昼前に戻ってきた咲夜は何もなかったかの様に昼食の準備をてきぱきと進める。調理から配膳までが済み時計の針が頂点を示すと主人であるレミリアと、その友人のパチュリーが食卓の席に着く。最近では時折レミリアの妹であるフランドールもこちらに顔を出すこともあるが、今日は足を運ばないようだ。二人の他に食堂を訪れる者がいないと判ると、咲夜は時の枷を外し停止した時間の中をバケットを二つ抱え移動する。一つは紅魔館の門に、もう一つは地下室に。そうして何事もなかったかのように時の流れに戻りレミリアの後ろに控える。
昼食時に会話は無く静かに進む。よく耳を凝らさなければ聞こえないほどに小さな音、規則的に触れ合う銀と陶器の演奏会が聞こえる程だ。勿論パチュリーとレミリアの仲が悪く会話が無い訳でも、毎日顔を突き合わせているから話題が無い訳でもなく、身に沁みついた作法によるものだ。話すことが無作法とは言わないが、食事に対する礼節として食事を愉しむことを是としているからである。レミリアはナイフとフォークを器用に使い、小さな口元へと運び舌鼓を打つ。パチュリーも親友の作法に合わせ、静かに食を愉しむ。咲夜は主人の食卓に同席することは無く、少し後ろに侍る。
食事を終え、口を付けていた紅茶のカップを降ろしたレミリアは口を開く。
「あるんでしょう」
誰が何をどうするという言葉はつかなかったが、それはレミリアの後ろに侍る咲夜へと向けられていた。レミリアに伝えなければならなかった事を気づかれていた事に咲夜は驚きつつも、はい、お伝えすることがありますと返事をする。この事を見抜いたレミリアへの畏敬の念を咲夜は抱かずにはいられない。食後の休憩としてペーパーバックを開いていたパチュリーはまた始まったと、思わせぶりな発現の好きな友人へ呆れを含んだ視線を送る。先刻の事もあるんだし、もう少しだけ様子を見るかと、視線を紙面に耳を二人に向ける。
レミリアは咲夜を対面に座らせると、咲夜の様子を伺う。蒼玉のように澄んだ瞳は揺るがず、レミリアの紅を見つめ返す。衣服には一糸の乱れもなく平静通りの超然とした佇まいだ。ほんの少しの逡巡の後、血色の良い赤い唇が開く。
「新しい仕事が決まりました」
咲夜から出た言葉は就職。レミリアは左手でソーサの縁をなでながら問う。パチュリーは知っている。レミリアのこの動作はこちらへ来るときの会合でも、吸血鬼異変の賠償の時にも見た、不安や動揺がある時の癖だ。
「どこの仕事に就くことになったの」
努めて冷静に聞くレミリアの様子は一見すると純粋に疑問を呈しただけに聞こえる。さも平静を装ってはいるが水面下、つまり咲夜から見えないテーブルクロスの下はさざめいている。
「はい。先日お嬢様と伺った、Cross Loadになります」
その言葉にレミリアの苦虫を潰したかのように表情はわずかに歪む。悪評のある、あるいは聞きもしない様な場所であったのならそこにかこつけて止めるつもりだったのだ。レミリアにとしても憶えの良かった店に難癖を付けたくはないし、嘘をついて貶めるのは矜持に反する。しかし新しい仕事を見つけたという咲夜をここで止めなければ出奔したまま紅魔館には帰ってこないようで、そのことがレミリアを惑わせ判断力を奪っていく。
「それで、先方に勤め始めるのはいつからかしら」
何とか絞り出した言葉はどこまでも平坦でいつも通りであった。父の真似をしているうちに染み付いてしまったポーカーフェイスが本心が隠してくれた事に感謝する。きっとこの瀟洒な従者の決意は揺るがない。ならば主として、みっともなく喚く様な真似はせず気持ちよく送り出すことを、最後の餞別にする。
人間の成長は早いものだと嘆息する。一時の気まぐれで拾った人間はいつの間にか手の中から離れ、巣立とうとしている。その邪魔をしてはいけない、一人立ちしようとする子供の邪魔をしないことが親の最期の務めなのだから。
手を引いて、隣に立ち、先へ進んでいく。そんな人のありようがレミリアには眩しかった。
手放したくないという主の心と、枷を掛けたくないという親心の天秤は一方に傾きつつある。
「来週からはあちらに行くことになります」
来週、そう聞いたレミリアは一瞬表情を失うが、直ぐにいつもの調子を取り繕い震えそうな小さな体を隠すために心を奮わせる。
「そう、ならあなたの好きになさい」
口をついて出たのは素気の無い言葉、それきりで言葉を止め白磁の器を傾ける。レミリアとしてももっと言いたいことはある。どうして新しい仕事を探したのか、何故ここから出ていくのか、何が不満だったのか、聞きたかったこともある。従者が出奔するまでの変化を分からなかった愚鈍な主人だ、愛想をつかされても仕方が無い。
ならばせめて新天地での成功を祈ろう。意を決したレミリアは空になったカップを降ろすと咲夜と視線を合わせる。瞳の中には爛々とした光が灯り強い意志を感じる。その熱をうらやましく思いながら主人として最期の言葉を贈る。
「咲夜、私は貴方の未来が実り多いものであることを願うわ。ただ一つだけ心にとどめていて欲しい事があるの」
レミリアはそこで一息つくと伝えたい心を言葉に直す。主人では無くなろうとも私達は貴方の事を憎からず思っていると、嫌になったら従者でなくともいつでも戻ってきていいと。これが本当に最期の言葉であると思うと、万感の思いが胸から溢れそうになる。震えそうな唇と潤みそうな目を堪えて、言葉を紡ぐ。
「咲夜、ちょっと確認したいのだけれどいいかしら」
落ち着きのある声が遮り、決意を乗せた唇は開くのを止める。言葉を遮られたレミリアは憎らし気に睨み、急に声を向けられた咲夜は僅かに当惑している。一人いつもの様に紅茶を嚥下し、呆れた目線をレミリアに向けるのはパチュリー・ノーレッジ。主人の親友は大きなため息とともに質問を吐き出した。
「いつあちらに行くのかしら」
先程のレミリアとほとんど同一の質問。その意図を理解した咲夜は答を渡す。
「お嬢様の御付でない土曜日と日曜日の予定です。紅魔館での業務は終えてから向かうので、ここでの仕事を疎かにするつもりはありません」
その回答にパチュリーは、そう、わかったわ、ありがとうと返すと開いていた本に栞を挟み席を立つ。普段通りのゆっくりとした足取りで、ほんのりと耳の赤くなったレミリアに近づきそっと耳打ちする。
「もう少し言葉を尽くした方がいいんじゃないかしら」
パチュリーが去った後には沈黙するレミリアと、レミリアの言葉を待つ咲夜のみが残された。途切れた空気を繋げようと、咲夜咲夜が切り出す。
「心にとどめていて欲しい事とは何でしょうか」
再開された会話で伝える予定の言葉は続かない。咲夜がここを辞して他へ行く、という予想の元の餞別の言葉など贈れるはずもなく、新しい餞別の言葉に置き換えようと、しどもどろになる。
「あ……いや……その…………紅魔館の一員として恥じない振る舞いをなさい」
「お嬢様の御言葉しかと胸に刻みました」
そういって大仰な礼をする咲夜にレミリアはなんとも言えないもどかしさを覚えた。