「じゃあ、お母さん、行って来ます!」
バッグ一つに纏めた私物を持ち、私は出来るだけ元気に言う。
朝霧が残る中、私は玄関先に立つ。それを見送るように玄関にはお母さんと弟たち。
まだ赤ん坊の妹はお母さんの腕の中で眠り、お母さんと手を繋いでいる弟は立ちながら船を漕ぐ。何時もならまだ布団の中だろうし、昨日も夜遅くまで話し合っていたのだからしかたないだろう。
お父さんは、いない。随分と喧嘩したのだからねだり過ぎか。このまま喧嘩別れとなるのなら、心残りだ。
「五月雨……」
「泣かないでよお母さん、別にもう会えなくなるわけじゃないんだから」
お母さんは私の名前を呼ぶと黙り込み、嗚咽し始める。
私が契約書にサインした後の展開は早かった。その日のうちに親や学校に連絡が行き、私は学校を辞めることに。
そしてその二日後の早朝、朝霧が残る中、迎えの車が有近家の前に止まる。迎えに来たのは今となっては良く知る、スーツを着たあの男女。
ボロボロと泣き始めるお母さんに、私は気恥ずかしくなり、男女の顔色をうかがう。
だが、二人とも人目を気にするように辺りを見回したりと、まるで私たちを気にする素振りは見せなかい。それにホッとするも、この場の雰囲気を余計に悪くしないようにと、私はお母さんと弟たちに笑って見せる。
「じゃあ、お母さん。これからは家事とか色々私の代わりにちゃんとやってね? 火事には気を付けてね! その代り、私が皆の分の生活費を稼いで、世界を平和にしてみせるから! 二人もお母さんとお父さんのこと、頼んだよ?」
弟と妹の頭を優しく撫で、笑いかける。弟は薄目ながら何かを感じ取ったのか、頷いて返して眼をこする。
対して口を押え、声を漏らしながらお母さんは弱く頷いた。そんなお母さんに、大丈夫だよ、と私は軽くお母さんの腕を叩く。
「五月雨……ッ!」
「あ……」
次の瞬間、私は母親に抱きしめられる。少しして私も母親の背中に手と回すと、その体が震えていることに気付く。
そして小さく、ごめんなさい、と何度も呟いていた。すると私とお母さんに挟まれた妹が窮屈そうに暴れ出し、自然と離れる。
再度顔を合わせた私たちの表情は柔らかい。私は今一度笑って見せる。私が出来る、最高の笑みを。
「行って来ます!」
・
執務室から廊下に出で、私は大きく息を吐く。
「き、緊張したぁ」
廊下の壁にもたれ掛かり、窓から見える空を仰ぐ。
施設から鎮守府に移り、ここの最高責任者である提督へと着任報告へと来た。しかしそこには提督はおらず、代わりに提督代理として女性が迎えてくれた。
とても美しい女性で、大人の余裕を感じさせる、落ち着いた人。彼女も艦娘らしい。なんでも秘書艦と言う立場で、ここに着任している艦娘の代表であり、提督の仕事を手伝う立場なのだと言う。
美人で、大人で、仕事が出来る。そんな人を前にして、更に場所の雰囲気も相まい、肩に力が入りガチガチになるのは仕方ないだろう。
もう一度大きく息を吐きながら、壁から離れる。片手に持ったバックを担ぎ直し、もう片方に持ったファイルを開く。
ファイルの中には鎮守府の見取り図や、何やら小難しい資料と様々。首を傾げながら、取りあえず次の目的地の場所を探そうとページをめくる。
「ねえ、そこのあなた!」
「きぁあ!?」
不意に声を掛けられ、私は飛び跳ねる。持っていたファイルを落とし、それを空中で掴もうとして、私はバランスを崩して背中から倒れ込む。
同時に倒れ込む際に上へと放り投げられたバックが胸に落ち、情けない声を出す。
「痛ぁい……」
そのバックを抱えるようにして上半身を起こし、私に声を掛けた人を見る。案の定、驚いた顔をしている。
