トリコと小松の人間界食欲万歳   作:Leni

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樹海の特殊賞味食材

「はあ、今回は本当に大変だったな」

 

 とある料亭の座敷席で、トリコはそう疲れたように小松へと話しかけた。

 トリコと小松は、とある食材の捕獲についさっきまで挑戦していた。

 それは、IGO会長の依頼。『食林寺』にある食宝、シャボンフルーツの捕獲である。

 

 シャボンフルーツを得るまでの旅路は、長く困難に満ちていた。

 食林寺の場所を占いで見つけるために必要な恵方巻の材料調達に始まり、樹海の奥にある『食林寺』への到達、『食林寺』での『食義』の修行、トリコによるシャボンフルーツの捕獲、そして突然の『美食會(びしょくかい)』による襲撃。

 

「でも、苦労に見合うだけの成果がありましたよ!」

 

「まあ、そうだな」

 

「食義の修行のおかげで繊細な調理法が身につきましたし、何より、調理速度があがったので、今まで以上にトリコさんの食欲に対応できます!」

 

「ああ、食材だけでなく料理を作ってくれる我が相棒にも、感謝だ」

 

 そんな談笑を続けていたトリコ達。そんな彼らのもとに、覆面をした一人の女性が、お盆を両手に持って歩み寄ってきた。

 お盆の上には、酒の入ったとっくりが一つと、おちょこが二つ載せられている。

 

「お待たせしました。まずは食前酒。昆布石から出汁をとった昆布酒でございます」

 

「おっ、きたきたー」

 

 ここは『雲隠れ割烹』。人間界最大の樹海『ロストフォレスト』の中にある、伝説の十星料亭だ。

 トリコたち二人は、『食林寺』でシャボンフルーツを確保した後、『食林寺』までやってきていた『雲隠れ割烹』の料理長、千流(ちる)を伴い、この店まで戻ってきていたのだ。

 その目的の一つは――

 

「うはー、ようやく、前回食えなかった料理を味わえるってもんだ!」

 

 前回この店で食事をした際、『食義』を習得していなかったため味わえなかった“特殊賞味食材”の数々。その料理に、再度挑戦するために、ここまでやってきたのだ。

 

「まずは合掌、そして一礼だ」

 

 昆布酒を前にして、トリコと小松は『食義』の基本である一礼の所作を取った。そして――

 

「いただきます」

 

 トリコはゆっくりと、とっくりへと手を伸ばした。

 昆布酒は飲むときに特定の所作を必要とする“特殊賞味食材”だ。その所作を(おこた)ると、蒸発するように旨味が全て消えてしまうのだ。前回、トリコと小松は、この昆布酒の食事に失敗している。

 昆布酒に求められる所作はとても根気のいるものであり、姿勢を崩さずじっくりゆっくりと、とっくりを動かす必要がある。

 トリコと小松は、『食義』で身につけた綺麗な身のこなしで、少しずつ少しずつとっくりを口に近づけていく。

 そして三十分後――

 

「んっ……」

 

 ようやく、とっくりが唇に到達し、するすると酒が口の中へと入っていく。

 

「これは――」

 

 時間をかけてようやく味わえたその酒の口当たりは、とても濃厚だった。

 昆布の旨味を何千倍にも凝縮したような旨味が、ねっとりとした甘口の酒の味と複雑に絡み合い、口の中にいつまでも残り続ける。つまみはいらない。酒そのものが濃厚な味があり美味いから。トリコは、舌に染み入る酒を楽しみながら、そう感じた。

 

「すげえ、この一杯だけでつまみもなしに、胃が完全に覚醒してやがる」

 

「はい! これは、まさに食前酒に相応しいお酒ですね!」

 

「まあ、飲むだけで何十分もかかるから、食前にしか飲めないというのもあるがな!」

 

「言われてみれば、確かに……」

 

 食事の途中にこれを飲もうとすると、食事を三十分も中断しなければならない。食後のドリンクとして飲むにも、昆布酒を口に含む頃には食事の余韻がなくなってしまっているだろう。

 まさに、食前酒のための酒。だが、その味に二人は強く満足したのだった。

 

