「そういえば、異変の解決にはいかないんですか」
雪降り止まぬ五月の日、寒気と隔絶された「Cross road」の休憩室で何気なしに康輝が咲夜にかけた言葉だ。以前の採用面接の際に今後の異変に参加する旨を聞いていた故の質問である。
咲夜は口を付けていたカップをソーサの上に戻し康輝の問いに答える。
「そのつもりでしたが……お嬢様にまだ早いと止められまして……」
咲夜にしては珍しく言い淀み、不安げな色を伺わせる。異変にて被害を被っている人里において、異変を知りかつ解決する力もあるのに手をこまねいた後ろめたさからだろう。知っっていたのにも関わらず、解決に尽力しなかったのであれば、それは異変を助長している行為ともとられかねない。当然人里に住む人にとっては面白い事ではない。拒絶されるかもしれない、そのことがほんの少しだけ怖い。
言い淀んだことから、康輝は後ろめたさを読み取り、驚きから眉を上げる。
「なんて言うか、意外ですね。もっとこう……紅魔館が至高それ以外は気にしないみたいな人だと思っていました」
随分と失礼な人物分析だが咲夜に対してのそれは概ね間違ってはいない。紅魔館か人里かどちらかを選べと言われたら迷うことなく紅魔館を選べるし、そのことに後悔もしないだろう。ただ選ぶ必要が無いのなら、できる限りいい関係を築いていきたいというだけだ。悪魔の従僕であると同時に人間なのだから、欲を持つことは当たり前のことである。
「お嬢様曰く、巫女の花形舞台を下調べして踏み荒らす様な真似は優雅でないとの事よ。同時に舞台に立ち他の役者を圧倒する事が貴族の力の示し方だとも言っていたわ」
最後に私もそう思うし、そうするだけの力も自信もある、だから今は巫女の動き待ちねと言葉を結ぶ。湯気を立てていたカップはおとなしくなり、適温を教える。熱すぎる物が苦手な咲夜にとっての適温だ。乾いた口を潤すためにカップを摘み上げ、ほろ苦く甘いココアをちびちびを味わながら嚥下する。
咲夜に康輝から差し響きが与えられる。それも特大の。
「ん、博麗の巫女さんなら今日の昼前に、霧雨のお嬢さんは朝方にそれぞれ異変の解決に出立したらしいですよ」
「え…………」
その言葉に咲夜は手にしたカップを下げることもできず、呆然自失としている。咲夜と康輝は店の運営の為昼の休憩を遅くに取っていた。もう正午は一時間以上前に過ぎ去り厚い雪雲の向こうの太陽は南中に座していた。窓も開けていないのにも関わらず、暖かだった休憩室の空気は凍り、沈黙が満ちていった。
数秒、あるいは数分ほどの短い沈黙を破り、咲夜は再起する。手にしたカップを傾け中身を勢いよく嚥下する。空になったカップを下げソーサとカップを流しに運ぶ、足取りはいつもよりも早くかすかに音を立てる。
幻想郷ではほとんど見かける事の無い設備に咲夜は驚くこともあったが、捻れば水が出るという事の利便性は嫌というほど知った。浄化された冷水を出し咲夜は使った道具を片付け、無駄のない動きによって食器たちはたちまち光を放つ。冷や水に触れた手は温度を失い冷たくかじかんでいる。
片づけを終えた咲夜は踵を返し、制服のシャツのボタンに手を掛けながら休憩室を後にする。
休憩室に戻った咲夜はメイド服に身を包み、つかつかと足音を立てて康輝の対面に座る。いつものメイド服と比べるとスカートの丈が短く多くのフリルをあしらった見栄えの良い華やかな装いであるが、寒々しい格好である。
「本日の午後からは休みをいただけないでしょうか」
康輝は咲夜の「お願い」にやはりといった表情を作り、宥める様に応える。
「十六夜さん、それじゃ休暇の申請じゃなくて事後報告ですよ」
小さなため息とともに漏れた言葉に咲夜の求めた答えはなく、一刻も惜しいとばかりに康輝に結論を出すよう急かす。
「それで休みはいただけるのでしょうか」
「それは構わないけれど、少しだけ待って下さい」
その答えを聞き、席を立とうとする咲夜を康輝が制する。康輝はおもむろに席を立ち執務机と流し台の下の棚をあさり、咲夜の前に成果物の二つの箱と一枚の紙を置く。時間に追われる咲夜はすぐにでも出発したく、そわそわと落ち着かない様を見せる。時間を止めて遅れを取り戻すことはできるだろうが、余り能力を使い過ぎたくはないし、頼りきりでいたくない。時を止める事は出来ても戻すことはできないのだから。それに何より非常に疲れるのだから。
