もしあの英霊がカルデアに召喚されたら   作:ジョキングマン

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黒のアーチャー

 

「----嘘」

 

 

 その小さなつぶやきは、まだ幼き少女にとっての最後の一線の境だった。

 日の落ちた夜空に溶け込むような黒い髪。このまま歳を重ねれば、誰もが振り返る相貌に成長することが確約された端正な顔立ち。

 ただし今、その美貌からは表情というものがごっそりと抜け落ちている。

 薔薇の花弁みたいに深紅の瞳が、あり得ないものを覗き見るかのようにこちらの姿を映していた。

 

 

「嘘ではありません」

 

 

 真冬の夜中よりも冷ややかな言葉が、唇から零れ落ちる。

 あまりに無垢、あまりに純真。

 才能を考慮すれば、この少女は将来魔術師として大成するに違いない。

 その才を同じ魔術師として尊び、愛しい学び子として祝福しよう。

 だが、いけない。

 自分を慕ってくれたこの少女が、まだ魔術師として完成する前のこの少女の時期に出会ってしまったことが、何よりもいけない。

 懇願するように、少女の言葉尻がわなわなと震えだす。

 

 

「だって、ヴァン・ホーエンハイム、貴方は……」

 

「良いですか、小さなお嬢さん」

 

 

 歩み寄り、茫然と魂が抜け落ちた少女の耳へそっと口寄せた。

 白百合を彷彿とさせるドレスの胸元を紅く染めた、鉄臭い匂いが鼻腔をくすぐる。

 この若く、幼い王に。せめて、魔術師(われわれ)がどういう生き物なのかを改めて認識してもらおう。

 それが、短い日を共に過ごした自分に行える最大限の譲歩だろう。

 

 

「過去も、そうでした」

 

 

 あらゆる苦悶と絶望に満ち、白目を剥いたまま彫像のように動かない少女の父親(元マスター)の躯の横で。

 

 

「現代も、変わらない」

 

 

 自分の、我ら魔術師最大の悲願のため、一切の感情を消し去り。

 

 

 

「--魔術師に、真の意味での友人などいませんよ」

 

 

 

 ゆっくりと、確実に、彼女の心に薄氷の刃を深々と突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 「----で、あるからして、叶わぬ恋と彼女たちが諦めてしまう前に、その夢は叶うのだよと教えてあげることが私の役目だと思い至ったわけだ」

 

 非現実めいた戯言が、微睡みの泥に沈みかけていた思考を引き戻した。

 知らず伏していた目線をあげると、黄金色の芒野のような長髪の男が得意気に頷いている。

 つんと鼻をつく薬品の匂い。つられて視線を滑らせれば、もはや見慣れた錬金工房の壁が映る。

 紛れもなく、ここはカルデア。決して、薄暗く染まった庭を無垢なる月明かりが照らしていた、かの館の庭ではない。

 それを自覚できた途端、心身を侵食しようと蠢くおぞましいものが溜飲していくような気がした。

 すると、金髪の青年はこちらの様子を伺うように顔色を覗き込んでくる。

 

「おや、どうされたかな。ハハハ、私の溢れ出る美しさに心酔してしまったのならば、申し訳ないな。確かに君は女性的な顔立ちではあるが、私にそっちの趣味はなくてね」

 

「いえ、心配には及びません。どうかお気になさらず」

 

 「美しい金髪」の名に相応しい髪束を優雅にたなびかせる彼に、短く区切って訂正した。

 ケルト神話に語られる、病を治す力や水を司るとも言われる戦神ヌァザの末裔。それが目の前のランサー、真名フィン・マックールという男の生い立ち。

 軟派な口調だが、その実力と戦歴は大英雄の名に恥じない折り紙つき。

 魔猪や冥界の馬、果ては自身の祖先である戦神ヌァザすらも打ち負かしたと言われている。ランサークラスで現界したため扱う武器は槍一振りだが、マスターからも信頼される実力者に変わりはない。

 何度も言うが、お茶らけた口調でさえなければ、得をした人生もいくらかあっただろう。

 そのような大英雄が、しがない錬金術師である自分の工房に顔を見せた理由もまた、冗談のような相談をこの青年が持ち掛けてきたからだ。

 

