ハリー・ポッターは諦めている   作:諒介

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CHAPTER10-4

 その日、ハリーはなかなか寝付けなかった。

 風が窓に吹き付ける音すら不気味で、窓の外から得体の知れない何かが中の様子をうかがっているかもしれない、そんな考えに囚われていた。得体の知れない漠然とした不安感が次から次へと湧いてきて、ハリーは強い絶望感に襲われ吐きそうになるのをこらえた。

 ホグワーツに来る前にもこんな夜はあった。

 生きていること自体を否定するかのように、自分の無価値さを突き付けられる記憶の波。

 まだ自分の立場を理解していなくてダーズリー家で罵られ続けた幼少期の記憶。ペチュニアにダドリーのように甘えたくて、その度に『化け物』『まともじゃない』と忌々しさの籠った目で見られ、伸ばした手を払いのけられたあの頃。それでも彼女はハリーを育ててくれた。ペチュニアは何よりも魔法使いを嫌っていて、その子どもであるハリーを育てるのはきっと苦痛だったに違いないと、魔法の存在を知った今なら思う。

 でも愛されたかった、と思う。

 自分には与えられない母親からのキスを何度も何度も見せつけられてきた。

 ペチュニアの態度はすべて自分が、自分の両親が魔法使いだったからだとわかったことで少し気が楽になった。でももし両親が本当に交通事故で死んだ魔法とはなんの関わりもない『まとも』な人間、マグルでハリーもまたそうだったらペチュニアはダドリーと同じようにハリーを愛してくれたのかもしれない、と思うと悲しさがこみあげてくる。

 ホグワーツに行くことが決まってからずっと心の中で燻っていた感情が一気にあふれ出す。

 知らなければ、気が付かなければ苦しむこともないのにと思うと余計胸が苦しくなった。

 蘇る記憶はどれも思い出したくないことばかりだ。 

 自分は必要のない人間なのだ、とそのたびに突き付けられるようでハリーは心底消えてなくなりたくなった。

 今日だってそうだ。

 結局自分で何も言えずに、ネビルやハーマイオニーに助けられたただけだ。

 本当に自分には何の価値もない。

 そうやってハリーはぐるぐるとした螺旋状の出口のない思考から逃れられずにいた。

 ごそごそとベッドの中で頻繁に体の向きを変え、枕に顔を押し付けてみたり、布団に頭まで潜ってみたりいろいろしているけれど、眠ろうとすればするほど嫌なことばかり思い出してしまう。

 あまり音を立てては同室のみんなを起こしてしまうかもしれない。

 ハリーは極力音をたてないように注意しながら大きく息を吐いた。

 

「…ハリー、ねむれないの?」

 

 ふとネビルの声がした。

 

「ネビル…」

 

 一瞬ネビルを起こしてしまったのかと思いハリーは身を固くした。しかしどうやらネビルもまた寝付けないでいたらしい。どうせならちょっと話さないかと、二人は他のすでに寝入っている皆に迷惑をかけないように、パジャマの上にローブを羽織って談話室に行くことにした。

 

「ハリー、もしも辛いことがあったら僕、相談に乗るよ?」

 

 頼りないかもしれないけど、とネビルはちょっと悲しそうに笑った。

 深夜の談話室にはハリーたち以外には誰もいない。普段は炎の爆ぜる暖炉も今は静かに燻っているだけだ。

 ネビルの言葉が眠れないほどの不安に占められていた心にじわりと広がった。

 

「ネビル、ごめんね」

 

 ハリーはそう言わずにはいられなかった。

 ネビルがさりげなく助けてくれることがあることには気が付いていた。でも、なかなかお礼もお返しもできないままでいたことが気にかかっていた。

 ネビルはきょとん、とハリーの方を見ていたがハリーはそんなネビルの顔を直視できなかった。

 しん、としたいつもと違う雰囲気の談話室で二人ソファーに身を預け、ローブを書き抱いて身を小さくしていた。

 

「ぼくね、ホグワーツから入学許可がでないかもしれないって言われていた時期があるんだ」

 

 ネビルはおもむろにそう言った。

 ネビルの両親は有能な闇払いだったらしい。今は《例のあの人》の勢力と戦ったことが原因で、ずっと聖マンゴに入院したままなのだという。しかし、そんな有能な両親のもとに生まれたにも関わらず、ネビルには魔法の兆候がなかなか見られなかった。

 

「おばあちゃんはぼくがスクイブ…魔法族の中で魔法の使えない人のことなんだけど…じゃないって証明するために僕を屋根からおとしたり色々したんだ」

 

 魔法の発現は人それぞれだが、たいてい危機的状況に瀕したり、感情が制御できなくなった時などに起きやすいらしい。だからなかなか魔力を見せないネビルは危険な目に遭っていたようだ。

 なぜいきなりネビルがそんな話をし始めたのかハリーにはわからなかった。自分がひどい目に遭ってきた、と言いたいのか、自分の家族は酷いと告げたいのか。その意図はよくわからないけれど、ハリーは時折頷きながらネビルの話を聞いていた。

 

「なんとか魔法使いだってわかったときはおばあちゃん泣いてた。でもね、なんか出来損ないだって思われていたようでとても悲しいとも思ったんだ」

 