今日に限って色々な表情を見せる咲夜に、康輝は何となく調子が狂ってしまう。
「急がば回れ。少しだけ回り道して手を抜きましょう」
驚いたというのが咲夜の感想だ。時間外には饒舌になる同僚の、少しばかり長い探偵ごっこは結果として大幅な時間短縮の成果を上げ、遅れを取り戻すことができたのだから。騒霊の三姉妹が向かっていた場所には、空のパズルからピースが抜け落ちたような大きく口を開けた裂け目がある。そこからは冬空の寒さとはまた違った寒気が漏れだし、咲夜の体を震わせる。
騒霊がいたという事から、まだ巫女も魔法使いもここには到達していないようだ。どちらかが来ていたのなら、すでに蹴散らされていただろうから。
携行用のポーチから小ぶりな水筒を取り出し蓋を緩めると、独特の刺激を持った臭いと共に暖かな湯気が琥珀色から立ち上る。特徴的な香りの生姜湯はピリッとした刺激を喉と舌に与えるが、蜂蜜が加えほんのりと甘く仕上げてあるこの薬湯は飲むことが苦にならない。生薬としても用いられる生姜には発散作用があるとされ、冬場や風邪になると重用されるのはこのためである。咲夜はじわりと内側から温まっていることを実感する。
水筒の蓋を閉めポーチにしまい、門へと向かう背中に少女の高い声がかかる。
「あら、咲夜早いじゃない。これも『運命の導き』ってやつ」
咲夜に声を掛けたのは、異変の解決を生業とする博麗神社の巫女、博麗霊夢だ。霊夢の服装は、頭に大きな赤いリボン、白と赤を基調とした巫女服で紅霧異変の際よりも記事が厚いことをうかがわせる。極寒であるにも関わらずやはり脇が空いている。
普段から飄々としている霊夢にしては珍しく声音に僅かばかりの険がある。珍しいものを見た咲夜笑み零し、底意地の悪い回答をする。
「『勘』ってやつじゃないかしら」
嘘は言っていない。情報を整理して場所を絞り、そこから勘で来たのだから。だが種明かしはしない。霊夢はそれきり禅問答に興味を失ったのか、そう、といつもの表情で呟き先へと進もうとする。
空の穴に向かう足取りを止める声が聞こえる。咲夜にとって出端を挫かれるのは本日三度目になる。
「ったく、えらい目にあったぜ」
いつも通りの黒の装いに白の外套を重ね、トレードマークの三角帽、箒に乗り掛けてきたのは白黒の魔法使い。霊夢にとっては腐れ縁の、咲夜にとっては最近話題の、霧雨魔理沙である。冬用の厚みのある外套は煤け、帽子の長いつばの上にはうっすらと雪が乗り外に居た時間の長さを教える。
顔を上げ上に見える二人に気付いた魔理沙は独り言を聞かれた気恥ずかしさから、白皙を赤く染める。照れもそこそこに二人の横に並ぶと箒を停止させ、口を開く。
「ちぇっ、私が一番遅かったのか」
魔理沙は不満げな声音を隠そうとせず、唇を尖らせる。一番早く出発し出し抜こうとしていたのにも関わらず、自分が一番遅くなってしまったから悔しさは当然ある。本当はここで根掘り葉掘り聞いて次に生かしたいが、そんなことは私らしくないと、魔理沙は心に蓋をする。
「それじゃ、こっからはまた競争だな。亀さんに負けるなよ」
「居眠りしない兎に亀は追いつけないでしょう、競争にならないわ」
お互いに挑発しあう魔理沙と咲夜を横に、沈黙を貫いていた霊夢が重い口を開く。
「あんたらの茶番はどうでもいいけど、いやな予感がするわ。先に行かしてもらうわね」
ぶっきらぼうな抜け駆けに二人も慌てて幽門に向かう。
空中の大きな洞を抜けると異界だった。
入り込んだ異界は余り外と変わりなく、少し寒気がするのと視界の隅を霊魂の様な浮遊物が横切る程度である。ただし、暦相応に花が舞い枝葉が茂っていなければだが。
誰の目から見ての異常なここは、異変の下手人が居を構えている場所と断定するには十二分な証拠をそろえている。
地面には石畳の敷き詰められた道がはるか遠くに見える屋敷まで絶える事無く続き、等間隔で配置された石灯篭にぼんやりとした明かりが灯されている。暗い水底を思わせる空に星は輝かずがらんどうの空箱、草木も何故か生気が薄くどこか薄い印象を抱かせる。
ずんずんと進む霊夢を咲夜と魔理沙は追掛ける。どこか急ぎ足に感じる移動は焦りが滲んでいる。らしくない、というのが霊夢を知る人が今の霊夢を見た感想だ。後に続く二人が訝し気に思っていると、不意に前の霊夢が静止する。