「話を戻しましょう。それで、先程の話なのですが」

 

「おっと、そうだった。今はディルムッドもいないのに、いつものツッコミ待ちの流れになってしまった。水を操る、私だけに!」

 

 などと、清廉な表情で笑う青年。

 素体は整っているだけに(さま)にはなっているのだが、どうも一ピースが足りない。いや、むしろ多いようにも思える。

 

「いけないな、またもや脱線しかけてしまった。して、いかがかな錬金術師。この私の願いを聞き届けてくれるだろうか」

 

 再び話の腰を折りかけたことに気付いたフィンが、誤魔化すように頭を掻く。

 彼が提案した計画を訊いた時から、答えは既に決まっていた。三度話が流れないうちに、決定していた答えをすぐさま彼に提示した。

 

「私のようなものでよければ、栄光あるフィオナ騎士団の長であるあなたの願いは是非とも承諾したいところです」

 

「おお、それでは----」

 

「はい」

 

 歓喜の声をあげるフィンに、続けて返答を述べた。

 

「--流石に、カルデアに滞在する女性全員分の『賢者の石』を用意するのは困難です」

 

 ばっさりと、笑顔を浮かべる彼の表情ごと切り捨てた。

 

「なに!? ダメなのか!?」

 

「ただの魔力を帯びた宝石、というのでしたらお安い御用なのですが」

 

 まさか断られるとはむべにも思っていなかったという顔のフィンへ、簡潔に理由をまとめる。

 

「カルデアに所在する女性の数につき、最低一つの『賢者の石』を生成するコスト、およびリスク&リターンがつり合っているように見えませんので」

 

現在、マスターに召喚された英霊の数は百を優に超える。真実とは面白いもので、歴史では男性とされている人物が、実際は女性であったというケースがここでは少なくない。

 そういった理由で、カルデアには女性の英霊も相当数在籍している。僅かに残された当施設スタッフを含めれば五十でも効かない数になる。

 少しは替えがきく代物とはいえ、資材状況が芳しくない中で『賢者の石』の量産は割に合わないということだ。

 

「そうか、ダメか。彼女たちが閉じ込めているであろう淡い熱を冷まさせないためには、かの錬金術師殿のものこそが適切であると踏んだのだが……」

 

 どうしたものかと、弱った顔で彼は親指をかむ。

 これは思い違いであればいいのだが、先程から彼は「であろう」といった仮定、未定形の単語を多用しているように聞こえる。

 というよりも、全女性がフィン・マックールに羨望ないしは劣情を抱いているという噂は一度も耳にしたことがない。

 どちらかといえば、我がマスターの方が当てはまりそうなものだ。今この瞬間にも、誰かに付け狙われているに違いない。

 疑念や懸念はいっしょくたにまとめておき、このまま帰らせるのも無情と判断したので代案を持ちかけてみる。

 

「でしたら、こういうのはどうでしょう。錬成する宝石に、少しばかり愛情に傾きやすくなる霊薬を混ぜ加えるというものは」

 

「いいや、その気遣いは無用だ」

 

 意外にも、フィンは断固とした声色で提案を却下した。

 同じ案を緑髪の娘は狂喜乱舞して薙刀を振り回し、壊れたように首を振っていたものだというのに。その際生命の危機に瀕していたことは置いておく。

 少し予想外の返答に目を丸くしていると、彼は真剣な顔つきで自らの胸に手を当てた。

 

「なぜなら、私は既に華麗な身。ただでさえ罪深いこの肉体に、一時とはいえさらに私を輝かせてしまう宝石を身につけてしまったりすれば、私の罪はとどまるところを知らなくなってしまう……!」

 

 世界崩壊の危機を本気で訴えかける、狂信者のように迫真の顔でフィンはそう語った。

 なるほど、これは救いようがない。己ではどうしようもできない案件だった。聖女あたりにでも引き渡した方が手早く解決してくれそうだ。

 どうにかして、この金髪に面白いものを押し付けられないかと思考を巡らせていたその時、扉の方から別の男の声が届いた。

 

