IGO直属、ホテルグルメ。数千を超す部屋数を誇る、高級ホテル。その中にあるレストラングルメの一部フロアは、本日貸し切りとなっていた。
団体客が来たわけではない。とんでもない『食いしん坊』が、食事をしているのだ。
「ふう……、ごちそうさま」
美食屋トリコである。彼の前にある広いテーブルの上には、空いた食器が山のように積まれている。それをウェイターたちが、数人がかりで忙しそうに下げていく。一人の客で貸し切りされた光景には、とても見えなかった。
「トリコさん、今日はどうでしたか!」
満足そうな表情を浮かべたトリコの前に、料理長である小松がやってくる。客を前にしたシェフにしては、ずいぶん気安げな態度。だが実はこの二人、コンビなのである。
美食屋と料理人のコンビ。それはこのグルメ時代において、憧れの二大職業による夢の共演とでもいうべき概念。
美食屋は食材を集める、料理人は食材を調理する。最高の料理を作るには欠けてはならない組み合わせである。
「いやー、美味かった。それに満腹になれた。一つの店で腹一杯になれたのも、久しぶりだぞ」
「はい! 今日は予約を頂いていたので、精一杯のご用意をさせていただきました!」
トリコがここホテルグルメレストランで食事をしたことは、今までにも何度かある。
だが、初めてトリコがここに訪れた虹の実実食のときは、小松はまだトリコの胃容量の限界というものを把握し切れていなかった。そして、センチュリースープ披露のときは、
今日は、それらメインの食材があったり他の客がいたりしたときとは違い、小松がトリコに食事を心から楽しんで貰おうと、メニューの考案と食材の仕入れに努めていた。相棒の美食屋を食事で満足させることは、コンビの料理人として当然の義務だと小松は思っている。
「ふうー」
葉巻樹に火を付け、食後の一服をするトリコ。その顔は実に満足げだ。
その様子をニコニコと、笑顔で見守る小松。厨房へと下がる様子はない。食事の後に少し話があると、予約を受けた際に、トリコから言われていたのだ。
「それでだな、小松。お前にコンビとして、調理してもらいたいものがある」
葉巻樹を半分ほど吸い終わったあと、トリコは、そう話を切り出した。
そのトリコの言葉に、小松は破顔一笑。
「本当ですか! それは腕が鳴りますね!」
この小松、トリコのコンビになれたことを最高の栄誉に感じている。……いや、栄誉というような言葉は、少々相応しくない。心底嬉しいと感じている、といった純粋な歓喜である。
「それで、今回はどんな食材なんですか?」
「ああ、お前も知ってるやつでな……オゾン草だ」
「えっ」
オゾン草。オゾン層ではない。あくまで、食材の名前だ。
「オゾン草って、あのオゾン草ですか」
「ああ、あのオゾン草だ」
オゾン草。それは、はるか空の上、『ベジタブルスカイ』という食の楽園に存在する、野菜の王様。これを食べてトリコは小松とコンビを組むことを決めたという、記念すべき野菜だ。二人で同時に噛みつかないと食べられない、コンビの結束力を試されるような特殊な食材であった。
本来は、IGO会長一龍の依頼で捕獲に行った食材であるが、『ベジタブルスカイ』に多数生えていたため、彼らも試食をした過去がある。
「オゾン草……。そうですね、あのときは丸のままを生で食べただけですから、調理らしい調理は外側の葉を剥くくらいしかしてませんもんね」
オゾン草は、五十センチメートル程度の大きさがある野菜である。しかし、天然に実っている姿は、高さにして十数メートルもある何十層もの葉に包まれたもの。包被型の野菜である。中身を取り出すには、特殊な手順で二枚ずつ葉を剥がしていく必要があり、これまたコンビ二人の連携が求められる食材だった。
「いや、そういうわけじゃねーんだ。あれって、二人で食わなくちゃいけないだろ。それを一人で食べられるようにしてほしいんだ。できるか?」
「えー! あれは二人で食べるから、コンビ結成記念に相応しい食べ物だったんでしょう!? それをお一人様用にしろってことですかー! なんだか台無しですよ!」