目の前には色素の抜け落ちた白い髪、二振りの刀を携えた小柄な女性。近頃巷を騒がせていた通り魔の特徴と一致する。鋭い双眸は三人を見据え敵意を露わにしている。
「皆が騒がしいと思ったら、生きた人間だったのね。結界を破ってきたのなら随分と命知らずね」
生きた人間という単語に、霊夢はやはりといった表情をし懐の札に手を伸ばす。魔理沙も八卦路を構え臨戦態勢を取り、咲夜は懐中時計を片手に様子をうかがっている。
「後少しの春で西行妖が満開に幽々子様の悲願が叶う。だから貴方達の持つ春を、頂く」
二振りの刀が鯉口から抜かれ、銀閃が煌めく。刃引きされていない刀は灯篭の光を反射し、美しい刀身を冥界の空気にさらす。抜刀すると飛び上がり虚空に佇む一人の姿を捕える。
「一人……」
白い少女は両手に刀を乗っているため、手の甲で目をこする。非常に危ない。目を凝らしてみても人影は増えず、一人のまま。人影は拍手をすると、少女に言葉を投げかける。
「中々、いい前口上だったわ。でもあんまり長いから二人は先に行っちゃったわよ」
その言葉に少女は後ろを振り返る。そこには赤白の巫女に、白黒の魔法使いが屋敷へと飛んでいくのが見える。一体いつ見落としたのかわからないが、一つだけわかることがある。この青を斬って、赤も黒も追いついて斬ればいい。そう結論付けて振り返ろうとすると頬のすぐ脇を白閃が抜ける。通り抜けたナイフは地面に当たり甲高い音を立てて、地に落ちる。
「十六夜咲夜。貴方をぶっ飛ばす名前よ、以後お見知りおきを」
背後から不意打ちをする外道は征伐しなければならないと、負けじと声を張り上げ名乗りを上げる。
「白玉楼の庭師、魂魄妖夢。斬れぬものなど少ししかない」
魂魄妖夢を素通りした二人は、速度を上げ、白玉楼へ向かう。
「なぁ、霊夢……」
「皆まで言わないで魔理沙」
妖夢を素通りしたのはある種の手品である。本来であれば道行く邪魔者は全てぶっ飛ばすつもりであったが、霊夢は時間がないと肌で感じていたため、咲夜の案に乗りあそこを任せた。
種としては簡単で咲夜が時間を止め、霊夢と魔理沙だけ時間を戻し、進ませたというある意味で種も仕掛けもない手品だ。急ぎたい霊夢としては渡りに船であったのだが、どうにも咲夜にも嫌な予感がし始めたのだ。どこからだっただろうか、その予感がし始めたのは。
霊夢は停止した時間の中で意識が戻る。停止した世界に色はなく、殺風景で味がない。隣にいた魔理沙も咲夜によって時間が動き出し、白黒の世界に泡を食っている。
「霊夢、何を焦っているの」
咲夜の問いかけに、魔理沙も頷く。隠していたわけではなかった為、霊夢は訳を話す。今回の異変で時間をかけすぎると危険な予感がする事、もう時間が少ないであろうこと。勘しか根拠のない事だが言の葉に乗せて伝える。
「そう、ならここは私に任せて先に行きなさい」
霊夢は別の嫌な予感がすることを感じ取る。
「すぐに追いつくから、せいぜい急ぐことね」
膨れ上がる。
「早く解決して、宴会でもしましょう」
役満である。
きっとこの予知は外れない、霊夢には確信がある。魔理沙も同様の様だ。咲夜は確実に
「「何かヘマをする」」
大したことにならないであろう咲夜は置いておいて、取り返しのつかなくなりそうな先へとスピードを上げて進む。
春が来るのはそう遠くない。
この異変は春雪異変と名付けられ、これの解決者は博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜の三人とされる。
しかし実際解決の際場に居たのは、博麗霊夢と霧雨魔理沙のみである。では十六夜咲夜は敗退してしまったのかといわれるとそうではない。単純に間に合わなかったのである。
咲夜の弾幕はナイフだ。つまりは実弾、当然限りがある。一度投げたものは回収しなければならない。紅魔館での戦いでは回収を考える必要がなく、騒霊の時には回収しながら戦う余裕があった。魂魄妖夢との弾幕はそんな余裕などなく、下した後時間を止めたりしながら回収を行い、ようやく辿り着いたころには全て終わっていたという事だ。
大見得を切って間に合わなかったという事実は、解決者三人の胸の内にしまい込まれた真実だ。