小松がトリコと知り合ってしばらく経った、ある日のこと。トリコは、食材捕獲の旅に小松を誘った。
久しぶりとなるその誘いを受けて、小松は快諾。二人はグルメ列車に乗って、目的地へと向かっていた。
「トリコさん、また誘っていただけで嬉しいです」
前回の旅では、
その旅の終わり、小松は美食四天王のココに「仕事休みすぎじゃないの」と言われてしまい、今日までレストランの仕事を頑張ってきた。ゆえにトリコも、今回の誘いは断られるかもしれないと思っていた。しかし、今日も小松は、仕事を休んでトリコに付いてくることにしたようだった。
「一流の食材を生で見て、勉強したいとか言っていただろ? なら、オレの普段の仕事を見てもらおうと思ってな」
「ありがとうございます。……でも普段の仕事ですか? 今まで何度も、トリコさんの仕事に同行してますけど……」
トリコが食材捕獲の旅に出る主な理由は、自分で食材を食べるためと、食材を卸売りに売るため、そして依頼を受けて食材を捕獲するための三つである。
小松は今まで、ガララワニ、虹の実、フグ鯨、
だがその一方で、それらは小松にとって有意義な旅であった。
小松はトリコと初めて会うまで、生きた猛獣を目で見たことがなかった。さらに、大きな食材はほとんどが卸売りから仕入れた段階で、部位ごとに細かく分けられた肉塊の状態で届くようになっていた。
それではいけない、と、小松は生きた食材をその目で見るために、トリコの旅に同行させてもらえるよう頼み込んでいた。一流の食材を生で見ることで、料理人としてより高みへ登りたい。トリコは、その小松の要望に応え続けてきた。
「今回は、IGOから依頼を受けてな」
列車に揺られる中、トリコは酒を飲みながらそう言った。それはフグ鯨を食べる旅の途中、ココへ会いにグルメフォーチューンに向かう車中でしたのと同じように、車内販売の酒をめいいっぱい買い込んでの飲酒だ。当然、おつまみも持ち込んでいた。トリコは酒をあおりながら、会話を続ける。
「内容は……、新食材の発見だ」
新食材の発見。それはトリコが得意とする、美食屋の仕事内容の一つであった。現在、世界には約三十万種類の食材が存在すると言われているが、そのうち二パーセントはトリコが発見したものとされている。まさしくトリコは、一流の食材発見屋なのだ。その功績をもって、トリコは“カリスマ美食屋”と称されている。
「IGO非加盟の、とある小国が目的地だ。そこはあまり良い食材が産出されない貧困国でな。その貧困を打破するために、新食材を見つけて欲しいんだと」
「IGOの依頼なのに、IGO非加盟国での仕事ですか」
「貧乏な国じゃあ、グルメ税を納められんからな。まあ、今回の依頼の達成内容次第では、加盟も視野に入れるらしいが」
政治には興味ねえがな、とトリコはそれ以上の言及をやめる。
自分の見つけた食材で国が潤うかどうかまでは、トリコは責任を持たない。トリコはただの美食屋だ。政治屋でもIGOの職員でもない。だがしかし、新食材の発見は、トリコの得意分野である。依頼を断る理由は、彼にはなかった。
「つーわけで、新食材の発見の旅なら、小松も体験したことないだろうと思ってな。依頼を受けるついでに、呼んだわけだ」
「なるほど、そういうわけでしたかー」
納得したように小松はうなずく。トリコは買い込んだ酒を次から次へと空けていくが、小松はそれに手を付けることはない。列車に揺られながらでは悪酔いしそうだからだ。実際には、食事を取ることを考えて設計されているグルメ列車内で酒を飲んだとしても、悪酔いするということはそうそうないのだが。
「それにテリーの口に合う食材も、見つけてやらんとならないしな」
トリコは新たにパートナーとした、テリーの名前を口に出した。
テリーは、トリコが
「テリーちゃん、食事を取れてないんですか?」
「テリーちゃんって……。あー、理由はわからんが、あまり飯を食わないでいる……。好みに合う食材が見つからないか、色々試しているところだ」
「未知の食材なら、好みに合うかもしれないってことですね」
