田舎に暮らすことを憧れた、両親の間にあたしは生まれた。だから街に住んでいた時の記憶はほとんどなく、自我を持った時にはすでに田舎に住んでいた。
家の隣に畑があり、その隣の、更に隣の畑の隣に、民家がポツンとある。更にその隣に畑があり、その隣に、と、そんな田舎。
だからか、村の中であたしに近い歳の子は存在せず、自然と遊び相手は良くしてくれるじいちゃんとばあちゃんたち。親が仕事かなにかでいない時には家で世話になったり、畑の仕事や田舎ながらの遊びを教えてくれた。
そんなある時、村で父親以外の若い男性があたしの瞳に映る。さんさんと太陽が浮いていて、蝉がうるさい川で遊んでいたあの日。下着姿のびしょ濡れでの対面。
あたしは恥ずかしげもなく首を傾げて、向こうも驚きもせず「どこの子」と尋ねる。
「あたしは深雪、オっちゃんは?」
そう答えて、苦笑いを見せられたのはそれが最初で最後。帰省と言うのだろうか、帰って来た、隣のばあちゃんの孫だった。
あたしは遊び相手が出来たと喜び、実際、その日から付きっ切りで相手をして貰ったのを覚えている。調子に乗って無茶をしたりさせたり、兄ィちゃんが持っていた戦隊モノの漫画の真似から、教えて貰った必殺技の練習まで。文字通り日が昇って落ちるまで、ずっと一緒に過ごしていた。
それだけあたしは兄ィちゃんのことが好きで、信頼していて、憧れの存在だった。あたしのヒーローなんだって、勝手にそんなこと考えるぐらいに。
別に愛してるだとか、恋愛感情があるとか、そう言うのはなかったのだが、町の夏祭りの時、石段に座り合って、兄ィちゃんの彼女がいないことをからかっている時に、
「仕方ないなぁ、それじゃあ深雪ちゃんが貰って上げようかぁ?」
と自分の台詞にむず痒くなり、照れ臭そうに慌てるあたしに、ガシガシ、とくせ毛を撫でてくれたその眼差しに、無性に悲しくなったのはそう言うことだったのだろう。
その関係は長く続いたと思う。実際に何日あったかは覚えてはいないが、兄ィちゃんが海軍へと旅立つまで続いた。それを本人から聞いた時は、あたしのヒーローが世界を護る本物のヒーローだったんだ、とひどく喜んだのを覚えている。
正義の味方、ヒーロー。他の誰でもない、あたしの兄ィちゃんが、あの漫画に出で来るキャラクターのような素晴らしい存在だったのだとわかると同時に、ヒーローの存在を身近に感じ、あたしもそうなりたいと、期待が膨らむ。
その期待が薄まることなく、漫画の世界の出来事に胸を高鳴らせ、海軍から届く手紙に震える。この眼で確かめたいと思っていると、ある日、村の風貌に似つかわしくない、スーツ姿の男女二人があたしの願いを叶えた。
「君のDNAを調べた結果、吹雪型四番艦に適性があることが判明した。君は適合者なんだ」
・
ぼぉーっと、窓から見える青い空を仰ぐ。雲一つない晴天で、それを遮るものは窓枠とそれにはまったガラス。きっと外では、さんさんとした太陽があたしを手招きしていることだろう。
そう思うだけで、早く外に出たいと身体がうずき、この後の予定が決まる。自然と頬が上がり、隠すために唇を噛む。
「痛みがあるか?」
すると白衣を着た男が尋ね、誤魔化すようにあたしは腕を頭の後ろで組む。
それを不審に思いながらも、あたしの足首に巻かれた包帯を取り終えた男は、その下から出て来たガーゼをはがす。素肌があらわになると男は触り、あたしの足首を曲げたりと動かし始める。
「大丈夫、大丈夫。痛みもないし、腫れてないし、こりゃあ退院だな」
「残念だが退院はまだ先だな。痛みが引いてもそれは急性期が過ぎただけで、まだ組織が治ったわけじゃない」
「んー? じゃあ何時治るんだよ? ただの捻挫だぜ?」
視線を足元にいる男に向け、不満げにあたしは尋ねと、男は軽く笑い、あたしの足から手を離す。
