霧の湖に薄氷が張り始めた数日後、執務の休憩中にレミリアはふと思った疑問を口にした。
「咲夜、あれはどこで仕入たのかしら」
「あれ」とは間違いなく先日出した珈琲のことだろう。普段しない行いをしたのだお嬢様が疑問に思うのももっともだ。
「あれは人里の店で買ったものです」
咲夜の回答にレミリアは訝しげな顔して応える。
「あれは少なくともこの幻想郷でとれるものではないわ、買った店の名前は思い出せるかしら」
あれほど特徴的な店だ、名前も当然憶えている。
「クロスロードです」
その名前を聞いたとたんにレミリアの顔がさらに怪訝なものへと変わる。
「『Cross……lord』で間違いがないのね」
抑揚の付け方の違うレミリアの言に咲夜がはいと応えると、レミリアは机の上の書類を片付け席を立ちいそいそと外出の支度を始める。本日は外出の予定はなかった筈だが、どうしたのだろう。咲夜がそう思考に耽っていると、白い外套を纏ったレミリアから再び声がかかる。
「その店まで案内しなさい、咲夜」
紅魔館を出ると、もう昼時であるというのに湖畔には霧が立ち込めたままで、口からもれる吐息は白く彩られる。
レミリアを伴って人里への道を歩きながら咲夜は思案する。一体何がお嬢様の琴線に触れ、このような行動を起こしているのかわからない。会話を思い返しても不審なことはなかった筈だ。買い出しや換金の時に余った金で新しい茶葉や、私物を買っているのがバレたのだろうか。仮にそうであったとしてもあの店へ案内するということになるはずがなく、ならばと思考するが堂々巡りしてしまいわからない。
仕える主人のことがわからないようでは完全で瀟洒な従者など名乗れるはずもないと自嘲するが、それを表に出さ無い様に蓋をし与えられた職務をこなす。
日傘を差し歩くレミリアも、傘の作る影の下の渋面を崩さない。
主従の通る道には冷涼な風に揺れる木々のざわめきと、乾いた落ち葉を踏みつける音だけが響いていた。
人里は訪れた紅魔の主従に驚愕していた。片手で数えることができる程しか人里に訪れていない紅魔の主が、以前訪れた時とは違う異様な空気を伴って人里に現れたからだ。小心な幾人かは、異変ではないかと勘繰り人里の守護者の下へ走り出す始末だ。
約束の地を目指した預言者のように人の海を割り、主従は無人の野を行くように進む。
霧雨商店の角を曲がり路地を奥に進むと、洋風な装飾の扉の上に「Cross road」と書かれた店が見えてくる。店の前まで着くと、日傘の下のレミリアが咲夜に確認をする。
「これがその店かしら」
咲夜が頷き肯定の意を伝えると、咲夜に日傘を預け扉を開く。
「Cross road」は盛況していた。開店した当初こそ、異様な外観から奇特な好事家ぐらいしか訪れなかったが、それなりの時間を経た今では静寂を住処にしていた閑古鳥を追い出したしまうほどである。幻想郷の喧騒から離れ一時の休憩をし日常へ帰る、その一時を求める人が訪れるのだろう。
経常的に流れていた暖かな静寂は、闖入者によって破られる。
扉が開かれ、ドアチャイムが来客を告げる。金属の軽やかな衝突音に気付いた若い男性の店員が入口に目をやり、咲夜の姿を認めると目礼をし、案内のためこちらへ歩み寄る。それを遮るように鈴を転がしたような高い声が問いかける。
「
静かにしかし圧を伴った声に、店内の穏やかな時間が止まり、紅が店を飲み込む。絵画の様に静止した空間で、男-青山康輝-は怯えを滲ませながらも気丈に応える。緊張に乾く喉を震わせ、舌を回す。
「その……言いづらいのですが……うちは、
返された言葉に紅が凍り、絵画に色と時が戻る。雪のような柔肌に朱がさし、年相不応の幼さを残す顔が羞恥に染まっていく。レミリアは咲夜に預けた傘も持たずに外へ駆け出し、咲夜も慌てて時を止めてレミリアを追いかける。嵐の去った店内には奇妙な静寂だけが残された。
数分後再び扉が開かれ、ドアチャイムが来客を告げる。メイド服を着た従者と思われる女性と、白の少し大きめのダッフルコートを着込んだ青みがかった銀髪の少女の二人組である。少女は店内をひとしきり見渡すと、ふうんと小さく鼻を鳴らす。