コンビとしてそこは譲れないと食い下がろうとする小松だったが、しかし。
「そう言われてもなぁ……あの時食ったのは、一個だけだからあの食い方でよかったがな。腹一杯食おうと思ったら、オレが二人いなきゃ無理だろーが」
コンビであっても、トリコと小松の腹具合や胃容量は、同じではない。小松は常人の
確かに、そう言われてしまっては仕方ない……、と小松は引き下がった。美食屋には人生をかけて作り出す、“人生のフルコース”という概念がある。オゾン草は、美食屋トリコのフルコースのサラダには収まるにはあと一歩足りなかったが、たとえそんな扱いでも、トリコが言うようにお腹いっぱい食べてみたい最高の野菜だった。小松はそんなことを考えた。
「でも、あのGTロボみたいなのがやっていたみたいにこう……首を高速で動かして、二回噛めばいいんじゃないですか? ……ボクには絶対無理ですけど」
小松は『ベジタブルスカイ』で見た光景を思い出す。二人でオゾン草を食べた後、突然空の上から(『ベジタブルスカイ』自体が空の上に存在するのだが)GTロボのような、謎の生物が降ってきたのだ。
GTロボ――『グルメテレイグジスタンスロボット』は、遠隔操作のグルメ用ロボットで、かつて
ちなみにトリコと小松は知るよしがないが、彼らが依頼でオゾン草を引き渡したIGO会長の一龍も、その謎の生物――『ニトロ』と同じ方法で、一人でオゾン草を食していた。
「小松、お前はそれでいいのか」
「えっ?」
「ここのレストランを率いる料理長のお前が、そんな客を選ぶようなことしていいのか? オレ以外の他のやつに、オゾン草を料理して出すときにも、素早く二回噛みついてくださいなんて言うのか?」
「それは……確かにそうですね……」
トリコの言葉にぐうの音も言えなくなる小松。彼が勤めている店は、ホテル併設のレストランだ。基本的に、客を選んではいない。
「なーんてな! 冗談だ冗談。小松が客を困らせてもオレは困らんからな」
このグルメ時代、客に特殊な食べ方を強要する“人を選びすぎる”料理店や、メニューが偏った専門料理店というものは大量に存在する。
そこに、トリコは文句などないのだ。自分がその店の客として適していないときは、心底悔しがるのだが。
「ええー、コンビなんですから、気にしてくださいよ、そういうの!」
「ま、そのまんま食えるようにしてほしいってのは、本気だ。あんだけ美味いんだ、いろんな食い方をしてみたいもんだ」
サラダ、焼きもの、田楽、シチュー、チーズフォンデュ……と料理名を上げていくトリコの横で、小松はふとあることに気づいて頭を抱えた。
「そうなると、また、あの雲の上まで行くのか……トリコさんが守ってくれると言っても、辛いなぁ~」
そう、オゾン草を手に入れるには、『ベジタブルスカイ』に行かなければならない。『ベジタブルスカイ』に行くには、空から垂れ下がるスカイプラントの蔓を伝って、上空二万メートルまで登らなければならない。はるか空の彼方、雲の上の成層圏だ。二人がかりで葉を剥く必要があるので、トリコ一人に捕獲を任せるわけにはいかない。
小松は、一流の美食屋トリコのコンビだ。捕獲までの困難な冒険に同行することは、今後も多いであろう。よって、諦めたように、小松はため息を吐いた。
「ああ、そのことなら、気にしなくてもいいぞ」
ちょうど葉巻樹を吸い終わり、しょぼくれる小松へと顔を向けたトリコは、ニヤリと笑ってそう言った。
「今回は、安全な雲の上だ」
◇ ◇ ◇
そして、その二日後、トリコと小松は、IGO所有のとある施設へとやってきていた。そこは、標高一万二千メートルの大山脈の上に立てられた空中庭園。IGOが所有する『ビオトープガーデン』の一つである。
ビオトープとは人工的に作られた動植物の生息空間のこと。この『天空ビオトープガーデン』では、高地に生息する動植物を集め、生態観察と様々な食品研究を行っている。
「はぁー、このビオトープもすごいですねぇー」
