「あー……すっかり存在を忘れてたよ。」
「えっ、これはどうなってる?! あれは一体??」
私の横でドン引きした顔で目の前の存在を見るハクに私も同じ気持ちだった。本当にすっかりと忘れていた。いや、記憶から消していたというのが正しいのかもしれない。
「ちょっと千! お前がこいつを引き入れたんだから何とかおし!! さっきからつっ立ってないで、さっさとやりな!!」
湯婆婆がそう捲し立てて来るのが辛い。やっぱり逃げるのは駄目だよね? 確かにあいつを湯屋に入れたのは私だけど! だけどさ!!
目の前に蠢くのは醜い黒い塊。長い手足にお腹にある大きな口とお面を被った小さな頭がチャームポイントのカオナシ・改だった。
あぁ、あの時の私に原作知識があれば招き入れるなんて事をしなかったのに……今更悔やんでも仕方ないが、カオナシにお礼をしなきゃなとか考えてた過去の私の馬鹿! 今の私は貴女のせいでカオナシにお礼参りをされていますよ!!
離れていた所からカオナシが料理を飲み込んで行く姿を見ていたが、これ以上は時間を延ばせそうにない。湯婆婆の必死そうな顔に仕方ないかと腰を上げて気付いた。これはチャンスなのではないだろうか。
「湯婆婆様、確かに私がここに招いた記憶はあります。けど、だからと言って私が対処しなければいけない理由は無い筈ですよ。基本的にカオナシは人に害を与えません。それがこうも変質してしまったのは、それだけの理由がある筈です。」
「っ何が言いたいんだい?! まどろっこしい言い方は抜きにして、さっさとおし!!」
湯婆婆が髪を振り乱して答える。先程まで戦闘をしていたのだろう、服や頭にはドロが跳ねていた。
「私がこのカオナシを何とか対処出来た暁には、私の両親の呪いを解いて元の世界へと戻して頂きたいのです。私をここへ縛り付けておくつもりなら、その楔はハクで充分ですよ。」
自分の力で呪いを解けるのなら解きたいが、湯婆婆がわざわざその方法を教えてくれる筈もないのだし、簡単ではないだろう。それならば、一刻も早く両親を元の世界へと戻すのにこれ程の手はないと思った。
「彼女は完全に私の眷属となった。従って彼女が人間の世界へと戻る事はない。」
「眷属? ……そうか、なるほどねぇ。」
ハクの言葉を聞いて湯婆婆がこちらを見てニヤリとした笑みを浮かべる。
「良いだろう! お前がこいつを倒した場合、お前の両親を解放してやる!!」
湯婆婆が尊大な口ぶりでそう言い放ったのを聞いて、私の口角も上がる。
「言質はとりましたよ。……くれぐれもその言葉を違える事のないように。神の御前ですからね。」
ハク含め、大勢の従業員の他にも、騒ぎを見物しているお客様方がいる。これだけの大勢の前でした契約なのだから違反などしたらただでは済まされないだろう。
辺りを見回してそう言い放った私に、湯婆婆は憎々しげな顔をしたが、それだけだった。
よし、大丈夫だ。原作の千尋でも倒せたのだからチョロイチョロイ。確か、河の主様から貰った泥団子を口に突っ込んで嘔吐させるのだったか……あれ? 泥団子?? ………………ハクに全部食べさせなかったか私?!
一気に冷や汗がどっと吹き出る。うわぁ、何て事をしてしまったんだ私は!! カオナシ相手に泥団子がなくて、どうしようって言うんだ?!
