東方供杯録   作:落着

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かなりあっさりめです


保護者会に供する四八杯目

 さてどうするか。これからの予定に頭を悩ませる。

 場所は既に永遠亭ではない。輝夜の登場の後、起こす異変の内容と目的を聞かされた。

 

「それにしても満月を隠す、ね。話が大きすぎて実感が湧かないね」

 

 満月を隠す。本物を隠し、偽りの欠けた月を空へと浮かべる。現実味の湧かない話。夢幻のような話。

 されど輝夜は起こすと言った。出来ると言った。

 ならばその夢物語は実現するのだろう。幻想が現実になるのだろう。疑いはなく、異議もない。

 残る余念は一つだけ。

 

 

  後顧の憂い

 

 

 それに尽きると彼女達は言った。たった一日だけの異変。影響は出るが一夜限りの小さな波紋だと断言した。

 解釈を誤解させる余地さえない断定した物言い。月からの覗き見を本日限り妨害したい。

 隠れたい理由の多くを輝夜は語らなかった。自らを罪人であるからとしか、輝夜は語らなかった。けれども後ろに控えていた鈴仙の瞳は怯えていた。

 語られる以上の禍根がある。語れない事情の過去がある。

 涼介はそれらを察し、輝夜の要求を呑んだ。一夜限りの満月の異常を許容することを是とした。

 影響がないという永琳の主張を、全面的に信頼したわけではない。

 だがそれでもヒトの良いウサギの少女を放っておけなかった。困っているというお月見相手を放っておけなかった。

 それにもう一つ、迷わない要因が重なり涼介は組することにした。

 

「貴方はいつも楽しそうね」

 

 いつも満月を見ている空き地。その岩の上で空を見上げていた涼介に声がかかる。

 聞き覚えのない、聞き覚えのある不思議な声。

 

「君は……」

 

 声のする方へと視線を向ける。案の定そこには見覚えのない、見覚えのある少女がいた。

 

「こいし……お祭りの匂いを嗅ぎつけて遊びに来たのかい?」

 

 無意識を揺蕩う少女がそこにはいた。いつもと変わらぬ虚ろな瞳はやはり何かを映しているようには見えない。

 ぼんやりと、けれど確かにそこに居ながら希薄な少女が笑みを浮かべる。

 

「ねぇ、涼介。貴方は今回何をするの?」

「何を? そうだね……きっといつもと変わらないよ。落としどころを探すんだ」

「落としどころ?」

「そうだよ。彼女たちは言った。異変を解決する人間がきて終わりではない。きっと保護者が出てくると」

「ふぅん。涼介がその保護者の相手をするの?」

「ああ、その通りだね」

「消し炭も残らないんじゃない?」

 

 あまりのこいしの実直な物言いについつい涼介は笑ってしまう。第一そんな事涼介も百も承知だ。

 

「するのは話し相手だよ。私なんかじゃ勝負にならないからね」

「つまんないの」

「ご期待には添えなかったみたいだね」

「せっかく終わった後に持ち帰ろうと思ったのに」

 

 不満げに頬をふくらませるこいしの言葉にみなまで言いかえすことはしなかった。何を持ち帰るつもりかなんて愚問もいいところだからだ。前回の来店でも死体を飾りたいと言われたのだから。

 

「それで涼介はお手伝いをしているのにここで待機なの? 理由があるの?」

「そうだよ」

「どうして?」

「危ないから、かな?」

「疑問形?」

「実感が湧かなくてね。どうにも不確定要素は少ない方が良いと、事態が収束するまで昏睡させようとしてくるお方がいたからね」

「遊びの無いやつもいたものね」

 

 こいしの物言いに少し前の輝夜の言葉が思い出されて愉快さが浮かぶ。長命の存在にとってはある種の共通認識なのかもしれない。

 

「じゃあ涼介は、ここでぼんやり待って、来た奴らと話すだけなのかー。つまんない」

「そればかりは私にはどうしようもないね」

 

 ふらふらと空き地を適当に歩き回りながらこいしが不満を告げる。何かを探すようにその瞳が竹林のあちこちへと向けられていた。

 

「始まったね」

 

 こいしが不意に告げた。上空を見上げるこいしの視線が昇り始めた月へと固定されていた。

 涼介もこいしにつられて月を見やる。けれどもどこが欠けているのか判別はつかなかった。

 

