男こと爺さんの運転する軽トラで田んぼのあぜ道を走ること10分。
最初俺は彼をなんと呼べば良いのか分からなかった。だから、声のかけようもなかったのだが、名前言われるとともに、俺は爺さんって呼ばれたほうがしっくりくるからなぁ、と言っていたので、僕はそれにならい爺さんと呼ばせてもらっている。
曰く爺さんは、専業農家で幾つかの田んぼと畑を管理しているらしい。
らしいというのは、彼がそう言ったからである。
「おう、にいちゃんにも、少し手伝ってもらうかもしれねぇからな」
泊まる代わりに少しは働け、そんなことだろう。
「分かりました。頑張って働かせてもらいます」
それほど肉体労働が得意ではないが、泊めてもらうお礼だ。そう思うと、働きたいなどという欲が生まれる。現金なものだ。
「ありがとな。それにしてもにいちゃんなんでこんなとこ来たんだ?住んでる俺が言うのもなんだがなんもねぇーぞ」
「あ、昔見た風景画でここを描いていたものがあったんで」
「へぇ、それで本物を見に来ようと思ったってわけか。面白いことするもんだな」
こんな辺鄙なところにさと、小さく彼はつぶやく。
それは、何を意味していたか……
それは僕には分からない。彼だけがこの街に感じ得る何かがあるのだろう。
「そう言えばよ、にいちゃん。あんたよ仕事は何やってたんだ?それともまだ学生か?」
「学生ではないです。小説を書いているんですけど、少し仕事で詰まって、休暇貰ったんですよ」
「へぇ、物書きか。若いのにそんな変な職業に就いたのか。珍しいなぁ」
関心したのか、その後もどんなものを書くのかなどと続けざまに聞かれる。
「そうか、それでスランプか」
無言で頷く。自分で認めるのも、癪だが本当にスランプという状況なのだろう。
「まぁ、頑張れよ。ほら、目の前のヤツがうちだ」
目の前にあるそれは、想像していたよりも大きな家だった。防風林となる背の高い木に覆われた木造建築の家。
都会では、見かけることが少なくなった瓦の立派な屋根。
「立派な家ですね」
建築物にそれほど興味のない僕でも、その家が立派であり、心惹かれるものがあった。
「まぁ何年も、何十年も建ってるからな。俺の爺さんの頃か、その前ぐらいだからな」
まぁここら辺ではそんな珍しいものじゃないけどなと付け加えるとそのままに車を駐車場へと向かわせる。
「おう、帰ったぞ」
「あらあらおかえりなさい。あれ、お客さんですか?」
家の奥から現れたその女性は、爺さんの奥さんだろう。
「おう、このにいちゃんなぁ、旅の途中で来たみたいなんだが、ここらは何も泊まる場所ないだろ。数日泊めてやることにしたから」
「あらあら旅の人ですか。いらっしゃい。ごゆっくりしていってね」
そう言うとそそくさと家の奥に戻って行ってしまった。
「あの、お邪魔しても良かったんですか?」
「あぁ気にすんな。今はこの家には俺とあいつしかいねえから」
「はぁ、分かりました。お邪魔します」
「おうおう上がれ上がれ。何もないけどよ」
爺さんの後に続き家へと上がる。
純和風と呼ばれるであろうその家の造りは、僕の初めて目にするものばかりであった。
障子に畳、当たり前に耳にしながら、ついぞそれはテレビの中や本の中の代物でしかなかったもの。
「そんなにもの珍しいか?」
興味津々にものを見つめる僕が珍しいのか爺さんは足を止めて聞いてくる。
「ええ、テレビの中のものでしかなかったので、実際に見るのは初めてで」
「そうか、けど俺からしてみれば、東京とか都会の生活の方がよくわからないぞ」
「まぁ、都会は想像しにくいものですよね」
あそこの生活はどこか忙しなかった。
時間に追われ、期限に追われ、人の波に流されて……
「まぁここにいる間はゆっくりとしていろ。何にもないけどその分、ゆっくりと出来る場所だから」
「そうですね。今まで急いで来た分ゆっくりとさせてもらいます」
そう僕が言うと、それが良いよと答えて、また足を進める。
「それじゃここにものを置いておけ。ここ使って良いから」
爺さんの後について来た場所は二階の端の一部屋。そこからの風景には、山の麓まで続く田園が広がっていた。
山と山の間に消えてゆく太陽が赤く染まっていた。
そこには、表現しようのない自然の美しさがあった。
「すごい光景ですね」
「そうだろ、ここの風景は俺のお気に入りだ」
そう言いながら、爺さんは部屋の片隅に立て掛けられていた布を被った板を手に取る。
「この光景が好きでな。こうして趣味ながらに絵に描き写しているだ」
手に取った板から布を取ると、荒々しいタッチの水彩画が現れた。
荒々しいが、どこか柔らかさを感じる。温かみを感じる。
「まぁ独学だからこれが限度だけどな」
爺さんは誇らしげにその絵を叩く。
「すごいですね」
「あんたもさ俺から見たらそうだよ」
その言葉は、俺に対する誉め言葉だったのだろうか……
板をを元の場所に戻し、飯の時に呼ぶからと言うと、爺さんはそのまま部屋を出て行った。
爺さんに呼ばれ、一階へ行くと、空腹感を掻き立てる良い香りがする。
「おう、どうだあの部屋良い部屋だろ」
「はい。風景がとても綺麗だし、過ごしやすいです」
「あんたなら気にいると思ったんだよ。俺の予想通りだな」
彼は笑いながらそう言う。
「さて、婆さんが随分と手の込んだ飯を用意してくれてるようだしな」
「そうみたいです」
そう言って爺さんの後ろについて歩いた。
「へぇ、物書きさんなのかい」
爺さんの奥さん、婆さんって呼んで良いと言われたので婆さんと呼ばせてもらっている、は驚いたように言う。
「はい、一応作家としてやってます」
「へぇへぇ頑張ってるんだね」
朗らかに笑いながらそう言う。
爺さんの豪快な笑い方とは裏腹に、目の前の女性は落ち着いた雰囲気を醸し出しいた。
「婆さん!鍋吹きこぼれ欠けてるぞ!」
「あらあら、大変」
どうやら、天然が少々混ざっているのかもしれない。