「千尋、あぁは言ったけど、どうするつもりなんだい? …………千尋?」
「ハク! えぇっと、待って……今考えるから………「千尋!!」へっ?」
気が付けば、私はハクに突き飛ばされて床に転がっていた。私がさっきまでいた場所にはカオナシの姿が。ハクの姿は見えない……。
「ハク?! 嘘でしょっ?! 返事をして!!」
「あっ……あ……あの子を寄越せ! 人間の娘を寄越せ!!」
「お前じゃない!! ハクは……ハク……」
私を庇って瓦礫の下敷きにでもなっているのだろうか。拙い。このままじゃあハクだけではなく私もあっという間にやられてしまう。
「あっ……あの子を寄越せ! 千尋を、寄越せ! 千尋、千尋……あ…千尋が欲しい……千尋……嫌わないで。」
カオナシの声が途中から切り替わった。この声は嫌に聞き覚えがある。頭に生えていた髪がいつの間にか伸びてストレートになっているのを見て、私は1つの嫌な結論に辿り着いた。
「っ!! もしかして、ハク?」
「い、嫌だ千尋……千尋、千尋……嫌わないで……愛して……離れないで……千尋、千尋、千尋……」
ふらふらとした足取りでこちらにやって来るカオナシに思わず後ずさりする。ハクが取り込まれて何だか先程と様子が違う様に感じた。
「ハク……食べられ、ちゃった……の……?」
「千尋、千尋……あ…千尋……うぉえっ……うぉっ……千尋……」
突然カオナシがお腹にある口から嘔吐した。中から出て来たのは青蛙と兄役の男性の2人。どうやら主人格が変わったせいで、用済みとなった2人が放り出されたらしい。
取り敢えずカオナシのすぐ目の前にいたのでは2人が危ないので、引きずって離れた場所へと移さないといけない。あまりカオナシを刺激しない様にそーっと近寄ると、2人を掴んでそのままゆっくりと距離を取って行った。あともう少しで従業員の誰かに渡せると思った時、何か足に違和感を感じた。何故か足がこれ以上進まないのである。歩こうとしてもまるで床の摩擦がない様に進まない。
「千ー! 何やってんだー!! そんな所で止まってたら捕まっちまうぞー!!」
「リンさん、足が進まないの!! 何でか分からないけどこれ以上離れられないみたい!」
離れられない? ……まさか、ハクとの契約が関係していたりするのか?? もしそうなら拙い。カオナシが私を捕まえようと思えば、私は逃げられずにあっという間に捕まってしまう。
「っはぁああ?! 何だってそんな事になってるんだよ!! ちっ、いいかぁ!! そいつを無闇に刺激するんじゃねぇぞ!!」
他の従業員達と比べて、リンさんの肝の座り様ったらない。大声なんか出したら、自分の方にカオナシが来てもおかしくはないのに。
「うん? 何処だここ……」
「ぅう……ん、あれどうして私はこんな所で……」
と、ここでやっと2人の目が覚めた。これで誰かに引っ張って貰わずとも、自力で安全な所へと避難する事が出来る。
「あっ、良かった起きた!! 取り敢えず危ないから、あっちに離れててくれると助かるんだけど。」
「千尋様?! あれ、俺…何がどうして……あっ!!」
「千様?! 何故ここに……ってえぇっ!? お客様??」
起きた現状への疑問に首を傾げて、目の前に存在するカオナシという化け物に2人は驚愕に目を細めた。まあ先程まで自分達が呑まれていたのだから、それも仕方ないだろう。
「2人とも似た様なリアクション取らなくて良いから、起きたのなら早く行って……正直言って邪魔だし、足でまといだよ。」
「ひぃぃっ! すぐ行きます!!」
兄役の男性は裾を持って、時たま転びそうになりながらも何とか走って行った。
「……千尋様!! 俺には何も出来ませんが応援してます!! それと助けて下さってありがとうございました!!」
青蛙が残って私にそんな言葉を掛けて来た。やっぱりこのカエルは何だかんだ良いやつだ。
「……どういたしまして……ほら、すぐ行った。」
「はい。」
少しだけカオナシから目を離してしまった。空気がザワリと揺れる。瞬間、耳をつんざく怒声。
「千尋、千尋……千尋の名前を呼んで良いのは私だけの筈なのに……お前が呼ぶな、呼ぶなぁああ!!」
「っひょえぇっ?!」
長い腕をムチの様にしねらせて青蛙に向かって攻撃をするカオナシに私はまた叫ぶ事しか出来なかった。
「あ、青蛙!? 大丈夫?!」
「……な、何とか。大丈夫、です。」
青蛙がカエルで本当に良かった。声のする方を見れば、上の階の手すりに張り付く青蛙の姿があった。
それにしてもどうしよう……このままじゃあカオナシの被害は拡大する一方だし、中にいるハクもきっと危険だ。このカオナシの姿はいくらなんでも異常過ぎる。
「っあーーっ!! っくそっ! 何で私は泥団子を残しておかなかったんだ!! 」
うっかりにも程がある。一体どこの魔術師の凛ちゃんだ私は。
何か、何か泥団子の代わりになるものは…………そんなものが都合良くそこらに転がっている訳ないか……いや……
「……あるな。持ってるよ私が。」