「こいし」

「ん?」

「体調は悪くないかい?」

 

 大丈夫と言われても心配なものは心配であった。だから目の前にいる幻想の存在へと問いかける。本当に異常はないのかと。

 そして相手がこいしなら自分に偽りを言う事もないだろうとも信じている。

 

「優しいね、涼介は」

「そんなことないよ」

 

 

 そんなことない。こいしの言葉を心から否定する。優しい何て評価は分不相応だと自覚している。

 だがこいしには涼介の自己判断なんてどうでもいいのだろう。否定の言葉を全く気にする様子をみせない。

 

「まあ、私は平気かな。弱い子たちも一晩くらいだったらどうとでもなるんじゃない?」

「……そっか」

「んー、でもそうかぁー、そうだよねー」

 

 一人でうんうんと頷きながら納得を示す。良いことを思いついたと言わんばかりに、口元が蠱惑的に歪む。

 深緑の瞳が妖しく輝く。竹林をみやり、涼介を見つめる。瞳が歪む。喜悦と嗜虐に煌めきを染める。

 

「だったら私が罰してあげる」

「こいし?」

「涼介は悪いことをしたら怒られたい性質の人みたいだから私が用意してあげる。本物の月を隠すお手伝いをした涼介へふさわしい罰を」

 

 くるりくるりとこいしが廻る。両の手を広げ、風に舞う花弁のように軽やかに踊る。

 

「ほうら、来たよ」

 

 こいしが告げる。

 

「偽りの月と、私が狂わせた異変の唯一の犠牲者が」

 

 廻る事をやめたこいしが少しずつ竹林へと後ずさる。

 

「鎮めてあげなさい、涼介」

 

 こいしの姿が竹林へと消える。

 

「狂乱の獣を」

 

 声だけが聞こえた。聞き覚えのある、聞き覚えのない誰かの声が、聞こえた気がした。

 直後、咆哮と共に真紅の瞳を狂気へ濁らせる一匹の狼がその身を現した。

 

 

 

 

 

 八雲紫は思案していた。どうしたものかと頭を悩ませる。深刻な話ではない。だが思案する程度には気にかかる話。

 遊びを楽しむか、ゆとりを省くか。どうしたものかと首をかしげる。

 

「まったく……霊夢はどこにいるのかしら」

 

 霊夢。そう、問題の焦点は博麗霊夢その人だ。異変に気が付いていない霊夢をせっついて、行動を起こさせたのは問題ない。

 異変の発生を認め、そのうえカナリアの不在を道中に出会った半獣から聞きもした。であるならば解決するのは時間の問題だろうと紫は思っている。

 そしてその時間の問題も既に無い。紫自身もそうであるが、他にも月を天上に縫いとめている者達がいる。ならばもうこれは出来レースと言って良い話だ。

 だからこそ問題は一つ。元凶の居そうな竹林まで来たのは良いが、霊夢とはぐれてしまった事、それにつきる。

 迷いの竹林とは良く言ったものだ。酷く手の込んだ方法で知覚を惑わせてくる。おそらく己でも解呪するには数日は要するであろう程の狂気的な念入りさで周到に組み上げられていた。

 手腕を見れば、竹林の奥に住まうモノの当たりもなんとなくだが輪郭くらいは見えてくる。だからこそ消化試合と化したこの異変をどう楽しく過ごすかで思案する。

 

「ゆとりがないのは優雅さに欠けるわね。でも霊夢とのせっかくのお出かけが楽しめないのも頂けないわぁ」

 

 隙間に腰かけ、ふわふわと竹林を彷徨いながら愚痴をこぼす。たぶんこのまま何もなければうろうろと彷徨い、異変が終わりそうなタイミングで隙間を開いて最終決戦の観戦だろうか。

 なんだかなぁと自分の考えに不満を懐きながらも、ついついだらけてしまう自分を責めきれないでいた。冬眠したり、式に任せたりと元来物臭な自分らしさは何だかんだと嫌いになれない。

 適当に思考で暇をつぶしながら漂っていると、不意に視界が開ける。偽りの月明かりが差し込む空き地。目につく光に不愉快さを感じながらも瞳を細める。面白い光景が目の前で広がっていたからだ。

 