研究員通用口の窓からビオトープ内を見渡しながら、小松が言った。彼は今までIGOの『第1ビオトープ』と『第8ビオトープ』に入ったことがあるが、それらともまた違う、高地特有の風景が広がっていた。
「危険動植物の捕獲レベルアベレージは“8”。危険性のない動植物に関しては、世界中の秘境と言われる高地から捕獲したものをもとに飼育・栽培しているので、本来ならば捕獲レベル40を超える入手難度のものも存在するぞ」
小松に対してそう説明をしたのは、黒スーツにサングラスをかけた男。ヨハネスという名の職員だ。IGO開発局食品開発部長を務めている。
小松は、IGO直属のホテルグルメレストランの人間だ。よって、このヨハネスとはしばしば共に仕事をする機会がある、顔なじみである。トリコが訪ねてきてから、二日という早さで小松が仕事の休暇を取れたのも、今回このヨハネスが手を回したからであった。小松はつい最近、メロウコーラという食材を捕獲するために、月単位の長期間レストランを離れていたため、本来ならば仕事を休めるような身分ではないのだ(と、小松は思い込んでいるが、トリコと行く食材捕獲の旅はIGO会長直々の依頼なので、ホテルの支配人スミスは、依頼を優先して構わないと思っている)。
また、ヨハネスは、IGOの仕事関連で美食屋に食材の捕獲を依頼することもあるため、トリコとも知り合いである。
「それで、ここにオゾン草があるんですね」
そう訊ねる小松に、ヨハネスが「ああ」と答える。
「まだ情報としては流していないが、一年前の時点で試験栽培に成功している。天然物には、まだまだ及ばない品質らしいが」
その言葉に、トリコもうなずき、感慨深げに言った。
「
オゾン茶とは、依頼品のオゾン草を届けにIGO会長の下へと行ったとき、彼から振る舞われた茶である。オゾン草の外側の葉を使って煎れるお茶だ。トリコ達が捕獲して持っていったオゾン草は、葉を全て取り除いた中核部分だけだった。そのため、会長はすでにオゾン草の葉をなんらかの手段で入手して、事前に加工させていたということになる。
「ガララワニのときにも、こんなことあったんだよなー。IGOの依頼で獲ってきたものがすでに研究中で、わざわざ獲りに行かなくても問題なかったっての」
ジロリと、ヨハネスをにらむトリコ。ヨハネスはわずかに冷や汗を流しながら、「そういうこともあります」と答えた。
「でも、オゾン草を個人的に食べたいなんていうボクたちの都合なんかで、本当にIGOのビオトープに入っていいんですか?」
そんな疑問を小松が口にする。それに対し、ヨハネスは右手でサングラスのツルをわずかに持ち上げながら言った。
「今回は、特別だ」
そう、特別だ。今まで小松が各地のビオトープ内に脚を踏み入れられたのも、ビオトープ内にある虹の実、
「我々としても、食し方が特殊なオゾン草の問題点を解決してもらえるのは、非常に助かるんだ、小松くん」
サングラスの奥の眼で、小松をじっと見つめるヨハネス。
「これを達成した暁には、こちらでレシピの特許を管理させて貰い、適切な特許料を支払うことを約束しよう。また特許料以外にも追加報酬の支払いや、ランキングへの反映などもさせてもらう」
ヨハネスは以前から、当時の五ツ星店の料理長である小松に目をかけていた。そんな小松がある日、トリコの捕獲に同行するようになり、センチュリースープのレシピを短い期間で編みだし、ついにはカリスマ美食屋トリコのコンビにまで登り詰めた。目をかけていた者が、期待に応えるように成長し、成果を出す。ヨハネスにとって、感慨深いものがあった。
「えっ、本当ですか! ランキングかぁ~ホテルの星とかにも影響するからな~」
ぐへへ、とよこしまな笑顔を浮かべる小松。ランキングとは、世界中の料理人を格付したIGO発表の世界料理人ランキングのことだ。トップ100に入ると、雑誌などで大々的に発表され、グルメ時代の憧れの的として世界中から注目されるのだ。
「では、ここからさらに、成層圏の上を突破する『グルメスカイツリー研究所』へと向かいます」