腕にプラーンと引っ掛かった薄緑の袋を見る。急いで中から竹筒を取り出せばその中身は……
「ビンゴ。……しかもこいつ私のイモリの黒焼きとキャラメルを食べたな。太ってる。」
ハクの体に寄生していた湯婆婆の呪いの虫が、竹筒の底で切符を布団代わりにして、でっぷりした姿で寝ていた。
「こら、起きろー! 寝るな!! 自分の本領を発揮しろ!!」
竹筒を激しく横に振ると、小さな丸い目が見開き何が起こったのだと慌て始めた。全く私があれだけ生命の危機にあって、カオナシとやりあっていたというのにこいつは……
「よし起きたな! 行くよ!! 投げ込むよ!! 着地したらちゃんとハク以外を食い荒らすんだよ!!」
竹筒に向かってそう怒鳴れば中の虫がペコペコ頭を下げて了承したので、私は竹筒を思いっきり振りかぶると蓋を開けたそのままカオナシの口へと投げ込んだ。
「あ……千尋、千尋……あっ……あっ……千尋、一緒にいて……うぅっ!?…がぁっ!! っくぅ……ぅぁあああ!! 千尋?! 千尋ぉおおお!?」
ハクの声でそんなに泣き叫ぶ様にされると辛い。
「大丈夫だよ。全部出したらきっと良くなる。」
あまりもの暴れ具合に私はそっとカオナシに近寄った。カオナシは私を捕まえるなり何なりしてくるかと思ったけど、暴れて料理や装飾を壊しても、私に危害を与える事は一切なかった。
大分苦しそうだ。……それもそうか、お腹の中で随分と精力の回復した虫が暴れていたら、誰だってそうなる。カオナシは口の端からは泥が零れて、歯を思いっきり食いしばっている。このままじゃ嘔吐が出来ないと私は気付いて、ならばとがら空きのカオナシのボディに1発ぶち込んだ。
「ぐぁああ!! うっ…うぉおえっ!……うぉっ! ……かはっ……」
思わず開いた口からはハクが出て来て、そのまま口の中の泥と共に地面に倒れ込んだ。そこからはもうあっと言う間で、口に入っていたものがどんどん外に出されて行き、最後に呪いの寄生虫を吐き出してカオナシは通常のコミュ障に戻った。
「ハクっ! 大丈夫?!」
「……あれ……千尋?」
「良かった!! 良かったハクっ!!」
思わずハクに抱きつく。本当に良かった……ハクがカオナシに食べられてから今まで生きた心地がしなかった。
「あぁ、そうか……千尋が、助けてくれたんだね…………」
「うん、ハクが無事で良かった!!」
「千!! 何やってるんだい!! そいつはまだ倒れちゃいないよ!! 早く仕留めな!!」
湯婆婆の声に肩が跳ねる。嘘、だってカオナシは元に戻った筈……
「えっ……えぇっと……」
カオナシの方を見ても、そこにいるのは初期の姿の何の害もないカオナシだった。
「そいつがまた何か悪さをする前に殺してしまうんだよ! さぁ早く!! じゃなきゃお前の両親を返す事は出来ないねぇ!」
「っ!!」
そんな!? カオナシはそれ自身では決して害を与えないのに。人の欲に付け込んで体を乗っ取りはするけど、それもその人の深い欲にカオナシが引き摺られるからだ。原作ではおばあちゃんの所で仲良くお仕事に精を出す筈だったのに……
殺すんだ、殺せ、殺さないと……両親を助けたいなら、他人の命くらいどうだって良い筈だろう? 私は、私は……
「っ無理だ……ごめんお母さん、お父さん…………」
殺す? 無理だ怖い。たとえそれが人間じゃなくても私が殺すなんて……怖い。気持ち悪い。チャンスだったのに……2人に最後に出来る親孝行かもしれなかったのに……本当にごめんなさい。
「っ湯婆婆様! それならば私がやりましょう!! それならば両親の呪いを解く事を許して頂けますか?!」
ハクが私を庇う様に腕に抱えて湯婆婆に進言する。駄目だよ。ハクにそんな事をして欲しくない。それにきっと湯婆婆は……
「はっ、私が契約したのはそこの人間の小娘とだよ! お前がやった所で契約は完了しないね!」
そう言うだろうと思った。予想通り過ぎて悔しくもない。
ともあれ、これからどうしよう。出来ればカオナシを逃がしてやりたいのだが……そんな隙間があるだろうか。
「全く年寄りが若い子が頑張ってるのにちゃちゃ入れるもんじゃあないよ。」
私の後ろから声が聞こえた。湯婆婆と同じ筈なのに……酷く優しくて慈しむ様な、声が聞こえた。
「……おばあ、ちゃん?」
「よく頑張ったね千尋、後はあたしに任せな。出来の悪い妹の躾くらい、姉が何とかするよ。」
振り返るとそこには、いつか私が濡らしてハクから落とした人形の式神が浮かんでいた。もしかして、私を心配して付けておいてくれたのだろうか……だったら嬉しい。
「っ銭婆婆ぁあああ!!」
「全く姉を呼び捨てだなんて、失礼な妹だねぇ。」
湯婆婆が腰に手を2つ構える。すると大きな光の玉が発生して、それがおばあちゃんに直撃した。
「っおばあ「はーいやだね、せっかちなのは嫌われるよ。」……ちゃん?」
攻撃が直撃した筈のおばあちゃんは何故か無傷で突っ立っている。っいやそうか! あの姿は投影した偽物だから、本体である人形を逃がせば傷が付く筈もないんだ!!