「随分と遅いな。待ちくたびれたぞ、隙間妖怪」

「あら出会っていきなり無粋な吸血鬼ですこと。これだから年少者は」

「年寄りは時間の感覚がゆるいから大変だな」

「うふふ」「あはは」

 

 顔を合わせるなりいきなり突っかかってくる紅魔館の吸血鬼、レミリアの言葉に棘を返す。だがすぐさま負けじと言い返してくる相手に両者の雰囲気が険悪に染まっていく。

 魔力と妖力が解き放たれるのを待つように、その身の内で蠕動していた。

 

「御二方」

 

 だが二人の間に声が割って入る。

 

「お静かに」

 

 落ち着いた声色。聞き覚えのある声。

 

「眠っている()が起きてしまいます」

 

 レミリアと紫は手鼻を挫かれ、気の抜けた不満をため息に変えて吐き出した。視線を声の方へ向ければ案の定見知った顔。

 涼介が眠った狼、影狼を自身の膝で寝かしつけながら、口元で指を一本立てていた。お静かにとでもいいたいであろうその仕草に頭痛を覚える。

 穏やかな顔で人狼を優しく撫でながら静かにと要求する。自分たちのような超級の怪物へ向けてするような行動ではない。そのうえ理由が木っ端妖怪の安眠のため。控えめに評価しても正気の者の行いではない。

 だがそれをするのが彼だと知っているし、それをしてこその彼だとも思っている。だからこその何とも言えない気疲れなのだ。

 それと、眠る人狼と涼介の間で一悶着あったのか、この広場は少し荒れているうえ、涼介の片腕も力なく揺れていた。袖の破れ方と他の具合から見るに、腕の骨を噛み砕かれでもしたのだろう。簡易の手当は人形師あたりがやったのであろう。アリスの魔力残滓を感じ取れる。

 

「分かっていただけたようで」

「毒気が抜かれたのよ」

「業腹だが同意見だな」

 

 似た反応に分かっていますよと涼介が笑みを深め、二人が目元を僅かに引くつかせる。だんだんとふてぶてしくなってきたなと、少々面食らったのだ。

 だがそこで何かを言う前にまた別の声が割って入る。

 

「さてこれで全員かしら、涼介さん」

「いくら月が止まっていると言っても待ちくたびれるわ」

 

 レミリア同様、すでに空き地で待っていたらしい幽々子とアリスが不満の声を漏らした。

 涼介の近くで影狼の毛並みを楽しむ幽々子と、砕けた岩の一つに腰かけ縫物をしているアリスの姿は、不満そうな声の割に満喫しているように見えなくもなかったが。

 周囲の様子を正確に認識し、何となく置いてけぼり感を紫は覚えていた。胸に湧いた感情に釈然としない不満が顔をちらつかせる。

 

「さてそれで? 状況から考えると貴方が私達を集めたのかしら、涼介」

「たしかにそう見えるけど実際は違うよ、紫さん」

「どう違うのかしら」

「私も含めてここへ集められたんですよ」

 

 能動的ではなく、自身も集められた受動側であると涼介は話す。紫はその言に嘘はないと確信している。けれども真実を話している訳でもないと察していた。

 

「それで?」

「こわいなぁ」

「嘘をおっしゃい」「嘘だな」「嘘ね」「嘘はだめよぉ」

 

 自分の発した一言に四者同様の反応にさすがの涼介もたじたじであった。不利な話題どうこう以前に戦力の頭数が違いすぎる。

 

「さてそれじゃあ話を進めましょうか……みんなして逃げた、みたいな目で見るのやめてくださいよ」

 

 話を変えようと口火を切ったのに、己へ注がれる視線の圧力に涼介がついつい弱音を漏らしてしまう。

 その姿にある程度溜飲が下がったのか圧が弱まる。その事にほっと一息つく。

 

「いつもの如く、と言うのは個人的に不本意なのですが、こちら側で折衝をしたいと思います。こちら側の願いは一つ。今宵の騒ぎを事件にしないで異変で収束させること。敵対ではなく乱痴気騒ぎで終わらせることです」

 

 涼介が語るにつれて、レミリアの機嫌が僅かに下降した。友人としている涼介以外が同じことを言ったのなら、そこで一戦始まっていてもおかしくは無いだろう。吸血鬼から月を奪うとはそういうことだ。