私と変わらない少女で、黄色いリボンでツインテールを造っている、目尻が少し上がったキリっとした眼だが、今は丸い。
大丈夫か、と手を差し伸べ、私を起き上がらせると落としたファイルも拾ってくれる。
「えっと、ごめんね? 驚かせちゃって。あなたが今日着任予定の子ってことでいいのかしら?」
「あ、はい! 白露型駆逐艦、六番艦、有近 五月雨って言います! よろしくお願いします!!」
敬礼し、私と適合した艤装の名前、番号を言って、名前を答える。ここ一番上手に出来たと思う。何時もなら噛んだり、どもったり、何かしらの失敗がある。
やった、と内心思う。だが冷静に考えると今自分はバックを抱いたままなんだと気が付き、バックを下ろす。
「畏まらなくて大丈夫よ。普通にして、これから嫌でも顔を合わせることになるんだから、そんなのだと肩が凝っちゃうわよ」
「そ、そうですか?」
「そうそう……と、自己紹介がまだだったわね。私は陽炎、同じ駆逐艦よ。駆逐艦の代表もやってて、今日はあなたの、五月雨の案内係ってこと。よろしくね」
再度手を差し出し、私に微笑んで見せる。私も手を出し握手を交わす。
こうして誰かの手を取るのは久々に感じる。家にいた時は弟と手を繋いで保育園に行っていたし、学校では友達に手を引かれていた。
ほぼ毎日誰かの手を握っていたのに対し、施設にいた時は周りは見知らぬ大人だけ。部屋も一人部屋と随分と私にとって非日常的な生活だった。
それがやっと、こうして人肌を感じることができ、幾分かの日常を取り戻せたように感じ微笑む。
「えっと、よろしくね、陽炎」
「こっちこそよろしく、五月雨。うん、そう言う感じでいいの。肩に力入れたっていいことないわよ」
まずは荷物を起きに行きましょか、と提案する陽炎に私は頷く。
拾ってくれたファイルを受け取り、陽炎は先導するように歩き出す。外に出る間、官舎内を案内してくれる陽炎は随分と慣れていた。
ここの部屋はよく使うから覚えた方が良い、この部屋はこういう時に使う。更には穴場スポットとして何時のここは空いているなどの、ちょっとした小ネタを混ぜる。
そんな陽炎も、私のように鎮守府に着任した初日からこうだったわけではないだろう。私も頑張ろう、と気合を入れるためにガッツポーズを取ろうと腕を上げる。
「で、ここが――」
「やぁあ!?」
「えッ?!」
不意にバランスを崩し、私は今度は前のめりに倒れ込む。陽炎もいきなり後ろを歩いていた私が倒れたことに大きく驚き、慌てて振り向く。
「ど、どうしたのよ? なにか踏んだ? いや、それよりも大丈夫?!」
「痛ぁ……うん、大丈夫です」
立ち上がり額を摩る。陽炎は辺りや私の足元を確認し、転倒の原因を探り始める。もちろん、見つけることが出来ず首を傾げる。
そんな陽炎に私は申し訳なく思いながら口を開く。
「陽炎、別に私なにかにつまずいたとかじゃなくて……」
「あ、ええ! そうよね、転んだにしては大袈裟だったもの。じゃあ、もしかして足が不自由だとか、なにかの病気?」
「そう言う訳でもなくて……そのぅ……」
歯切れの悪い私に、陽炎はなにも言わずに待ってくれる。それがまた私の罪悪感を助長させる。
私は肩を落としながらバックを差し出す。純粋に首を傾げる陽炎に、顔を背けてしまう。
かぁーっと顔が赤くなる。
「バックに、自分の持ってたバックに足を引っかけて転んだだけです……」
私の言葉に、陽炎は更に困惑したように首どころか身体まで傾げだす。つまりはこうだ、腕を上げた際に持っていたバックが足に引っかかり、バランスを崩して倒れた。
