勝手に入って大丈夫かと心配したが、どうやら許可は得ているらしい。湯婆婆様の執務室にて、ハクに教わりながらも書類の整理をしている私だが、前世の知識もあってか何とか捌く事が出来そうでほっとした。
ハクは基本的に湯婆婆様の身の回りの雑用や帳簿の管理をしているらしい。恐らく更に危ない仕事もやっているのだろうが、それは私に教えてはくれなかった。
「この書類はこっちで良いんだよね?」
「うん、大丈夫だよ。千尋は飲み込みが早いね。いつもはもう少し時間が掛かるのに、千尋のお陰でもう終わりそうだ。」
随分と嬉しい事を言ってくれる。まぁ、普通10歳の女の子が書類を捌けていたらおかしいので、ハクの反応は当たり前のものだろう。
今は書類は湯婆婆様が担当するものとそれ以外に分けて、更にそこからハクが湯婆婆様の書類を系統別に、私がそれ以外の書類を担当部署毎に分ける仕事をしている。中々量が多くて湯婆婆様が毎日これだけの書類と格闘していると思うと少しだけ同情した。個人経営はやっぱり大変なんだな。私は将来、社員の1人になろう。
ハクよりも先に書類を捌ききってしまい、取り留めもない事を考えていると、ハクの方も終わった様で書類を湯婆婆様の机に置いてこちらにやって来た。
「よし、じゃあ後はこの書類を届けないといけないんだけど、他の者達はまだ寝てるだろうから夜にやるよ。」
「うん、分かった。じゃあ次は?」
次の仕事は何だろうかとハクに尋ねると、ハクはとても言い辛そうに口を開いた。
「あーー……次は、いつもなら見回りに行くんだけど、千尋は危ないから私達の部屋で待っていてくれるかい?」
「やだ。」
即答した私に、ハクが困った顔で笑う。何だその聞き分けの悪い子供を見た親の様な反応は。なけなしの乙女心が傷付くぞ。
「はぁ……そう言うだろうと思ったよ。……何かあっても千尋は私が守るから、しっかり捕まっているんだよ。」
何やら甘いセリフの後にハクの姿がどんどん変化して行く。白い鱗が生えて、胴が長くなって行って、鋭い牙が生えて……気付くとそこには立派な白い龍がいた。
「……私が怖いかい? 」
姿は違うがハクと同じ優しい声が私の耳を打ち、ついその美しさに見惚れていた私を現実に引き戻す。
「いや、全然。」
また、即答した私に今度は嬉しそうにハクが笑った。
私は首を傾げた。何でだろうか、怖いというよりも懐かしい様な、そんな気がしたのは……
空が青い、私の体を吹き抜ける風が気持ち良くて思わず伸びをしたら、ハクにしっかり捕まっていなさいと注意をされてしまった。
現在私は龍へと変化したハクの背中にしがみついて、湯屋の周辺を見回っている。上空から見ると、あんなに大きかった建物がちっぽけに見えて、何処となく私は気分が良かった。
見回りをしながらハクが色々な場所の説明をしてくれるので、会話も尽きず楽しい。ハクの説明は分かりやすくて、つい私も感心してしまった。
「そうだ、あの電車は何処に向かってるの?」
ついさっき湖の水を押し退けて進んで行った電車の方を見つめてハクに尋ねる。もう既に見えなくなってしまったが、日の明るい中で見た電車は、中々に綺麗で興味が湧いた。
「あの電車が向かうのは死の世界だよ。」
何処か寂しそうな表情でそう告げるハクに私は「そっか」と返すしかなかった。きっとあの電車に乗るのは、そんな悲しい人達なんだと気付いてしまったから。
「あっ、今魚が跳ねた! 結構大きかったよ!!ここからでも姿がはっきり見えた!」
多少わざとらしかったかもしれないが、それでも良いかと意識して明るい声を出す。
「本当? 残念だな、私は見逃してしまったみたいだ。」
私の意図が伝わったのか、言葉の割には残念そうに聞こえないハクの声を聞いて、私はそっとハクの背に顔を伏せた。
私はいつかきっとハクを1人残して死ぬだろう。その時にハクがどんな顔をするかと想像して辞めた。未来を嘆くよりも今を楽しんだ方がきっと幸せになれる……私は、私の名前を優しく呼んでくれるハクが傍にいるだけで、満たされている気持ちになるんだから……
「ごめんね、千尋。」