 幽々子とアリスに表面上の変化はない。ただ淡々と観察しているというのが、正しい表現なのかもしれない。紫は誰も気が付かない程度だが瞳に冷たさを宿していた。

 

「だからこそ永遠の夜を一夜の出来事にしたいのです」

「こんなことをしでかしたうえでか? 自分達は顔を出さず、お前だけをぽんと出してそう嘯くか」

 

 天上に浮かぶ月を示し、新顔の無い周辺を示してレミリアが嗤う。馬鹿にするなと酷薄な笑みを浮かべる。

 

「話し合いが悪い結果へ傾いてもお前が勝手にやったと、何一つ責任を負う気などない連中の肩をなぜ持つ。それとも違うと言い切れるのか、涼介」

 

 憤っている。腹を立てている。だがそれは涼介にでない。妹思いの愛情深い吸血鬼は、友人を案じているのだ。ただ無意味に利用されることを、是としている態度を叱っているのだ。

 涼介もレミリアの思いを察している。嬉しく、そして喜ばしいことだった。だが素直に聞きいれることのできない自分に、少しだけ申し訳なく思ってしまった。

 

「言い切れないですよ、レミリアさん。むしろ一人は普通にその通りに言うだろうと思います」

「では何故だ? 何故肩を持つ。私はお前が分からんよ」

「助けたいと思ってしまったから。手を伸ばしたいと思ってしまったから。フランの時と同じです」

 

 曇りなき笑顔で答えた涼介の姿に、レミリアは言葉に詰まる。フランドールの話を出されてしまえば、過去の出来事があるために強く出にくいのだ。

 自分の発言に狡いなと感じつつも、レミリアの分かりづらいようでいて分かりやすい優しさが心地いい。

 

「レミリアさんのそういう所、私は好きですよ」

「私はお前のそういう所が好かん」

「ありがとうございます」

「っ! 勝手にしろ、馬鹿者」

 

 二人のやり取りに思う所があったのか、アリスが溜息を吐いていた。心配することの不毛さを理解しているが故の反応だろう。

 溜息の音に涼介は気が付き、視線をレミリアからアリスへと移す。

 

「アリスの意見は?」

「勝手になさい、よ。私はそこの三人と違って夜を止めていない。それに私は魔法使いだし、今回の一件をそこまで重大視はしていないわ」

「ふぅん。それなのに出てきたのかい?」

「引っかかるもの言いね」

「だってアリスは社交的な出不精じゃないか。態々変事の最中に外出するとは思わないよ」

 

 涼介のアリス評に、隣にいる幽々子が小さく吹き出した。それを受け、ジトッとしたアリスの視線が涼介を見やる。

 指を二度、小さく動かした。涼介の顔の真横に頭ほどの大きさの魔方陣が現れ、陣から人形が上体だけをせりだして拳を振るう。

 

「っ!」

 

 見た目だけならこつんとでも音が聞こえそうな光景。だが小突いたのはアリス製の人形だ。中々に鈍い音が辺りに響いた。

 人形は一発殴ると役目を果たしたと、魔方陣の中へ沈んでいった。

 

「手が早いよ、アリス」

「口で言っても貴方は分からないじゃない」

「獣の躾じゃないんだから」

「獣の方が百倍賢いわよ、謝りなさい」

「手厳しいなぁ」

 

 ぴしゃりと跳ね付けるアリスの物言いに、涼介が降参だと砕けていない右手を挙げた。アリスもそれで一区切りとしたのか、貴方の好きになさいとだけ言って口を閉ざす。

 関知しないことだからと関与をやめたのか、変わり者の友人であれば、悪くない落としどころを見つけるだろうとの信頼か。答えはアリスの胸の中。

 アリスの態度をどう取ったのか不明だが、涼介もアリスの態度からこれ以上は無駄だろうと悟る。ではと視線を次へと移す。影狼をいまだ撫でて遊ぶ幽々子へ。

 

「ゆゆさんや」

「あらなにかしら、涼介さん?」

 

 わしゃわしゃと撫でる手を、止めることなく幽々子が問い返す。心なしか影狼が気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。良い夢でも見ているのかもしれない。癒される光景に心温まる。

 

「ゆゆさんはどうですか?」

「うーん、そうねぇー」

 