「おお、フィン殿。ここにいたでござるか」

 

 入口から姿を見せた男は、わざとらしいほどに古臭い口調でフィンに呼び掛ける。

 その声に反応して振り返ったフィンが、男の姿を目にした途端に顔を綻ばせた。

 

「ミスター・サムライ! わざわざ来てくれるとは」

 

「うむ。別件で近くに立ち寄りがてら、ここにいると耳にしてな。しかし、マルタ殿は気恥ずかしいところが実に惜しい。必ずや目を見張るものがあると睨んでいるのだが、なかなか隙を見せてくれない」

 

 珍しい出で立ちをした男--極東の国で和服というらしい--は、そう言って残念そうに顔をしかめる。

 自らを、佐々木小次郎と名乗る男。

 彼が尋ねてきた理由にフィンは思い当たる節があったらしく、談笑もほどほどにしてフィンが目つきを変える。

 

「きみが来たということは、もう準備ができたのだな?」

 

「如何にも。たまたま出くわした俵殿の助力もあり、シミュレーターの設定は万全でござる」

 

 フィンの問いに、男は一束にまとめた紫の長髪を揺らして不敵に笑う。

 シミュレータという単語から、彼ら二人はシミュレータルームを起動して何かしらに使うつもりらしい。

 純粋に少し興味がわいてきたので、なんとなしにこちらも尋ねてみる。

 

「お二人は、シミュレータルームで何かされるのですか」

 

「その通り。このサムライは腕が立つという話を、かねてから耳にしていてな。腕に自信有りの英霊がいるならば、確かめたくなるが英雄の性というものよ。若々しくなった肉体に引っ張られ気味なのもあるかな?」

 

 ちらりと目線を流し、再度和服の男を見やる。

 莫大なエーテルの奔流を感じるわけでもなく、「佐々木小次郎」という英霊に強力な知名度補正がかかっているとも思えない。

 ところが、武勇に猛る英霊たちの口から、しばしば彼の名が出てくる。実際に目撃した機会は少ないが、素人目に見ても彼の剣技が並外れた代物だということだけは承知していた。

 戦いに明け暮れた英霊には、よく磨かれた宝石よりも眩く映るらしい。

 

「拙者としても、遥か異国の英雄とやり合えることに至上の喜びを感じている次第。神をも降したとされる槍技に、拙者の技がどこまで迫れるのか。確かめざるをえないが、剣に狂った者の性よ」

 

 腰に下げた刀の鞘に指を滑らせ、早くも男は瞳の内に炎を灯す。

 受けて立とうとばかりに、フィンは正面から視線を交差させた。

 すると、落としていた記憶を偶然見つけたかのようにフィンが手のひらを打った。

 

「そうだ、ミスター・サムライ。後々、あの炎門の守護者も手合せを望んでいるとのことだ。マシュ嬢に守護の何たるかを教えた後になる、とのことらしいが」

 

「レオニダス殿でござるか。かの御仁の、鋼にも勝る堅牢さには以前から心惹かれていた。あの鉄壁を前にしたとき、拙者の技に新たな息吹が流れ込むことは間違いない」

 

 新しくあがった名前の人物も、己とは正反対の類の英霊だ。

 そのくせ理知的であり、時折こちらを驚かせるような緻密な計画を披露する時もある。肉体に無理をきかせた強引な計画もそれ以上に多いのだが。

 

「すまない、パラケルスス。この通り、私は先約の用意ができたのでここで失礼させてもらう。今回は断られてしまったが、次も尋ねるのでどうか検討していてほしい」

 

「その口ぶり。フラれたでござるか」

 

「ハハハ。女性を射止めることはできても、男はそうも上手くいかないようだ。では学士殿、また会おう!」

 

 先の件をあきらめきれないらしい金髪の青年は、爽やかに別れを告げると小次郎と肩を並べて部屋を後にした。

 騒がしい二人組から消え去り、薬品が泡立つ音だけが僅かになる平常の静けさを取り戻す。

 次に扉を叩いた時も答えは変わらないというのに、なんと押しの強い性格か。

 いや、そうでもなければ英雄などやっていられないだろう。

 フラスコの中に浮かぶ、拳大の原石。話題の渦中にあったためか、無意味に視界に焼き付いてくる。

 