「では、次の料理をお持ちいたします。前回と同じコースでございますね」

 

 トリコと小松が無事に昆布酒を飲み終えるのを確認した千流は、料理を用意するために席を立つ。

 

「ああ、前回、ほとんどの料理を味わえなかったリベンジだからな!」

 

 意気揚々(いきようよう)と構えるトリコの前に、店員の千輪(ちりん)が次の皿を持ってくる。

 サンシャインチーズ。太陽熱を吸収して熟成するという特殊なチーズだ。これは常に太陽の光を当てながら食べなければいけないチーズで、前回、無事に食べることができた数少ない料理の一つだ。

 トリコは窓の外を一瞥(いちべつ)すると、無事に晴れていることを確認し、チーズを口に含む。

 

「はあああ、うめぇ」

 

「口の中でトロリととろける、この口溶けが、たまりませんねぇ……」

 

 小松も、サンシャインチーズの重厚な味わいと舌触りに、うっとりとしている。

 

「続いて、ミリオントマトでございます」

 

 銀色に輝く美しいトマトが皿に載って出された。ただトマトを丸ごとそのまま出しているだけのように見えて、実は千枚ある皮膜を一枚一枚丁寧に剥ぐという繊細な調理がほどこされている。

 これは実を潰さないよう、やさしくつまんで食べる必要がある。『食義』の修行で、散々繊細な食材を扱ってきた二人にとって、その程度は容易いことだった。

 

「んんー! 濃厚で豊潤なトマトの旨味!」

 

 うっとりした表情で小松が料理の感想を述べる。それに遅れるようにして、トリコも感嘆(かんたん)した。

 

「『ベジタブルスカイ』で食べたトマトよりも、さらに上をいく旨味! これが十星の料理……!」

 

 さらに料理は続く。

 

「星米でございます」

 

 一粒一粒が夜の星のように輝いている米だ。一粒ずつ洗い、一粒ずつ炊くことによってこの輝きがもたらされているという。

 これを美味しく食べるには、一度も瞬きすることなく食する必要がある。

 本来なら目が乾いてしまい、とても瞬きせずに食べきることができないように思える。しかし、『食林寺』の修行で尋常ならざる集中力を身につけた二人には、なんら問題とならなかった。

 

「はー、この美味しさは、おかずなんて全くいりませんね。だから、これが単品で出てくるんですか」

 

「ああ、星米の美味しさに感謝だ」

 

 その後も料理は続いていく。そのことごとくを『食義』にて身につけた所作と集中力で見事に食していく二人。

 そのどれもが上品かつ繊細な味で、まさに、最高峰の十星料亭に相応しい美味であった。

 高給取りゆえに普段から高級料理を食べ慣れているトリコですら味の(とりこ)になり、高級レストランの料理長である小松に到っては、感動の涙、いや、感謝の涙を流すほどであった。

 そして、とうとう最後のメニューを食べ終わる。

 

「ごちそうさまでした」

 

『食義』で身につけた綺麗な所作で合掌すると、二人はその場で両手を上げ――

 

「やったー!」

 

「完食だ!」

 

 勢いよくハイタッチを交す。“特殊賞味食材”の料理によるラッシュを見事こなし、全ての料理を味わいきることができたのだ。

 全ては『食林寺』で身につけた『食義』のたまものであった。

 

「まさか、こんな短い期間で『食義』を完全に身につけてくるとは、脱帽です。覆面は脱ぎませんが」

 

 料理長の千流が食事を終えた二人のもとへとやってきて、そう言った。

 覆面に隠れてその表情は見えないが、どこか楽しげな雰囲気を漂わせている。彼女も料理人のはしくれ。客が料理を食して美味いと言ってくれるのは嬉しいものなのだろう。それが、料理を無事に食べられる人が少ないとなれば、なおさらだ。

 そんな料理人に向けて、トリコと小松は食事に向けていたのと同様に、感謝の意を向けるのだった。

 

「それじゃ、後やり残したことと言えば――」

 

「シャボンフルーツの調理ですね」

 