「和と洋の交差点だなんて、なかなか小洒落た名前じゃない」
うっすらと朱みの残る頬で少女は呟き、温かな店の喧騒の中に消えていく。
レミリアは案内されたテーブル席に座るとメニューを確認せずに注文を始める。
「この店のおすすめをお願いするわ」
どこかで聞いたようような注文に、康輝はかしこまりましたと応える。咲夜は日替わりをのコーヒーセットを注文し、確認した店員は厨房へ伝えるためテーブル席を後にする。
注文が終わり店内をきょろきょろと見回すレミリアに何となく微笑ましさを覚える。視線が自分から外れた瞬間を見計らい、咲夜は時を止める。
静止した時の中で咲夜は厨房へ向かい、康輝に触れ時を戻す。周りの全てが止まっていることいることに気付いた康輝は慌てふためき、普段は横一文字に結われている口を半開きにし、間の抜けた表情を作る。時を戻したのにも関わらず、停止してしまった顔とは対照的に、視線だけは情報を求め右へ左へと泳ぐ。どうやらこの店員は想定外の事態に弱い様である。しばらくして落ち着きを取り戻した彼に重要な案件を伝える。
「お嬢様の注文は甘目のものでお願い」
これに康輝はあっけらかんとしたが、合点がいったのかすぐに表情を戻しうっすらと口角を上げ返した。
「元よりそのつもりですよ」
主人に聞かれたら小言の一つでも貰いそうな二人きりの密談を終えた後、席に戻り何事もなかったかのように時間を動かす。
しばらくするとレミリアも落ち着きを取り戻し、咲夜と歓談を始める。歓談はレミリアが質問をし、咲夜が応えるという質疑応答で、軽やかな言葉の応酬は絶えることはなかった。
歓談に花を咲かせていると横から失礼します聞こえ、レミリアの前には可愛くデフォルメされた猫の描かれたカプチーノとパンケーキが、咲夜にはコーヒーとスフレチーズケーキが出される。
咲夜はともに出されたシュガーポッドとミルクピッチャーを一瞥するが、伴に出された洋菓子を考え目を離す。出されたコーヒーはレミリアのものと違い黒褐色をしているがどのような味かまではわからない。カップをつまみ上げ、口に寄せゆっくりと味わい嚥下する。
普段のものより強い苦みが舌を刺激し、ほのかな酸味が追従し、やわらかい甘味が包み込む。風味の強さの違いが相乗効果をうみだし、一つ一つの味わいをより深く感じさせる。これは例えるならば、一つの家である。力強い苦み、それを追う酸味、優しい甘味どれが欠けてもならない、一つの作品なのである。
珈琲に舌鼓を打ちながら、ともに出されたスフレチーズケーキを見る。すでに完成されたこれに、どのような彩を与えるのか気になるのだ。
つまんでいたカップを下ろし、ケーキの乗った皿から少し切り分けて口に運ぶ。口腔のビターテイストがスフレチーズケーキの甘みとほんのりとした酸味を引き立て、べたつかない甘さが珈琲をまた引き立てる。一つ一つで完結しながらも、がっちりとかみ合い高めあう。
先程の渋面とは違った渋い表情のレミリアを正面にしながら、カップを再び持ち上げ様子を見守ることにする。
レミリアは落胆していた。確かに幼い外見をしているが、五百年近くも生きているのだ、自分が子ども扱いされたようなものが出てくれば憤りもする。従者が足繁く通っている場所なのだから一入大きな期待をしていたものだからその分落差も大きい。猫が描かれた珈琲にパンケーキは余りにも子供扱いされているのではないかと勘繰ってしまう。
甘いものしか嗜めないと思われるのは心外であり、物申すことも辞さない。しかしそれこそ余裕がなく優雅でないと考えたレミリアは、おずおずと座りなおす。供されたものはしかるべき対応をしなければならない、それが上に立つ者の義務なのだから。
小さな白い手でカップをつまみ芳醇な香りを愉しむ、芳醇な苦みが鼻腔をくすぐる。ひとしきり満足するとカップを傾けゆるりと流し込む。絹のような滑らかさの泡がが舌の上を滑り、苦みと甘みを連れてくる。舌上で踊る甘苦の共演はビタースイートの極致であり、再演を望む声が鳴りやまない。つい熱を入れすぎたと思う頃には、カップは空になってしまっていた。
