18/06/04タイトル、本文微修正
1話:従者の休息
忘れられたものの集う地「幻想郷」その人里の一角には奇妙な店がある。
魑魅魍魎の跋扈する幻想郷では、妖しきにおびえることなく人間が枕を高くして眠れる場所はほんの一握りで、人間の集落ともなれば一つしかない。
人里の商店通り、里一番の大商店「霧雨商店」の脇の狭い路地に入り少し進むと見えてくる洋風の建物。その名前は「Cross road」という。
真夏のうだるような暑さが鳴りを潜め、五月蝿かった蝉時雨もいざ聞こえなくなってしまうと寂しさを覚える。青々と茂っていた青葉も色を変え、紅葉に染まる木々が実りの秋の到来の足音を鳴らす。肌寒さを憶えさせる乾いた風が新たな季節を運んでくる。
一月程前に起きた紅霧異変は博麗の巫女の手によって終わり、今となっては平時と何ら変わらない平穏を人里は取り戻した。異変の前と何ら変わらぬように見える人里では小さな変化が一つ。一人の人間が良く人里を訪れるようになったことだ。
彼女の容貌は艶やかな銀髪は短く、ボブカットに切り揃えられている。その一部を三つ編みに結い、頭に白いフリルのあしらわれたホワイトブリムを載せている。端正な顔立ちは西洋人形を想起させるが、瑕疵の無い美しさは作り物めいた人の熱の通わない冷たさを感じさせる。
これだけでも異彩を放つのだが、より一層そうさせているのは服装だろう。青を基調としたなだらかな曲線を描くロングドレスに、フリルのついた白のエプロンを重ねた、所謂メイド服と呼ばれる格好は、着物が標準の人里では浮世離れして見えるのはある種仕方のないことである。
人里を訪れるたび、様々な思惑の視線が彼女に向く。
十六夜咲夜は己へ向く視線に辟易していた。
人里を訪れるようになってからどのくらいたったのだろうか。咲夜は自分に向いた奇異の目線から意識を逸らすようにふと考える。
異変の解決以後だから一月程、もう一月経っている。だというのに未だに馴染めてないと告げるような歓待だ。異端を簡単に受け入れられないのは分かるが、紅霧異変の首謀者の一員であることを差し引いても、人里を訪れるたびに向く視線は多すぎるのではないのかと思ってしまう。
実際には異変の一員ということよりも、その風貌によるものが大きな要因を占めているのだが。
幸い悪意や拒絶といった雰囲気は感じられないが、探るような目線にさらされ続けるのには慣れていない。人里には買い物をしに来たのであって、見世物になるために来たのでは断じて無い。訪れる度に見世物にされるのは気持ちのいいものでもなく、落ち着いて一息もつけないのは少しばかり堪える。
いっそ悪意や憎悪に彩られたものであれば咲夜にとってはまだ御しやすいものだっただろう。こちらも相応の態度で示せばいいのだから。しかし好奇の視線にさらされることには慣れていなかった。
咲夜は今日最後の大仕事、生活雑貨の購入に今一度気を入れなおす。
霧雨商店での生活雑貨品の買い出しを終えた咲夜は、上質な染め物の暖簾をくぐり店を後にした。軒先から注ぐ南中の日の光の眩しさに目を細め、懐から懐中時計を取り出し時間を確かめる。盛夏を過ぎ、秋がそこまで来ていると言ってもまだまだ日は長い。
時計の二本の針は二と六、二時半であること訴え、人里での用事が済むのが早すぎたことを教える。今日行う館内の業務は大方終えてしまっている。人参、玉葱、ジャガイモ等の食材の入った手提げと、羊用紙やインク、ハンカチーフなどの入った手提げに相談する。
手荷物もかさばるほどでは無いしこのまま戻るのは少しもったいないと思った咲夜は、視線からの避難も兼ねて大通りではない路地を散策することとし、店のすぐ横の路地に足を延ばした。
霧雨商店の横の狭い路地を進んだ先にあったのは、街並みから浮いた建物だ。
西洋風あるいは現代風という趣を持った建物は日本家屋の並ぶ路地ではいたく目立ち切り取られた絵画のような印象を抱かせる。扉には「OPEN」とかかれた小さな木の板が提げてある。
咲夜にはこの文字が意味する事はわかるが、お嬢様が好んで使う文字がこの幻想郷ではほとんど使われていないことも知っている。前に巫女へ手紙を届けた際にも読めないと突き返された。
そのことから多少訝し気に思うが、ドアノブに手を掛け扉を開く。
扉を開き建物に入ると変声期を終えたばかりであろう、低く成りきらない若い男の声が耳に届き、嗅ぎなれない匂いが鼻腔をくすぐった。記憶の片隅に残る匂いに、喉に小骨が刺さったままのような気持になるが、声の聞こえた方向へ顔を向ける。
