ハイネセンに帰還した同盟艦隊は戦勝の祝賀の嵐に見舞われた。
それは宇宙港での盛大な出迎えに始まり、ハイネセンポリス中央通りのパレード、記念会、祝賀パーティー、いくらでもある。
市民どころか政府さえ熱狂に巻き込まれている。
「自由惑星同盟と民主主義は守られた。帝国に屈さなかった」
ホアン・ルイは普段笑うことがないレベロの笑顔を久しぶりに見た気がする。
確かに同盟軍艦隊の犠牲は大きい。だが結局は侵攻を撃退した
帝国軍は史上空前の大艦隊をもって押し寄せ、イゼルローン回廊もフェザーン回廊も帝国艦艇で埋め尽くされたのに、凌ぎ切った。ここハイネセンまで襲来してくるという未曽有の国難はも過去のものだ。おまけに艦の損耗率で見れば帝国軍よりはるかに小さい。
戦いの主な当事者にはメディアからのインタビューやテレビ出演の依頼が引きも切らない。
ヤンやキャロライン、シトレといった主要な立役者はそれを断るのに苦労した。
すると玉突きのように別の人間が苦労することになる。今まで実直な軍人だったビュコックやクブルスリーにまで依頼がくるのだ。
「ヤン君が楽をするからこっちが苦労する。テレビ出演も仕事のうちと勤務表に明記しておくべきか」
そして、同盟軍で人事の発表があった。もちろん細かい昇進はいくらでもある。
だがその中でも大きく目を引いたのは、やはりヤン・ウェンリー大将が元帥に昇進したことだ。
これでヤンは同盟軍人としての最高位に達した。ちなみに同盟軍では統合作戦本部長や宇宙艦隊司令長官というのは役職名であって階級ではない。
これを聞いたユリアンは喜んだ。
ユリアンはこのときフェザーン駐在武官の任を終えたとして堂々帰還してきたばかりだ。
「これで家に元帥が二人になりましたね!」
もちろん、ヤン以外の一人というのは太った飼い猫の「元帥」のことを言っている。
ヤンの当面の勤務はイゼルローン要塞駐留艦隊司令官、これは変わらない。
そしてフェザーン方面防衛成功の殊勲に対し、その総司令官アル・サレム中将、作戦参謀のキャロライン・フォーク中将がどちらも昇進して大将になった。
しかしここで問題が生じる。
さすがに第九艦隊という一個艦隊で大将が二人というわけにはいかない。
これまでと同じようにはできないのだ。
そこでアル・サレムの方が第九艦隊を出て統合作戦本部勤務に移ることを希望した。
するとキャロラインが第九艦隊に残るとすれば艦隊司令官となる。
今までも実質そのようなものだったが、形の上でもそうなる。悪く取れば見かけ上第九艦隊を乗っ取った形と言えなくもない。
そのことをキャロラインが気に病んだりしないようにアル・サレムの方から声をかけた。
「長いこと一緒にやってきた気がするが、たったの四年なのか。君のおかげで儂は素晴らしい経験をさせてもらった。同盟のお荷物と言われた第九艦隊が活躍したとは本当に夢のようだ。キャロライン・フォーク大将、これからも第九艦隊をよろしく頼む」
「いいえ、第九艦隊は閣下の艦隊です!!」
「いやいや、もう老兵が前線にいる時代ではない。それにこちらは生きて艦隊を降りられるのだ。よかったと思っている。なにせこのところ、艦隊司令官は死体になってやっと艦隊を出られるのが当たり前になった。本当に感謝している」
キャロラインにアル・サレムの優しいまなざしが注がれる。
この四年間それは少しも変わらなかった。
あの帝国領侵攻作戦会議で庇ってもらって以来、アル・サレムの庇護の下、キャロラインは存分に才覚を発揮し、帝国と戦うことができた。少なくとも味方から足を引っ張られることはない。それがどんなに幸せなことだったか、出会いに感謝せざるを得ない。
そしてキャロラインはアル・サレムがとても第九艦隊を愛おしく思っているのを知っている。
アル・サレムが第九艦隊を離れると決めてから、旗艦パラミデュースをくまなく歩きまわっているのを知っている。