 食後の一休憩を入れながら、トリコと小松はそう話す。

 シャボンフルーツの調理。それは、『雲隠れ割烹』の前料理長である千代(ちよ)が、最も得意としていた料理であるという。

 薄皮を剥いて茹でる。それだけに聞こえる調理手順だが、現料理長である千流ですら、腕が未熟で未だ手順を完全にこなせないという。

 料理を完成させるには、料理人としての腕だけでなく、『食義』を極める必要があるとの話であった。

 

「申し訳ありませんが、今の私一人では腕が足りず……」

 

「ええ、ですから二人で力を合わせて成功させましょう、千流さん!」

 

 頭を下げる千流に、小松はそう言って千流の手を取り、握手を交わした。

 そう、小松はシャボンフルーツの調理に挑戦しようとしているのだ。シャボンフルーツの捕獲は、美食屋のトリコが命を賭けて成功させてくれた。ならば、次はコンビの料理人である自分の番だと、意気込んでいるのだ。

 

「頼むぜ、小松」

 

「はい、時間はかかるかもしれませんが、必ず!」

 

「ははッ、レストランを休んでやるんだ、早くに越したことはないだろうさ」

 

「ああー、そうなんですよねぇー。まあ十星料亭での修行と言えば短期間はなんとか……」

 

「しかし、その間オレはどうするかねぇ。会長(オヤジ)の食材依頼は、時期がまだの最後の一つを除けば、このシャボンフルーツで終わりなんだよな」

 

 IGO会長に課せられたグルメ界に入るための修行である、食材の捕獲依頼。一つ目のオゾン草から始まり、六つ目がこのシャボンフルーツだった。最後の依頼対象はまだ人間界に姿を現わしていない。そして、会長からの依頼はシャボンフルーツの捕獲であり、調理ではないため、トリコ自身の修行はこれで一旦打ち止めだ。

 だが、小松はシャボンフルーツの調理に挑戦するのだという。トリコは、その間フリーの状態になる。普通の美食屋の仕事を続けても良いのだが……。

 

「ではトリコ様、美食屋としての貴方へ、依頼をお願いしてよろしいでしょうか」

 

「お、何だ、仕事か」

 

「はい」

 

 なんと千流が、トリコへ仕事のお願いをしてきた。

 

「ある食材の在庫が心許(こころもと)なくなってきたのですが……、いつも調達に行っている私はシャボンフルーツの調理に専念したいので手が空かず、店員の千輪は未熟故に任せられず……」

 

「へえ……」

 

「この樹海『ロストフォレスト』内で手に入るものです。とは言っても、樹海は広大ですが」

 

 ロストフォレストの総面積は3000万平方キロメートル。アフリカ大陸とほぼ同じ広さだ。

 闇雲に探してどうとなるものでもないが――

 

「他の美食屋には、なかなか依頼ができない食材です。なにせ……捕獲するのに『食義』が必要なのですから」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 思えば、食林寺の修行中に出された食事は、保管されている場所から取り出すのや実際に食べるのに『食義』が必要だったと言えども、自分達で自然界から捕獲して用意するということは行なわなかった。全て、『食林寺』側が用意した食材だ。その場で栽培して食べるローズハムといった食材もあったが、その種を用意したのは『食林寺』だ。

 では、その食材たちがどこから用意されていたかというと、『食林寺』内部で栽培されていたものを除くと、この広大な樹海、『ロストフォレスト』で採取されていたのだろう。一度迷い込んだら二度と出られないとまで言われる森だ。そう易々と、外部からの輸送に頼れるとも思えなかった。

 

 そんなことを考えながら、トリコは樹海を進んでいく。常に感謝の心を持ちながらだ。目的の食材は捕獲に『食義』が必要な食材だという。ならば、『食林寺』の修行のときと同様に、食への感謝を忘れないでいる必要がある。

 だが、そんな感謝の念に雑念が少々混じることが起きた。

 小腹が空いたのだ。

『雲隠れ割烹』で食事はしてきた。だが、あれは常人一人前程度の食事量だった。大食漢のトリコにとっては物足りないものだったのだ。

 シャボンフルーツを得る過程で、トリコは空腹時でも深い感謝を抱くことが出来るようになっていた、が、修行を終え『食林寺』を出たことでトリコは少々緩んでしまった。感謝の心に食欲という雑念が混ざってしまったのだ。