そう、トリコと小松をうながすヨハネス。
「あっ、そうですよね。『ベジタブルスカイ』は成層圏にあったから、山の上だとオゾン草は育たないのかー」
ヨハネスの言葉になるほどと小松はうなずき、長い通用口を進んでいった。
そして彼らは途中で消毒施設を経て、巨大なエレベーターに数分間乗り込み成層圏階層までやってきたのだった。
「わー! すごーい! ここ、『ベジタブルスカイ』そっくりですよ!」
扉を何重もくぐり、目に見えたのは雲の上にできた陸地。
それは火山灰を積み重ねて、土壌を再現した人工の『ベジタブルスカイ』だった。
「うーん、空気が澄んでる」
『人工ベジタブルスカイ』に生えた多数の植物によって、標高数万メートルという高さにもかかわらず、濃厚で清浄な酸素が供給されている。以前、訪れた『ベジタブルスカイ』を忠実に再現してあった。
「うーむ、『ベジタブルスカイ』の野菜の良い香りだ……。しかしこんだけ生えてるのにこいつらを食える店に行ったことがねーな」
「そこはまだ研究段階ですので市場には流しておりません」
灰の土壌の上に実る野菜を見て、香りを嗅いだトリコの疑問に、そう答えるヨハネス。
かつてトリコは、『第8ビオトープ』から虹の実を持ち帰り、『グルメ中央卸売市場』を通じて世界中に販売したことがあったが、この『人工ベジタブルスカイ』の野菜はまだその段階にはないようだ。
「トリコさーん! ありましたよ、オゾン草!」
「おっ、さっそくかー!」
テンションが上がって土壌の上に出来た草の絨毯を一人走り、オゾン草を探し回っていた小松が無事見つけたようだ。
トリコが向かうと、そこには高さ十数メートルもあるオゾン草がいくつも生えていた。
さらに、オゾン草の横には、これまた大きな謎の工業機械が置かれている。
「ヨハネス部長、あれは?」
小走りでやってきたヨハネスに、小松は機械を指さして尋ねる。なにやら多関節のアームが二本、機械から飛び出している。
「オゾン草の外側の葉を取り除くためのマシンだ。かかる時間は、オゾン草一個あたり四十分だな」
「そりゃあ時間かかりすぎだぜ!」
「葉を剥く動作は問題ないのですが、適切な順番を探し当てる機能がまだまだですのでね。失敗もあります」
「今のオレ達にかかれば、十分もかからないぜ! 今回は料理に失敗してもいいように数を揃える必要あるから、待ってられん! 小松、行くぞ!」
「あっ、トリコさん、待って下さい!」
さっそく、手前のオゾン草に向けて走り出すトリコとそれを追う小松。
そしてオゾン草の処理が開始され、言葉通り五分もかからず、オゾン草の中核部位が姿を現わした。
「うひょー、うんまそー!」
「食べるのは料理した後ですよ、トリコさん! それより次に行きましょう!」
「まあ待て……。首に力を入れて……!」
ベジタブルスカイで謎の生物ニトロがやっていたように首を高速で動かし、ほぼ同時に二回オゾン草を咀嚼するトリコ。しかし。
「み゛ゃぁ~不味い! 腐った! 失敗だー」
「あー、何やってるんですかトリコさん。そうやらなくて済むよう、ボクが調理に挑戦するんですよ!」
「お、おう……。危険なところに行かなくて済むとなると、やっぱり元気だな、お前……」
そんなこんなで二十ばかりオゾン草を採取したトリコ達は、研究室へと戻り、実験調理場へと入る。
「小松ー。早く成功させろよー」
『人工ベジタブルスカイ』から持ち出した生野菜をかじりながら、小松へと声援のような違うような声をかけるトリコ。小松は、いつものコック服に着替え、オゾン草をじっと見つめている。
ヨハネスは、勝手に野菜を持ち出さないでください、とトリコに苦言をていするが、言われる側はどこ吹く風だった。
「はー、しかし腹減ったな」
野菜を食い尽くしたトリコがそうぼやくと、ひたすらにオゾン草を眺めていた小松が仕方ないな、という顔をして包丁を手に取った。
「すぐに一品作るので、それでしのいでください」
「おっ、まさかもうできそうなのか」
