湯婆婆様の部屋は勿論、お客様の座敷、温泉施設、調理室、食料庫、庭園などなど……想像していたよりもずっと広く様々な部屋があって、すっかり興味深々にあたりをキョロキョロと眺めていた私は、さっきまでのぎこちなさを忘れて楽しんでいた。
「次は何処なの?」
「次は釜爺の所だよ。」
「釜爺?」
「うーん、足が長くて沢山あって……ちょっと見た目は怖いかもしれないけど、優しくて良い人だよ。」
足が長くて沢山あるって、何だか蜘蛛みたいだな……。確かにそんな人がいたら怖いというか、少し引いてしまうだろう。
「あぁ、ここだね。」
ハクが横に開けた扉は、何故か足元に小さく設置されていたもので、疑問に思いながらも私はハクの後に続いて中に入り、そっと扉を閉めた。
「ハクです! お仕事中すみませんが失礼します!」
恐らく部屋の奥から聞こえて来る音のせいなんだろうが、ハクが普段よりも大きめの声で呼びかけをした。
「し、失礼します。」
私も取り敢えずと挨拶をしたが声が小さくなってしまったので、相手に聞こえたかは怪しい。
炉の炎が燃え盛り、廊下と比べると流石に部屋の温度が高くなった。部屋の中は視界の暴力と言うべきか、ツッコミ所が多すぎて対処出来ない。まっくろくろすけが仕事してる?! とか、まっくろくろすけ自分より重いもの運んでるけど平気なの?! とか、釜爺さんの手足が伸びてるんだけど、ゴムゴムの実でも食べたの?! とか、グラサン似合ってるな! とか……もう、きりがなさ過ぎて、私は間抜けに空いていた口を閉ざした。現実逃避とも言う。
「何だハク、わしゃ忙しいんだ。用があるなら手短にせい。」
長い手を忙しなく動かしながら顔を目の前のすり鉢に固定したままで、釜爺さんが話す。比喩じゃなくて本当に忙しそうだ。
「新しく湯婆婆の弟子になった子を紹介に来たのです。この子はまだ小さい人間の子供なのに湯婆婆の弟子になってしまったので、少しでも力になってやってくれませんか?」
「新しい弟子ぃ?」
やっとこちらを見て、私の存在に気付いたのか目が合った。
「はじめまして、萩野千尋です。こちらでは千と呼ばれています。」
「わしゃ釜爺だ。風呂釜にこき使われとる、ただのじじぃだ。」
隣のハクから痛い視線が送られて来る。いや、名前を隠さなきゃいけないのは分かってるけど……ハクが紹介してくれたのだから悪い人ではないだろうし良いじゃないか……。私は人とは誠実に向き合いたいんだ。
「お前さんも分かっとるとは思うが始めに言っておくぞ。わしゃあ見ての通り忙しいんだ。だから千尋にも構ってやれる時間はない。」
「はい、それで大丈夫です。もしも私に何かあった時にほんの少しでも千尋の力になってやって下さい。」
何かって何だ……ハクの立場が危ないものだっていうのは理解しているけど、そんな事を言ったらまるで自分がそうなって当然みたいじゃないか。だから私はハクにお返しをする事にした。
「釜爺さん、私からもお願いします。私はこちらの事をあまり知らないので……だからもしハクが危ない事をすると気付いたら、私に教えて下さいませんか? お願いします。」
「なっ、千尋……それは「ははっ、こりゃあハクも1本取られたな!!」」
作業を中断した腕の2本で、手を叩きながら上機嫌な釜爺さんに褒められると、私も悪い気はしなかった。
「ありがとうございます。それで……お願い出来ますか?」
「よぉーく分かったよ。わしにどーんと任せとけぇ!」
心強いお言葉を頂けて何よりだ。釜爺さんはハクが言っていた通りに、見た目は強面だけど面倒見が良くて、良い意味で人間臭い人情に厚い人なのかもしれない。
ふとハクを見ると、顔を背けていたが、耳が赤いのがバレバレだった。何だこの可愛い生き物は。
「愛だなぁ……。」
何だかおかしな言葉が聞こえた気がしたが、気の所為だろう。無視だ無視。老人の戯言に構ってられるか。
ハクもお願いだから更に耳を赤くしないでくれ。私まで恥ずかしくなってしまうじゃないか……やめ……やめてくれ……頼むから…………