 

「おわっ、しまった!」

 

 突如、トリコの周りの風景が全て消えてなくなった。周りの木々も、地面も何もかもだ。

 ここには『食林寺』や『雲隠れ割烹』の建物の建材として使われている、食義と相性の良い隠形樹が並んでいた。だがしかし、トリコが『食義』を乱してしまったため、その姿をくらませたのだ。

 

「食欲か。『食義』にとっては雑念かもしれんが、オレが生きて美食屋を続けるためには大事なものだ。なら、どうするか……」

 

『食義』の基本の構えとは、あらゆる物への感謝と敬意を常に、心の中心に()えておくことだ。

 それさえ守られているならば、食欲を抱いても良い。以前、『食林寺』の珍師範が『雲隠れ割烹』で食事をしていたときのように、雑に見える食事の仕方をしたっていい。『食義』の奥義とは、食に没頭すること。それは、食欲を抜きには行なえない奥義でもあった。なにせ、自分の体重の何十倍もの食事をし、身体に栄養を蓄えるのだ。食欲を抜きにそれをやり遂げようとすると、満腹の腹に無理矢理食事を詰めることとなり、ただの苦行になるだろう。

 感謝と、他の欲や感情は、同居できる。それがトリコの見いだした『食義』のありかたであった。

 時には、強い激情に身を任せることもあるだろう。それでも、そんなときでもトリコは『食義』を乱さず使い続けられるだろうと確信した。

 

 だから、トリコは、空腹と食欲を全開にしつつ、『食義』の基本の所作である合掌、一礼を行った。

 心がこもっていなければ、雑念があれば、森は姿を消したままであったろう。

 だが、森は応えた。

 消えていた森の木々は、始めからそこにあったかのように姿を現わし、消えた地面もしっかりと見えている。そして――

 

「おお、一面のローズハム畑じゃねえか!」

 

 感謝の念によって発芽し生育するという特殊な植物、ローズハムがトリコの『食義』によって育ち、大輪の花を咲かせていた。

 

「小腹が空いていたところにこれは、ありがたい。では、いただきます――」

 

 トリコはローズハムの花畑に向かって手を合わせると、花を手折って口にし始めた。

 花はハム、葉はレタス、茎はアスパラガスだ。

 

「うーん、修行中に何度も食ったが、自然に生えているものを食うのも、また格別だな!」

 

 ムシャムシャ、ポリポリと、ローズハムを食していくトリコ。

 その旨味はトリコの食欲を満足させていくが、美味いという感情で心が満たされても、先ほどのように森が姿を消すことはなかった。

 そもそも『食義』は、食の礼儀作法。食事を取るのに必要な技と心構えだ。食欲や空腹といった食の生理作用を否定するものではないのだ。

 先ほど森が姿を消したのは、空腹で心の芯に備えていた感謝の念が揺らいだことが原因であって、空腹や食欲そのものは悪くないのだ。

 修行で『食義』を身につける前のトリコは、『食義』の所作を守ることによる窮屈さと行動の阻害をわずかながらに心配していた。だが、実際には『食義』によって身体の動きは最適化され無駄がなくなり、また今までの美食屋としての行動にもなんら障害をもたらすこともないと知り、トリコは安心していた。

『食林寺』という寺で習得することから、『食義』は一見、宗教じみて見える。しかし、感謝と礼儀を心の奥底で守るという以外には、戒律(かいりつ)などでトリコを縛ることはなかった。

 

「はー、レタスとハムを同時に味わえるのは、良い食材だなぁ。茎を花びらに巻いて食うのも絶品だ」

 

 足下のローズハムを次々と引っこ抜いては、食していくトリコ。

 数分ほどその食事を続けた後、トリコは食事の手を止めた。

 

「まだまだ残ってるが、取り過ぎ注意だな。ごちそうさま」

 

 そうして合掌すると――

 