 真剣に考えているのか、考えていないのか。幽々子は気のない返事をする。わずかな時間、答えを待つ。撫でることに満足したのか、幽々子が手を止めた。

 

「紫に任せるわ」

「そんな気はしていました」

「うふふ、私のことをよく分かってくれているのね。嬉しいわ」

「同じことを言う方は多い気がしますけどね」

 

 幽々子の返しに苦笑しながら返せば、「お友達がいっぱいね」と、ふわふわとした答えが返ってくる。話は終わったわよねと再び影狼で幽々子は暇をつぶし始める。

 それではと涼介は大本命へと視線を向ける。他の答えが何であろうと一番重要なのは何だかんだと紫の意思なのだ。幽々子はそれを実によく分かっているとも言える。

 

「紫さん」

「心しなさい。ここから先はもう呑み込めないわよ」

 

 一言忠告をくれる心遣い。少しでも自分を、一個人として見てくれているようで心が震えた。無駄にすまいと思う。無下にはすまいと己を鼓舞する。

 

「ええ、元よりそのつもりです」

「そう。ならば貴方へ問うわ、涼介」

 

 紫が問う。

 

「貴方にとっての幻想郷とはなにかしら? 答えなさい、白木涼介」

 

 世界から音が消えた。そう錯覚するほどに涼介の意識は紫以外のものを排除していた。だが以前のようにそこには萎縮も硬直も無い。

 思っていた内容とは違う紫の問いに、周囲にいた者達は興味を刺激される。無意識を揺蕩う少女が、時間に遍在する姫が耳を傾ける。

 

「自身の全てに勝るもの」

 

 一瞬の逡巡もなく言い切る。

 

「幻想郷のために死ぬのなら何も惜しくない」

 

 穏やかな瞳で言い切られる言葉。

 きっと魔理沙がいたらおかしいと言っただろう。咲夜がいたら悲しんだだろう。

 妖夢がいたら憂いただろう。鈴仙であれば狂っていると評しただろう。

 阿求であれば理解を示したであろう。霊夢であれば悟るであろう。

 一片の狂気も宿すことない完全な正気だと気付いただろう。

 

「ならば何故、貴方はそちらに立つのかしら。少なくとも幻想郷を思うのなら貴方はこちらにいるべきよ」

「彼女たちも幻想だから」

「そう」

 

 短い一言。紫が口元を扇子で隠す。

 

「だからもし分水嶺を超えた時は貴女が有害な私を殺してください」

 

 底を見たと思ったからこそ虚を突かれる。何処までも落ちていく涼介の底は、紫が思っているよりもずっとずっと深く落ちていた。

 

「誰よりも幻想を愛する貴女に殺されるなら未練は残りませんから」

「……あら、素敵なお誘いね」

「及第点はもらえそうですか、紫さん?」

「ふふ、おまけして合格点をあげる。花丸は次回に期待かしら」

「それは重畳」

 

 楽しげに笑いあう二人の様子に、レミリアは不満げに鼻を鳴らした。

 

「隙間が良いとは随分な言いようだな、涼介。私では不満か?」

「嫉妬かしら。可愛いわね」

「黙れ、年増」

「としっ──」

 

 紫の手中で扇子が閉じられ悲鳴をあげた。紫が現れた時同様、また空気が重くなりかける。更に悪化する前にと涼介が水を差す。

 

「レミリアさんはきっと戸惑ってくれるから。咲夜やフランのことを思って迷ってくれるから。だから不満とは違うんですが……すみません」

「チッ……謝るな」

「優しい悪魔さんね」

「Aha?」

 

 レミリアの顔がひずむ。攻撃的な笑顔だ。

 

「はいはい、喧嘩しないの。するのなら別の日にしなさいな」

 

 話がまとまりきる前に一触即発かと空気が危うくなるが、今度は幽々子が間へ入る。にらみ合う二人の間へ物理的に身体を割り込ませる。

 本人の雰囲気がなせる技か、実力者の一言ゆえ配慮したのか分からないが、再び空気が落ち着いた。

 

「それで涼介さん。吸血鬼さんが駄目な理由は分かったけれど、私も駄目なの?」

「ゆゆさんはそんな選択の場面に立たないじゃないですか」

「決めつけは良くないわ、仮定は大事よ」

「強いて言うならそうですね…………冗長的で刹那的なゆゆさんなら、それもまた一興かなと受け入れそうで怖いんですよ」

「ん~、そうかしら? なら仕方ないわね」

 