横の小さなタンスから新しい包帯とガーゼを男は取り出すと、慣れた手つきであたしの足にガーゼを貼り、包帯を巻き直す。そして立ち上がると、白衣の胸ポケットに引っ掛けていたペンを取り出し、小脇に挟んでいたカルテに走り書きを始める。
「ただの捻挫と馬鹿にするな? 深雪の捻挫は中度。最低でも二週間は安静だ」
「二週間!? もしかして、二週間ずっとここに拘束されるのか?!」
驚き、背もたれに寄りかかっていた上半身を勢いよく出す。その反動で、ギシり、と椅子が軋む。
思い出す、カーテンに囲まれたベッドが一つ。他には病衣と包帯などが常備されているタンスに壁に立て掛けられた松葉杖。その他には何もない、そんな所に二週間もベッドの上に拘束されては文字通り干からびてしまう。
そもそも足の捻挫だ、こんな所に押し込まれる必要もない。それこそ自室でゆっくりさせて貰った方が、精神的にも肉体的にも楽と言うものだ。
「拘束とはまた物騒だな。安静にするだけだ」
「だったらよぉ、せめて雑誌とかさ、暇を潰せるものねぇのか? 退屈で死んじまうって!」
「心配いらない、医学的に退屈で死ぬことはない」
からかうように、男は持っているペンを振って見せる。
「そう言うことじゃねぇって、これだからヤブは……」
「俺は正式な軍医だ! その不名誉なあだ名は止めろ」
「だって皆言ってるぜ? ヤブの治療は痛いって」
あたしは前のめりになった身体を、再度背もたれに倒し、軋ませる。そんなあたしに、ヤブはペンを白衣の胸ポケットに戻し、剃り残しの無精ひげを撫でる。
ヤブ、本名は知らない。何時も無精ひげを生やし、髪型もあまり気にしていないらしく、時より寝癖が付いている。そんな容姿で、更に治療が痛いと評判のため、付いたあだ名がヤブ。つまりはヤブ医者のヤブだ。
だが、自分の担当者は必ず治すという方針があるらしく、治療の出来に文句を言う者はいない。また、話や冗談が通じたりと取っ付き易さも相まって、艦娘たちからヤブと呼ばる要因になっているのだろう。
「痛いのは当たり前だろ、一々部分麻酔した方が身体に悪い。『そう言う意味じゃない』ってのはなしだぞ? 嫌なら怪我をしないように努力することだな。そもそも――」
説教を始めようとしたヤブに、あたしは指で耳栓をすると、あーあー、と聞きたくないと態度で示す。すると向こうが根負けしたのか、ため息を吐かれ、あたしは耳栓を外す。
「わかった、わかった……全く。じゃあ容態は問題なしでいいな?」
「はーい、お疲れさま。もう行っていい?」
期待するように聞くと、ヤブも軽い返事で終わらせる。あたしは横に置いてあった松葉杖を手に取ると、片足に力を入れて椅子から立ち上がる。そして松葉杖を脇に挟み、何度か床を突いて感覚を確かめる。
昔から良く外で遊び、無茶をして土手を転げ落ちたことはあったが、捻挫になったのはこれが人生で初めてのことだ。そう考えると貴重な体験だが、同時に少し悲しくもある。
あたしは出入り口のドアに向かい、そのまま診察室から、廊下へと場所を移した。
廊下では次の診察待ちの艦娘がソフォーに座っていて、あたしが出で来るのを確認すると、自分の番だと立ち上がる。
あたしは軽くその者と挨拶を交わすと、廊下に足音と、松葉杖をつく音を立てながら歩き出す。時折、松葉杖を使わずに片足だけで歩き、階段に差し掛かと、邪魔にならないように松葉杖の持ち方を変え、手すりを持ちながら階段を降りる。安全のために手すりを使っているも、慣れたように、スルスル、と降りて行く。
「んっ?」
その勢いのまま階段を降りた踊り場で、松葉杖を軸にしてターンを決め、更に階段を降りて行く。二階から一階へと降りる最中、一人の艦娘とすれ違う。
怪我や具合が悪そうには見えない、恐らく見舞か何かなのだろう。だがこの時間帯に見合いとは不思議だな、とすれ違った艦娘の顔を見ると、向こうも同じような眼をしていた。