たったそれだけのことなのだが、私の説明不足と言うか、信じて貰えないと言うか、陽炎が納得するのに少し時間が掛かる。何とか理解してくれた陽炎は、私に何を言えば良いかと言葉を選ぶように、あー、と考え始める。
その優しさが陽炎の人柄を現すも、私は肩を落として見せる。
「私って本当にドジで、友達からも『ドジっ子』なんて呼ばれてたんです。物を運べば決まって転んで落としちゃうし、家事をしてる時もしょっちゅうドジしちゃって……」
「いいじゃない! えらいと思うわ、家事をやるなんて誰でも出来ることじゃないわよ?」
「いや、お母さんが私以上にドジだから、私がやらないと……遺伝なのかなぁ」
「それは、なんだか凄そうね」
うう、と唸る私に、個性ってそんなものよ、と陽炎は励ます。それですめばいいのだが、本人はそれで苦労していると言うことを知ってもらいたい。
まあ、私の場合は周りにも迷惑を掛けるため、私より知ることになるかも知れない。
「まあ、ほら、積もる話しは荷物を置いてから。行きましょ、今度は転ばないでよ?」
陽炎は手を私に向け、ごく自然に私はその手を取る。そうして陽炎と手を繋ぎながら歩き出す。
学校にいた時も、こうして陽炎みたいな友達が手を引いて歩いていたな。危なっかしくて見てらんないったら、と言うのが彼女の口癖。
ここでのその役目を負うのは、陽炎になるのだろうか。そうならないように、私は今一度気合を入れ直し、陽炎の腕を引っ張ることになる。
「で、ここが艦娘寮。今日から五月雨が住むことになる場所ね」
そう言って指差した建物を見上げ、私は感心するように言葉を零す。
鎮守府内の建物は官舎を始め、赤レンガの建物が多く建っている。それは艦娘寮と呼ばれたこの建物も例外ではなく、私を見下ろしている。
官舎を見た時にも思ったが、迫力がある。味があるとも言うのかも知れないが、やはり見慣れていない物を目にすると大きな印象を受ける。
寮は一つではなく、並ぶように数軒建っていてる。特別外観が違う訳ではなく、どうしてこうも同じ建物が別々に建っているのか気になり、陽炎に尋ねる。
「ねえ、陽炎。あっちの建物も寮なんですか?」
「ええ、そうよ。ここが駆逐艦クラスの艦娘寮で、隣が巡洋艦クラスの艦娘寮」
「あ、施設にいた時に習いました。艤装は様々な種類があって、艦種って言う分け方が出来るって。それぞれ特性が違って、確か、駆逐、軽巡、重巡、戦艦、空母……」
他にはなにかあったかな、と施設にいた時に教えられたことを思い出す。とは言っても、詳しくは鎮守府で、と言うのが向こうの言い分。
実際はほとんど知らず、これから学んでいくことが多くあることに気が付く。
「お、ちゃんと勉強してるみたいね。感心、感心。まあ、そんなわけで、駆逐艦である私たちはこの寮で住むことになるわ。とは言っても人数も少ないし、実際は分けて住む必要はないのだけどね」
建てた時はそれだけ艦娘が集まると思っていたのだろう。それだけ期待していたと言うことなのだろうが、陽炎の言葉から考えるに、現在の艦娘の数には大きすぎる建物なのだろう。
じゃあ案内するわね、と陽炎は私の手を引く。一歩中に入ると、木造の作りに早変わり。温かみのある廊下ではあるが、焦げ茶色の木の色のせいか薄暗くも感じる。
踏みしめる毎に足音が廊下に転がり、足を放す毎にまた音が転がる。等間隔にある窓からは日の光が入り、それが線として目に映る。
ふと天井を見ると、裸電球がぽつぽつとあり、それに繋がるケーブルが天井を這いながら一か所へと向かう。
私と陽炎、二人分の足音を聞きながら歩き、途中途中で陽炎の説明が入る。