 否定も肯定もしない所が、またらしいと思いながら幽々子の反応を見る。幽々子自身はどこ吹く風と、ほわほわ笑っているのが怖いなと本心から思わせる。

 視線を幽々子から外し、アリスへ向ける。流れ的にアリスにも言った方がいいのだろうかという問いかけの視線だ。

 アリスはアリスで、視線の意図に気が付くが興味はないと首を振る。だろうねと涼介が目元を緩ませれば、分かったような顔をしてとアリスは瞳を細める。

 

「はいはい、二人で良い雰囲気を作らないの。ゆかりん妬けちゃうわ」

「やめてくださいよ。紫さんの冗談でたまった不満の矛先は私なんですよ」

「日ごろの行いって怖いわよね」

 

 再び扇子で口元を隠す紫が、冗談めかせば処置なしと涼介は肩をすくませた。

 

「さて、それでは涼介。歩み寄りの為に教えてちょうだい。貴方のご友人は何に困っているのかしら?」

「月の覗き見に困っているようです」

 

 交渉人は動くこと無き天上の月を指し示した。

 

「なるほど。そう言うことですか、理解いたしましたわ。ならば確かに次は無いのでしょう」

 

 幻想郷の管理者の一人としての顔がのぞく。凛と張りつめた珍しい雰囲気に、思わず皆が魅入ってしまう。

 

「ならば此度の一件。貴方の()()()を聞き入れましょう。幻想郷への害意は無いと判断し、異変であると認めましょう」

 

 強調されるお願いという言葉に、後の対価に少しだけ思いをはせる。だが、仕事は果たせたと肩の荷が下りた。

 

「それは良かった。さて、それではどうやって知らせ──」

「──必要ないわ、涼介。難航もしないで、話し合いだけで治めるなんて流石ね。でもちょっと……いえ、だいぶ不満だけど褒めてあげる」

 

 座り込む涼介の首元へ、後ろからしなだれかかるように輝夜が唐突に現れた。

 それに対してアリスは僅かに驚きを表し、幽々子は楽しげに笑う。

 レミリアは視えていたのか鼻を鳴らして、紫は値踏みするように瞳を細めた。

 四者の反応に輝夜は気にしたそぶりを見せない。いまだ涼介の首元へ埋まり、困っている涼介の反応を楽しんでいた。

 何も言わない輝夜に痺れを切らしたのかため息とともに、紫が口火を切った。

 

「それで貴女は異変の首謀者さんかしら?」

「そうねぇ……」

 

 じっくりと周囲を見渡し、言葉を溜める。未だ涼介は解放してはいない。涼介も涼介で膝には眠る影狼が居るために大きくは動けないでいた。

 

「永琳が立案実行、私が決裁、涼介が外交交渉かしら? だから今回の騒動の首謀者は誰かと問われれば私よ。でも今回の一件を、騒ぎから異変へ変えたのは涼介ね。なら異変としてみるのなら、涼介も首謀者といえるのかもしれないわね」

「かぐぅっ──」

 

 輝夜を呼ぼうとした涼介の喉を軽く絞めて止めさせる。輝夜の発言に他の四名がしばし考える。腕へ軽くタップを続ける涼介と、楽しそうな輝夜を何度か往復する。

 お灸がいるんじゃないかしら、と誰かが視線を送れば、誰ともなく同意が戻ってくる。屁理屈だろうと大義名分もあるのだ。ならば結論は定まり、後は沙汰を下すだけ。

 

「今回の事件については語り合うべきこともあるので、後々時間を取っていただきます」

「ええ、構いませんわ」

「そして此度の異変としましては貴女の意見を採用することにいたします。涼介、宴会で破産しないといいわね」

「────!!」

「はっきり言葉にしてくれないと分からないわ?」

 

 口を開閉するだけの涼介を前に、紫が上品に笑ってみせる。それだけで決定は覆らないと察した涼介の四肢から、ぐったりと力が抜けた。異変後の宴会費用を計算しているのかもしれない。

 力無く項垂れる様に、過去の難題の挑戦者を思い出して輝夜は楽しげに笑った。飄々としている姿ではなく、こういうのが見たかったのだと言わんばかりのご機嫌だった。

 