「おわっ、花が枯れ出したぞ! 何か間違ったか!」

 

 瑞々しかったローズハムの花びらが、急にしおれだしたのだ。

『食義』の所作を何か間違えてしまったのかと、焦るトリコ。だが、それは勘違いであった。

 枯れ落ちたローズハムの花びらの後に残ったのは、小さなバラの実だった。そう、次代に命を繋ぐための種ができたのだ。

 

「なるほど、修行では花が咲き次第、花から葉まで全部食っちまったが、本来、植物は種を残すために花を咲かせるんだよな」

 

 ぽとり、ぽとりと、地面に落ちていく実。これがまた、感謝の念を伝えることで発芽して、先ほどのように花を咲かせるのだろう。

 

「お、枯れた花びら、良質のジャーキーになってるじゃねえか! 拾って、行動食にするか」

 

 枯れたローズハムの花をかき集め、トリコは再び歩を先に進めることにした。

 樹海『ロストフォレスト』は特殊な磁場が一帯を覆っており、方位磁針を狂わせ、さらには電波を妨害しGPSをも無効化させるそんな天然の迷宮だ。本来ならばトリコも無策で向かっては、迷い込んでしまうこと必至だった。だが、今のトリコは、目的地へと真っ直ぐと向かっていた。

 その方法はと言うと、匂いだ。

 目的の食材は、『雲隠れ割烹』に僅かながら在庫が残っていた。犬や豚よりも優秀な嗅覚によって、トリコは『雲隠れ割烹』で嗅いだその食材の匂いを頼りに、遠い目的地に迷うことなく向かえているのだ。

 

 花のジャーキーを口にしながら、トリコは進む。

 時折、猛獣が襲ってくるも、それを威嚇(いかく)で追い払う。普段ならば獲物を狩って食事をしながら進むものだが、森は資源豊富でそこらに食べ物が転がっているため、特に獣を狩ってまで食事をする必要性を感じていないトリコであった。

 

「しかし、森が姿を消さないってことは、この辺の獣は『食義』を習得しているのか……。珍師範の言っていた『食の作法を極めなければ誰もが餓死する時代があった』っつーのも真実味を帯びてくるな」

 

 そんな独り言をつぶやきながら、トリコは匂いを辿って進み続ける。

 そして、遂にトリコは目的の食材の元へと辿り付いた。

 そこは、森の切れ間であり、大きな湖が広がっている場所だった。

 トリコは湖畔へと歩き、湖の中を覗いてみる。

 そこに、それはいた。

 

「水うなぎ。ウジャウジャいるな……」

 

 半透明の透きとおった身体をした小ぶりなうなぎが、湖の中でひしめいていた。

 これが今回のトリコの捕獲対象である。

 試しに、トリコはそのうなぎをそうっと丁寧にすくい上げようとする。しかし――

 

「おお……手の中で水になって溶けちまった」

 

 そう、この水うなぎは捕獲するのに特定の手順を必要とする食材なのだ。

 手ですくうのがダメなだけでなく、容器で水ごとすくおうとしても、容器の中でどろどろに溶けて水になってしまうという。

 そんな繊細な食材の唯一の捕獲方法とは……箸ですくうことである。

 つるつるすべるうなぎを箸ですくう。一見、無理難題に思えるそれだが、『食義』を身につけたトリコにはなんら難しいことではなかった。

 なにせ、食林寺の修行中に、白魚そうめんというつるつる滑る魚をそうめんのように箸でつまみ上げて食べる、などという離れ業を成功させていたのだ。『食義』は食の作法。それを修めたトリコは、箸使いも格段に上達していた。

 

 トリコは『雲隠れ割烹』から持ち込んだ箸を取りだし、湖へと挿し入れる。そして、一匹の水うなぎを優しくつまみ、水面からゆっくりとすくいあげた。

 

「おお、生きてるのを陽にかざすとこんなに綺麗なのか」

 

 その透明な水うなぎの身は、太陽の光に照らされきらきらと輝いていた。

 トリコは満足げにその姿を眺めると、持参したグルメケースの中へ水うなぎを優しく投入する。そして、大量に確保すべく、箸を再び湖の中へとすくい入れるのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「小松ー! 戻ったぞ!」