「ここがキッチンで、こっちが一階トイレ。全部共有スペースね? キッチンの食材は自腹で、冷蔵庫はおやつ置き場になってるから、自分の物には名前を書いとかないと取られるかもしれないから気を付けてね」
「わかりました。お風呂とかはどこに?」
「寮の裏手に大浴場があるわ。裏口から出ですぐの所よ、入浴時間はそれぞれ艦種別に決まってるから過度な長湯は禁止。先輩たち、年上のお姉さんたちにもてあそばれるのは嫌でしょ?」
本当かどうかわからないが、陽炎は微笑みながら忠告する。そんな中、奥の部屋から笑い声が聞こえ、明らかに私たち以外に人が近くにいることがわかる。
「おっと、さっき昼時になったことだし、誰かサロンにいるみたいね」
「サロン?」
「談話室のことよ。聞かないかしら、そう言う言い方」
私が無知なだけなのか、陽炎の言葉には肩を竦めて返す。陽炎に手を引かれ、廊下を進むと声が大きくなる。
声の大きさに比例して、私の鼓動が早くなる。そして、ここよ、と陽炎が指差した部屋に入った。
部屋に中にはアンティーク調の丸いテーブルが数台に、それを囲むように置かれたアンティークの椅子。純白ではなく、淡い白い壁紙が室内を落ち着いた明るい印象を受ける。
壁のそばにはロングソファー、その横には小さな台の上にブックスタンドがあり、雑誌などが立てられている。
そしてそのソファーに腰掛け、一人は雑誌を読み、二人は談笑している。三人とも私と歳が変わらない少女だった。
少女たちが入って来た私と陽炎に視線を送り、私を見て一人が勢いよく立ち上がる。
「陽炎! もしかしてその子?!」
眼をキラキラさせ、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供の用に興奮して見せる一人に私は驚く。
他の二人もソファーから身を乗り出したり、雑誌を閉じたりとこちらに熱い視線を送る。
「そう! 新しい仲間よ。運のいいあなたたちだけに先に紹介するわ。はい、自己紹介」
「え!」
陽炎の手が離れると、その手で背中を押される。ぽん、と前に出された私は少しよろめく。
眼の前には今か今かと期待する少女たちが私たちの台詞を待つ。私は内心、よし、と気合を入れ、敬礼する。
「しらちゅゆ型駆逐艦……ろ、六番艦、五月雨って言います! よろしくお願いします!!」
噛んだ、それも盛大に。ごまかすように頭を勢いよく下げ、私の長い髪が歌舞伎で髪を振り回す連獅子のようにぐわんと舞う。顔を上げれば後ろ髪が前髪になり、慌てて掻き分けると笑い顔が見えて来る。
ぽん、と陽炎に肩を叩かれる。
「だから言ったでしょ? 肩に力入れてもいいことないって。まあ、見た通り緊張してるみたいだけど、仲良くしてね」
陽炎がフォローを入れ、はーい、と少女たちが返事をする。それと同時に少女たちが一斉に私に勢いよく歩み寄り、いきなりのことに私は反射的に思わず一歩後ずさる。
そのまま押し倒されるのか、もしくは振り回されるのではないかと思うほどの勢いで、興奮しているのは見てわかった。
だが、私と少女たちの間に陽炎が立ち塞がり、少女たちに向かって腕を伸ばし来ることを制する。
「はい、ストップ。質問攻めは後にしてくれるかいら? 部屋に案内したいし、荷物も置きたいのよ。それに五月雨も施設から来たばかりで疲れてるの。ねぇ?」
私に顔を向け、陽炎は尋ねる。明らかなアイコンタクトがあり、私は合わせるために頷く。
「あ、うん……そうかも」
「ね、そういうこと。気持ちはわかるけど、今は我慢してあげて。じゃあ私たちは行くわよ? 五月雨、付いて来て」
「はい。じゃあ、また今度声を掛けて下さい。これからお願いします」