「ああでも、この楽しい時間ももう終わりね」

 

 名残惜し気な呟きが漏れた。耳元にいる涼介だけがそれを聞き届けた。声の出ない涼介は視線だけで輝夜に問う。その気遣いが嬉しいのか、輝夜の腕の力が僅かだけ強まった。

 

「今回も随分と良い御身分ね、涼介さん?」

 

 頭上から声がかかった。聞き知った声。ほとんど毎日一回は聞く少女の声。

 異変の調停者、博麗霊夢が空き地の上空に浮かんでいた。

 

「それで? 今回は何をやらかしたのかしら」

 

 霊夢から見た光景は影狼を膝で寝かせ、輝夜に背後から抱きしめられている涼介。さらに対峙するように向かい合う四名の保護者組。

 完膚なきまでに弁明の余地は存在しなかった。声も出せない涼介には、せめて笑うことくらいしかできなかったが、器用に片眉を釣り上げた霊夢を見るに結果は語るまでもあるまい。

 

「さてお呼びみたいだし行ってくるわね」

 

 輝夜がふわりと飛翔する。一夜限りの乱痴気騒ぎの終焉の時間だ。事件ではなくなった異変が終わる。

終わりを告げる弾幕(光景)はまさに満月さえ背景へと落とし込む幻想的な世界であった。

 

 

 

 

 

 

 

「ん」

「少しペースが速いんじゃないかな、霊夢」

 

 いつものように博麗神社での宴会が始まる。杯を乾かした霊夢は、涼介へ酌をなさいと空の盃でもって圧をかけていた。

 異変が終われば宴会を。過去に涼介が語ったように、もはやすっかりおなじみの光景がそこにはあった。そしてもちろん異変の決着が付いたということは、勝敗がそこには存在している。

 何も知らない里の者達から見れば明けない夜が明けて朝がやってきた。異変の解決として見るには十分すぎるだけの変化が起きていた。

 だが当事者たちからは少しだけ違った。宴会に参加している少女達を見れば、何となく結果が見えてくる。

 魔理沙は誰かに引っ張ってこられたのか、珍しく参加している霖之助へ絡み酒をしている。

 妖夢は何か思う所があったのか、お酒を飲みながらではあるが少し真面目な顔つきで鈴仙と言葉を交わしていた。半霊を小さな人型に、幻で小さな現身を、それぞれが作り互いの近くで動かしながら話しているに、戦術的な話をしているのかもしれない。

 前者二人とは打って変わり、咲夜は普段とあまり変化はなかった。普段通りレミリアの世話に、全体の給仕にと忙しなく働いていた。

 そして霊夢は眉間にしわを寄せていた。

 

「異変が成功した涼介さんへ、私からのお祝いよ。不満なの?」

「いやだからね霊夢。それは便宜上の話であって、私が画策したわけではないんだよ」

「そう。でも涼介さんはあっちの味方をしたのよね? 紫の誘いも断って」

 

 誘われただろうかと霊夢の言葉に一瞬考えるが、多分立ち位置の話のことを誤解させているのだろうと察した。そしてそれはその通りであった。

 紫は霊夢に吹き込んでいたのだ。竹林であった時に、こちらに来て手助けしてほしいと言ったのに断られたと。霊夢とて十全に真実とは思っていないが、八つ当たりのとっかかりとして有用なのも確かであった。

 それに実際、輝夜側へ付いたのは明確な事実なのだ。それが霊夢としても面白くなかった。

 異変も結局、輝夜の永夜返しというスペルで停止した夜を朝へと押し進められた。関係者から見れば輝夜たちの勝ちだと言えた。

 弾幕ごっこに勝って懲らしめたが異変は成功させられた。試合に勝って、勝負に負けた形だ。巫女としての役割で見れば問題ないが、霊夢としての矜持には不満が残った。

 

「分かったのなら注ぎなさい」

「はいはい、もう気が済むまで付き合うよ」

「当り前よ。素寒貧にしてあげるんだから」

 

 だからこその自棄酒である。だがこれにも一応理由がある。

 今回の異変、涼介は首謀者として担ぎ上げられたというか、最後に責任だけ押し付けられた。ゆえに今回の宴会費用は涼介持ちなのだ。

 穴の開いた容器のように飲みまくる少女達が大勢いる宴会の費用。額のほどは、ちょっと想像したくない。

 