声をかけようと口を開けたのだが、言葉が出るより先に顔を逸らされ、断念する。結果、互いに言葉を交わすこともなく、いぶかしげな視線を向け合いながら通り過ぎ、あたしは階段を降り切る。
一階は受付と広々としたロビー。廊下が続いて複数の部屋がある二階や三階とは違い、開放的な印象を受ける。あたしは堂々と、更には愛想笑いを見せながら受付にいる看護師たちの前を通る。さもあたしは外出許可が出ている、といった感じに。
意外とばれないもので、不思議な顔をされるも呼び止められることはなく、あたしは数日ぶりに外に足を踏み出す。
「……はぁー、やっぱり外は気持ちいぜ! ずっとベッドの上なんて、絶対身体なまっちまうよ」
めいいっぱい、深呼吸をする。
想像通り、外は青い空からさんさんとした光が降り注ぐ。呼吸をすると、潮の匂いがあたしの鼻を刺激する。それもそうだろう、ここから海は直ぐそこで、波の音も聞くことが出来る。
海に向かって歩き、振り向くと、先ほどまで自分がいた建物が視界に映り込む。鎮守府内にある病棟だ。
外観は赤レンガで造られ、中の内装は温かみのある木造。病棟に限らず、鎮守府内にある建物の多くは赤レンガで造られて、その外観に圧倒される。
そもそも赤レンガで出来た建物を初めて見たのは鎮守府に来てからで、もっと言ってしまえば、海も見たことがなった。そのころから海では深海棲鑑が猛威を振るい、危険な場所と言う風評になっていたし、実際そうだったのだろう。
病棟を眺めると言うよりは赤レンガの建物を眺め、あたしは再度歩き出す。直ぐに視界いっぱいに海が見えると、潮風が病衣の裾とあたしのくせ毛を揺らす。
「次のターン、速度に気を付けて!」
潮風と、波の音に耳を傾けていると、それに混じって人の声が聞こえる。手で顔にかかる日光を遮りながら、声の聞こえた方へと顔を向けると、船着き場に少女たちの影。そしてその数人は海上を『歩く』。
一人は海上に浮かぶ、並べられたフラッグの間を航行し、もう一人はそのコースに入らないように並走しながら指示を出す。残りはスタートラインに浮かびながら順番を待つ者と、邪魔にならないようにと船着き場の上で座っていたり、声援を送っていたり。
少女が、人間が海上に浮かぶ。普通なら足が海上に付いてもそのまま沈んでしまうが、艦娘は、艤装がそれを可能にする。足に着ける艤装が浮力を与え、水の上で留まることが出来る。
今はちょうど訓練の時間だ、水上移動の練習をしているのだろう。となれば、並走して指示を出しているのは軽巡の人か。
「いいなぁ……最後に艤装着けたの、いつだったかなぁ」
足をくじいてから数日、訓練をしていない。艤装の装着をさせて貰えない以上、艦娘であるあたしがさせて貰えることは少ない。
だが海上を滑り、身体いっぱいに感じる潮風や、主砲による射撃の反動をあたしは覚えている。
それに制服。艦娘に支給される制服は普段着でもあり、戦闘服を兼用している。言うなればヒーローの変身後の姿。とは言っても、あたしに支給された制服の見た目は学校の制服、セーラー服で、特別な能力はない。あると言えば直ぐに乾く防水性と言うだけだ。
それでも、自分が艦娘であると言うことを主張出来るし、なりよりも今着てる病衣よりは何倍もマシだ。
早く完治しないものかと、足に巻かれた包帯を恨めしく見つめている内に鎮守府の鐘がなる。訓練が終える合図と同時に、昼食の合図だ。
訓練をしていた艦娘たちも、鐘の音を合図に動き出す。
「お? あれは……電か?」
その艦娘の中に、友達の姿が見える。それがわかると、あたしは船着き場に向かって歩き出した。
空には、さんさんとした太陽が輝いている。
食堂は鎮守府内の人気スポットと言ってもいい。食べたいものが自分で選べ、配給トレーいっぱいに盛られている料理は見ているだけでお腹が減る。
食事以外の用途もある。広い室内に大量のテーブルとイスがあるここは休憩するには持って来いで、冷水機が置いてあるのも魅力的だ。