「そういうことだ」
そんな会話を続ける中、グルメ列車は進む。線路はIGO非加盟国まで続いており、列車はトリコと小松を乗せて真っ直ぐと走り続けていた。
小松は今度の旅ではどんな光景が見られるのだろうか、と秘かに胸を躍らせていた。
◇ ◇ ◇
『エルド大公国』。高温多湿の湿地帯で国土が占められている国だ。
IGO非加盟国ながら、地下料理界で有名な『ジダル王国』のような無法国家ではない。大公国の国民は働き者で、犯罪率の低さはIGO加盟の先進国にも劣ってはいなかった。ただ、国土からこれといった資源も、グルメ食材も産出しない、というだけの貧乏国家である。
「とまあ、そんな国だ」
グルメ列車から降りたトリコは、
その説明を受けて小松は、うーん、と考え込む。
「湿地帯ですか。稲作とかが出来そうですけれど」
「してるぜ、稲作」
小松の疑問に、トリコはそう答える。
「え、それじゃあ米を輸出して、外貨を稼げば良いんじゃあ」
「そうはいかねえんだ。この国の土壌が厄介でな、ことごとく高級米が育たないんだ。育つのは、旨味の少ない安い米ばかりだ」
「ああ、このグルメ時代にそれじゃあ輸出品目になりませんね……。今時は、家畜もグルメですし」
「だが、自分達で食う分には困らない。だから、IGO非加盟国には珍しく、国民は飢えていないんだ」
「なるほどー」
国民は働き者で、自分たちで食べるための稲作は盛んだ。
さらに穀物の生産量に不足はないため、家畜の餌にも困らない。しかし、湿地ばかりで、家畜を放牧するには適していない。ゆえに高級食材となる稀少な家畜を育てるということもされてはいなかった。育てられているのは、さほど高値の付かない普通の豚ばかりだった。その豚のおかげで、国民が肉を食うに困ってはいないのだが。輸入も輸出も盛んでない代わりに、地産地消で完結している国とも言えた。
「だから、今回オレが求められているのも、この国の土壌で栽培可能な食材の発見さ」
「責任重大ですね!」
「そだな」
トリコは全くプレッシャーを感じていないとばかりに笑って、小松の言葉に返した。
そして列車から降りた駅を出て、タクシー乗り場に向かっているときのことだ。
「あれっ、トリコじゃね?」
「え、本当? トリコだわ!」
「なに? トリコだと?」
道中がなにやら騒がしくなってきた。
道行く人々がトリコを見つけ、彼の周囲に集まってくる。
「美食屋トリコだ!」
「食のカリスマだ!」
どうやら、IGO非加盟国でもトリコの名声は
そして――
「トリコー! 食材の発見よろしく頼むぞー!」
「オレたちの明日のために、頼む!」
「グルメ時代の仲間入りをさせてくれー!」
トリコが食材発見のためにこの国を訪れたということも、彼らは知っているようだった。
そんな国民たちが期待を寄せる様子を見て、小松は笑顔をトリコに向ける。
「本当に責任重大ですね、トリコさん!」
「そーだな」
トリコは面倒臭そうに周囲の人々を散らすと、タクシー乗り場に向けて歩いていった。
「そういえば、トリコさんは超有名人でしたね」
「そういえばってなんだ、そういえばって」
「だって、ボクたちが普段行くのは無人の辺境地帯ばかりですから。こういうシーンにお目にかかるのって、何気に初めてで……」
そんな会話をしながら、二人はタクシーへと乗り込む。後ろに付いてきていた人々が、名残惜しそうにそれを見送った。
なお、タクシーの運転手からは、トリコのサインをねだられた。
◇ ◇ ◇
『この先キケン』『はやまるな』『命を大切に』『猛獣注意』
そんな看板がかかるフェンスを乗り越えて、トリコ達は無人の湿地へと足を踏み入れていた。
ここは『エルド大公国』の危険指定区域。この国唯一の猛獣が住む地区であり、まだ見ぬ食材が眠っていると考えられている未知の領域だ。
猛獣の最大捕獲レベルは20を超えるとされ、そんじょそこらの美食屋では危険すぎて、立ち入ることの出来ない場所だ。
それゆえ、美食屋として実力のあるトリコに、今回の依頼が回ってきたのだ。