艦橋の手すりを撫でているのを横目で見た。古い部分では塗料が傷になったり、はがれていたりするところがある。逆に新しい部品が継ぎはぎされているところもある。アムリッツァの戦いで大破したこともある歴戦の艦だ。
口には出さないが色々なことを思い返しているのだろう。
艦隊司令官として悲しいことも嬉しいことも数え切れないほどあったはずだ。
キャロラインにはアル・サレムの万感の思いが苦しいほどわかる。
一方のアル・サレムにとってキャロライン・フォークはいつまでも亜麻色の小娘だ。准将としてこの第九艦隊に赴任してきた頃からそれは変わっていない。
その真っすぐな心根と善良な気性、そして並外れた異才はこれからますます輝くであろう恒星だ。
この同盟軍にとっての至宝なのだ。
彼女を第九艦隊に迎えられたことはこれ以上ない幸せなことだった。これからの第九艦隊の活躍を祈ってやまない。
アル・サレムの離任を第九艦隊将兵全員が華やかなセレモニーで彩った。
皆、アル・サレムを尊敬していた。
彼らにとりアル・サレムは包容力のある将だった。決して強くないかもしれない。優れた指揮でないかもしれない。しかし無茶はしないのだ。それに何より自分の栄達のために部下を犠牲にすることは決してない。司令部だけ逃げるなどあり得ないことで、将兵にはその意味においてこの上なく信頼できる将だった。
アル・サレムが去ることは彼らにとってとても辛い。
同盟軍全体からすれば小さな変化なのかもしれない。でもそれは一つの艦隊将兵にとって大変な違いだ。
だが、幸いなことがある。
キャロライン・フォークが残って指揮するなら彼らは納得する。能力のことだけではなく、キャロラインは自分で思っている以上に将兵に好かれていたのだ。
そんなことがわからない他の艦隊の兵が「女提督がうまいこと司令官に収まった」などと言おうものなら第九艦隊の兵たちよって必ず袋叩きにされる。
人事面ではもう一つ暗黙の了解がある。
もしまた帝国軍が侵攻してくることがあったら、フェザーン方面の同盟軍はキャロラインが指揮をとることも決められている。
それと第九艦隊には新しく人員が補充された。
「ただ今着任しましたスーン・スールズカリッター准将であります。第九艦隊の参謀に加えられましたこと光栄に思います」
「まあ、ようこそ第九艦隊へ!」
何とスールズカリッターがやってきた。
それこそキャロラインが子供の時からの旧知であり、兄アンドリューの士官学校の親友として幾度も家に来ていたものだ。
しかもキャロラインが女性士官学校卒業後、かなりの期間同じ艦で上司だった。キャロラインにとって第九艦隊に来てくれたのはとても嬉しい。
スールズカリッターの方では、やはり大物になった、とキャロラインを見る。
自分の想像していた以上に素晴らしい才能があったのだ。アンドリューも幸せだな、と思う。
第九艦隊の参謀としてもう一人赴任してきた者がいた。
「ジャン・ロベール・ラップ大佐であります。療養から復帰し第九艦隊後方部に配属になりました」
これにキャロラインはわずかに引っ掛かるものがあった。
以前フレデリカの恋敵だった、あの目のキツい女の夫なのである。だが数度も接するうちにそんなことは氷解した。ラップは有能で、しかもとても人柄が良いのが分かったからだ。よく笑い、そして屈託がなかった。
「さすがヤン提督の友達だわ」
キャロラインはこれも嬉しく思う。
その他にも旗艦パラミデュースの艦長としてやってきたフェーガン大佐、航海部のフィールズ少佐は顔なじみだった。
この面々は後にキャロライン・ファミリーと呼ばれ、同盟軍史上でも特筆すべき功績を遺すことになる。
宇宙の一方でそんな人事があった頃、もう一方でも人事らしいものがあった。