「いやぁー、やっぱり食事は賑やかの方が良いぜ。病室じゃあ、こうはいかないからなぁ」
「確か相部屋でしたよね? 深雪ちゃんなら、他の人と楽しくお喋りしているんじゃないです?」
「まぁ、してるんだけどな。けど、流石にここまで賑やかにはならないぜ?」
正面に座る電に、軽く首を横に振りながら答える。時間も時間で、食堂には大量の人が詰めかけていて、次々に席が埋まっていく。
と言っても、一堂にこの鎮守府に勤める職員が集まるわけではなく、部門ごとに食事の時間をずらしたり、中にはトレーを持って自分の持ち場に戻ったりする。
それでも賑やかなのは変わらず、そこらかしこから談笑が聞え、中でも艦娘たちの声が響く。
「そう言えば電、さっきの訓練の先生役は誰だったんだ? 実施だったし、長良さんとか?」
「違うのです、さっきのは由良さんだったのです。一人ひとり丁寧に教えてくれたのです」
「由良さん? あの人、授業しかしないかと思ってた。へぇー、でもそっか、由良さん他の鎮守府で実戦経験があるって聞いたなぁ。そう言えばこの後の予定は? 射撃訓練とかあるのか?」
もしそうなら、せめて見学だけでもさせて貰おう。あれは見ているだけでも眼を見張るものがある。
実際にやると、ドーン、と主砲から放たれる轟音に、砲弾の軌道。浮かべられた的に砲弾が当たった時は結構爽快で、頭の中では資料で見た深海棲鑑の姿に置き換え、エースを気取る。
完全無血の大勝利。先ほど見た第一艦隊のように、その姿はあたしが求めているもの。勝利に犠牲は不必要だ。
「えっと、午後の予定は全部授業なのです。戦術的有効判断、遭遇戦時の敵勢把握、護衛対象の優先順位。あと……海上地理に……」
「ああ! もういい。うん、いやー足を痛めたと言え、不幸中の幸いだな、これは」
一口、コップの中の水を飲む。流石に水は病室で出されるものと同じだった。
電も言いながら指折りしていた指が五本目になった時、笑みを歪める。そしてその折られる指は六本目になった時には、確認のように呟いていた言葉を止める。
あたしに苦笑いを向けた電を見て、話しを変えるべきだとわかる。
「そう言えば、病棟から抜け出して来る時に人とすれ違ったんだけど……電、知ってるか? 鎮守府の七不思議」
雰囲気出すために、ニヤリと笑って見せると電はあからさまに拒否反応を見せる。
「み、深雪ちゃん、そう言う話し、どこから聞いて来るのですか? その会談話しといい、さっきの話しといい……」
「どこからって、別に普通に話してる時に聞くぐらいだぜ。なぁ?」
他の席に座っていた艦娘に話しを振ると、そうなんじゃないか、と適当に返される。自分で考えてみても、それ以外の回答が思い浮かばず、強いて言うなら自然にだ。
雑誌や新聞を読むタイプではないので、あたしの情報源はもっぱら友人や知り合いからの雑談。その全てを覚えているわけではないが、楽しい会話だったことは覚えている。
考える素振りをみせると、見習わないと、と電が言葉を零した。
「え、何が?」
「あ、なんでもないのです。気にしないで欲しいのです。それより深雪ちゃん、あなたはもう手紙を出したのですか? 提出期限は今週中までですよ?」
「げっ!? 忘れてた!」
自然と食事の手を速める。鎮守府内での生活を強いられ、唯一家族との連絡が取れるのが数ヶ月に一回の手紙出し。
様々な艦娘がいるが、その手紙の内容は大きくわけることが出来る。近況報告を書いたり、家族を心配させないように強がってみせたり。中には大量の便せんを使い、短編小説かと思える量を書き上げる者もいる。
流石に内容を見せては貰えなかったが、恐らく読み応えバッチリなのは確かだろう。
食事を進めていると横に座っていた艦娘が、まだ出してなかったの、と茶々を入れ、軽く言い返す。そしてトレーに勢いよくスプーンを置く。