「いえ、オゾン草ではなく……これを」
そう言って小松が手にしたのは、オゾン草と一緒にケースに入れて持ってきていたオゾン草の外側の葉を切り取ったものだ。
「これって、なんでそんなの一緒に持ってくるんだと思ったら、お前……」
「まあ、見ていてください」
そう言って、調理場に置かれていた他の食材も手元に集め、三分もかからずに小松は一皿(といってもトリコ用に大皿だが)の料理を作り上げた。
「『オゾン葉チャンプルー』です。あ、ヨハネス部長もどうぞ」
「むむっ、チャンプルーかね。興味深い」
小松はヨハネスへも小皿で料理を取り分け、テーブルの上に皿を載せた。
「ふーむ、苦い野菜でチャンプルーっつーのは、定番だが」
トリコは箸でチャンプルーを掴み、香りを嗅ぐ。それはやはり強烈な苦味を持った香りであった。
そう、オゾン草の外側の葉は苦い。とても苦い。会長に振る舞われたオゾン茶をトリコは我慢できず吐き出してしまったほどだ。
「前に会長に煎れていただいたオゾン茶を飲んでいて、思いついたものなんですけど……」
小松もその茶の味は、強く印象に残っていたようだ。
あの苦味が来るならとても食えたものではなさそうだ。トリコはそう考えながらも、コンビを信じて箸を口に運んだ。
「!」
苦い。やはり苦い。しかしそれは……。
(茶のときと違って、舌が拒絶するような苦味じゃないぞ……これは秋刀魚のはらわたのような、じんわりとした旨味を含んだ苦味……そうか! チャンプルーに使われている豆腐、これはクリーム大豆の豆腐か! それがうまく混ざり合って、この優しい味へと変わっているのか……! でも苦味を消しているわけではない、あくまで強烈な苦味を残しつつ、旨さに変えているんだ!)
思わず口角が上がってしまうトリコ。そして、おそるおそる口にしたヨハネスも、おお、と喜びの声を上げている。
その二人の様子に満足した小松は、再びオゾン草を見つめる作業に戻った。
小松は悩んでいた。オゾン草の処理の仕方が思いつかないわけではない。“自分以外が”どう処理をすれば食べられるようになるかを考え続けているのだ。
(『ベジタブルスカイ』でも、トリコさんが言っていた。オゾン草は、料理人としてのボクを好んでいる食材なんだ。だからか、簡単にやり方は思いついたけど……)
「ふー、美味かった。ビールがないのが片手落ちだな」
悩む小松を横に、すでにトリコは大皿の中身を全て食べ終わっていた。料理する小松も早かったが、食べ終わるトリコも早い。
そんなトリコを見て、小松は一つのことを思いついた。
「トリコさん、ちょっと手伝って貰っていいですか?」
「おっ、なんだぁ。料理でオレが手伝えるようなことあるのか?」
「はい、トリコさんは料理はちゃんとできる人ですし、それにボクだと“上手くいきすぎる”んです」
「? なんだかわからねーが食えるようになるならやるぞ」
トリコは美食屋だが、捕獲した食材を自分で食べるためにある程度の調理技術を身につけている。フグの調理免許だって持っているのだ。ゆえに小松は、トリコを使って、自分以外が調理した場合のケースをここで確認してみようというのだ。
トリコは小松の指示で包丁を握り(この包丁は厨房備え付けのもので、小松自慢のメルク包丁ではない。扱いが難しすぎるからだ)、オゾン草へと刃先を当てる。
「刃を入れるのは一ミリで、ここの光っている葉脈から二ミリずらして、二ミリの間隔を保つように葉脈に沿うように……はい、そうです」
新鮮なオゾン草からただよう旨そうな香りによだれを垂らしながら、トリコは小松の指示に従って包丁を動かしていく。
するとやがて――
「おお! 葉脈の光が葉全体に広がりだしたぞ! これはもしかして――!」
喜び顔で小松へと顔を向けるトリコに、そしてそれを受けて頷く小松。
「どうぞ、食べてみてください。今度は“普通に”」
小松の言葉を受け、トリコは輝くオゾン草を持ち上げる。
そして、大きな口を開けてオゾン草をゆっくりと口に含み、噛みついた。
(おお――!)