黒髪の短髪、目鼻立ちは彫が深め、顔立ちはまあ整っているほうであるといえる。
咲夜の目を引いたのはその格好だ。
幻想郷では見かける事のほとんど無い白いシャツに、黒いカフェエプロン。
他の店員も同様の格好をしていることから、制服か何かだろうとあたりをつける。奇しくも自分が視線を集めている理由と同じ理由で視線を向けていたことに本人は気付けない。
驚くことはあれど、咲夜は気にせず男に問いかける。当然この店についてだ。
「ここは何の御店なのかしら」
男は姿勢を崩さないまま、喫茶店ですと物腰柔らかに応えた。
「喫茶」
茶を喫するということなら、一家言を持っている。特に紅茶やそれに類する機器の扱いは本職にも引けを取らないと自負している。ただ茶葉の種類が偏ってしまうのが目下の悩みである。
人里の茶事情を知るための必要経費として、買い出しの余りの金で一品注文することにした。先程の店で予定より安く買う事が出来、余ったお金だ。足で稼いだ分少しくらい自分の為に使ってもばちは当たらないだろう。
一人であることを伝えるとカウンター席に案内される。暖かな暖色系の灯の灯された店内は明るく郷愁と温かさを感じさせ、落ち着いた色合いの内装は気を落ち着かせる。案内された椅子は上質な作りで、まだ新しいのか木の香りがほのかに香る。男の手は椅子を引き咲夜を案内しようとしたのだが出端を挫かれ空を漂っていた。
お手並み拝見という意味を込めて、品書きを見もせずにこの店のおすすめと注文する。
そのような注文のされ方にあまり慣れていないのか、男は少し逡巡するそぶりを見せ、その後かしこまりましたと告げカウンターの裏に回った。
手持無沙汰になった咲夜は店内をぐるりと見回す。淡く橙色の明かりは夜の通りを照らすガス灯とは違う、揺れない灯が爛々と店内に注ぐ。中世を思わせる木と石による小粋な内装、これらの要素が重なりどこか浮世離れし切り取られた時間の中にいるような感覚に陥る。しかし決して不快な感覚ではなく、ノスタルジーとでもいう様な懐かしさが落ち着きを与える。
訪れている客層も様々で、幼い子供こそほとんど見受けられないが少年から老婆と幅広く、妖怪と思われるものも見受けられる。どの客も同様なことといえば、あまり騒ぎ立てず各々静かに愉しんでいるということだろうか。小路の外の大通りの様な活力にあふれた喧騒とは違う、穏やかな喧騒は不思議と安心感を与える。
咲夜は体の力を抜き椅子に深く座りなおして、手提げ鞄から小冊子を取り出す。図書館から失敬したはいいもののなかなか時間が取れず、自室の本棚に死蔵していた小説だ。気紛れに持っていた本を開き、栞を取った。
しばらくすると厨房からゴリゴリと聞きなれない音を聞き、視線を上げる。男は見慣れない器具を用いて何かを挽いている。店内に入る時に感じた香りが一層強くなり、挽き終わった粉末を、ポットの上にセットされた布の中に入れている。少なくとも紅茶ではないことがわかり、少し気落ちする。
横で沸かしていたお湯を少し冷ました後、粉末のセットされたポットに少量注ぎ止める。少し間を置いて再び注ぎ始め、黒色の液体が滴り始めるのが見える。
お嬢様に淹れる深紅の茶とも、神社で出されるごく薄い緑の茶とも違う黒色。
あんなコールタールを塗りたくったような黒色の泥水が出されるのかとおもうと、ぞっとする。同時に思い出す、あれは珈琲と呼ばれていると。以前にその芳香につられてなけなしの小銭をはたいて試したことがあるが、苦味しかない調和の無い味は見掛け倒しといっても過言でなく、金を払って飲む人間の気持ちがわからなかった。
初めて珈琲を飲んだ時のように悪辣な罠にかかってしまったような気持になる。
店員の男は完成したそれをカップに淹れ、ソーサーに乗せてなんの臆面もなく出してくる、それどころかある種自信ものぞいている。
「当店オリジナルブレンドコーヒーになります、どうぞごゆるりと。」
出された珈琲を憎らしく思うが、見つめているだけでは何も変わらない。
注文した以上飲まないわけにはいかない、意地があるのだ、従者には。
咲夜は併せて出されたシュガーポッドとミルクピッチャーに目を向けず、カップをつまみゆっくりと、気品を感じさせる所作で口へ近づけ傾ける。
口の中に予想していた苦みが広がる、だが苦みだけではない。程よい酸味とコク、ごくわずかに感じるられる甘味、苦みと調和のとれた重厚な四重奏を奏でている。以前飲んだコーヒーは苦みしかせず乱暴な味わいだったが、これはやさしさのある苦みが感じられ、重厚だがしつこくない絶妙な後味がある。
