9月1日。キングス・クロス駅。
前日、ロンドンにある漏れ鍋というダイアゴン横丁にある魔法使いのパブに泊まっていたハリーは、予定よりかなり早い時間にそこにいた。
入学許可証とともにスネイプから渡されたチケットには9と3/4番線と書かれており、そこに行くには9番線と10番線のプラットホームにある煉瓦の柱を通り抜けなければならないということは聞いていた。もしその姿を「魔法」にかかわらない人々――マグルと魔法族は呼んでいるらしい――に見られでもしたら、魔法使いだとばれて火炙りにされてしまうかもしれない。もっともそんなことはないのだが、以前本で読んだ魔女狩りの記述は彼に恐怖心を抱かせるに十分だったらしい。
だからこそハリーはまだ人が多くないだろう時間にそこに向かい、人目に触れないように柱を通り抜けることにしたのだ。
首尾よく9と3/4番線に入ると、蒸気を上げる赤くて大きいホグワーツ特急の、なるべく入り口から離れたコンパートメントに身を隠すように入り込んだ。
すでにホームにも車内にも数人の生徒がいた。まだ出発までには相当時間があるにも関わらず、だ。
ハリーは、ホームから覗かれないようにコンパートメントの窓のカーテンを閉め、通路側のドアも閉ざした。
徐々に車内は大勢の子どもの声で賑やかになっていく。ホームにも子どもと別れを惜しむ家族が大勢いるようで、様々な話し声が交じり合う。
なんとなくハリーは悲しいような気持ちになった。それがなぜなのかはわからないが、耳を閉ざして膝を抱えるように硬い座席の上で蹲った。
涙がこぼれそうになってくる。
内側から湧き出てくるぐちゃぐちゃとした感情を抑え込むように、ハリーはさらに身を小さくした。
「ねえ、ここ空いてる?」
コンパートメントの扉が開かれ、おずおずとそう声をかけながら赤毛のひょろっとした少年が顔を覗かせるが、ハリーはそれに答えることができなかった。それどころか、顔を上げることもできない。
「君、ひょっとして具合悪いの?」
その赤毛の少年は、蹲るハリーの顔を覗き込もうと身をかがめて顔を近づけてきたので、ハリーは顔を背けるように身をよじったその時、ハリーの前髪が動いて稲妻型の額の傷があらわになった。
それを見て、赤毛の少年は目を見開き声を上げた。
「ハリー・ポッター!!!君はハリー・ポッターだ!そうだろ?」
大声で叫ぶ彼の口を、ハリーは慌てて両手で塞いだ。
「やめて!騒がないで。ここにいていいからやめて!」
ハリーの必死な様子に少年はこくこくとうなずくと、コンパートメントの中でハリーに向かい合うように座って、身を乗り出してくる。そんな赤毛の少年を向かいのシートに押しのけて、ハリーはコンパートメントから顔を出し通路をきょろきょろと見回した。よかった。どうやら彼の叫び声を聞いたものはいなかったようだ。ほかの生徒たちはだれもこちらの様子など気にしていないようだった。
ハリーは大きく息をつくと、コンパートメントで騒いだ少年と向き直った。
「…で、ハリー・ポッターなんだろう君は。」
もう一度、その少年は声をひそめてハリーに声をかけてきた。さながら内緒話でもするように、回りに聞こえないように小さな声で目を輝かせてハリーを覗き込む。
「そう、だけど…。」
「わお、すっごいや!ああ、ごめんね。ぼくはロナルド・ウィーズリー、ロンって呼ばれているんだ。」
気が付けば列車はキングス・クロスの駅を発車していた。カーテンを閉めていたことと、感情の混乱と、ロンの大声で気が付かなかったらしい。そのカーテンはロンの手によって、なんか暗いねと開けられた。
「ハリー。君はどこの寮に入りたい?ぼくのうちはみんなグリフィンドールなんだ。うちには兄貴が5人いて、ビルとチャーリーはもう卒業しちゃったけどパーシーはグリフィンドールで監督生をしているんだ。あとジョージとフレッドは双子なんだけどやっぱりグリフィンドールで…」
興奮気味に話しかけてくるロンにただ頷きながら、ハリーは聞いていたが、うまくその話に入るきっかけが掴めないでいた。
どうやらロンはグリフィンドールに入れなければ親から見捨てられるとでも思っているらしかった。彼の話の端々に彼の家族が仲が良いらしいことが窺えて、ハリーは胸がチクチクと痛むのを感じた。
「ぼくはグリフィンドールに入れるかなぁ?ねえ、ハリー、君はどう思う?」
「はい、れるんじゃないかな?」
ハリーの言葉にロンが嬉しそうに顔を綻ばせる。
その後もロンは色々なことを話してくれた。魔法界で人気のスポーツのクィディッチのこと、兄弟のこと、家族のこと、そして兄弟のこと。
「ねえ、ハリー。君のことを教えてよ。」
ロンはねだってくるが、ハリーは困ったような顔をして言葉を詰まらせた。
いったい何を話せばいいのだろう。ロンのように楽しくダーズリー家のことなど話せそうにないし、両親は顔も覚えていない。
「特に話すことなんて…」
ハリーがそう答えると、コンパートメントには沈黙が訪れた。
ロンはペットだというネズミを撫でながら窓の外を眺め始めた。あれだけ色々熱心に話しかけてくれたのに、友だちになれたかもしれないのに、とハリーの中で後悔が渦巻いた。
一人でいることが多かったハリーは誰かと話すということが非常に苦手だった。
夏中彼を預かってくれたスネイプは必要以上話しかけてこなかったし、なにしろほとんど家にいなかったのだから話したことも数える程度だ。そう考えれば、非常に過ごしやすい環境だった。
きっとこの先もこのロンのように『ハリー・ポッター』だというだけで声をかけられることもあるのだろう。あの彼の叫び声は誰も聞いていなかったようだが、もし聞かれていたらもっと大勢の人がハリーのもとに来たかもしれない。そうなったとき、ハリーはどうすればいいのだろう。
息が苦しくなるような空気に押しつぶされるようにハリーは俯いたままでいた。
この空気がこの先も、学校につくまで続くのだろうか。
どうにかしてもう一度ロンと話してみたいが、まったくどこから話していいかハリーにはわからなかった。