「ん! じゃあご馳走様!! 電はもう出したのか?」
「あ……はい、もう出したのです。トレーは私が片付けておくのです」
いってらっしゃい、と小さく手を振る電はどこか悲し気に見え、あたしは一度電の肩を叩きに行き、労いの言葉をかけた。
・
風が冷たい。袖や裾から入り込んだ潮風が身体を包み、あたしは少し身震いする。
「全く、どうして私が付き合わないといけないのよ? あんたなら他にも、あー、電とか頼む相手がいるでしょ?」
「まあな。けどよ、あたしは別に無理強いしたわけじゃないし、陽炎にもそうしたかった理由があるんだろう?」
「そうじゃないわよ。お人好し気味に何でも頼まれたくないだけよ」
「けどよ、購買に行きたいのはそれがけじゃないんだろ? あたしを理由にしてもいいけどさぁ、嘘はよくないんじゃない?」
支給される寝間着、作務衣と言うのだろうか、それを着た陽炎は軽く頭を掻く。何時もは黄色いリボンでツインテールを作っているその頭も、風呂上りには髪を流している。
対するあたしは病衣のままで、髪もくせ毛のまま。抜け出す前に、ヤブに風呂に入っていいか聞くべきだったと今思う。
建物を見ると窓から光が漏れていて、海の方を見ると灯台からまばゆい光が見える。この二つの光も、海からいっぺんに見ればまた違った表情を見せるのだろう。その時はあたしの表情もまた違ったものになってるはずだ。
もちろん、空には星が輝いているが、家にいた頃と比べて星の量が少ない。
今は艦娘寮から出て病棟に戻る途中で、その前に陽炎の希望で購買に立ち寄ることになった。要は鎮守府内にある艦娘ようのコンビニで、多くの雑貨を扱っている。もちろん何でも揃っているわけではないが、それを解決する方法もある。
場所は寮からそう遠くはないものの、鎮守府の敷地が広い分、歩く距離もそれに比例する。まあ、病棟に向かう途中に購買場があるため、結局のところは歩く距離に違いは出ない。
「別に、嘘とかついてないけど……お人好しになりたくないってのは本当よ?」
「いや陽炎は今でもずいぶんお人好しだと思うぜぇ。率先してあたしたちの代表になったり、タイムキーパーになったり? やっぱり軽巡の先輩とか戦艦の先輩たちと話す機会とかあるの?」
「まあね、言われるわよー。参加不参加自由の授業を減らすべきとか、宿題を出すべきかとか。まあ、先輩たちには結構気を使って貰てるわよ、まだ若いのにって」
声真似をしたのか、陽炎は声色を変えて言い、あたしはくすりと笑う。
「若いって、先輩たちもそう違わないじゃん。言って五歳から十歳ぐらいじゃねぇのか?」
「それでもほら、私たちを指導する立場なだけあってやっぱり気を遣うのよ。軽巡の先輩に至っては、実戦の時には水雷戦隊の旗艦として私たち駆逐艦クラスを束ねる立場じゃない? 人の命を預かるのってやっぱり大変なのよ」
それも自分より年下ならなおさらね、と陽炎は続ける。
そう言えば、陽炎はあたしや電のような駆逐艦クラスの中では年上だったか。とは言っても一、二歳程度で、あたし的には気を使って貰うようなことはして欲しくない。艦娘で年上がどうとか、生まれがどうとか、関係ないだろう。
そうしている内に購買が見えて来る。鎮守府の官舎内にあるわけではなく、購買舎として自立していて、外観は赤レンガのコンビニ、と言えばいいだろうか。
コンビニとは違い、消灯時間を過ぎた今は購買の電機は消えていて、物静かにしている。
入り口に向かっても開いていないことはわかりきっているため、あたしたちは購買の入り口からぐるりと、裏口へと周る。そこには室外機とゴミ箱が置かれており、ゴミ箱には多くのゴミが溜まっており、蓋が閉まらないようになっている。
裏口のドアからは光が漏れ、時折人影が映る。
「ん、起きてるわね」
その光を確認し、陽炎が呟く。陽炎は一度、裏口のドアノブに手を掛けると小さく呼吸を整えと、手首を捻る。
