帝国軍の誇るロイエンタール、ルッツ、アイゼナッハの三人の提督が動く。
総艦艇数四万隻を従え、ついにイゼルローン回廊の入口まで進軍した。
次の日にはいよいよ要塞近辺だ。
陽動であることは分かっているが、それでもこれが名誉あるラグナロック作戦の第一歩になることは間違いない。
戦いになる前夜のこの時、ワイングラスを傾けながら、ロイエンタールは一人感想を言う。
オーディンなら聞き役になってくれただろうミッターマイヤーはここにはいない。
「銀河の歴史とやらも動く時には一気に動くものだ。後の者が歴史の勉強をするのに嘆くだろうな。ここから短い間にどれほど色々な事が起きるのか」
そんな風に言いながら、自分もその重要な当事者なのだ。
「ラインハルト・フォン・ローエングラム。あの天才と同じ時代に生まれたことは、俺にとって運がいいのか悪いのか…… だが少なくとも面白いものが見られる。最後までせいぜい楽しむとしよう」
やはりヤンとアッテンボローがイゼルローン要塞に帰り着く前に戦闘は始まっている。
しかし激しい戦いではない。
今のところ両者とも少しの痛み分けといったところだ。
イゼルローン要塞を守備する同盟側は、トゥールハンマーや浮遊砲台をキャゼルヌ要塞司令官代理とシェーンコップ准将が制御していた。
要塞駐留の第十三艦隊二万一千隻は客将であるメルカッツ提督、ファーレンハイト提督が指揮をとる。
これはヤンの指名なので誰も文句はない。ヤンに対する信頼はその指示への信頼でもある。
そして艦隊を全く動かさなければヤンが不在なことを気取られる恐れがある。負けることがない場面に限ってちょこちょこ動かすことは必須である。
対して帝国軍はむろんロイエンタールが総指揮をとっているが、当初の予定通り無理な力攻めはしない。
あくまでトゥールハンマーの射程外に布陣している。
時折接近して攻撃を仕掛けるが、直ぐに退避する。放たれるトゥールハンマーの直撃を避けるためだ。
むろん艦砲をいくら撃ちかけても要塞自体の外壁は小揺るぎもしない。しかし艦砲の意味が全くないというわけではなく、浮遊砲台には損害を与えられる。
要塞の側にとっては浮遊砲台にも意味がありを完全に引っ込めるわけにもいかない。
トゥールハンマーだけでは死角からワルキューレの接近や地上部隊の降下を許してしまう。そこで要塞外壁を破るような工作活動をしないとも限らない。そして今回の帝国軍は物量による飽和攻撃さえ可能な大艦隊であり、浮遊砲台の損耗もできるだけ避けなければならない。
一方の艦隊戦も全く行われなかったのではない。
お互いに罠を仕掛けても、名将を引っ掛けるのは難しく決定的な成功に至らない。
ファーレンハイトの攻勢もメルカッツの近接戦闘も決定打にならないのはロイエンタールだけではなくルッツやアイゼナッハも充分に有能な艦隊指揮官であるゆえだ。
かといって逆にロイエンタールの方がいかに疑似敗走しても追撃してこない。要塞から引きはがすことも無理である。
「妙だな…… 名将ヤン・ウェンリーにしては仕掛けが予測の範囲内過ぎる。しかも消極的だ。戦力温存を第一にしているのか。だが勝ちを収められないのは残念でも、こちらの目的は充分達成している」
ロイエンタールには膠着状態で充分だ。
やはり戦術家らしくいろいろ試したいことはあるが、それも目的を達成している余裕があるからである。
その上でとどめにオーディンへ向けてわざとらしい通信を送る。これもイゼルローン要塞に暗号を解読されるのを見越してのことである。
「イゼルローン要塞攻略は困難、未だ糸口を見つけられず。増援を請う」
逆に要塞のキャゼルヌたちにとっても膠着状態は願ってもない。
もちろんヤンと援軍の到着を待つ時間稼ぎになる。
このロイエンタールからの通信を受けて、オーディンのラインハルト夫君陛下は予定通りの号令を発する。
「イゼルローンでの膠着状態を打破するために、大軍をもって赴こう。帝国軍は一気にイゼルローン要塞を叩く。奪われた要塞を取り戻し、叛徒を屈服させ、帝国の威をここに示すのだ」
諸提督たちもそれを神妙に聞く。
「ミッターマイヤー、ミュラー、ビッテンフェルト、ワーレン、シュタインメッツ、ケンプに出動を命ず。それぞれの艦隊を率い、イゼルローン要塞に出撃せよ。その後本隊も出立する」
こうしてラグナロックの欺瞞の出撃が開始される。
ここの情報だけは微妙に漏洩されるように仕掛けてある。フェザーンと同盟の目を欺き、その目的地を誤解させるためである。
しかしこれで同盟は戦略を決めることができたのである。
行き先がフェザーン回廊なのは見透している。ヤンの示した、帝国が動員する兵力の3つのパターンのうちいずれになるのか。その出撃規模だけが問題だったのだ。それによって対応する戦略を選ばなくてはならない。
答えは最悪のものが的中した!