トリコはその戦闘力もさることながら、発達した嗅覚により未知の食材の匂いを嗅ぎ分ける能力に優れていた。強いだけでは“カリスマ美食屋”にはなりえないのだ。トリコたち美食四天王は、いずれもトリコの嗅覚のような個々人ごとの特殊能力を身につけていた。
そんなトリコに無謀にも付いてきた小松は、ぬかるんだ地面に足を取られながらも湿地を少しずつ進んでいた。
猛獣注意の看板を見ても怯むことはなかった小松は、もはや、トリコとの危険な旅に慣れきっていた。ここに来る前に、しっかり遺書を残してきたのだが。
しかし、小松は猛獣の出現を警戒してか、周囲をきょろきょろと見回しながら歩を進めている。慣れても、臆病さは治らないらしい。
湿地には丈の長い野草が生えており、まるで森の中のように動物の影を隠していた。
嗅覚の優れたトリコにとってはあってないような障害だが、小松としてはそうもいかない。彼は、最大限の警戒をしながら歩くことになった。
「あっ、トリコさん、あそこにイネ科の植物らしきものが」
「ありゃあ、キビの原種だな。食えんこともないが特別美味でもない。ここいらは、そんなのばっかりだな」
「そうですかぁ」
「新種なんてそう簡単に見つからんさ」
「そうなんですけど、トリコさんなら、ズバーって見つけちゃうんでしょう?」
トリコへ向かって、そう言って期待の目を向ける小松。だが、トリコはというと、「いいや……」と首を軽く横に振ってそれを否定した。
「そう上手くはいかんさ。今回の旅だって、成功する確証はどこにもない。ここに立ち入ったヤツの情報も、これといって有意義なものはなんにも無かったしな。見つかるかどうかは努力も必要だが、最終的には運次第だ」
「ええー、運次第ですか」
「ああ、運次第。食運次第さ」
そんなことを笑顔で話すトリコだが、突如、その表情は崩れる。トリコたちを遠巻きにして徘徊していた獣達が、急速に近づいてきたのを感じ取ったのだ。
湿地に生える草をかきわけて、獣が姿を現わす。それは、体高三メートルほどの獣の群れ。
「わ゛ー! 猛獣だー!」
突然の猛獣来襲に、思わず驚き声を上げてその場で足を止める小松。
一方、トリコはというと、小松を守るように一歩前へと足を踏み出した。
「医食牛か」
「えっ」
トリコの言葉に、小松は獣を二度見する。
「これが生きている医食牛ですか!? 牛と言うよりは豚みたいな……」
医食牛。豚のような顔に、鋭い牙。牛のようながっちりした体付き。捕獲レベル4の猛獣だ。
それが群れで十匹ほど、トリコたちの道を阻むように立ち塞がっている。囲んで退路を断つような知能は無いらしい。
戦いの予感を感じる小松。だがトリコは戦闘の構えを取らず、立ったままだ。
トリコはただ視線を医食牛へと向けるだけ。そして――
「――オレと
軽い
その威嚇を受けた医食牛達は、瞬時に後ろへ向き直ると、一目散に遠くへ向けて走り出した。
トリコにとって捕獲レベル4の獣は片手でも相手できる、そんな取るに足らぬ存在だ。その実力差を威嚇だけで感じ取った医食牛は、命が惜しいと全力で逃げ出したのだ。
そんな一連の光景を慣れたような目で見ていた小松だが、一つ気になったことがあった。
「食べないんですね、医食牛」
食いしん坊のトリコが一匹も手を出さないことを不思議に思ったのだ。
そんな小松の疑問に、トリコはため息をついて答えた。
「食える獣が出るたび一々食ってたんじゃ、いつまで経っても何も見つからん。なにせ、目標の見えない旅だからな、今回は」
とはいいつつも、これまでの道中で道に生えているキノコなどは、しっかり口にしていたトリコだった。
今回手を出さなかったのは、医食牛が大きく、解体と調理、そして食事に時間がかかりそうだったからだ。トリコは食べない獲物は狩らない。狩った獲物は全て食べ尽くすか、市場に卸すかすると決めている。
小松はなるほど、と納得すると、再び食材を探しに歩を進め始めた。
そして歩き続けること丸一日。珍しい獣は見つかったが、栽培できそうな美味しい植物は何も見つからなかった。
トリコたちは地面が湿っていない丘を見つけると、そこでキャンプして一夜を明かすことに決めた。
