人を避けて目的地に行くのが面倒で、私は一旦部屋の窓から外へ飛び降りた。そのまま配管に手を掛けてスピードを緩めつつも落下して行く。ある程度降りたら配管から手を離して壁を横に蹴りながら階段の踊り場に何とか着地した。
流石に基礎の身体能力では無理だが、盛り上がっていた宴会場から攫ってきた日本酒を足と手にぶっかければ行ける。魔法のキラキラ様々だ。
勢い良く扉を開けてボイラー室をくぐり抜ける。目的の場所に到着して早々、私は叫んだ。
「すみません!! 釜爺にお願いがあって来ました!!」
「何だ千? 腐れ神は何とかなったのか??」
釜爺はヤカンから直接水を飲みながら作業をしていて、河の主のせいで宴会場へと流れ込んだお客様方のせいか、いつもよりも随分と暇そうにしていた。
「あ、お腐れ様はどうやら名のある河の主の様だったみたいで、ゴミを取り除いたらすっきりしたのか、砂金を残して帰って行きました。」
「おぉっ、それは良かった! 流石千尋だ!!」
確かに私は頑張ったし、褒めてくれるのはありがたいが、今はそれどころではない。
「ってそれはどうでも良いんです! ハクが!!」
「ハクが、どうかしたのか??」
何やら私の唯ならぬ様子に気付いたのか、釜爺の顔が真剣な表情になって真っ黒のサングラスを光らせた。
「ハクが、湯婆婆に命令されて錢婆婆の持つ契約のハンコを盗みに行ってしまったんです!! このままじゃ、ハクが……ハクが……」
思わず言葉が尻すぼみになってしまう……ハクは原作ならちゃんと生きて戻って来る筈だけど、私というイレギュラーがある以上、その通りになるとは限らない。それにその原作でもハクは錢婆婆の呪いで虫が体内で暴れている状態で式神に追いかけられながらも息も絶え絶えに戻って来るのだ。
「何ぃ、契約のハンコだと?! そんなものが湯婆婆の手に渡ったら大変な事になるわい!! それに錢婆婆は隠居こそしているが、湯婆婆と同等に魔法の腕は確かだぞ!」
湯婆婆がハクに盗めと命令したのは契約のハンコ。このハンコがあれば、私達湯婆婆と契約をしている者達の契約内容が湯婆婆の好きな様にされてしまう。こんなブラック企業顔負けの勤務形態が奴隷労働にされてしまう、冗談抜きで本当に。
「そんなの分かってる!! 私、だからこそハクを何とか助けてあげたい!! 釜爺、どうにかして錢婆婆の所まで行く方法がない?!」
釜爺なら持っている筈だ、電車の切符を。知っているのにそれを言えないのがもどかしい。かと言って、これを言って不審がられたら、それこそ本末転倒だ。
「千尋が行った所で、どうしようもないだろう。ここで帰りを待って「いやだ!!」」
「私は、私はもうハクを失いたくない……釜爺がそう言うなら、私は泳いででも行く。」
子供の駄々でも何でも良いから、私は早くハクに会いたかった。私の泳ぐ速度は、私が陸で走るよりも早い。かと言って電車の速度には全然敵わないのだが。
電車の速度とハクの速度は大体同じ位だからハクが錢婆婆の元に辿り着く前に私がハクと合流する事は出来ない。それでもハクの怪我が少しでも軽くなる様に早くこの泥団子を食べさせてやりたかった。
「……うーん、千尋が行くにはなぁ、行けるんだが……帰りがなぁ……」
釜爺はひとしきり唸った後、黒い腕を伸ばして奥のタンスを探し始めた。恐らく電車の切符だろうそれは片道分しかないというより、そもそも電車が一方通行しかないのだが、私にとっては天にも勝る物だった。
「あった、これだ! この切符があれば銭婆婆の所まで行けるぞ!」
そうして釜爺が長い腕で私に差し出して来たのは、簡素な電車の回数券だった。
「いいか千尋、これで6つ目の沼の底という駅まで行くんだ。」
「6つ目の沼の底。」
「くれぐれも間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。」
心配してくれてだろうけど、私は早くハクの所に向かいたかった。はやる気持ちを抑えて、釜爺の言葉に頷く。
「大丈夫。帰りは自分で何とかする。」
「気を付けて行け!! そうだ、これも持ってけ!!」
「はい!! 釜爺ありがとう!」
半ば釜爺から奪い取る様にして受け取った切符は、少しだけ皺が寄ってしまったものの、しっかりと泥団子と共に私の手に収まっていた。それと共に押し付けられた淡い緑色の袋の紐を手にかけて走り出した。
「やっぱり愛だなぁ。」
うるさい。今、シリアスパートなんだから