帝国軍は先にロイエンタールへ四万隻もの艦艇を与えていたが、それとは別に予想をはるかに超える十二万隻とも推定される艦艇を動かしてきたのだ!
ここまでの大艦隊とは、同盟の諸提督は唸るしかない。
ラインハルト夫君陛下本当に戦力を小出しにするつもりはないらしい。確かに帝国にその数の艦艇があることはあった。しかし、存在することと動員することは全く違う。出征に関わる物資、コスト、そして人員のことがあるからだ。だがそれを度外視し、作戦に投入するとは。
やはり一気に同盟領征服を成し遂げる決意だ。
同盟軍統合作戦本部はヤンの予想に基づく計画を立てていたが、もちろん最悪になったパターンへの対処を選んで発動させる。
これで同盟側も総力を挙げる。
戦力で帝国に劣る同盟は尚更出し惜しみなどできようはずもなく、国家の滅亡を避けるため力を振り絞る。
先にイゼルローン要塞救援のため、アップルトン第八艦隊、ウランフ第十艦隊が出立している。
その他にありったけの増援を送る。
クブルスリー第一艦隊、パエッタ第二艦隊、ビュコック第五艦隊、グリーンヒル第七艦隊が秘密裏にハイネセンを出立し、イゼルローン回廊に向かう。
その逆方向、おそらく帝国軍本隊がやってくるであろうフェザーン回廊方面にはモートン第三艦隊、カールセン第四艦隊、アル・サレム第九艦隊、ボロディン第十一艦隊が赴く。
こちらは帝国軍本隊による侵攻を足止めするためのものだ。まさに死地に赴く艦隊である。
そしてやはり、ヤンの見通した通り帝国軍の本隊はイゼルローン回廊に入るはるか手前で進路を変えた。
「本艦隊は目標を変更し、イゼルローン回廊ではなくフェザーン回廊に赴く!」
これには事前に知らされていなかった艦隊将兵全員が驚くが、ここでラグナロック作戦が初めて明らかにされる。フェザーン回廊を使って叛徒の領内に侵攻することを含めて。
その情報は直ちに同盟にも伝わる。
同じようなタイミングで、先発していた第八艦隊と第十艦隊がイゼルローン要塞付近まで到達している。むろんそこにはヤンとアッテンボローも乗っている。
この時点でイゼルローン駐留の第十三艦隊と併せて三万七千隻に達する。
それに対してロイエンタールの帝国艦隊は何も慌てていない。
おまけに合流する前に各個撃破する構えも見せない。本当ならそれが当たり前なのに。
それにはロイエンタールの迷いが関係する。
「別に勝つ必要はない。こっちは陽動だからな。しかし敵の応援は思ったより多い…… これはどういうことだろう」
おかしいと思う。
もちろんイゼルローン要塞が大軍に囲まれ失陥の危機にあるのだから、その数をするのはおかしいことではない。フェザーンが帝国軍本隊に襲われない限りは。しかしフェザーン方面に帝国軍が向かったことはもう知ったはず、本当なら今頃、それを聞いて慌てふためき、フェザーンへ転進しているはずではないか。それなのに混乱の様子さえ見せていない。
ロイエンタールの予想では一万隻に足らない程度の応援が来て、イゼルローン方面を要塞の力を借りて堅守するのではないかと思っていた。残りの敵艦隊戦力は間に合いもしないフェザーン方面へ行き、帝国軍本隊が橋頭保を築くのを指を加えて見ているだけだろうと。
「…… 敵の思惑が見えないとは、これでは振り回されているのは帝国軍の方ではないか。まあいい。俺の役割はあくまで陽動だ。それなら引き付ける敵は多いほうが面白い」
そしてロイエンタールはイゼルローン要塞への攻撃をすっぱり止め、大きく退いて陣形を整えた。
どのみち艦艇数にそう差がなくなった以上、要塞攻略など不可能だ。
いや、要塞のある分向こうの方が有利であり、挟撃のリスクを避ける。無理をせず負けなければいいだけだ。そのうちに帝国軍本隊がフェザーン方向から雪崩れ込んでケリをつけるだろう。
ヤンは古巣ともいえるイゼルローン要塞に戻った。
その前に本当に個人事ではあるがアッテンボローから仰天の報告を聞いていた。
「先輩、あの、ついにキャロライン・フォークに結婚を申し込みまして」
「何だって!? アッテンボロー!!」
まさかそんな無茶をしたのか! という言葉を飲み込んだ。
「それで、返事は?」
まさかOKはないだろう。どうなった。
「いえ、それが保留にされました。この戦いが終わるまで。はっきり断られたわけでもないので、少しは希望があるかな、と」
「そうなのか…… 良かったじゃないかアッテンボロー。しかし、いつからそんなになってたんだ?」