 

 グルメケースの中身を満杯にしたトリコが、『雲隠れ割烹』へと帰還する。

 だが、そんな彼を出迎えたのは小松でも千流でもなく、店員の千輪だった。

 小松と千流の二人は、未だ、シャボンフルーツの調理に挑戦し続けているのだ。トリコは千輪に案内されて、厨房へと向かう。そこでは二人が難しい顔をして頭をひねっていた。

 

「どうだ二人とも、シャボンフルーツはいけそうか?」

 

「あ、トリコさん。……いやー、ちょっと難しいですね」

 

 どうやら思うように調理は上手く行っていないようだった。

 

「先代料理長のレシピは残ってるみたいなんですが、『食義』を駆使しても、まだ今の力量では一手足りないんですよねー」

 

「そうか。『食義』が足りないんだったら、『食林寺』で追加の修行を付けてもらうのも手だが……」

 

「いやあ、純粋に料理人としての腕なので、試行錯誤するしかないですね」

 

「そうか。頼むぜ、相棒さんよ」

 

「……はい!」

 

 そんな会話をトリコと小松がかわす中、千流はトリコに納品された水うなぎの状態を確認していた。

 傷も無く、水に溶けている個体もいない。『食義』を駆使した見事な捕獲と言えた。

 

「それにしても小腹がすいたな……」

 

 そんなことをぽつりと漏らすトリコ。それに反応したのは、料理長の千流であった。

 

「では、食事にしましょうか」

 

「お、今回のメニューは前と違うコースで頼むぜ!」

 

「いえ、せっかくですし小松さん……水うなぎの調理、してみませんか?」

 

「えっ?」

 

 突然、話を振られた小松は、驚きの声を上げる。

 

「水うなぎはこの『ロストフォレスト』にしか生息しておらず、樹海の外には滅多に流通しない『食義』が必要な『特殊調理食材』……『食義『をここに来る前に習得していなかった小松さんは、扱ったことがないはずです。この機会に、どうでしょう」

 

「本当ですか! やります! やらせてください!」

 

 千流の言葉に、早速とばかりに小松は水うなぎの入ったグルメケースを覗き込む。

 

「これが調理前の水うなぎですかー。綺麗ですねー」

 

 小松は菜箸を握ると、何でもないかのようにひょいっと水うなぎをケースから取り出し、まな板の上に載せた。小松もまた、トリコと同じように、『食林寺』で短期間に一流の『食義』を極めた者であった。

 そして小松は自慢のメルク包丁で、水うなぎを背開きにしていった。

 

 通常うなぎをさばくときは、目打ちと呼ばれる技法でうなぎをまな板に固定してさばく。だが、水うなぎを調理するに当たって、小松はその手法を取らなかった。水うなぎは、『食義』を駆使して箸でつまみ上げなければいけないほどの繊細な食材だ。目打ちのために釘を打ちつけるなどしてしまえば、たちまち水うなぎは水になって溶けてしまうだろう。

 

 やはり彼の腕は自分に劣っていない。彼とならばシャボンフルーツの調理もきっと――小松の調理を横で眺めながらそんなことを思う料理長の千流。

 

 そして小松は水うなぎを蒸し、その間にタレを即興で作り始めた。

 その材料の一つに千流はぎょっとした表情を向ける。

 

「小松さん、その醤油は……」

 

「ああ、これですか? これなら、上手くいくと思うんです。ボクらしい料理に」

 

 そして、蒸した水うなぎを蒲焼きにする小松。目打ちと同じ理由で、串は刺していない。それでも身が縮こまったり崩れたりしていないのは、料理の腕によるところだろう。

 タレの焼ける香ばしい匂いが、調理場を漂い、トリコはそれを今か今かと待ち続けていた。

 

「おまたせしました! 水うなぎの蒲焼きです!」

 

「うっほほーい! 待ってました!」

 

 座敷へと座ったトリコが、小松の料理を全身で歓迎する。手を合わせ、いただきます、と食材そして小松に感謝し、箸を手に取る。そして『食義』をもって水うなぎの身をすくうと――