「理由はどうあれ、賢しいものを求めることは人間の性ですか」

 

 つぶやき、台に乗せていたフラスコをつまみ取る。

 最初にそれを『賢者の石』と名付けたのは誰だったか。自分だったかすら、もはや覚えていない。

 実に名前負けしている、と常々思い返す。人間の欲望を掻き立てるだけの愚物を、賢者と称するのはなんと皮肉だろう。

 愛し子たちを救うことすら叶わず、一人の少年の肉体を愚弄することしかできなかった石の塊。

 人はそれを世紀の発明と称賛したが、それは根源に近づける一歩となりえたか。

 結局、魔術師とはそういう生き物だ。今も昔も、それは変わるまい。

 そして、己の性もまた----

 

 その時、空気が弾ける音に混じって奇妙な足音が響いた。

 思考の海から引き上がり、足音に耳を澄ませてみる。

 通路の床を打ち鳴らす固い音。それが壁一枚向こうで規則正しく、しかし決定的に異常な音を立てていた。

 かつんと響くものではなく、かつかつと四脚(・・)で響かせているような異質な足音。

 何より、普通の人間なら絶対に鳴らさないはずの音が、ますます正体を訝しませた。

 

 --蹄?

 

 通路から響くそれは、馬の蹄が鳴らす快音によく似ていた。

 ただの人間であれば、絶対に鳴らせるはずのない爪音。

 その足音の持ち主が、工房の扉の前でぴたりと止んだ。

 記憶にない、そもそも人間かすら怪しい来訪者。自然、懐に忍ばせたアゾット剣に手がかかる。

 すると、固く閉ざしてある扉が三回叩かれる。

 少なくとも、知性や礼儀は備わっているらしい。衣の内側に伸ばした手を引っ込め、外にいる何者かに呼び掛ける。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 若く、しかし力強い返事と共に扉が開かれる。

 床を叩く蹄の音。

 戸の隙間から姿を覗かせたそれを視認した瞬間、薄々分かり始めていた正体への疑念が確信に変わった。

 普通の人間であれば鳴らせない蹄音。

 で、あれば、解答は至極単純。それが蹄を鳴らす足(・・・・・・)を有していただけのこと。

 

「あなたが、後の世で稀代の錬金術師と称されたパラケルススですね?」

 

 決して大きくはない扉をくぐるようにして入ってきた、大自然の清冽さを思わせる柔らかな青年。

 エーテルの流れから、彼もマスターと契約したサーヴァントであることは明白。

 何より目を惹かれるべきは、彼の身体を支える下半身。引き締まった筋肉が皮膚の上からでも分かるくらいに躍動し、四つの脚(・・・)で床を踏みしめて蹄鉄を響かせる。

 

 その名はケンタウロス。

 ギリシャ神話を始め、空想上の物語に登場する半人半馬の生物。

 性格は暴れ馬のごとく気性が激しいとされており、実際に特異点で遭遇した彼らは例外なく襲い掛かってきた。

 ところが青年は全く逆、礼節と高潔に溢れた気質を醸し出している。

 そも、ケンタウロスで英霊として召喚--座に登録--される者など、歴史に刻まれた中で一人しか該当しない。

 

「ええ。私も、お目にかかれて光栄です。数多の英雄たちの師、ケイローン」

 

 礼節をもって下げられた頭に、こちらも同じ心持で頭を下げる。

 アキレウス、ヘラクレスを始めとしたギリシャ神話の英雄達。

 豪傑無双を誇る彼らの師とされている人物こそが、目の前で穏やかに微笑む青年--『大賢者』ケイローン。

 

「光栄などとは畏れ多い。後の世に何も残せなかった私に、誉れる資格なんてありませんよ」

 

 頬をかき、彼は照れくさそうに笑う。

 あのケイローンに自嘲されては、立つ瀬のない英霊で座が溢れてしまうことは想像に難くない。

 加えて、彼は英雄としてあまりに英雄らしい(ヴィジョン)。そのような人物に英雄らしい振る舞いを否定されるのは、黒い霧が僅かにかかるような心地よくないものがある。

 