「じゃあ今度はこっちだね。式神! 湯婆婆を拘束せよ!!」
おばあちゃんが手を叩くと、そこから何枚も重なった以前見たのと同じ人形の式神が出現する。それらの式神は、命令を受けるとふわりと飛んで湯婆婆の周りを囲んだ。
「ふんっ、目障りなだけの何の力もない式神であたしがどうこう出来ると思ってるのかい?」
湯婆婆が先程の光玉を放って式神達を撃ち落として行く。
「だからお前はハイカラじゃないんだよ。それはこっちのセリフだね。」
おばあちゃんの手にはいつの間にか再び大量の式神が出現していた。
「さて、物量で押し切るのは好きじゃないんだが、お前は何処まで耐えきれるかい?」
「くっ?!」
強い!! 湯婆婆の光玉は威力は強いが広範囲のものではなく、恐らく連発も難しい。それに大量の式神で対処するのは、ハクでも振り切れなかったのだからそれの凄まじさが分かる。一体一体が意識を持って獲物を追いかけて、決して自ら危ない所へは入っていかない判断能力の高さもある。私があそこまで簡単に式神を一掃出来たのは、奇襲を掛けた事と相性が水で悪過ぎたからだろう。そうじゃなければここまで湯婆婆が苦しんでいない。
式神が1枚、2枚と湯婆婆に張り付いて行く。それをベリっと手で剥がせば、その間に更に2枚が張り付く。それらを攻撃の合間に繰り返せば自ずと湯婆婆の体は式神で埋まって行って……
「が…あ……くっ……」
湯婆婆は目と鼻以外の指先に至るまで全てが式神によって覆われて拘束されてしまった。
「凄い…あの湯婆婆がここまで手が出ないなんて…………!」
戦いはまさに圧倒の一言に尽きた。湯婆婆の光玉は全ておばあちゃんに避けられ、じわりじわりと式神で拘束していく。言ってしまえば簡単だが、それをあの湯婆婆相手にやってのける事が凄い。
「さぁて、それじゃあ妹へ姉からの罰と行こうじゃないか。……リン、例の物をお出し。」
「はいよ、婆さん!」
「えっ……リン、さん?」
突然現れたリンさんに驚いた。リンさんがおばあちゃんに渡したのは書類……だろうか。とんでもない量がある。
「よっ千! 何とかなったみたいで良かったな!! なんかこの婆さんに突然頼まれてな! 湯婆婆の部屋からそれを取ってこいってさ。もう頑丈な鍵が付いてて参ったぜ!」
いつの間に……全然気付かなかった。
その分厚い書類の束を床に置き、おばあちゃんが懐から取り出したのは見覚えのあるハンコだった。
「お前はちょっと注意したくらいじゃ治らないからね。これで少しは反省おし。」
書類の内の1枚をおばあちゃんが持つ。そしてそれにハンコを押すと書類が淡く光った。
「この者の名を返す。そして契約した者に対等な権利を与え、それらに害を与える事を禁ずる。」
書類の光がいっそう強くなると、書類からペリペリと何かが剥がれて私の方へとやって来た。萩野千尋、私の今世での名前だ。私がそれに軽く触れると、文字は染み込む様にして消えて行ったが、指先には暖かさが残った。
おばあちゃんはその作業を全部の書類、要するに従業員全員のものを行い、書類を湯婆婆の足元に返して私に向き合った。
「あたしがやれるのはこれでお終い。妹も、根は良い子なんだけど昔っからあたしに突っかかって来てね。まぁ、自分を強く見せたいんだろうけど、空回ってばかりなんだよ。……これからお前達が関わる事で変われると良いんだけどねぇ。」
困った様に笑ったおばあちゃんは、何処か悲しそうな顔をしていた。