 

「ん?」

 

 手に伝わってきた違和感に、一瞬トリコは箸を止めるが、それよりも早く食いたいと、反射的に箸を口まで持ってくる。

 

「んぐ、おお――」

 

 水うなぎを頬張ったトリコの口に広がったのは、海の香りだった。

 水うなぎは湖で捕れたことからわかるように、淡水に生息する魚だ。磯の香りなどしようはずもない。となると、調味料に秘密があるわけだが……。

 

「これはのり醤油の香りか」

 

 そう、蒲焼きのタレに使われている特殊な醤油の香りだった。

 トリコと小松は、『雲隠れ割烹』のメニューの一つとして、すでに水うなぎを白焼きを食していた。その白焼きの繊細で上品な味とは違う、ガツンとした海の味に、トリコは酔いしれる。

 淡水の水うなぎと海草から作られるのり醤油は、意外なほどマッチしていた。

 

「どれ、もう一口。……ん? これは……」

 

 水うなぎの蒲焼きを箸でつまんだトリコは、今度こそ、箸から伝わる違和感の正体に気づく。

 

「なあ小松、この水うなぎなんだが……食うのに『食義』いらないな?」

 

 トリコの問いに小松は、はいと答える。

 

「のり醤油は食べる海苔でありながら、くっつく糊でもありますからね。乱暴に扱ったら溶けてしまう水うなぎを糊でおおって崩れないようにしたんです」

 

 なるほど、磯の香りをつけるためだけでなく、水に溶けてしまう欠点を糊で固めて補っているのだな、とトリコは頷いた。

 トリコは乱暴に口の中へ蒲焼きを放り込む。だが、身が溶ける様子がない。それでいて、噛むとじわりと身が溶ける水うなぎ独特の食感は失われていなかった。

 それは、千流の作る水うなぎの白焼きにも負けない味。文句なしに、美味いと言えた。

 

「でも、なんだってこんな改良を? もう『食義』を習得したオレらにとっちゃ、不要な調理だろう?」

 

『食義』を習得した今なら、水うなぎのおどり食いだってこなせる。そんなトリコにとって、小松のこの気遣いとも言える調理法は、特に必要ない行為であった。しかし小松は、首を横に振る。

 

「『食義』なしで食べられない料理は、ボクのレストランの客層に合いませんから……」

 

 そう、小松は自分の(レストラン)で水うなぎを提供したときのことを考えて、この蒲焼きを作ったのだ。

 

「……そうか、店の料理長らしい考えだな」

 

 小松の店、『ホテルグルメレストラン』は、ホテルに泊まる一般客を相手にするレストランである。この『雲隠れ割烹』のように客を選ぶ店とは違う、高級店ではあるが、ある意味大衆向けの店だ。『食義』の修行が必要な料理など、提供できるはずもなかった。

 そんな小松の姿勢に、『雲隠れ割烹』料理長の千流は感心していた。

 なるほど、『食義』の必要な食材を『食義』の不要な料理に。この店の方針からして真似しようとは思わないが、自分にはあまりない発想と観点だ、と。彼女が大衆向けの料理をする機会は少ない。グルメフェスティバルなど、店の外での大会などで料理を必要とされるときくらいだ。

 自分にはない観点。それがあれば、行き詰まっているシャボンフルーツの調理も、きっと上手く行くのではないか。そんな確信にも似た気持ちに千流はなっていた。

 そして、頭の中で、千流が今後の予定を組み立てていたときのことだ。

 

「トリコー。おいトリコー」

 

 店員の千輪が、座敷へトリコを呼びにやってきた。

 

「何ですか千輪、お客様相手に慌ただしい」

 

 そんな千輪を千流は咎めようとする、が……。

 

「いや、それがトリコに電話だ」

 

「電話ぁ? こんなところで、オレにか」

 

「おう」

 

「誰から?」

 

「あいじーおーのなんたら所長って……」

 

 その言葉に、トリコは思わずため息をついた。どこの何の所長かはわからないが、IGOからの電話とは面倒臭そうな予感がする。

 

