公式には極度に歪曲されたことが発表された。
帝国宰相リヒテンラーデとフェザーン自治領主ルビンスキーの死は、謎の襲撃事件のショックのために持病の発作が起きた結果と発表された。
大事件である。不可解なことをあげればきりがない。
そもそも要人中の要人である二人が同時に死ぬことなど不自然過ぎる。
多くの者が首をかしげたが、それで納得するしか仕方がない。
なぜならその後の対応の方が重要だ。
フェザーンと帝国との間に無用な波風を立たせることはどちらにも利益にならない。無用な追及をしても仕方がないではないか。
帝国首都オーディンではリヒテンラーデのため、荘厳な国葬が執り行われた。
ラインハルトもサビーネも元々忠臣リヒテンラーデのことが嫌いではない。
方法はともかく帝国を思う気持ちに嘘偽りはないことをよく理解していた。尊敬さえしていたのだ。
「寂しいですわね」
「……ああ。食えない老人だったが、忠臣には間違いなかった」
二人は、国葬の帰りにオーディンの青空を見上げた。
リヒテンラーデの声が今でも聞こえるような気がする。
「ほっほ、二人にそう言ってもらえるとはの。嬉しいわい」
空に一陣の春風が吹き渡った。
次の日、厳重に保存された手紙がサビーネの元に届く。
サビーネが誰からの物かと思えば、何とリヒテンラーデが生前からサビーネに宛てて書いたものだった。
手紙の内容を見たサビーネは困惑の表情をするしかない。
どうしてリヒテンラーデはこんな手紙を送ってきたのだろう?
大事なことだというのはわかるが、これで何をどうしろというのか。
その手紙の内容はサビーネの病気などについてのものではなかった。
そんなことには一切触れていない。
リヒテンラーデはサビーネに余計な精神的負担をかけさせたくなかったのである。用件は別のものだった。
一方、フェザーンでは自治領主も補佐官も一夜にして失われ混乱したものの、臨時の領主代理がなんとか治めている。
その臨時の名はニコラス・ボルテック、元々フェザーンから帝国への駐在員としてオーディンへ来ていた者だ。帝国の推挙によって臨時自治領主の座に就いた。
その一事だけでフェザーンの立ち位置が分かる。
もはやフェザーンは帝国内の自治領、それ以上のものではないことが明らかになり、帝国と伍する未来を失ってしまったのだ。ニコラス・ボルテックはそこそこの野心と少々の力量があるが、それだけの者であり、フェザーンのトップでありさえすれば満足である。だからこそオーベルシュタインが生前のリヒテンラーデに候補者として挙げていたのだ。
ボルテック自身は今やフェザーンで一番の権力者、有頂天になっている。しかしフェザーンの誰からも嫌われていた。
「浮かれた大根役者が、いつまで踊れるのか」「すぐに足元が崩れるさ。国を売られる前に退場してくれるのを願うばかりだ」
こんな話が市井のあちこちから聞こえる。
逆にフェザーンを一人の女がひっそりと出ていこうとしていた。
「ルビンスキー、あんたは嫌いだった。野心家で。でもそれ以上に好きでもあった。やっぱりその野心のせいで。ルパートは良い人、でも幼かった。あんたは悪い人、でも見ていたかった。どこまで行けるのかを」
それはドミニク・サン・ピエール、ルビンスキーとルパートの生前の姿と、その生き様を知る唯一の者だ。
「フェザーンにいても仕方ない。もうここで私は夢を見られない。次はどこへ行こうか。オーディンでもハイネセンでも、夢の見られるところへ」
そして帝国の中枢部では、ある男が窓辺に立って、朝から降りしきる雨を眺めていた。
午後になっても外は暗い。
室内はもっと暗い。国家安全保障局の局長室だというのに。
今、そのオーベルシュタインが手に持つのは一つの情報が収められているチップだ。
ルビンスキーが最期の時にリヒテンラーデに渡したペンダントとその中の情報チップは、結局のところオーベルシュタインの手に渡った。
「皮肉なものだ…… リヒテンラーデ侯が帝国のため命をかけた情報がこんなものだったとは。これは、知らせるべきではない。知らせても仕方がない」
その情報はオーベルシュタインが持ったまま、誰にも知られずに朽ちる運命にある。
しかし逆にオーベルシュタインには必ず知らせるべき物事が存在した。
小さな手荷物を持ち、オーベルシュタインは何とブラウンシュバイク家のエリザベート嬢を訪問した。この手荷物を是非とも渡さなければならなかったためだ。
合うと簡潔に用事だけを言う。
「エリザベート嬢、これは長き事ブラウンシュバイク家の係累に仕えてきたある帝国軍人の遺品です。たぶん、エリザベート嬢のためではないかと」
手荷物を開けて見せると、それは可憐な栞だった!
