段に大きく、戦闘力ももちろん比例して大きくなる。
この艦もフェーガンが艦長を務める。というより昇進したから移ったのだ。キャロラインもまた同じ艦に移動になったのは幸運だ。
今の艦でキャロラインは航海部の副長に任ぜられていた。航海長は少佐という同階級だが、かなりの差で先任である。今度の任務は護衛ではなく、戦闘のための出撃である以上、キャロラインを副長経験なしで航海長にはできなかったのだろう。
ともあれ上司の航海長は大柄で声も大きく、とても愉快な人間だった。
フョードル・パトリチェフという名である。
そのよく通る声で命令を受けているだけでなんだか楽しくなる。若いキャロラインに敵意を持つどころか、とても暖かく迎えてくれたのだ。
パトリチェフの方でもキャロラインがその生真面目な表情とは裏腹にユーモア豊かなことに気が付いていた。
戦艦は艦橋もまた広い。
パトリチェフもキャロラインもたいがいは艦橋にいて仕事をすることになる。
この艦は同盟軍第二艦隊、パエッタ中将の艦隊に所属し、航行を始めた。
最初に向かう先はイゼルローン要塞に近いレグニッツァというガス惑星だった。あまり利用価値のない星系ではあるが、会戦前の露払い、いったんそこまでを同盟軍の制宙下に置く。
この状況ほど航海部の技量が試されるものはない!
ガス惑星の大気内での行動になるとは、尋常でないにも程がある。
元々同盟軍の艦艇は大気圏性能を一切考慮されていない。無骨なスタイルと放射ノズルに付けられた長いガイドレーンは宇宙空間でこそ意味があるもので、大気圏ではただの邪魔物だ。
こんな荒れ狂ったガス惑星の大気の中、艦を安定させるだけで一苦労、航海部の技量にかかっている。
あろうことかここで帝国軍艦隊と会敵してしまった!
索敵が効かず、お互い本当の出合い頭である。敵も味方も予期せぬ遭遇戦が展開される。
しかしその戦闘は敵味方とも攻撃がさっぱり命中しない。
ミサイルはあらぬ方向に飛んでいく。レールガンも弾道から逸れていく。といってビームはここで使えない。濃密な大気に途中で散乱させられるからである。
損害も戦果も出ないまま撃ち合いが続き、物資ばかりが無駄に消費される。
キャロラインの仕事はますます荒れ狂う大気を観測して艦を安定させることに尽き、一歩間違えて隣の味方艦に衝突でもしたら目も当てられない。
戦闘開始してしばらくの後、ふいに敵帝国艦隊が上昇して惑星から離れようとしているのがわかった。
すぐに帝国艦を追うのか、待機か、どんな命令が出るのか航海部としては緊張の瞬間だ。
エンジンの状態や推進剤の残量に直接関わる。
そしてすぐに追うという命令は出なかった。
危ないわ! ここにいては!!
キャロラインは叫び声を聞いたような気がした。またあの声で。
その瞬間のことだ。かなり上まで上昇してしまった帝国艦隊から一発のミサイルが落ちてきた。しかし不思議なことにどの味方艦にも当たらず、そのまま通り過ぎて下へ消えた。
そのミサイルは特異な形だ。大きな三枚の羽をつけて、補助エンジンまでつけている大型のもの、おそらく要塞などの大型目標に対する核融合弾だったのではないか。
そもそも艦に攻撃するような武器でもない。当たらなかったのは偶然か?