「稲作が盛んなら、ここに生息していた高級食材の獣を家畜化するというのも手じゃないでしょうか。湿地に適応しているでしょうから」
これまでの道中で夕食用にトリコが仕留めた蟹ブタを調理しながら、小松はそう訊ねた。
だがトリコの答えはというと。
「ダメだな。どれも獰猛で家畜化には向いてない。家畜化できるとしても何世代も品種改良が必要だろうな」
否だった。小松が料理中の蟹ブタも、捕獲レベル8の猛獣である。一般人が
その答えに、小松は納得して料理を続ける。旅の途中とあって調味料は豊富ではないが、今回小松は包丁とフライパン、そして鍋を一つ持ち込んでいた。
一方のトリコの今回の荷物。それは、一抱えほどもあるグルメケースだった。
「こんな大きなグルメケース、何に使うんですか」
料理をこなしながら再び小松は、トリコへ問いを投げかける。
「ああ、目的の食材を見つけても、種が実っているとは限らんからな。そのときは、根ごと掘り起こしてグルメケースで運んで、国の畑に植え替えるって寸法よ」
「なるほどー、と。出来ました。蟹ブタのペッパーステーキです」
「おお、やっぱり、小松を連れてきて正解だったな! 美味そー!」
蟹ブタの塊肉を枝に刺して焚き火で焼いていたトリコはその手を離し、小松の料理へと向き直る。
そして、いただきますと合掌をしたのち、料理へとかじりついた。ステーキは一口大に予め切り分けられていたが、それを箸で何個もまとめて口へと運ぶ。
「うーん、この濃厚な旨味。たまらねえな」
蟹ブタは脂身は少ないが肉の旨味は凝縮されていて、最上級の蟹を食べているような味わいが楽しめる食材だ。それが塩とコショウを使った小松の料理で極上の料理へと仕上がっていた。
「どんどん焼きますから、ゆっくり食べていってくださいね」
「おう、小松も適当に食べろよ」
ペッパーステーキは瞬く間に無くなり、焚き火で焼いていた蟹ブタの塊肉も、すぐさまトリコの胃の中へと収まる。
やがて、3トンもあった蟹ブタは骨を残して全て食べ尽くされ、その日の夕食は終了となった。
陽は既に落ちきり、焚き火の炎と月の光のみが周囲を照らす。トリコと小松は寝るためにグルメテントへと入った。
「明日はちゃんと新食材見つかりますかねー」
「食運のおもむくままにってな」
睡魔はすぐにやってくる。小松は爆睡。トリコは周囲へ警戒を向けながらの就寝となった。
明くる朝、そこらを徘徊していた獣を狩り丸焼きにして、昨夜のうちに仕込んでいた蟹ブタの豚骨スープと共に朝食とすると、心機一転。あらためて食材を探しに二人は行動を開始した。
何時間も歩き続けて日も真上に昇った頃、小松が歩き疲れてトリコたちは小休憩を取ることにした。
道中で採取した食べられるキノコを生でかじりながら休んでいる最中、不意に強風が吹いた。なんてことはない、ただの風であったが――
「……! この匂いは!」
その風の中に、トリコが嗅いだことがない匂いが混ざっていた。
かすかな獣臭。それだけでなく、イネ科の植物の美味そうな匂いまでだ。
トリコはすぐさま行動を開始する。疲労していた小松を肩に抱えて、匂いの方角へと走り出す。
そして走ること三十分ほど。そこには、これまでの湿地とは違う風景が広がっていた。
原野だ。イネ科の植物がびっしりと生えそろい、さらに黄金色に輝く穂を実らせていた。天然の田園地帯である。
小松はトリコの肩から降りると、その光景を視界いっぱいに納めた。
「この植物……実ってますね。収穫すれば、すぐにでも食べられそうです」
「ああ、今まで見たこともない穀物だ。こりゃ依頼の品、見つけたかもな。……小松!」
トリコは突然小松を両腕で抱えると、その場から全力で横に跳んだ。
それから遅れるようにして突如地面が爆砕する。否、何かが地面から飛び出して来たのだ。
それは巨大な蛇だった。口にはびっしりとキバが生えそろった、凶悪な顔つき。その蛇は、奇襲に失敗したことを悟ると地面へと逆戻りに潜っていく。