「やっほー、万屋。来たわよー!」
ドアを潜る陽炎に合わせ、あたしもそれに続く。裏口から入ったため、出迎えてくれるのは商品の山ではなく、スタッフルーム。いや、部屋が出迎える。
壁には色柄のコートが掛けられ、部屋の真ん中には麻雀卓。それを囲むように椅子があり、少し離れた所にロングソフォーが一つ。
テーブルも置かれているが、その上には煙草の吸殻が溜まった灰皿に酒瓶が占領している。煙草の匂いがこびりついたここは、スタッフルームと言うよりは完全な個人の部屋がそこにはあった。
陽炎はそれを気にすることなく、室内を突き進む。そしてソファーの前で腰に手を当てると、陽炎は今一度呼吸を整える。
「ちょっと、よっちゃん! 全く寝るなら寝るで、毛布ぐらい掛けなさいよ。風邪ひくわよ?」
「……あ?」
「それに何よ、外のゴミ箱。確か今日がゴミを出す日じゃなかったかしら?」
呆れたように、陽炎はため息を吐く。陽炎の視線の先には、雑誌で顔を覆い、ソファーで寝ている男性がいた。
男性は一度顔の雑誌を避け、陽炎とあたしの姿を確認すると、一瞬、こちらからも男性の顔が見える。そのまま雑誌を手に持ち、起き上がった男性は、あぁー、と気だるげに息を吐き、肩を回す。
「なんや陽炎か。また打ちに来たんか?」
「いや、ちょっと立ち寄っただけよ。それよりなに、外のゴミ箱は? それもここもこんなに溜めて……万屋、あんたはゴミ屋敷でも作るき?」
「うわ、こりゃあヒデェ……」
陽炎の指先には、大きな紙袋を即席のゴミ箱に使い、今にも溢れそうなゴミの山。燃えるゴミもそうでないゴミも大量に入れられ、取りあえずそこに突っ込んだ、と言うのが感じられる。
万屋と呼ばれた男性は陽炎が差した先を見て、面倒臭そうに頭を掻く。
「アホ、これ全部お前らが出したやつやないか。それにお前らに迷惑掛けてる訳じゃないからええやろ」
そう言う問題じゃないでしょ、と陽炎はため息を吐くのに対して、文句あるのか、と男性は言う。
万屋、本名は何と言ったか。この購買の責任者であり、他に従業員がいないのか、何故か一人で切り盛りしている。
食事を満足に取れないこの時代に関わらず、背が高く、恰幅の良い身体はそれだけで威圧的で、更にその物言いもそれを助長する。顔つきも厳つく、髪も何時もジェルで整え、良くも悪くもチンピラ風。こんな見た目だが、ある意味ではあたしたち艦娘に一番親しい人物なのだ。
ここ鎮守府の最高責任者である提督でもなく、艤装を整備してくれる整備士でもなく、何故購買の男性が親しいのかと言えば、理由は一つ。
「なあ、万屋。そう言えばあたしが頼んでたアレ、入荷した?」
二人の会話に割り込むように、あたしは言う。購買と言っても、何でも揃っているわけではないのは、もちろん理解している。
だが、鎮守府生活を強いられ、世間や街と切り離されたあたしたち艦娘に取って、ここ購買は唯一のお店。そんな大きな期待に答えられるだけの商品を揃えるのは、普通は無理だろう。
しかし、それに見事に答えてみせたのが万屋だ。欲しい物を頼めばあら不思議、文句を言われるも数日後には、お待たせ、と品を持ってくる。それが影響してか、付いたあだ名が万屋。まあ、要は表面上口の悪いチンピラだが実はいい人、と言うあたしからすれば故郷のじいちゃんたちと変わらない人間なわけだ。
「ん? おお、深雪か。ええっと……頼まれてた漫画はあったんやが中古や。後、時計の部品はちょっとな……」
「ええ、万屋ならなんとか出来るだろぉ? この前だって、他の子に頼まれて姿見鏡とか仕入れてくれたじゃん」
「お前な、壁に立て掛け用の姿見鏡と、数十年前の製造が終わってる古時計が同じように手に入ると思うなよ? そう簡単に見つかるわけないやろ!」
「じゃあ、あたしたちの寮の時計、どうするの? それに早く直してやらないと可愛そうじゃん」