「そう、謙遜なさらないでください。あなたの教えがあったからこそ、あなたの弟子たちは世界を切り開き、そして現在があるのです」

 

 自身がかけた純粋な賞賛に、ケイローンが一瞬キョトンとした顔になる。

 不意をつかれたように少しの間固まっていたが、清らかに微笑んだ。

 

「あなたは、優しい人ですね」

 

 瞬間、温もりに包まれた慈悲の槍を心臓に突き立てられた気分になる。

 向こうに他意はない。純粋に称えた台詞なのだと理解できる。

 それでも、心の内に抑え込んだはずの何かが、息を吹き返してざわめき立った。

 けれど顔には出さず、大英雄からの賞賛を素直に受け止める。

 

「かの大賢者に褒められるとは畏れ多い。して、その方が私の工房なぞに、どのような用で参ったのでしょう」

 

 名だたるギリシャの大英雄達の、武勇の根源。英雄としての格は己と比較にならない。

 そのような英霊が、果たしてこの工房に何用で現れたのか。

 すると、ケイローンも本題に移ろうと談笑の空気を切り替える。

 

「そうですね。高名な錬金術師であるあなたに頼むようなものではない、とは思っているのですが、お話だけでも訊いていただけますか?」

 

 違う種類の笑み。温かみのある好青年のものから、交渉に長ける賢者が浮かべるそれ。

 ケイローンの本質の一端が垣間見える。師であり、穏やかな人格者であると同時に、驚天動地の古代ギリシャを生き抜いた英雄としての気迫に、肯定の言葉も否定の言葉も出てこない。

 無言を肯定と受け止めたのか、彼はそのまま続ける。

 

「ヘラクレスを知っていますか」

 

 問いかけに対し、首を縦に振って応じる。

 脈絡もなしにあげられた大英雄の名。その名を知らぬ者など、英霊には存在しないだろう。

 英雄の完成形とも比喩される、大英雄ヘラクレス。残念なことに、カルデアには正気を失った類の彼しかいないが、それでいて尚圧倒的な破壊をもたらす主力の一角に数えられる。

 ヘラクレスがどうしたのかと模索している最中、ケイローンから答えが提示された。

 

「知っての通り、今の彼は正気でない状態です。生前に培ったそれらを脱ぎ捨てさせられた故に、幾分かの冷静さが欠けてしまっています」

 

 彼の言う通り、カルデアに召喚されたヘラクレスは狂ってしまっている。

 元々高潔の魂を宿しているものの、いつか暴走してマスターにも牙を剥く可能性は捨てきれない。そういう意味では、非常に強力な地雷とも言える。

 なので、とケイローンは指を立てた。

 

「そこで、彼に少しばかり稽古をつけようと思うのです。そのために、高硬度な鉱石をいくつか見繕ってもらえれば、と足を運んだ次第です」

 

「高硬度な鉱石、ですか。差し支えなければ、どのように使用するのか教えていただいても?」

 

 ヘラクレスの師が、今再び彼を鍛えると宣言した。

 武人でなくとも、興味のそそられる話題である。いかにして、あのような逸物達が誕生したのか。

 かくして、青年は涼し気な笑みで答えた。

 

「投げつけます」

 

「……今、なんと?」

 

 単語の知識と理解が結びつかず、思わず尋ね返す。

 

「投げつけます」

 

 同じ表情のまま、一字一句同じ返答が返ってくるだけだった。

 おそらく表情のない顔で固まっているであろう自分を見てか、彼はさらに説明を加える。

 

「正しくは、鉱石をヘラクレスに投擲して回避してもらい、そのまま私に殴り掛かってきてもらおうという算段です。単純な動作のため今の彼でも十分対応できるはず。狙いとしては、内側から溢れ出る狂気を発散させると同時に、少しでもその身に染み付いた身体の技を思い出してもらえればと」

 