そして、次の瞬間、地面がもこもこと大きく盛り上がり、田園の泥の中からこれまた巨大な獣が姿を表わした。
体高五メートルほどもある猪。尻尾の部分には、長い胴を持つ蛇がくっついている。蛇の尾を持つ巨大猪。摩訶不思議な猛獣だった。
「こいつもオレが知らない獣だ。未発見種か?」
そんな猛獣を前に、トリコがまず行ったのは。
「――かっ!」
威嚇であった。トリコの
「ブモ。ブモオオオオオオオオ!」
気合いを入れるような鳴き声。猛獣は威嚇を受けても逃げ出すことはなかったのだ。
その様子を見て、トリコは戦うために気合いを入れる。
「こいつは強敵だ。本気でやるか」
トリコはその場で右手の平と左手の甲をこすり合わせ、そしてぴたりと両の手のひらを胸の前で合わせる。
「この世のすべての食材に感謝を込めて……いただきます」
トリコの戦闘の合図であった。トリコは合掌の構えを解くと、左の手を獣に向けて突き出した。
「フォーク!」
それは確かに獣へと突き刺さった。だが、浅い。獣はわずかに出血するが、表皮を軽く貫いた程度だ。
「固えな! ナイフ!」
右手の手刀。だがそれは、猪の口から伸びる巨大な牙に弾かれる。偶然ではない。獣が能動的に牙を動かし、ナイフを弾いたのだ。
攻撃を受けて動じる様子はない獣。そして獣はわずかに身をよじる。
「うおっ!」
斜め上から、蛇が口を開けてトリコに襲いかかってくる。それをとっさに回避するトリコ。そのまま彼は、空中で一回転して地面に着地した。そして、一つ忘れていたことを口にする。
「小松ッ! 下がってな!」
「はいっ、もう下がってます!」
小松は先のトリコの威嚇と共に、獣とトリコから全力で距離を取っていた。
その様子を見て安心するや否や、獣がトリコに向けて全力で突進してきた。猪の身体の仕組み上、口を前にしての突進。その最中に獣は大きく口を開け、突進と共にトリコに噛みつきを行ってきた。
肉食獣のものとしか思えない鋭い牙が、トリコを襲う。
トリコは間一髪で噛みつきを回避するが、突進は避けきれずにその身に受けてしまった。
「うぬ……!」
だが、直撃ではない。後ろに向けて跳躍することで勢いを殺したのだ。当たりはしたが、ほぼ無傷と言えた。
トリコは反撃とばかりに獣へ迫ると、右腕を大きく振りかぶった。拳は力強く握られ、腕の力こぶが大きく盛り上がる。
「5連……釘パンチ!」
鈍い音を立て、トリコの拳が獣の巨体に突き刺さる。釘パンチ。五発のパンチを瞬時に叩き込み、衝撃を奥へと突き刺すトリコの得意技だ。
獣は白眼を剥いてその衝撃を受ける。しかし――
「シャー!」
「ぬ? うおおお!」
釘パンチの衝撃を受けていない尾の蛇が、トリコの胴へと噛みついてきた。
トリコは瞬時の判断で両手を蛇の牙に当て、腕力で口を閉じられないようにこじ開けた。
「ふん!」
全力で蛇の口を開き、さらに顎に膝蹴りを叩き込む。
足の無い蛇はまるでたたらを踏むように、その場でふらふらと後退する。
だが、それも一瞬のこと。釘パンチの衝撃を受け終えた猪が、身体をその場で三六〇度、横に回した。巨体から繰り出される華麗なが放たれた一撃。鞭のようにしなった尾の蛇が、トリコの身体へ襲いかかる。
蛇による横殴りの一撃は、トリコの胴体へと見事に命中していた。
ぐふ、と口から血反吐を吐き出すトリコ。
「トリコさん!」
思わず離れて見ていた小松が悲鳴のような声を上げる。
だが、トリコは倒れない。胴へと当たった蛇を両腕で掴むと、それを大きく後ろに振りかぶり、勢いよく振り回し始めた。
尾の蛇に引っ張られ、猪の重たい身体が連動して動く。
そしてトリコは思いっきり縦に手に掴んだ蛇を振り下ろすと、獣は弧を描いて宙を舞い、勢いよく地面へと叩きつけられた。
原野の地面はわずかに湿っており、柔らかい。巨体が叩きつけられたと言えど、致命傷にはならない。ゆえに、トリコは追撃の構えを取る。
「8連、9連、10連……」
右腕を後ろへと振りかぶり、グググ、と力を溜める。腕には血管が浮き出ており、力が全力で蓄えられていく。
そして、その溜めた力が一気に解放される。
「10連釘パンチ!」