万屋が引き出しから取り出した、袋に包まれた本を受け取りながらあたしは眉を潜ませる。
あたしたちが住んでいる寮、そこのサロンとか言う談話室に時刻を教えてくれる物がない。正確にはあったのだが、今は機能していない。
ばあちゃんの家にあったような古時計で、ゼンマイ式。他の娘が扱い方が良く分からないと、あたしが世話をしていたのだが、これがまた人懐っこい時計で、ネジを巻いている時にあたしに飛びつく。受け止めてあげれば良かったのだが間に合わず、あたしも時計も怪我をしてしまった。
結果、あたしは病棟行で、時計は現在治療待ち。
「知らんがな、それに代わりにって陽炎がワシの腕時計かぱらって行ったんやないか! てか時計なら代わりの用意しといたからサッサと返さんかい!!」
陽炎に向かって手を出す万屋に、陽炎は腕に着けている腕時計を隠すように後ろ手で腕を組む。だが何かに気付いたように呟くと、今度は逆に腕時計を見せつけるようにする。
「別にいいじゃない。それに、これはあたしが麻雀で勝ったから貰ったの。盗んだみたいな言い方止めてよね」
「なにが『勝った』や。最後に一発当てただけやないか!! それやのに腕時計取られるってどないなっとるねん?!」
「五月蝿いわねぇ、じゃあわかったわ。もう一回勝負して、私に勝てたら返してあげる。それでどう?」
勝ち誇ったように鼻を鳴らす陽炎に、万屋は首を傾げる。どういう経緯で腕時計が陽炎の手に渡ったかはあたしにはよくわからないが、堂々と置かれている麻雀卓が関係しているのは間違いないだろう。
「……なんか納得できへんけど、まあ、ええわ。わかった、わかった。おい深雪、お前もやるやろ?」
「ん? いや、あたしは戻らないと。流石にヤブもカンカンだろうしな」
「あ、じゃあ私も送るだけ送ってから……」
「いいって、いいって。その変わりに土産話し期待してるな」
麻雀卓の椅子に座ろうとした陽炎が少し慌てたように言うが、あたしはそれを止める。けど、と何処か気が引けるのか、悩む仕草をする陽炎を見て、やはり陽炎はお人好しだとあたしは思う。
じゃあ、とあたしは悪いことをしたなと眉を潜めている陽炎と、気にせず煙草に火を点ける万屋に背を向け、渡された袋を持って入って来た裏口から出て行く。
外に出ると煙草の匂いが海の匂いに一気に変わる。あたしは後ろ手でドアを閉めると、直ぐに袋から本を取り出す。
それは、あたしがまだ艦娘になる前に愛読していたヒーロー漫画。それのまだ読んだことのない巻。漫画の表紙では主人公のヒーローが、片手に恋をしている相手、ヒロインを抱いている。
内容は至極簡単、主人公が懲りずに現れる悪人を打ちのめす話しだ。どんな状況でも諦めず、必ず人を助け、犠牲を出さない完璧な男。他にもヒロインには主人公の他に好きな人がいて、敵と戦うだけではなく、そう言った人間模様も面白い。
漫画を包んでいた袋をゴミ箱に捨てるべく、蓋を持ち上げ、山になっているゴミの頂上に袋を置くと、蓋で飛ばないようにする。
「よし、これでオッケーっと」
すると室内からは早速ジャラジャラと音が聞こえ、それに楽しそうな声が混じる。それに遠ざかるようにあたしは歩き出す。
本来の目的である病棟に向かう途中、何度も手に持った漫画に目が行く。素直に楽しみな所もあるし、何より懐かしいなと感じられる。これを読んではあたしの横には、決まって兄ィちゃんがいる。それが当たり前だと思っていたし、何の根拠もなく、そう感じていた。
持っていた漫画は全部家に置いて来たのもあって、読むのは本当に久々だ。どんな内容が書かれているのだろう。主人公の努力で大勝利するだろうか、新しい敵に苦戦するのだろうか。それとも念願のヒロインを振り向かせるのだろうか。
あたしは空に漫画を向け、ニィッと微笑む。
「今回も無血の大勝利、期待してるぜぇ?」
ご愛読ありがとうございます。お気に召したら幸いです