もっと前に報告してくれ、驚くじゃないか、と思った。
いつの間に亜麻色の要塞を攻略していたんだ。
「いや特に交際してたわけではなくて、結婚の話を先に出してしまって」
正気かアッテンボロー! なんという無茶を。
であれば先延ばしの返事、あまり期待するなよ……
ヤン自身にも何か考えるところがあった。
その晩、要塞司令官室にフレデリカ・グリーンヒルを呼んだ。
部屋に入ったフレデリカは、ヤンがこちらも見ずに部屋を行ったり来たり歩いているのを見ている。
「ええと、そのグリーンヒル中佐、なんというか」
「……提督、ご用件は何でしょう」
「いや、その、実はアッテンボローがキャロライン・フォーク中将に結婚を申し込んだらしいんだ」
「え!? まあ、それは!」
アッテンボローのためにも、キャロラインのためにもそれはいいことだ。
あの二人はお似合いといえばそう言えなくもない。どちらも純粋な方である。
フレデリカは本心からそう思った。うまくいけば、だが。
「うまくいけばいいですわ」
「それで、いやそれだからという訳でもないが、君とフォーク中将とは同じ年だが、アッテンボローさえ年上なのに、こっちはもっと年上なわけだし……」
さっぱり要領を得ないヤンの話である。独り言なのか何なのかさえ分からない。
しかしフレデリカの優秀な頭脳は解き明かした。
ヤン提督と私は七つ違い。そのことで逡巡している。いや、そのせいにして勇気を出せない言い訳にしている。
年齢の差など全然大丈夫な話は今まで最低五十回はしてるはずだが。
聞いていたんだろうか。
「なんというか本当に生活に欠けたところがあるし」
いやいやいやそれも全然いい。
私は生活面ならば提督よりもっと欠けている自信がある。
しだいに確信がついてくる。
「ええと、つまり、いや中佐、何でもないんだ」
「え? 何でもないって、ここまできてですか、提督」
「いやまあ、その……」
「ではお聞きしますが、もしかして私の勘違いでなければ、結婚の話を私に?」
「そ、そうなんだ!」
「ヤン提督は私と結婚したいと?」
「その、実はその通りで、いや、先に言われてしまった。これは男らしくないことで、参ったな」
「その話なら決まっていると思うのですが」
あたふたしているヤンと対照的にフレデリカは上気はしているものの落ち着いている。
キャロラインに感謝しなくてはならないわ。このことに関しては。
向こうのことがきっかけになってこっちの話も進んだとは、ちょっぴり釈然としないけれど、この際何でもいい。
このヤンの申し出をはるか前から待っていたのだから。
そんなイゼルローンの喜劇を知らない者がいる。
今、フェザーン回廊へ急行している艦隊にいる。
第九艦隊旗艦パラミデュースの艦橋に立ち、目の前にあるスクリーンを見る。
艦隊周囲の領域を映すスクリーンは暗い。
しかし全くの暗闇ではない。
星たちが協力しながら一生懸命光っているようだ。
精一杯頑張って光を放っている。暗闇に負けないために。
先ほどまで艦橋にはキャロラインの他にアル・サレム中将もいた。
「キャロライン・フォーク中将、スクリーンの星を見ているのかな?」
「ええ、窓から見るのと同じくらいきれいだと思いまして」
「そうだな。星はきれいだ。見える星は若い時とちっともかわらん。こちらは年を取ったのにな」
「……」
「だがそんなことを知ることもなく、年を取ることもなく逝ってしまった仲間がほとんどだ。星はいつ見ても変わらん。人は年月で変わっても」
いや、これは若い人間に言うことではないし、まして出撃する時に言うべきでもないな、などと言いながらアル・サレムは去った。
キャロラインは独りで考える。さっきの話で言いたかっただろうことがなんとなくわかった。
星のまたたき一つだけ。人のどんな決意も信念もたった一瞬、星の前には儚く散っていく。
だがそれでも人の営みは美しい。星たちに負けないくらいに。
スクリーンを眺めながらキャロラインは思う。
これからどうなる?
始まる戦いは厳しい。これは無理な戦いだ。
しかし、自分でも不思議なほど恐れはない。
私は今、持てる力を出し切って強大な相手に立ち向かう。
民主主義を守るのだ。この宇宙から自由惑星同盟を消してはならない。
私と艦隊はそのために戦う。
命ある限りどんなことになっても諦めない。民主主義にはそうするだけの価値がある。
見つめる先には、人の大義があるべきだ。
次回予告 第七十九話 駐在武官
頑張れおっさんとヒヨッ子