必殺の一撃、いや、十撃が獣の顔面に突き刺さる。
獣は勢いよく吹き飛び、さらに内部へ伝わった追加の衝撃により、その身を激しく宙に躍らせた。
合計十回、獣は衝撃により吹き飛ぶ。全ての衝撃が収まる頃には、獣は頭部を半分潰されて完全に息絶えていた。
尾の蛇が起き上がってくることもない。どうやら猪部分が死ぬと、尾の蛇も連動して息を引き取るようだ。
「ごちそうさまでした」
トリコは手をこすり合わせ合掌をして、その戦闘を締めくくるのであった。
◇ ◇ ◇
「この植物、こりゃあ米だな」
戦闘を終えたトリコがまず取りかかったこと。それは獣を食べることではなく、原野に生える未知の植物を確認することであった。
収穫間近の稲のように穂を垂れたその植物を手に取り、まじまじと眺め匂いを嗅ぐ。
小松も戦闘が終わったのを確認するとトリコの元へと戻っており、トリコの横から植物を眺めていた。
「ただのお米じゃないっぽいですね。なんだか穂がぷるっぷるしてます」
「ああ、ぷるっぷるだな」
一通りの確認を終えると、トリコはとりあえず、と前置きして言葉を続ける。
「まずは実食だな!」
「はい、お米なら脱穀してみましょうか。プルプルしているので、力業じゃちょっと難しそうですけれど」
「できそうか?」
「なんとかやってみます」
「頼むぜシェフ!」
小松は持ち込んだ道具で稲から実を落とし、なんとか殻を外していく。
そして鍋に脱穀した米を入れると、原野の横に流れていた小川で米をとぎ、鍋に水を浸す。
焚き火を起こし、鍋を火にかけフタを閉め、米を炊き始めた。
「こっちの猪も食べられそうですね」
「そうだな。うーん……」
小松の言葉に返事しつつも、トリコは何かを悩む様子であった。
「どうかしました?」
「この獣も未発見種の可能性があるから、仮の名前をどうしようかと。ヘビイノシシ?」
「あー、
「お、なんだか可愛い名前じゃないか。それにするか」
名前が決定すると、小松はボアボアーの解体を始めた。瞬く間に死骸が精肉へと変わっていく。
「報告に使うから、頭は残しておいてくれ」
「わかりました」
十分もかからないうちに、巨大な猪の身体は肉とモツに腑分けされていた。尾の蛇部分も肉へと変わっている。
小松は肉を包丁で薄切りにすると、これまた用意していた小さな網で焼肉にし始めた。香ばしい匂いが周囲へと漂っていく。トリコもその香りに待ちきれないと、よだれを垂らすばかりだ。
そうするうちに米も炊きあがる。小松はおそるおそると鍋の蓋を開けた。するとそこには――
「おおー、すごいですね!」
「うお、プルプルしてる!」
炊きあがったご飯は、炊く前の状態よりさらにプルプルとして、一粒一粒がキラキラと輝いていた。
小松はそのプルプルさを崩さないように優しくかき混ぜると、持ち込んでいたお椀にご飯を盛っていく。ついでに焼けた肉も皿に盛り、食事の用意は万端だった。
「じゃあ、この世のすべての食材に感謝を込めて……」
「いただきます!」
箸でぷるっぷるのご飯を掴み取り、口へと運ぶ。
その独特の感触を舌で楽しみ、そして咀嚼する。噛むたびにご飯がプルンプルンと踊り、旨味が染み出してくる。
「こいつは……美味いな。噛むたびに旨味と甘味が踊るように舌へ伝わってくる……」
「噛めば噛むほど美味しくなりますね」
「ああ、噛めば噛むほど。ご飯の原点みたいな美味しさだ」
トリコと小松は、焼肉にも手を付けずただしばらくご飯だけを食べ続けた。
そして、小松はあることに気づく。
「あれ、トリコさん、なんだか顔がぷるっぷるになってますよ」
そう言われて、トリコは右手の指先を頬に当ててみた。すると、頬がなにやら、うるおいたっぷりのプルプル肌になっていた。
「おお、食べると肌がプルプルになる効果があるのか。これはコラーゲンの効果か?」
「サニーさんが知ったら喜びそうですね!」
食事の思わぬ副次効果に、トリコは笑みがこみ上げてくる。
「原野で採れるコラーゲン豊富な米か。よし、この米をコラー原米と名付けよう」
「良い名前ですね!」