「いい機会だからしばらくはずっとお店を開いて出歩くのはやめるのね」

「手厳しいなぁ」

 

 幻想と触れ合うことが趣味のような涼介にとって、今回の罰はなんだかんだと一番効くのかもしれない。隣で肩をがっくりと落とした涼介の姿に、霊夢はクスクスと楽しげに笑った。

 

 

 

 

 

「やっと引きこもりはやめたのか、輝夜」

「ん? 妹紅じゃない。どうしたの? 今日は宴会の席。無粋な殺し合いはまたにすることね」

「私だってそこまで空気詠み人知らずじゃないさ」

「意外ね」

「何がさ」

「貴女が風情を解するなんて」

 

 妹紅が輝夜の手の中にあった空の杯を蹴り飛ばす。一方で飛ばされた輝夜は、楽しげに笑うだけで意に返さないが。

 

「野蛮ね」

「私から始めようとは思わないけど売るなら買うよ」

「そうよね、貴女はそういう性質だものね。せっかくだけどやめておくわ。面白いものを見ているから」

 

 いつの間にか手の中へ戻っている杯を片手に、輝夜は口を慎んだ。

 妹紅も殊勝な様子の輝夜に、わずかな興味をそそられたのか、彼女の瞳の先を追って視線を動かした。

 そこにいるのは見知った顔。霊夢と涼介が酒を楽しそうに飲んでいた。片方が項垂れているように見えるが、それはそれで楽しいの範疇だと妹紅は思っているので間違いではない。

 

「珍しいな」

「何がかしら」

 

 聞いているのに疑問の感情の欠片も無い声。わかったような態度に、僅かながら妹紅の中で不愉快さが生まれるが、こんなこと今に始まったことでないと斬り捨てる。

 

「お前がただの人間に興味を持ったことがさ。霊夢ならまあ分からんでもないがな」

「仲がいいみたいだから、気が付いたうえでだと思っていたけれど無意識だったみたいね」

 

 予想と違う歯に物が挟まったような物言いに妹紅は眉をしかめた。

 視線が涼介から妹紅へと移ろう。

 

「貴女、半獣の教師とは打ち解けるまでにちょっとかかったみたいだけど、涼介とはずいぶん早く打ち解けたのではなくて?」

「何でそんなこと知ってるのさ、気持ちの悪い」

 

 半眼の妹紅に対し、呆れたというように輝夜がわざとらしく溜息をついて見せた。

 

「霊夢と涼介。どちらも人間なのに随分と人外に好かれやすいとは思わない?」

「そりゃな。霊夢は分かりやすいんじゃないか。腕っ節がたって、誰が相手でもまるで変わらない対応。人外からすりゃ新鮮で面白いんじゃないか? 場合に寄っちゃ、あの吸血鬼みたいに手元に置きたいとか屈服させたいってのもあるかもね」

「そうね。浮いているからこその俯瞰視点。全てを睥睨して同じように彼女は世界を見る。あの巫女にとって、究極的には誰もがみんな平等なのよ」

 

 だろうねと妹紅が相槌を打つ。

 

「じゃあ涼介は?」

「似たようなものよ。彼は全てを落として地に足をつけさせる。彼の前では誰もが同じ場所に立って物を見る。彼と彼の前にいる者の世界は平等なのよ」

「何となく分かるような話ね」

「彼にとっては人間も妖怪も、神、妖精、幽霊にそれ以外の何かも、すべてが意思のある個なのよ。だから彼は話そうとするし、相手も話してもいいかと思い、そして興味を惹かれる」

「スケールの大きな話だね」

 

 輝夜は気のない相槌にくすりと笑いを漏らした。

 

「えぇ、だって大げさに言っているもの。実際はそんなに大それたものじゃないわ。でも彼と話すのはそこそこ楽しい。それだけは間違いではないんじゃないかしら、妹紅?」

 

 自分の内面を分かった風に語る輝夜が気に障り、そっぽを向いて手近な酒を瓶ごと煽る。

 だがそんな姿も楽しいと笑う輝夜の対応に、妹紅の忍耐が耐え切れなくなるのも時間の問題だろう。

 いずれ新たな弾幕が、酒の肴に加わることはここに記すまでもないことかもしれない。

 

 

 

 

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