残念そうに、またね、と軽く手を振ってくれる少女たちに向かって、私も軽く頭を下げる。陽炎の後を追い、サロンから出で廊下を左手に進む。
少し進んだ後に、小声で陽炎は言う。
「ごめんね、水を差しちゃって。最近新しい子が配属されなくてね、ほら、ここに来たら世間とは離れた生活をしてるから気になるのよ。あなたって最近まで街とかにいたわけじゃない? だから最近の世間の様子とか聞きたいって思う子が多いのよ」
「そうなんですか。あれ、でもそうなら従業員の人たちに聞いたらいいんじゃないですか? ここにいる人たち全員が、鎮守府で暮らしているわけではないんじゃないですか?」
艦娘、提督、その他にも鎮守府には様々な人がいる。艤装を整備する作業員や建物を清潔に保つ清掃員。食堂があるなら料理を作る人が必要だし、料理に使う食材を運んでくる運転手が必要になる。
考えれば考えるほど鎮守府には人が溢れ、頻繁に出入りしているように感じられる。なのになぜ私がと疑問に思う。
「あー、それね。それはそうなんだけど、あんまり話してくれないのよ。情報規制って言うのかしら? 私たちに必要以上に教えてくれないのよ。無駄な混乱を招くから、とからしいけど、どうなのかしらね」
廊下を進み続け、次に階段を上る。踊り場をくるりと回り、二階へと進む。
無事、階段でつまずくことはなく、廊下に出で今度は右手へと歩を進める。階段自体は三階へと続いているが、どうやら二階でいいようだ。廊下は一階の見た目と変わらないが、明らかに扉の数が増え、そこが寝室なんだとわかる。
話し声は聞こえてこない、この階には誰もいないようだ。
「ごめん、五月雨。そのファイルを貸してくれる?」
言われた通り渡すと、陽炎は歩きながらファイルを開く。えっと、とページをめくり、陽炎は中の資料に眼を通す。
仮に私が同じようにしたならば自分の足に足を引っかけるか、前方不注意でぶつかるか。どちらも容易に想像できるのが悲しいところだ。
「ここね、この部屋が五月雨の寝室になるわ。どうぞ、入って」
「はい! お邪魔しますね……あれ?」
私は扉のドアノブを回し、思わず言葉を零した。一度手を離し、再度ドアノブを回して押す。しかし扉はびくともせず、私は内心首を傾げる。
カギでも掛かっているのかと思うと同時に、ハッと気付く。
「五月雨、それ引き戸よ」
「は、ハハハ……で、では今度こそ」
笑ってごまかして、今度こそ扉を開ける。
飛び込んで来た内装は二段ベッドにロッカーが二つ。他には何も無く、正面に見える窓には鉄格子がはめられている。
殺風景な部屋だったし、何よりも狭い。何畳ほどだろうか、六畳はない。その半分の三畳だろうか。
室内の半分は二段ベッドに場所を取られ、ロッカーも扉を開けることを考えると物が置けない。他に物を置くとすると、床ではなく壁に掛けるような物だろうか。
想像していた間取りと大きく違い、思わず私は陽炎に顔を向ける。すると陽炎は、わかる、と頷く。
「想像以上に狭いでしょ、施設にいた時の寝室と比べ物にならないわよね?」
陽炎の言う通りだ。
ここ、鎮守府に来る前に一度施設に泊まることになる。それは艦娘になるために最低限の知識やルールの教育に、手術のためだ。
他にも艤装を着け、室内プールで水上走行や砲撃訓練を数回。
その時に寝泊まりしていた部屋は同じように物はなかったものの、広々とした空間で住むとすれば文句はない広さ。密かに、ここにテーブルを置いてこっちにはソファーを、とレイアウトを考えるほどには良い部屋だった。
鎮守府でもそうだと思っていたが、どうやら違うらしい。