そしてようやくトリコ達は焼肉へと箸を伸ばした。こちらはどこか繊細な味だったコラー原米とは打って変わって、猪特有の野趣溢れる味である。だが、嫌な臭みは全くなかった。
野外で肉を食べるならこれくらいワイルドな味が良い。そんながっつり食べられる肉であった。
そんなボアボアーの肉の味に、小松はしばし考え込むと、やがて何かを思いついたのか鍋へと向かう。
そして、炊いたコラー原米を手に取ると、おもむろに握り始めた。
「お、なんだ。おにぎりか」
「いえ……」
小松はおにぎりを握り終えると、今度は焼いた肉をおにぎりに巻きだした。
「出来ました。がっつりプルプルの肉巻きおにぎりです。どうぞ食べて下さい」
「うひょー、美味そー! いただきまーす!」
トリコは肉巻きおにぎりを掴むと、一口でおにぎり全てを頬張った。
そしてモグモグと咀嚼し、満面の笑みを浮かべる。
「固めの肉とプルプルの米の食感の差が楽しくてたまらん! それに、繊細だった米の味が肉に引き立てられて、ガツンとくる旨味へと変わっている!」
「美味しいですか。良かったです!」
その後もコラー原米とボアボアーの実食は続き、日が落ちるまでトリコは飯を食べ続けるのであった。
そして、また一晩眠り、トリコはグルメケース一杯に根ごと掘り出したコラー原米を採取して帰還する。グルメケースの保存データは小松が現地で入力を行ったため、地面から抜いたコラー原米がしおれてしまうということはないだろう。
危険区域を脱出し、トリコ達はエルド大公国の市街地へと戻ってきた。
すると、そこには大公国の国民たちが待ち構えていた。
「トリコだ!」
「トリコが帰ってきたぞー!」
「食材は、食材は見つかったのか!?」
市街地は瞬く間に大騒ぎになった。そんな中に、トリコは言葉の爆弾を投下する。
「見つけたぜ! それも新種の米だ!」
トリコの言葉に、わっと人々が沸いた。
「やったー!」
「米! オレたちのグルメ食材が米だぞ!」
「トリコー! ありがとー!」
「四天王ばんざーい!」
人々に詰め寄られ、もみくちゃにされるトリコたち。小松はそんな人々から「アンタ誰?」と言われるが、彼は五ツ星レストランの料理長ながら無名の料理人なので、その扱いも仕方がない。
そしてトリコたちは街中をパレードし、
持ち帰られたコラー原米、そしてボアボアーの頭部はIGOに引き渡され、研究所にて調査が行われる。
それらは無事に新種の食材であると認定され、トリコへの依頼は成功となった。
コラー原米は『エルド大公国』の土壌で問題なく育つことも確認され、大公国にて試験栽培が早速始まった。
危険区域にあるコラー原米はIGOにより捕獲レベル42と認定され、その危険度の高さから美食屋が採取に挑戦するということもなく、月日は過ぎていく。
そして栽培に成功したコラー原米は早速グルメ市場への輸出が決まり、そのコラーゲンの豊富さと美肌効果から注目を浴び、小売価格一キログラム十五万円で取引されることとなった。このまま取引が年単位で上手く行けば、『エルド大公国』のIGO加盟も秒読み段階といったところだろう。こうしてトリコはまた一つ、食のカリスマとしての名声を高めたのであった。
エルド大公国
エルド大公によって治められている国連、IGO未加盟の小国。グルメ資源に乏しく外部との交流が薄いうえ、IGO未加盟国のため悪質な独裁国家と諸外国に勘違いされているが、実態は優しい君主に統治される平和な国。国土一面が湿地に覆われており、稲作が盛んだが高級なグルメ米が育たない土壌であるため、グルメ資源の輸出が行えず外貨の獲得に頭を悩ませて。
ボアボアー(哺乳獣類)
捕獲レベル:38
トリコがエルド大公国の危険指定区域にて発見した大型の猪。尻尾が大蛇となっており、胴体の猪部分と尻尾の蛇部分で肉質が違う、二倍味を楽しめる食材だ。
コラー原米の生える原野に生息し、コラー原米を食べに現れた草食動物や鳥を捕食する肉食性の猛獣。泥遊びが好きで、よく湿った土の中に潜っている。
コラー原米(穀物)
トリコが過去に発見した食材として原作29巻に登場。解説は35巻。