 淡々と、既に理解の範疇を超えた策を解説する。

 要は、自身を囮にしてヘラクレスに実戦形式の稽古をつけよう言うのだ。

 あの岩のような巨体相手に、真っ向から対峙することを想像しただけで心臓が握りつぶされそうになる。

 それを事なげもなく言い切れるのだから、つくづくギリシャの英霊はリミッターが違うと実感させられた。

 

「もし、ヘラクレスが鉱石を回避できなければどうするおつもりでしょうか」

 

「もちろん。回避するまで続けますよ」

 

 端麗な笑顔のまま、彼ははっきりと断言する。

 これが、身体に障害を抱えた少女を導く、というものであったなら、きっと彼は全く違う手腕を振るって少女の運命を変革させるだろう。

 今のケイローンは「英雄気質な側面」が強く出ている表れとみるべきか。

 教師ではなく、英雄としてケイローンを見た場合、種族由来の機動力に加えて弓による遠隔射撃が何よりの脅威。狩猟女神アルテミスから直々に教えを受けたという弓術は、星座として召し上げられるほどに超越的な腕前と推測できる。

 それにしても、かなり荒療治だというのが率直な感想だ。

 裏を返せば、ヘラクレスならば耐えきれるとの算段と信頼からくる荒療治なのだろう。ヘラクレスを詳しく知る男が、他ならぬケイローン自身であるがゆえに。

 

「あなたは、教え子を愛しているのですね」

 

「ええ。皆、大望を胸の奥に宿した子たちでした。荒くれものや捻くれもの。どれも手間のかかるものたちでしたが、全員が私の誇れる教え子です」

 

 我がことのようにケイローンは胸を張って笑う。

 ヘラクレスに限らず、彼に教えを請いた者達は須らく大成している。

 彼の元で弟ポリュデウケースと活躍し、死後ふたご座へと昇ったカストール。

 医学においてメキメキと頭角を現し、不死の薬を開発してついには神にまで昇りつめたアスクレピオス。

 そんな彼らが在籍していた、英雄軍アルゴノーツを率いるという異常なカリスマ性を持つイアソン。

 名前を列挙していてもきりがないほどに、彼の教え子たちは一人一人が英雄だった。

 彼らに才能が眠っていたことも、英雄足り得た理由の一つには違いない。だが、才を限界以上に引き出させたケイローンの鑑識眼あってこそのものであることも確かだ。

 

 故に、彼らは一心同体とも呼ぶべき存在。

 自分では、一生築くことのできない人間関係。

 だからだろうか。

 思ってもいないことが、突然口から滑り出てきたのは。

 

「勝手ついでに、もう一つお尋ねします」

 

「何でしょう」

 

 人の好い笑顔で彼は受け応える。

 その笑顔を踏みにじるような一言が、躊躇いもなしに喉の奥から飛び出してきた。

 

「あなたは、自らの教え子を手にかける必要があれば、躊躇なくその弦を離すことができますか?」

 

 一瞬にして、彼の表情に雲がかかった。

 嫉妬で問いかけたわけではない。そんな無意味な問で、心に巣くった黒い影が晴れるわけでもない。

 否定してほしい、というのが正直なところの本音だ。

 彼は英雄であり、魔術師ではない。だからこそ、魔術師()の思想に共感しないでほしい。

 自分でもひどく捻じ曲がった思考と自覚している。それでも、英雄である彼に否定されれば、私が目指す理想は穢されることのない不変のものとなる。

 そう思った矢先。

 曇りがかった空の隙間から差し込む光のように、彼は短く言い切った。

 

「できますよ」

 

 吹き抜ける風よりも清涼とした一声。

 その調子のままに、英雄たちの師は弟子たちに手をかけると解答した。

 あっけにとられて何かを口に出す前に、ケイローンが続ける。

 

「ヘラクレス、アキレウス、イアソン、アスクレピオス、さらに数名。私と彼らのいずれか、或いは全員が通常の聖杯戦争で呼び出され、使役されたとします」

 

 再三列挙される偉大な英雄の名前。どれもが彼の教え子で、誰もが彼の意志を継いだもの。

 息子にも等しい存在であるはずの彼らを想起しているだろうに、一切の情を見せない瞳がこちらを見据える。

 