内心がっかりするも、それ以上に気になることがある。私は二段ベッドを指差す。
「えっと、相部屋なんですか?」
「ええ、そうよ、二人一組。けどあなたが来て奇数になったから、今は一人部屋ね。他の子が来たら、たぶんその子と相部屋になっちゃうけど……五月雨はそう言うの大丈夫?」
「たぶん、大丈夫だと思います。家では弟と一緒に寝てましたから、それになんだか修学旅行みたいで楽しみです」
なるほどね、と陽炎は相づちを打ち、次に荷物をロッカーに入れるように言う。
私はファイルを受け取ると部屋に入る。言われた通りロッカーを開け、バックやファイルを中に仕舞う。
最後にロッカーのネームプレートに名前を書けば、やっと両手が自由を手に入れる。
ふと、私は窓辺に近付き、外を見る。
鉄格子越しに雲一つない青い空が広がり、青い海と共に水平線に続いている。空にさんさんと輝く太陽の光が海に反射し、青い大地がキラキラと宝石のように輝く。
窓を開ければ心地よい風が室内に流れ込み、前髪が揺れる。
とても綺麗な光景だと思う。こうして海を見ることができたのは、私が艦娘になると決意しなければ叶わなかっただろう。
・
「ちょっと、タイミングが悪かったみたいね」
「……みたいですね」
ささやかながら私の歓迎会をしたいと陽炎は提案してくれた。鎮守府内にある甘味処と言う連れて来て案内してくれたのだが、どうやら少し取込み中のようだ。
集団で座っている少女たちの一人と、それに話しかけている一人の少女。喧嘩をしているわけではないが、どこか険悪な雰囲気が感じられる。
それを現すように座っている少女が立っている少女に、あっちに行け、と指差す。
「あ、そうだ、購買に行きましょ! これからはここで暮らすんだし、必要な日用品をそろえに行きましょう」
「あ、はい、ありがとうございます」
「ごめんね、本当は盛大に歓迎会を用意できれば良かったんだけど、最近ちょっとピリピリしてて……」
不意に陽炎が謝り、私は慌てて手を振って見せる。
「そんな、大丈夫です。なんか、忙しい時に来てタイミングが悪かったってだけですから。こうして陽炎に良くして貰ってるのに、わがまま言えませんよ」
「あ! そう言う意味じゃあなくて……あー、今のなし……あー、でもなぁ……」
同じように陽炎も手を振ると、今度は腕を組み考え始める。腕を組みながら歩く陽炎の後ろを付いて行くと、時折他の艦娘と出会い、あれ、と私に視線が集まる。その度に会釈して返していると不意に陽炎は肩越しに私を見る。
その表情はどこか険しく、陽炎自身も困っているように見えた。
「えっとね、別に私たち艦娘が忙しいとか、戦況が圧迫しているとかじゃないのよ。なんて言えばいいかしら、水面下で何か起こってる……? 五月雨、提督にはあったかしら?」
「いえ、なにか忙しいとかで秘書艦の人が相手してくれました」
「そう、やっぱり。最近、日に日に出撃の頻度が多くなってるし、かと思えば出撃する艦隊に偏りがある……それに航路から外れた哨戒任務……」
そう言って、陽炎はまた考え出す。その姿を見て、私も考えを改める。
そうだ、修学旅行なんて言ったら駄目だ。私がここに来た理由、それに何をするのか、遊びじゃない。
互いに沈黙が続き、それに気付いた陽炎が謝る。
「ごめん、ごめん。ちょっとヘンな話しになっちゃったわね、今の話しはここだけってことにしといて。あ、ほら、あれが購買よ」
陽炎が指差した先、そこには赤レンガのコンビニがあった。正確には違うのかも知れないが、そう言う表現がシックリくる。
そのまま購買舎の扉を開け、中に入る。官舎や艦娘寮に入った時にも感じたように、ここも外と中では受ける印象が違う。