嫌な予感がする。
キャロラインは気象シミュレーターに急いで核融合からの大気誘爆のパラメーターを入力する。その結果に驚きのあまり血相を変え、途中からパトリチェフ少佐を呼んだ。正に緊急事態だ。
「航海長! 猶予はありません。急いで逃げないと気象激変に艦が耐えられません!」
パトリチェフはすぐに反応した。若い副長キャロラインを充分に信頼していたのだ。その言葉には嘘などない。そこで艦橋の対角線にいた艦長に向かって大声を出す。艦橋は広いのだ。普通には対角線まで声は届かない。むろん歩いて行ったのでは間に合わない。
だがさすがにパトリチェフの大声だった。艦橋によく響く声が通り、艦長にも明確に伝わる。
「艦長! 艦の上昇許可願います! 急速離脱しないと艦が持ちません。帝国軍はレグニッツァ大気の水素で核融合誘爆を狙っています!」
フェーガン艦長の決断は早く、ただちに艦は緊急出力で上昇にかかる。
懸念した帝国艦隊からの狙い撃ちは一つもなく、こちらがもういないかのように撤退しているらしい。
何百隻かの味方艦が続いて上がってくる。
この艦の動きを見て、また緊急通信を信じていちはやく行動した艦たちである。
他の動きの鈍い艦は、助からなかった。
やはり核融合弾だった。そして大部分が水素であるレグニッツァの大気に誘爆してしまった。
当然その膨大なエネルギーは荒れ狂う大気という形で発散される。ただでさえ大気圏の苦手な同盟艦は次々とへし折られ、あるいはコントロールを失い味方と衝突する。そうでなければ核融合熱で焼かれる。真空の宇宙空間とは異なり熱が艦内に伝わるためだ。さまざまな形の地獄絵図が展開されていく。艦を外側から見てさえ地獄、艦内の人間はいったいどんなことになっているのか。
同盟第二艦隊はその司令部は保たれたものの多大な犠牲を出し、レグニッツァを放棄して撤退する。
キャロラインの艦は助かった。もちろん艦の皆は的確な判断をした航海部に最大限の感謝をした。
第二艦隊の艦列に戻っての調整など、忙しい航海部としての仕事をやっと終えてキャロラインは士官食堂に向かった。
入ったとたん大声がした。
「フォーク少佐! 幸運の女神様、どうぞこちらへ!」
その食堂にはパトリチェフがいて、迎えてくれている。どういうことだろう。その声にうながされテーブルに向かう。
そのテーブルにはケーキらしきものが置いてあり、沢山の人がキャロラインを囲みにこにこ顔で見ている。
ケーキは戦闘航海中の食堂にある貧相な食材で作ったもののようだ。
それも手慣れない作業で、形だけそれらしい…… しかし、なんとか皆が工夫して作ったのだろう。
キャロラインが喜ぶように、と。
これまで、こんなに大勢の人間に好意と感謝を寄せられたことはなかった。
「少佐、ケーキですぞ。ろうそくは立っておりませんが」
誕生日じゃねえや! というヤジが入り、笑い声が続く。
「みんな少佐のおかげで助かったんだ。よく帝国軍の作戦に気が付いてくれた。ありがとうのケーキだ。少佐、食ってくれ!」
涙もろいキャロラインはもう涙をこぼしてしまった。
促されるままケーキを食べた。
不味い…… 甘さがない。コーヒークリームを無理に混ぜて生クリームにしたようだ。
スポンジ部分もただのロールパンを切ったものだ。全然滑らかでもしっとりもしていない。
菓子作りが得意中の得意であるキャロラインにはすぐにわかる。
しかし、このケーキは宇宙に存在するどんなケーキよりも素晴らしい。
宇宙で一番のケーキではないか!!
キャロラインは泣いた。泣き笑いのまま食べた。
パトリチェフに向いて感謝を言う。
「ありがとうございます。助かったのはあのときの航海長の大声のおかげです」
「はっは、この腹は声を出すためにあるんだ。ここぞという時のために」
「あんまり重いと艦が上昇しないです」
あっ、しまった! 私は調子に乗って軽口を言ってしまった。上官に向かって。
しかしパトリチェフはなお一層笑い、ウィンクを返してきた。
キャロラインはこの日とこのケーキのことを忘れない。
兄さんにも伝えたい。軍にいて嬉しいこともあったということを。
次の出撃まで日が空き、その間に艦へ食糧の補給が来た。
そこでキャロラインは材料があることを確かめ、菓子を作った。
簡単で、しかもたくさん作れるものだ。
バターもバニラエッセンスもベーキングパウダーもいらないものを。
シフォンケーキにしよう。
大量に失敗なく作るためジェノワーズ法は使わない。卵白と卵黄を別に使うビスキュイ法を選択する。これなら膨らみが悪いという失敗はない。
ふわふわに作るため、メレンゲはゆるめ、砂糖は多めだ。
作り終えれば艦の皆に配った。
キャロラインのケーキは大好評を博した。
卵と小麦粉、砂糖、サラダオイルだけ使ってこれほどのケーキができるのだ。
キャロライン・ケーキ少佐と陰で言われた。もちろんフォークとかけているのである。
それを耳にしてもキャロラインには不快ではなかった。