その食感に、トリコは歓喜した。ベジタブルスカイで食べたときは、小松と同時に食べるタイミングを気にして味わい切れなかったその最初の一噛みが、筆舌に尽くしがたい最高の感触であったのだ。
(肉厚なハンバーグステーキを噛んだような食感……それでいて他にたとえるものがない、清涼な爽快感が口に広がる……!)
そして二噛み、三噛みと咀嚼を続け、ごくりと飲み込む。
「――成功だ! やったな小松!」
「はい! やりました!」
オゾン草を右手につかみ、隣に居た小松を左肩に載せトリコは体全体を使って料理の成功を祝福した。小松もトリコの肩の上で万歳をしている。
それを後ろから眺めるヨハネスも、どこか嬉しそうだ。
「じゃあ、残ったオゾン草を使って、トリコさんがお腹いっぱいになる料理を作りましょう! ヨハネス部長、いいですよね!?」
「ええ、ビオトープの食材は外に持ち出しできませんから、ここで食べていってください」
トリコの腹一杯オゾン草を食べたいという要望が伝わっているからか、ヨハネスは小松の言葉を即座に了承した。
小松は喜び勇んで、まずは調理場の食材の再確認から入った。
「レストランで出す正式メニューとしていろいろ考えていたんです! 今日はそのテストもかねて、頑張りますよー!」
その様子を眺めながら、トリコは今度は何も口にせず料理ができるまで待ち始めた。お腹をすかせ、料理が来るのを期待しながら待つ。それもまた、食事の楽しみ方の一つである。
素早く小松の手が動き、用意した食材たち、そしてオゾン草を切っていく。使っている包丁は、先日手に入れたメルク包丁だ。オゾン草は、その刃を受けても腐り始めることはなく、葉脈の光が増しその性質が変わっていく。
(小松の腕も上がったな)
料理に勤しむ小松の動きを見ながら、トリコはそんなことを思った。
トリコは今、グルメ界に入るための修行を行っている。オヤジことIGO会長に任された修行用の食材捕獲依頼をこなしながら、様々な環境に適応できるように身体を鍛えているのだ。そして小松も、そんなトリコの頑張りに追いつこうと、料理の腕を日々磨いている。
「さあ、まずは第一陣ができました。食べている間にどんどん作っていきますよ」
トリコの待つテーブルに、小松が皿を並べていく。トリコの分だけではなく、ヨハネスの分もそこにはあった。小松は今、ヨハネスに依頼を受けている状態だ。彼が試食する分のオゾン草を用意するのも道理であった。
「よーし、じゃあいただきます」
トリコが始めに手を付けたのは、薄くスライスしたオゾン草と葉野菜のサラダだ。酢っ葉レモンから作った、特製ドレッシングがかけられている。
そのサラダをトリコは、新鮮な葉野菜が鳴らす爽やかな快音を立てながら、
「おお、本来の肉厚なオゾン草とはまた違った、このパリシャキとした食感、心地良いぜ」
まずは新鮮な生野菜で口内と胃袋をフレッシュにしたトリコは、次はずっしりと重たいものを食べようとテーブルの上の料理を眺める。そこで目に止まったのが、天ぷらだ。
なんと計二十個しか採取してきていない、大きさ五十センチもあるオゾン草の一つを丸ごとそのまま使った天ぷらである。横には、『人工ベジタブルスカイ』産の野菜の天ぷらも添えてある。
これにはトリコも思わず、満面の笑みを浮かべる。小松と二人で本物のベジタブルスカイに行ったとき、生でしかそこの野菜を食べていなかった(天然状態でフライになっていたものはあったが)。オゾン草だけでなく、改めてこの野菜達を調理したものを食べられるのは、実に嬉しい。トリコは素直にそう思った。
天ぷらを次々と口へと運んでいく、トリコ。彼の体内は、ベジタブルスカイの味と香りで一杯になった。
(この油……これも、ベジタブルスカイの野菜から絞ったものか。なかなか憎いことしてくれるじゃねーか)
箸が止まらない。天ぷらの皿は、瞬く間に空っぽになった。
「ふう……、こっちは漬け物か。箸休めに良さそうだ」