外観はコンビニだが、中はどちらかと言えば駄菓子屋寄り。プラスチックケースに詰められたお菓子の数々や、壁に張られた何かのポスター。だが奥を見てみればやっぱりコンビニなんだな、と思う商品が並べられている。
「おう、誰や……あ?」
すると男性の声が聞こえる。いやにドスが効いた低音で、思わず身を竦める。
声の主は入り口から奥、商品を抜けた一番奥にあるレジの裏にいた。
「よっちゃん! 新しい子連れて来たわよ」
よっちゃん、と陽炎の発言に内心驚く。なぜならばそう呼ばれた男性はそんな気軽に呼んでいい見た目ではなかった。
男性はレジから出てきて、私たちに近付く。それに伴い、私は見上げる角度が上がる。
背が高く、恰幅の良い身体。顔つきは厳つく、髪はジェルで整えている。その見た目で柄シャツを着てスラックス。更には首を回して、ごきごき、と骨を鳴らす。
一目でわかる、怖い人だ、チンピラの人だ。
「なんや、新入りかいな。お前名前は?」
「え!? あ、はい、あの、私……」
「紹介するわ、有近 五月雨よ。で、五月雨、こっちのチンピラみたいな人が万屋のよっちゃん。こう見えてこの購買の唯一の従業員よ」
戸惑う私の変わりに、陽炎が紹介する。万屋と呼ばれた男性は、チンピラみたいってどう言うことだ、と陽炎に食って掛かる。
だが陽炎の表情は柔らかく、万屋も本気で怒っていると言うよりは何時もの掛け合いのようだった。
二人は軽く会話を済ますと、まあいい、と万屋さんが私に向き合う。
「五月雨やったな。なんや必要なもんがあるんか? 初回やしサービスしたるで?」
「あ、じゃあ、よっちゃん。花火取り寄せてよ、手持ち花火!」
はい、と陽炎は手を上げる。
「お前やない、ワシは五月雨に言っとるんや! そもそもなんで花火やねん」
「ほら、五月雨の歓迎会によ。さっき甘味処に行ったんだけどちょっと宴会中でね、その代わりってとこ。まあ、私もやりたいってものあるから、結構な量をよろしくね」
「ああ、なるほどな。花火なぁ、火薬は貴重やかならぁ……時間掛かるかもしれんで?」
「うーん、五月雨、それでいいかしら?」
そう言って、陽炎は私に笑いかける。少し考え、私は首を横に振る。
「大丈夫です。さっきも言いましたけど、これ以上良くして貰ったら申し訳ないですよ」
気持ちはもちろん嬉しい。だが、さっき思った通り修学旅行ではないのだ。
軍人のようなガチガチな考えや振る舞いをしようとは思わないが、せめて学生気分を抜くのは早い方がいいだろう。
するとグイッと万屋さんが近付き、私を見下ろす。
「なんや五月雨、おどれ遠慮しとるんやないやろうな?」
「ひっ!? そ、そんなことないです! あの、私はただ……あッ!」
威圧に押され、私は後ずさる。その時だ、いや、何時ものことと言うべきだろうか、私は浮遊感に襲われる。
一気に万屋さんとの距離が離れ、同時に視線が天井を向く。手を伸ばし、何とか持ちこたえようとして物を掴んだが、それは止まらない。
商品棚をひっくり返し、倒れた私の頭上から様々な物が降り注ぐ。やってしまったな、と思う頃には私は駄菓子の布団の中にいた。
「よっちゃん、あなた顔が怖いんだから、そんな風に言ったら脅してるようにしか見えないって言ってるじゃない」
「お、おお、なんか、スマンかったな……?」
頭を搔きながら謝る万屋さんに、私は恥ずかしさいっぱい、誤魔化しいっぱいの愛想笑いをするのだった。
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ご愛読ありがとうございます。叱咤激励、なんでもござれ