「って、電話……? え、ここ電話通ってんの?」

 

 電話に出ようと席を立ったトリコが、そんな疑問を口にする。それに答えるのは、料理長の千流だ。

 

「ええ、お客様の予約を受けるのに必要ですし……」

 

「そりゃあそうか。まあ予約できても辿り付くのが大変だろうけどな」

 

「そこは致し方ないことです」

 

 そして、トリコは店のバックヤードに案内され、古めかしい黒電話を手にする。

 

「もしもし」

 

『おお、トリコか。ワシだよワシ』

 

「ワシじゃわからねえよ、マンサム所長」

 

『なに? ハンサムっつった今!?』

 

「言ってねえよ」

 

 いつものやりとりに、トリコは辟易(へきえき)してしかめっ面になった。

 電話の先の人物は、マンサムだ。IGO開発局長兼グルメ研究所所長である。

 

『トリコ、今すぐグルメタウンへ向かえ。ある害獣の討伐を任せたい』

 

「あ? 討伐? 捕獲じゃなくてか」

 

『ああ、そうだ』

 

 そのマンサムの声に、トリコは一瞬、押し黙った。電話先から伝わってくるのは、真面目な声なのだ。あの年中酔っ払って、馬鹿笑いしているようなマンサムが、真面目なのだ。

 これは何かのっぴきならない事態が起きているのでは、とトリコは眉をひそめた。

 

『四獣だ』

 

「なに!?」

 

『グルメ界の怪物、四獣が人間界に近づいている。そいつの討伐をお前たちグルメ四天王に任せる』

 

 四獣。数百年に一度、グルメ日食が近づいたときに現れるという伝説の悪魔である。

 前回の数百年前にそれが発生したときは、数億人の人間がその悪魔の餌食になったと言われている。

 

『詳しいことはリンのやつが会長から映像を預かってるから、それを見るように』

 

「……わかった」

 

『集合場所は、グルメタウンのナイフビル最上階、膳王本店だ』

 

「なにっ、あの十星レストランだと!?」

 

『ああ、『食没』は覚えたな? お前達には四獣との戦いに備えて、膳王で腹一杯以上に食事をしてもらう』

 

「行く行く! 今すぐ向かうぞ!」

 

『おう、はよせい。任せたぞ』

 

 そんな言葉とともに、電話は切れた。

 トリコはよし、と気合いを入れ、小松たちのもとへと戻る。そして、小松へと電話の内容を伝えた。

 

「し、四獣ですか。人間を好んで食べるというグルメ界の悪魔ですよね……大丈夫なんですか」

 

「ああ、やってやるさ。だからよ、小松……」

 

「はい」

 

「四獣との戦いの前に間に合うよう、シャボンフルーツの調理、任せたぞ! オレは先に向かってるからよ」

 

「……はい!」

 

 そうしてトリコは雲隠れ割烹を後にし、小松はシャボンフルーツの料理を成功させるため、食材に真摯に向かい合うこととなった。

 それから、一週間の後……人間界に四獣の脅威が近づいている最中、小松と千流は無事、シャボンフルーツの調理に成功するのであった。

 トリコの修行となる最後の戦いが今、始まる。

 




水うなぎ(魚類)
捕獲レベル:15
水で出来ているかのように透きとおった体をしたうなぎ。不用意に触れると、水となって溶けてなくなってしまうため、捕獲には細心の注意が必要となる。調理の過程であってもその特性は失われず、さらに身だけでは無く骨や内臓までも全て透明な水のようであるため、腑分けには高度な技術を必要とされる特殊調理食材である。また、食事の際にも箸で丁寧に取り扱わないと身が溶けてしまうため、特殊賞味食材と言われている。
十星料亭の雲隠れ割烹では白焼きにして提供されている。

のり醤油(調味料)
糊のようにべたべたしたペースト状の醤油。ある海草を原料にして醸造される醤油で、調味料として使い食すると、醤油の香りと濃厚な海苔の風味が口に広がるという。
食用可能な接着糊として使えるので、芸術性の高い立体的な料理を作るときなどに重宝される。
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