「その場合、私は彼らの師である前に、一体のサーヴァントとしてマスターに付き従いましょう。かつての弟子を手にかける運命にあるというのなら、私は容赦なく彼らを斃します」

 

 優しく、闘気を灯した双瞳でそう告げた。

 それは、サーヴァントとして当然の責務を果たすという意志か。それとも、英雄ケイローンとしての矜持か。

 

「彼らは、既に私の元から飛び立ちました。与えられるだけだった雛鳥の時期は過ぎ、彼らもまた親鳥となって与える側に回った。一人前の英雄として、尊敬に値すべき人間として、私は彼らの敵にもなりましょう」

 

 嘘偽りのない本心からの言葉なのだと、理屈も証拠もなく納得させられた。

 彼はそういう男だった。時に愛し、時に慈しみ、そして時に弦を引き絞る。

 世界の優しさと厳しさを、等しく内包した青年。それこそがケイローンの生き様であり、信念なのだと。

 

「……それは、とても素晴らしいことでしょう。あなたは常に、教え子たちの道しるべであり続ける。理想の教師と呼ぶにふさわしいお方だ」

 

「いえ。私ではなく、彼らが偉大なのです。私は道を示して、そっと背中を押しただけ。その道を進むか否かは、彼らが決めたこと。賞賛すべきは、苦難の道を歩み切った彼らにこそかけてください」

 

 先程までの闘志はどこへやら、ケイローンは謙虚に振る舞う。

 つくづく、自分とは正反対の者であると痛感させられた。

 己が望みを--根源を求めたがために悪逆に屈しただけの自分とは違うのだと。

 安心感が生まれる。同時に、胸に巣くう黒い何かが蠢いたような気分になった。

 たった一度出会っただけだというのに、瞼の裏に鮮烈に焼き付いて離れない、可憐を装う一人の少女の姿をした何かが、内側でくすくすと囁く。

 

 --今は、関係ない。

 

 耳をふさぎ、瞼を閉じ、意識を目の前の青年に集中させた。

 

「さて、些か脱線が過ぎてしまいました。本題の鉱石の件ですが、喜んでお引き受けいたしましょう。あなたのような崇高な方のお話をお聞きできたことですし、少しおまけも追加しますよ」

 

「それはありがたい。ストックは多いほど安心できます。いくつかは壊れると思いますからね」

 

 からからと笑うケイローンだが、実に物騒な内容だ。頑丈な鉱石の錬成を注文しておいて、それを使いつぶす前提の特訓を弟子に仕掛けるというのだから。

 これもある意味ギリシャのしきたりなのか。あるいは彼独自の趣向なのか。

 

「しかし、実は似たような注文を既に先客の方にも依頼されておりまして。何でも、同じく修行で使うそうですが、そこは割愛させてもらいます」

 

 突然扉を叩いてきて、槍で突いても拳を打ち付けても砕けない石が欲しいと言ってきた老人を思い出す。

 

「なので明日、またお越しいただいてもよろしいですか。材料を確保しておくのと、一定数用意するための時間をいただきたいのです」

 

 土の元素塊を圧縮、生成することで希望通りの硬さを保持した鉱石を生み出すことは容易い。

 ただ、前述したように数が不足している。加えてヘラクレス相手に通用するほどの硬度となると、念には念を押した硬さでも不安点が残る。

 すると、彼は二つ返事で了承してくれた。

 

「いえいえ、お時間はいつでも大丈夫です。こちらこそ、急に押しかけて我がままなことを引き受けてくださり、本当にありがとうございます。何か助力できることがあれば、私に言ってください」

 

「ええ。その時はこちらからご連絡します」

 

 最後にもう一度、深々と礼をしてケイローンは踵を返す。

 狂った弟子一人のためにこうも駆け回っている姿を眺めていると、自分が思っている以上に面倒見のいい男なのだろう。特訓の内容自体は易しいとは口が裂けても言えないが。

 と、その時、何かを思い出したかのように蹄の音が止んだ。

 

「ああ。それと、これはおせっかいかもしれませんが」

 

 扉の取っ手に手をかけたまま、ケイローンが振り返る。

 

「--かつての経緯はともかく、今のマスターはそのままのあなたを好んでいるんですよ」

 