 スクイブだったらおばあちゃんは自分のことを嫌いになってしまうのではないか、とネビルは怖くなったのだという。実際魔法族の中に生まれたスクイブはあまりいい扱いではないらしい。なかったものとして家族から放逐されたり、忌むべきものとして一族の恥のように扱われたりと、どちらかというと悪いものとして考えられている。スクイブということが知られればバカにされ蔑まれるのが常だ。

 

「一応ホグワーツには入学できたけど、ぼくってほらあまり魔法がうまくないだろ?」

 

 ネビルはちょっと言いづらそうにそう言った。実際ハーマイオニーの方がよほど魔法の扱いはうまい。というか彼女はおそらく学年で一番上手いだろう。一方ネビルは失敗も多いし、どちらかというと悪い方で目立っている印象はある。

 

「僕はパパやママみたいな魔法使いにはなれそうにないけど、おばあちゃんはそうなることを期待している」

 

「おばあちゃんは厳しくて怖いけど、嫌いじゃないよ。だから、僕はおばあちゃんに嫌われるのが怖いんだ。それに、周りからスクイブだって思われたくない」

 

 だからつい、おどおどしてしまう。

 人に嫌われるのって怖いよね。とネビルは呟いた。

 ネビルが自分の話をしたのはハリーを励ますためなのかもしれない、とハリーは思った。今までこんな風に自分に関わることを話してくれた人はいない。ロンはよく家族のことを話すけれど、それはなにかのついでに思い出したようにするものだったり、もしくは家族の愚痴が多い。シェーマスやディーンも少しは話してくれるがここまで深い話をしたことはない。入学当初は魔法使いの家系の生まれなのかマグル生まれなのかで色々話したが、それだけだ。そのときだってハリーは自分のことは話さなかった。秘密にしたいとかいうわけではなく、ハリーがマグルの伯母夫婦のもとで育てられていることはハリーが話すまでもなく本に書かれていたりするし、それ以前にハリーは自分のつまらない話なんて聞きたがる人はいないと考えている。

 

「ねえ、ハリーはホグワーツに来るまでどんな場所に住んでたの?」

 

 ネビルは物好きだ、と思う。

 そしてとても優しい。

 ネビルになら色々話してもいいかもしれない。自分の話なんてつまらないかもしれないけど、なんとなくネビルに自分のことを知ってほしい。ハリーはそう感じた。

 

「僕はお母さんのお姉さん夫婦の家に住んでいたんだ」

 

 ハリーはすっと話し始めた。

 ホグワーツからの手紙が来るまで魔法使いの存在を知らなかったこと。自分が魔法使いだとも思っていなかったこと。そして、両親は交通事故で死んだと聞かされていたこと。

 

「おばさんたちは魔法使いをとっても嫌っているんだ。でも、僕を放り出さずに育ててくれた。だからとても感謝しているんだよ」

 

 本来なら捨てられてもおかしくない。

 ペチュニアの様子やハリーの親の話をするたびに、彼らがハリーやその両親のことを嫌っていたことは確かで、おそらく交流もほとんどなかっただろうから、ハリーを託されたとして拒否することもできたと思う。まして同じ年の実子がいるのだから、孤児院などに入れられたとしてもおかしくない。

 育ててくれることへの感謝と、住む場所を与えてくれている彼らの負担を少しでも減らすために毎日こなしてきた家事全般。なぜ自分ばかり、と思わなかったわけではないけれど、生きていけるだけで十分だといつからか思うようになった。

 

「マグルの家で育つのも大変そうだね」

 

 不思議と言葉はするすると出てきた。

 こんなつまらない話を聞かせてしまっていることに申し訳なさを感じないわけではないが、ハリーは話を止めることができなかった。

 

「多分、おじさんたちもそうするしかなかったんだと思う」

 

 実の子どものように接することができないのは当然だ。

 ハリーはそう思っているし、それを責めるべきことでもないと思っている。

 

「僕は、役に立たない居候だから」

 

 ハリーはぽそりとそういうと、力なく笑った。

 自分のことばなのにずしりと胸に重くのしかかってくる。

 今まではそう口に出しても何も感じたことがなかったのに、締め付けられるような悲しさにハリーは困惑した。

 

「ハリー、それは違うよ。君は…」

 

 ネビルがそう言ってくれたが、それ以上彼も言葉を繋げることはできなかった。

 元気づけようとしてくれているのかもしれない。せめて嘘でも認めてくれているようでハリーは息苦しさが和らぐのを感じた。

 

「いいよ、ネビル。僕のことは僕が一番わかっているんだ」

 

「ハリー…」

 

「なんかだいぶ落ち着いたし、そろそろ寝ないと大変だよ?」

 

 ネビルは何か言いたげだったが、暖炉の消えた談話室はどんどん気温が下がり二人とも肌寒さを感じ始めていた。

 さすがに眠れなくてもこのままここにいては風邪をひいてしまうかもしれない。

 事実、ネビルに話したことでハリーは自分のなかのぐるぐるとした不安感が薄まっていることに気が付いた。眠れなくても、ベッドに横になっていればいいのだ。

 

「…そうだね。でも、ハリー忘れないで。僕たちはハリーのこと役立たずなんて一度も思ったことないからね」

 

 じっとハリーの目を見てネビルはそう言った。

 

 


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