さすがに長時間漬け込む時間はなかったからか、小さな皿に載せられたオゾン草の漬け物は、浅漬けであった。天ぷらの油分で満たされた口をリセットしようと、手を付ける。
(この静かな味はありがたい……。テンションの上がりすぎた心がしっかりと落ち着いて、また新しい気持ちで食事に向き合える)
そして、また次の料理へと取りかかるトリコ。
「こっちは……おっ、ポタージュラーメンとは変化球で来たなぁー」
オゾン草をポタージュにした汁を使ったラーメン。一人前にはいささか多いそれを勢いよくかっこんでいく。
「超うめえええええ! 麺に匂いを抑えたオゾン草の葉が塗り込んであって、パンチがある! お前、ラーメン屋でもやっていけるぞ、小松!」
そして次は、オーソドックスに野菜炒めだ。ニンニクのかすかな香りが、ガツンと食欲を刺激する。
(オゾン草本来の爽やかさから一転、重厚な味付けの野菜が、胃袋の底にドンドン溜まっていく……! これは、身体を動かすエネルギーになる活力の味だ。クセのある素材なんて、わずかなガーリップだけなのに、まるでレバニラ炒めのような力強さがある!)
オゾン草料理の美味さに、トリコの食べる速度がどんどんと上がっていく。
腕を上げて素早く料理ができるようになった小松も、段々とそのペースに追いつけなくなっていく。それを見かねたヨハネスが研究スタッフを呼び、小松の補佐につけることで、ようやく食べる速度に調理速度が追いつくようになった。
やがて、次から次へとテーブルの隅に皿が積み上がり――
「ごちそうさまでした」
そう言って、満足そうに手を合わせるトリコ。つい二日前に小松のレストランで腹一杯食事したばかりであるが、今日も小松の料理で胃袋の限界まで食事を満喫することができた。
こいつとコンビを組んで良かった、と食後の余韻をトリコは、まろやかな味付けに変わった食後の『オゾン茶』をすすりながら思った。
「――うまかったぜ、小松。満腹だ」
「ありがとうございます!」
わずかに息があがった小松が満面の笑みで答える。
トリコの食事速度に合わせる料理風景は、まるで激しい戦いのようであった。ヨハネスの呼んだ補佐スタッフはくたくたになって座り込んでいる。それを見て小松は、自分のレストランのスタッフ以外でも、人を上手く使えるようにならなければ、と痛感した。彼は料理長、人を使う側の人間なのだ。
それはそれとして、オゾン草の調理も、トリコの食事も大成功である。
「この感じならホテルグルメにも出せますね! 試験栽培のものでもこの品質なら十分目玉メニューになるぞー!」
オゾン草の調理にもすっかり馴染んだのか、小松は拳を硬く握って天井へと突き上げた。
「いや、それは難しいぞ」
しかし、それを否定するのが一人。ヨハネスである。
はて、調理に不手際があったのか、と戦々恐々とする小松だが。
「お忘れかね、ビオトープからの食材の持ち出しは禁止されている」
「あ、ああ。調達の話ですか。もちろん勝手に持ち出さずに、レストランを通じて仕入れを……」
そんな小松の言葉にも、ヨハネスはいいやダメだと首を振って否定する。
「このオゾン草栽培は、まだ実験初期段階。市場に流すには、まだ多くの試験をクリアせねば」
そう、問題があるのはビオトープ側であった。このオゾン草は特殊な環境でしか生えない天然物を人工栽培したもの。市場に流しても問題ない品質かどうか、時間をかけてしっかりと調査せねばならなかった。小松個人が認めた程度の保証で、良しとなるものではない。
「そ、そうなるとレストランで出すには、天然物を使うしかないってことですね……。すごい値になりそうだなぁ……」
ホテルグルメレストランは高級食材を多く扱う高級店であるが、それでも仕入れ価格とメニューに付けられる値に際限というものがある。ホテルグルメは階によって客層が違うが、セレブ専用ホテルというわけでもないのだ。
さらにそんな小松の悩みに追加するように、別の視点から問題が上がった。