僅かに残る苦が、新たな甘を求めている。それに気づいてしまったら手を付けないわけにはいかないだろう。
レミリアはパンケーキの皿を少し自分そばに寄せる。シンプルなそれにはバターやマーガリン、蜂蜜などのかかっていないごくごくシンプルなパンケーキ。こんがりと焼きあげられたケーキには焦げ目などなく、狐色の円盤型をしている。ほのかに香る焼き上げられた小麦の甘い香りに喉を鳴らす。
満月の様な円盤にナイフを入れると抵抗なく分かれる。ナイフの切れ味が良かったのか、パンケーキが柔らかかったのかは考えるまでもない。切り取ったひとかけらをフォークで刺し、口元へと運ぶ。ナイフであっさり切れたにも関わらず、しかっりとしていて零れ落ちない。鼻先にある甘味に我慢ができなくなったのか、小さな口を大きく開けて咀嚼する。
素朴で優しい味が広がる。砂糖をふんだんに使ったべたつくような甘さではなく、小麦本来の太陽と大地の作った暖かい甘みがする。浮かび上がる情景といえど太陽を疎ましく思わないのは初めてだ。料理というものは手を加える以上素材の味はわずかながら己の味に隠れてしまう。持ち味を出さず、素材を出す、そう容易いことではないし、それができるまでの重みを感じる。
美味しい、それだけで十分だろう。
空になったカップと皿が、レミリアと咲夜それぞれの手元に置かれている。心地よい余韻に包まれたまま、緩やかな時間の流れに身を任せる。レミリアがコホンと小さく咳払いをし、店員を呼びつける。
「ここの店長とこれを作った人を連れてきてもらえないかしら」
レミリアはパンケーキの乗っていた皿をさし、柔和な声で要望する。その要望に店員はかしこまりましたと返し、小さくお辞儀をして席を離れる。
しばらくすると、店員が山と見紛える男を連れ戻ってきた。男はレミリアの二倍ほどの身長の大男で、女性の中では比較的身長の高い咲夜でも頭一つ分以上離されている。大樹のような太い体幹は鍛えこまれ、東洋の妖怪、鬼の中に混じっても気が付かないだろう。髭が綺麗に剃られ清潔感のある相貌は、射殺すような鋭利な目線と併せて抜き身の刃を思わせる。この極道の頭のような男が、店長でさらにこの店の料理長であると説明され、咲夜は驚愕に顔を染めそうになるが、何とか鉄面皮の下にしまい込む。
レミリアは何ら気にした素振りもなく平然と話しかける。
「今日は騒ぎを起こしてしまって、悪かったわね」
男は低くしゃがれた声で
「さて、何の事だか」
とぼけて見せる男の反応にレミリアは少しばかり口角をを上げる。
「水に流すというのね。なかなか器の大きい男ね、礼を言うわ。さて、このパンケーキを作ったのは貴方かしら」
ごく小さく呟かれた最初の一句は誰にも聞かれることはなく続けて礼と質問をする。男は憮然とした態度で大真面目に問いかける。
「そうだが、何かおかしな点があったのかい」
「いいえ、何も可笑しな事などないわ。これを作った貴方の技術に惜しみの無い賞賛をしたいと思っただけよ。とても美味しかったわ、ご馳走様」
レミリアの賞賛に男は目尻を少し下げ
「お粗末様でした」
とだけ返し、厨房へと戻っていった。
二人分の会計を済ませ咲夜が店の外へ出ると、人里は黄昏色に染まっていた。大通りには未だ人通りが多いが、それに溶け込むように紅魔館への道を戻る。二人の帰路は暖かな夕焼けに包まれていた。
二人が発ち暫くすると、勢いよく扉が開かれる。息を切らした女性が怒鳴るように声を発した。
「無事かっ」
一体何のことかと、問い返すと薄く青の混じった銀髪の女性はこう返した。
「異様な雰囲気の妖怪が人里を訪れたと聞き、聞き込むうちにここに入ったと分かったので無事を確かめに来たのだが……平穏無事なようでよかった」
嬉しそうに笑う人里の守護者になんと告げればいいのかわからず、店内は今日何度目かの奇妙な静寂に包まれた。
書くのって難しいですね。
アドバイス、指摘等お待ちしています。