「ラインハルト夫君の宇宙艦隊司令長官の職を解く」
サビーネ・フォン・ゴールデンバウム皇帝が謁見の間にある玉座からラインハルトに言い渡す。
「皇帝陛下、この度の出征失敗、面目次第もございません。目的を達せずして多くの将兵を遠い宇宙に倒れせしめたこと、全て我が身の非才に責があるもの。謹んで職を辞させて頂きます」
ラインハルトはこう言って膝を折る。
謁見の間は粛然たる空気に包まれる。公式の場においてはサビーネ皇帝に従う形をとる、それは帝国が帝国たる権威を保つ上で必要な形式なのだ。
そして言葉通り宇宙艦隊司令長官から退いた。多少の実りがあったとしても多くの将兵を損じたけじめが必要である。
とにかく、今回の責任を誰かが取る。それは潔癖なラインハルトが望んだことでもある。
しかし事実上ラインハルトが銀河帝国全軍を率いるのは変わりがない。
他に代わりになる者がいるわけがない。
ちなみに平時でも職務が多い軍務尚書の職は名目上といえども空席にしておくことはできず、そのままラインハルトが就いている。
もちろん公式の場でラインハルトに謝罪させたサビーネも二人だけのところでは正直な心で話す。
「ラインハルト様、よくご無事で…… それだけで充分ですわ。私の元に帰ってきてくれれば。それだけで」
「サビーネ殿、だが私は偉そうなことを言ったのに負けて帰ってきた」
「いいえ、ラインハルト様が負けたわけではありませんわ」
「いや、帝国を広くし損ねた」
「フェザーンは取れました。それだけでも広くなりましたわ。もう帝国は充分です。このまま二人で守りましょう」
それはサビーネの本心だ。
帝国は充分広い。まだまだ未開発の惑星は多い。
いや、無理な開拓は最初から必要ない。
帝国領は人口を入れるのには広すぎるくらいである。なぜなら帝国の人口は過去からすれば随分と減ったわけであり、ゆとりはまだまだある。
帝国がこれから正しい道を歩めばきっと豊かになっていくだろう。
つまりわざわざ危険を冒して戦いに出なくてもいい。
もちろん帝国が民主主義というものをあくまで認めず、根絶を欲しているのもサビーネには分かっている。そういうイデオロギーの戦いの側面が大きいことを。
しかし、それが多くの人間の命と引き換えになさねばならないものだろうか?
同時にサビーネに分かっていることがある。
戦いは止まない。ラインハルトの覇気は戦いを止めることがないだろう。敵が存在する限り歩みを止めることはない。
それが覇王なのだ。良きにしろ悪しきにしろ。
でも今だけはラインハルトはオーディンにいて、二人で幸せの時を持つことができる。サビーネにはそれで充分である。
もちろん、それを壊すようなことはラインハルトもしない。二人はもう夫婦なのだ。
帝国ではもう一組の夫婦もとりあえず再開を喜び合った。
「帰って来たぞ、エヴァ。この通り無事だ」
「良かったわ、ウォルフ。絶対に死んでもらっては困りますから」
「嬉しいねエヴァ。死ぬはずがないんじゃなかったのかい。その言葉通りエヴァのために帰ってきた」
「そのうち私のためでなくとも帰ってきますわ」
「……」
何のことだろう。ミッターマイヤーには意味がわからない。
「これからはお土産も必ずお願いしますね」
エヴァンゼリンはなぜかとても嬉しそうににこにこしながら、ミッターマイヤーに二つに折られた紙を差し出した。
その紙を開けてみると、病院の検査結果表だった。
そして大きく妊娠と書かれていた!
「エヴァ! これは、本当か!」
「ええ、本当よ!」
ミッターマイヤーはエヴァンゼリンがどんなに子供を待っていたか、よく知っていた。まだ見ない子供に思いを馳せていろいろ準備をしていたのも分かっている。
二人は良かった良かったと繰り返し言い合う。
その夜のミッターマイヤー家は楽しい声がいつまでも響いていた。
次回予告 第八十八話 結婚式