「っありがとう! 任せておばあちゃん! 今度、良い報告と一緒に遊びに行くね!!」
「そうしてくれると助かるよ。……そうだ、お前はうちにおいで。ここから電車で6つ目の沼の底、で待ってるよ。」
「あ……。」
良かった、カオナシも無事おばあちゃんに引き取って貰えそうだ。おばあちゃんが提案しなかったら、私から頼み込むつもりでいた。
「じゃあ早く遊びにいらっしゃい。紅茶を用意して待ってるよ。」
そう言っておばあちゃんの姿は消え、床には縦に裂かれた人形が1枚残った。
「ねぇハク……これって喜んで良いんだよね?」
「あぁ、私も千尋も、皆で喜ばないとね。」
じわじわと目に涙が浮かぶ。突然の展開に付いて行けなかったが、何が起きたのか理解すれば後は早かった。
「っいぃーーやったぁあああ!!!」
リンさんの声をかわきりに、あちらこちらで上がる歓声。
「ハクー!!」
「っぐっ! 千尋、ちょっ…みぞおちが……」
私も思わず隣にいたハクに抱きついてしまった。
「ハク、ハク……私、やったよ…………ちゃんとやれたよ……」
ハクのお腹に手を回してぐりぐりと顔を擦り付ける。もう完全に涙腺が崩壊しているので、必要な手段だった。
「……うん、そうだね。千尋は頑張ったよ。」
ハクがそっと私の頭を撫でてくれる。頭なんか、両親にも何度も撫でられた事があったのに、ハクの手はとても気持ちが良かった。
「ハク、もうあんな思いはこりごりだよ。心配させないって約束してね。」
「うっ……善処する。」
私が涙ながらにハクにしたお願いは、何処か微妙なハクの返事によって進化する事となった。
「契約ね。」
「えっそれは…「千ー!! なーにイチャイチャしてるんだよ羨ましい!!」」
突然現れたリンさんの声に驚いて、ハクから離れる。
「えっ、イチャイチャ……!?」
イチャイチャ……他人から見たらそう見えたのだろうか。いや、よく考えれば私から見てもイチャイチャしてたなさっきは。うわあ、恥ずかしい。人前で何をやってるんだ私は……
「はっ? お前それでイチャイチャしてるつもりないのかよ。無自覚って怖ぇな。……それよりもお前らいつの間に付き合ったんだよ。全く秘密にしておくなんて隅に置けねぇなぁ!」
私と肩を組んで言ったリンさんの言葉に動揺が走った。付き合う? 付き合う?!
「付き合っ……えぇっ!?」
「えっ、付き合ってなくてそれなのか?! ……あー…ハク、すまん。」
何故かハクに謝るリンさんに何がどういう訳なのか分からなくなってしまった。ハクを見れば、何故か無表情で立っており更に混乱が増すばかり。
「えっハク?! どういう事??」
「……私はそういうつもりでいたのだが…そうか……違かったのか千尋は……」
「えっ、その……あ、えぇ……」
そういうつもりというのはつまり…えぇっと……もしかしなくとも…………。
「あーーっと、……じゃあ俺はこれで! またな千!!」
漂い始めた空気を察してか、元気に去って行くリンさん。正直この場にいられても困るので助かったが、何だか体が落ち着かない。
「しかし見方によっては逆プロポーズされて男としての威厳がなくなっていた事を挽回出来るチャンスかもしれない。よし……千尋、聞いてくれるかい?」
ハクが真剣な顔で私の手を取った。
心臓が痛い位に煩い。口がニヤけてしまいそうだ。
「っはい。」
「私はね……
流石に恥ずかしいのでこの話はここまでだ。……ただ、その後会場が更に沸いたとだけ、伝えておこう。
《おしまい》