「オゾン草なんて『ワールドキッチン』でも見かけたことないぜ?」
『ワールドキッチン』とは世界中からありとあらゆる食材が集まってくる卸売市場で、正式名称を『グルメ中央卸売市場』という。トリコは、そこでも見かけたことがないというのだ。
小松が『ベジタブルスカイ』に行く切っ掛けとなったのは、最高級の野菜を取り扱っている焼き肉店へるスィ~での食事の席で、トリコに誘われたことだ。だが、オゾン草は、その店ですら取り扱っていなかったほどのものなのだ。ちなみに市場にオゾン草が出回った場合、末端相場で一枚十億円になるだろうと言われている。
「ということは、店でオゾン草を出そうと思ったら……」
「取りに行くしかないな。本物のベジタブルスカイに」
ええー、と肩を落とす小松。
しかし小松には、オゾン草をレストランで扱わないという選択肢は無かった。料理していて、それほどオゾン草に魅せられたのだ。絶対に店で出すんだ、という思いが危険なベジタブルスカイへの旅路の恐怖を打ち消してしまっていた。
「あの、ヨハネスさん……今回の報酬の話ですけれど……」
「はい」
「お金とかじゃなくて……ベジタブルスカイに行くためのスカイプラントで、身を守るのに役立つIGO製の最新器具とかでお願いできませんか……」
「……では、そのように手配しよう」
食運に恵まれている小松も、どうやら金運には恵まれていないようであった。
「なお、小松くんが自分でオゾン草を取りに行っても、レストランで出すメニューの適正価格は守ってもらうので、そのつもりで」
◇ ◇ ◇
その後、無事オゾン草料理がホテルグルメレストランのメニューに載ることとなったが、看板メニューのセンチュリースープのような常時メニューに並ぶことは、残念ながらなかった。それでも、期間限定メニューとして出され、大いに客が賑わったという。オゾン草は超高級食材で、六ツ星のホテルグルメとしても少々格が高い料理となったので、むしろ期間限定で出したの方が、店の格に相応しかったのかもしれないが。
「トリコさーん、トリコさん一人でオゾン草採ってこれる方法、美食屋として考えてくださいよー」
「んー、そこは料理人の仕事じゃねーの? あの葉剥くのって調理の一環だろ。つーかコンビとして、つれないこと言うなよ」
「店の仕入れのたび何度も同行するわけにはさすがに……じゃあ葉っぱを剥かないで良いので、持ってこられませんか」
「あれ、でけーから、テリーに手伝わせても数個しか持ってこれないぞ」
「ああー、常設メニューにはやっぱり無理かぁ……ビオトープの試験栽培早く成功してー!」
なお、このとき小松が料理法を編み出したお一人様向けオゾン草は、数年後、トリコの結婚披露宴にてサラダメニューを彩る食材の一つとして使われた、とのことである。
天空ビオトープガーデン
大山脈の上に作られた人間界に八つあるIGOのビオトープの一つ。研究所も併設されている。高地の動植物を集めたビオトープだが、壁で囲っても脱出される可能性が高いため捕獲レベル10を超える獰猛な鳥獣類は飼育されていない。人間界の名所ベジタブルスカイを再現するため、軌道エレベーターかと見まがうような高いタワーが内部に建設されており、最上階部分では軌道上を漂う類の宇宙食材の研究も行われている。
クリーム大豆(穀物)
捕獲レベル:0
人の手によって栽培されるまろやかな甘味のある大豆。主に豆乳を取るために使われ、その豆乳は貴重なグルメ動物の乳にも匹敵する旨さが認められ、さまざまな洋菓子の材料に用いられている。また、クリーム大豆から作る豆腐は安価な定番スイーツとしてコンビニにも並ぶことがある。
酢っ葉レモン(果実)
捕獲レベル:7
標高一万五千メートルを越す雪山の山頂部にのみ生育するというレモンのような形をした葉っぱ。その絞り汁は、爽やかな酸味と寒さに耐えた食物ゆえの甘味の混じった良質な酢になるという。