レオポルド・シューマッハの遺品はほとんど無かった。
しかしその一つだけが場違いなものであるかのように光っていたのだ。シューマッハが生前、何の目的か購入したものらしい。
シンプルな白金細工に小さなアメシストの赤紫が映える。
それは可憐で優しく、純粋な光を放っている。
決して貴族が使うような豪奢なものではない。しかし、貴族にはちゃちなものでも一介の軍人が買うにはあまりに高価なものである。
誰が使うことを思っていたのだろう。本の栞など。
オーベルシュタインは捨てたりしていない。
込められた想いをそのままにしておけるはずもないのだ。
エリザべートに使ってもらえるようわざわざここへ持ってきた。
本当なら平民出のシューマッハが大貴族令嬢にプレゼントなど考えられない。その美しい栞もシューマッハの手元で朽ちるはずのものだったが、皮肉なことに今こそ使われるとは。
「あら、本の栞ですね。本当に綺麗な。どなたかは存じませんが、私が本をよく読むことを知っておられたのですね」
「使って上げれば、その帝国軍人も本望でしょう」
エリザベートの手に栞が触れる。
殉じた者の想いもその名さえも知られることはない。
貴族出身でもなく、秘密作戦で消えていった命など記録にさえも残されない。
しかし、その美しい栞だけはこれから毎日のように使われる。
オーベルシュタインは最後まで表情を変えずに用件を済ませた。
今日は一日中雨のようだ。
飽きもせずいつまでも雨を眺めてしまう。オーベルシュタインは何を思っているだろう。
次の日からは通常の業務に戻った。
今、銀河の歴史は一つの幕を降ろしたのだ。
だが、歴史は再び光と熱の時代を運んでくる。
黄金の覇王が輝く時代を。
ついにラインハルトが艦隊指揮官を招集した。各提督はピリピリと緊張する。
この日がやってきた。
宇宙の歴史がここから新たな段階へと進むのだ。
この招集は言わずとしれた宇宙統一の戦いの号令だろう。
150年の長きに渡って銀河帝国と叛徒の間に戦いが続いてきた。今、それに終止符が打たれる。
諸提督を率いるのはラインハルト、常勝を誇る天才だ。
誰もが高揚はすれど不安はない。ラインハルトが信頼する諸将に臆病者などいない。期待感だけが胸を高鳴らせる。
居並ぶ諸将に対し、ラインハルトがきっぱりと言い切る。
「ついにこの時が来た。この戦いをもって、長きに渡った争いも終わりとなる。今こそ帝国の全戦力を持って叛徒を打ち滅ぼす! 決して簡単な戦いではない。私は諸君らの命を保証することはない。むしろ、倒れる者が出るだろうと言う。しかし、私は一つのことを保証する。銀河の新しい歴史へ繋がる戦いに己の名を刻む、その栄誉を私は与えよう!」
諸将はラインハルトの言葉に途中から感極まっていた。
自分たちはこの黄金の覇王に付き従い、誰にもなしえなかった宇宙統一を果たすのだ。
いまさら臆する者などいるはずがない。
「これより宇宙統一の歴史が始まるのだ! 銀河帝国が全ての宇宙を統一し、新たなる繁栄への礎を築く。私に付き従え。共に勝利に進もうではないか。諸君らの奮闘に期待する」
ついに一番感情の激しいビッテンフェルトが大声を上げた。
「帝国に勝利を!」
続けて諸将も口々に叫ぶ。
「宇宙統一!」「我らに敵なし!」
アイゼナッハの口元が動いたのを目ざとく見つけた者たちがいた。がぜん注目を集める。だが声までは出なかったようだ。皆は残念に思った。