縁にのみ装飾を施された慎ましやかなカップが形のいい唇から離れ、音を立てずにソーサへと還る。
なるほど、珈琲というのも存外悪くはない。
そう思わされたのだから咲夜は認める外無い、この店の味を。ふと横に目を向けると、シュガーポッドとミルクピッチャーに気が付く、今回はこのまま愉しむが次はどちらか、あるいは両方を試してみてもいいかもしれない。
穏やかさからは落ち着きを、小さな喧騒からは安心を、そして片手に珈琲を。一人で静かに過ごす、だけれども孤独ではないそんな世界を供に穏やかに珈琲を愉しむ、たまにはそんな時間もいいかもしれない。今度は読みかけだった他のペーパーバックでも持って。
咲夜はそこまで考えてふと気付く、何故か次回のことを考えてしまっている。きっと気に入ったのだろうこの店が、簡単なことで気を持つ己に苦笑するが、その結論でいいとも思った。
ただ、今はこの珈琲とこの時間をを愉しませてもらおう。
珈琲を飲み終え、懐から懐中時計を取り出し時間を確認する。思っていたよりも長居していた事に気付き席を立つ。店員を呼び会計、二杯分の料金を支払う。
先程咲夜を案内し珈琲を淹れた店員だ。喜色満面というわけではないが、何となく勝ち誇ったような顔がにじみ出ていて、その表情を崩させたいという小さな悪戯心を咲夜に芽生えさせる。
店員にのみ聞こえるように耳に口を寄せて告げる。
「次も失敗せずに淹れてくださいね」
満足はいったが、淹れる過程の僅かな所作にこもった緊張に気づいてしまった、恐らくまだ経験が不足しているのだろう。こう伝えると、彼は大きく狼狽した。冷静を装っていた男の慌てように可笑しさを憶える。
少し意地が悪かったかもしれないと思いながらも、店を発つ。背中にありがとうございましたと、入店時より力のある声が聞こえ、何となく次も期待できそうな気がした。
木枯らしが森を裸にし、新たな季節を運ぶ。運ばれた冷涼な空気は幻想の地に霜を降ろし、霧の湖には一足早く薄氷が張り始める。
湖の畔には紅に染め上げられた館、紅魔館がある。紅魔館は幻想郷では珍しい西洋建築の屋敷で、血のような赤色で染め上げられた館だ。住まう者達は、血を好むと言われている吸血鬼に、研究の為なら良心の無い魔法使いなど洋間の住まう館である。
目の覚めるような紅色は曰く侵入者の血で塗られただとか、そう見せかけるために当主が手ずから赤のペンキで塗ったのだとか、様々な謂れがある。
紅魔館は大きさに反して住人は意外なほど少ない。
静寂と紅、それがこの館を構成している。高価な調度品も、気品を感じさせる装飾も、生の抜け落ちた館では救火揚沸にしかならない。
ある一室からは紙をめくる音が聞こえる。音の無い屋敷ではその小さな音すら響き、出所を教える。豪奢な装いの屋敷の中でも一層大きく絢爛な扉の奥からだ。
その中では少女と呼んで差支え無い娘が、体不相応な大きな執務机に座り作業をしている。青みがかった銀髪と朱い瞳の少女、レミリア・スカーレットは書類の内容に時折顔を顰め、手元をちらりと見る。
「咲夜」
一言だけ呟くように零すと、ティーセットを持った十六夜咲夜が現れる。
咲夜は瀟洒な従者である。怪しげな紅茶を淹れる事を除けば。レミリアは普段と感じる匂いが違うことに気付き、記憶の中から一致する名前を掘り起こす。レミリアにとっては随分と懐かしい香りだ。
「珈琲かしら、珍しいわね」
レミリアは少し驚いたようにひそめていた眉を上げ咲夜を見やる。今までこのようなことはなっかたからだ。
「少し思うところがありまして、お嫌いでしたか」
その言葉に、たまにはいいわと返しソーサーに置かれたカップに目をやる。キャラメル色の液体から香しい芳香が漂っている。まずは目で愉しみ、次に鼻、そして舌で味わう。どの一瞬を切り取っても絵画にできるほど完成された所作で、ゆっくりと珈琲を嗜む。
空になったカップを下げ、部屋を後にしようとした咲夜に声がかかる。
「なかなか、悪くなかったわ」
普段出さないものを出したため、不安のあった心が軽くなる。続くただ……という言葉に体が強張る。
「次はブラックではなく、味を損なわない程度にシュガーと、それとミルクを入れたものを試したいわね」
その言葉に咲夜は一瞬表情が固まるがすぐに持ち直し、わかりましたと告げ部屋を後にする。レミリアが執務を再開し、書類に目を通していたのは幸いだろう、そうでなければ顔の強張りに気づかれてしまっただろうから。
「既にシュガーとミルクが入っていた」なんてことは、知らなくていいことなのだから。
レミリアお嬢様に珈琲飲んでもらいたかっただけです。