 最後に微笑み、今度こそ半人半馬の英霊は去っていった。

 僅かな言葉に含まれる意味に、思わず苦味のある笑いが込み上げてくる。

 ケイローンの去り際の一言は、こちらの意図を明白に理解していたうえでの言動だった。

 

「見透かされていましたか」

 

 再び訪れた静寂な空間の中、己のか細い声だけが反響する。

 いつの間にか彼に誘導されて、自分もケイローンの教えを受けてしまっていたようだ。

 英雄(理想)に焦がれる自分と、魔術師(切望)を求める自分。

 その答えを、今は知るべきではないと。未回答のままの自分を受け入れてくれる、変わった物好きがいるのだから。

 

「----美沙夜」

 

 瞳を閉じる。

 連動するかのように、あの日の情景が瞼裏に鮮明に投影される。

 冷ややかな月夜の下で、感情の消えた瞳でこちらを見上げていた少女の幻影が刻々とよみがえった。

 

「あなたはきっと、私を許しはしないのでしょう」

 

 幼いながらも、王の気質を備えていた少女。

 あの大戦を生き残り、順当に成長していれば。今頃は美と才を兼ね備え、冷たい血の通う女帝として君臨しているだろう。

 面影など、きっと残っていまい。他ならぬ自分が砕いたのだから。

 

「ならば、どこかでこの私の姿を見る機会があったなら、どうか嗤っていてほしい」

 

 正義の味方のそばにつき、正義の英雄に正されて、正義の味方になりたかった哀れな人間の所業を。

 一度悪逆に堕ちたその手で、救おうともがく愚者の道化ぶりを。

 彼女に嘲笑われることがあるのなら、きっとそれこそが贖罪になるのだと信じて、己は正義の味方を張り続けよう。

 

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クラス:アーチャー

 

真名 :ケイローン

 

キャラクター紹介

 ギリシャ神話に登場する、数多くの大英雄たちを幼い頃から導いた英雄の師匠。

 半人半馬の大賢者。また、父クロノスの血も継いでおり半神でもある。かつては不死性も会得していた。

 女神アルテミスから直々に弓術を教わっており、その腕前は闇夜を切り裂く弓矢を打ち落とすほど正確無比。

 弟子であるヘラクレスが泥酔して暴れた際にヒュドラの毒矢が刺さってしまい、文字通り生と死の境を行き来した。

 不死性故に死ぬこともできずもがき苦しみ、最期は神に不死性を還して死亡した。その後、射手座としてケイローン自身も召し上げられる。

 

パラメーター(記載ステータスは人間に変化して大幅に下がった時のデータのため、これに上方補正が乗せられる)

筋力:B

耐久:B

敏捷:A+

魔力:B

幸運:C

宝具:A

 

小見出しマテリアル

 通常の聖杯戦争であれば、特異な外見を隠すためにステータスを犠牲にして人間の姿を取ることも可能。

 先生。教えることが大好き。子供たちの英霊には進んで教鞭を振るっていて、概ね好評。たまに発明のヒントを得ようと二名ほど混ざりこむがそこは気にしない。

 ただし、体育の時間になるとギリシャ基準のTAIIKUになる。目指せ第二のヘラクレス。

 その弓の腕前目当てに勝負を吹っ掛けられることもままある。肝心の弓の教わり相手については微笑みで誤魔化された。

 誠実な性格なために、裏切りには憤りを示す。ただし、それを悔いているのであれば共に歩もうと手を差し出すだろう。

 かつての教え子たちには、今も厳しく優しく接している。

 教えを忘れた卑屈者でも、歪曲し復讐者に堕ちた者でも、彼の愛は枯れることはない。

 

 

 




エリザ「あなたが新しいプロデューサー?」
スパP「如何にも!」
外道P「良かれと思って」
赤セイバーP「私に任せたまえ」
02000「地上にあってPに不可能なし!」
ケイローン「名刺だけでも!」

活動報告にて、没案になった話を気まぐれに載せてみることにしました。
元プロットをかなり削った短い小話じみたものになりますが、気が向いた方は是非ともご覧ください。

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