皆を静めた後、ラインハルトが手を水平に伸ばし、気迫の声で指示を伝える。
「ロイエンタール、直ちに艦隊を率い、イゼルローン要塞に戦いを仕掛けよ」
「御意」
直ぐさま前に一歩進み、敬礼をもってそれに応える。
「ルッツ、アイゼナッハ、それぞれの艦隊を持ってロイエンタールと共に向かえ」
「はっ!」
「メックリンガー、オーディンに留まり帝国首都防衛を務めよ」
「仰せのままに」
「ミッターマイヤー、それと他の提督は本隊に付き従って出陣のこと」
「承知しました」
「尚、先のイゼルローン方面へ赴く艦隊は少ないものではないが、これは陽動であり、本隊のいる方が主力になる。本隊の行く先を言おう。それはフェザーンである! 本隊はフェザーン回廊から敵領土へ侵攻するのだ!」
諸将は驚いた!
まさか宇宙統一の戦いにフェザーン回廊を使うとは。
今までそんなことをした者はいない。戦いは常にイゼルローン回廊付近で行われてきた。
今度もイゼルローン要塞を奪回して攻め込むと思っていた。
それに対しフェザーン回廊は自治領主が治める場所。帝国軍が襲来してよい所ではない。
皆が動揺する。その雰囲気を察したラインハルトが言葉を継ぎ足す。
「フェザーンを通ってはならないというのは宇宙の法則ではない。今、フェザーンに有力な自治領主はおらず、我らを拒めはしない。実力を持って押し通れば、徹底抗戦や後方撹乱をされることはないであろう」
ラインハルトは詳しいことを知っているわけではないが、あのリヒテンラーデ老人が帝国のためルビンスキーを倒してくれたと確信している。
身をもって露払いをしてくれたのだ。
ルビンスキーさえいなければ、遠征軍にとって最大の悪夢である退路遮断の恐れはない。
「それに、イゼルローン要塞に攻め掛かればいかに大軍でも犠牲は大きい。無能なる叛徒が今まで行ってきた作戦を我らが踏襲する必要はどこにもない」
諸提督は作戦の壮大なることに驚くと共にラインハルトの天才にまたしても圧倒された。
一人メックリンガーがつぶやく。
「これ以上大きなキャンバスがあるだろうか。戦いの芸術もここに極まれり、だ」
誰もが作戦の成功を確信した。
そしてミッターマイヤーがラインハルトに尋ねる。
「閣下、それで作戦名はどういったものに」
ラインハルトが告げる。それにふさわしい名を。
「作戦名はラグナロッグ、神々の黄昏だ」
またしてもどよめきが走る。
ラグナロッグ、それは古き事と決別し、全く新しい世へ変わることを明らかにする名だ。時代ははっきりと切り替わる。
諸将は興奮したままそれぞれが準備にとりかかる。
前途は困難かもしれない。
この戦い、敵として立ちはだかるのはおそらくあの最強の魔術師ヤン・ウェンリー、不敗の名将だ。
そしてキャロライン・フォーク、無敵の女提督だ。
ついこの前、オーディンでの余興として行われたシミュレーションでもその強さを見せつけた。
今度は負けてなるものか。実戦で実力を明らかにしてやる。おまけに帝国から亡命して敵方に加わっているだろう宿将メルカッツ、烈将ファーレンハイトもまた実力者である。だがしかし、それらをもまとめて倒してくれる。
戦いの予感は高揚と熱気をもたらしてやまない。
次回予告 第七十六話 ヤンの恐るべき戦略
圧倒的な帝国の大軍に対し、ヤンのとる策とは・・