Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
「クソウ!」
衛宮切嗣は、ライフルを思い切り地に叩き付け、その場に蹲った。
動作不良の心配など、頭の中にはまるでなく。
そこにあるのはただ苛立ちだった。
原因が一体何か。切嗣は自問する。
セイバーが敗北しかけたことか。それもある。
ランサーに追い詰められた所をライダーに助けられたことか。寧ろ此方としては有難い。
切嗣をことに腹立たせていたのは、ランサー陣営の予測不能の動きであった。
「どういうことだ? あの逃走経路、明らかにスナイパー対策だった」
ランサーが霧を起こした後、逃走に選んだのは海であった。水に隠れられるのは狙撃手にしてみればかなり厄介である。水面にライフル弾が着弾すると普通ライフル弾は砕け散る。
水にはそれだけの抵抗力があるのだ。人がプールに腹から勢いよく飛び込むと、痛みを生ずることがあるが、それと同じことだ。
尤も、普通軍人など銃の扱いに長けた者が同じく狙撃に遭った場合、水に潜ってやり過ごすなどということはしない。当たり前だ、人間の機能の限界というものがある。もしそれを実行しようものならば、酸欠に耐え切れず水面から頭を出した所に銃弾を撃ち込まれて終わりだ。況して水の中では自由も効かない。音速を超えて遣って来る銃弾を躱せる是非もない。
普通の人間ならば。
だが、魔術師の場合は別だ。魔術刻印を継承した人間というものは丈夫に出来ている上、礼装や魔術の力を借りることで水の中での自由を可能にし得る。
魔術師がスナイパーに狙われた場合に水の中に逃げるというのは有効な手立てではあるのだ。
併し――
「どうして魔術師が遠距離からの狙撃を警戒するんだ?」
切嗣にとって一番の謎がそこであった。
魔道のどっぷりと漬かり切った人間は得てして文明の技術というのものを見下す傾向にあり、近代兵器もその限りではない。
第一魔術師に狙撃ポイントを見つけられたケースは切嗣のこれまでの殺害経歴の中には存在しない。
その上でそれに対する対策を立てる者など悪い冗談にしても悪すぎる話であった。
衛宮切嗣という人間が聖杯戦争に参加するという情報は知られていると切嗣自身そう考えていたが、自分向けの対策を考えてくる魔術師など俄かにも信じ難かった。
「――そもそもこれを考えたのは本当にあの魔術師か?」
ここにきて切嗣は、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、コルネリウス・アルバに代わる外来の魔術師――と、思い込んでしまっている人物――の手腕によるものかを漸く疑い始める。
あのマスターに着いていたサーヴァントは一体何だか。
切嗣が思い至ったのはランサー、関羽雲長の存在であった。
同時代に於ける武人の中でも関羽雲長は算術盤を発明したという伝説が残る程の智慧者であったとされる。
聖杯に与えられた知識から現代戦の何たるかを得、現界に当たりそれを学び直したとしたら。
魔術師というものをよく学び、それとかみ合うような戦術を新たに編み出したのだとしたら。
切嗣にとっては厄介なことこの上ない相手だ。
「クソウ!」
もう一度叫び、切嗣は床を殴りつけた。
血が滲む。
衛宮切嗣という人間は英雄というものが嫌いだ。少年時代より戦場を渡り歩き、そこがいかに地獄のようであったかを知っているから。戦場をさも華々しいものであると誤解させる英雄は憎むべき対象であった。
特に、関羽雲長という英雄は嫌いであった。
彼の伝説も、それに対する信仰も。
“顔良、文醜を両断し、曹操への恩を返す”――それに因り、関羽雲長は義に厚い人物として讃えらているが、切嗣にはただの人殺しにしか思えなかった。
“五つの関所を突破し、そこを守る将をも打ち倒す”――通行手形を見せられず、門番を殺す行為を人それ、蛮行狼藉という。そもそも関羽と劉備の妻がその場で死んでしまえば、五人の将軍は助かり、命を散らすことはなかったのである。
大した人物ではないと思ってはいたが、実際見てみると、切嗣はより醜悪な人物だと感じた。
不意打ちをし、女であろうと平気で傷つけようとし、あらゆる手を着くし敵を嵌め、勝利のみを貪欲に追及する。
自分とさして変わりはしないただの殺し屋――切嗣がランサーに抱いた印象と評価は彼が持ち得る評価の中で最低値であった。
「クソウ!」
また、拳を叩きつけた。
切嗣は激情に駆られていた。
ただ自分と似たようなことが出来ながらも恥ずかしげなく英雄を名乗っているとそれだけならば、切嗣は目的の為にただ殺す対象として冷静に処理できただろう。
それでも感情を制御できなくなってしまったのは、あのランサーの表情が原因だった。
――笑っていた、心から。
常に笑みを湛え、自分の為に笑顔を浮かべるその様は、自分を罰し続け、努めて幸せから遠ざかろうとする切嗣の在り方からすれば理解し難く、また許せないものだったのだった。
†
ケイネス・エルメロイは足先まで水が満ちる通路を歩いていた。
一寸先も見えない程暗く、凍えるように寒い。
壁と壁の間が狭く、両手を広げ切ることが出来ない。
天井も低く、頭上の間近に冷ややかでいて湿っぽくそして硬いコンクリートが迫っている。
ケイネスが歩く度に鳴るじゃば、じゃばとした水の音が異様に反響し耳に残る。
その間を縫って、ちゅうちゅうと喧しい鳴き声が届いた。この水路の主だ。
そして、辺りに漂う吐き気を催す腐臭に耐え切れなくなり、
「もう嫌だ! シャワー浴びたい! 風呂入りたい!」
遂にケイネスは癇癪を起した。
「だったら立ち止まらないでくれ、Master(ムァスター)。じゃないと工房に帰れなくなる」
ランサーはケイネスに続いて足を止めると、自分の前を歩くケイネスを窘めた。
「大体、何故こんな逃走経路を選んだ?」
「言っただろう? 衛宮切嗣からの攻撃を……」
「それは聞いた! だから海に入ることにも納得した!」
ランサーから事前に相手の攻撃手段への対策方法を聞いていたケイネスは躊躇なく極寒の海へと潜った。
風と水の二重属性を持ち、それらに共通する性質の流体操作の魔術を得意としている為に、水の中でも地上と同じように呼吸が出来るということも手伝っていたのであろう。
そして、まんまと戦場を脱出し、ランサーに導かれた場所は――
「だが私はこんな汚い場所に来るとは聞いていない!」
下水道であった。
ランサーはケイネスを抱きかかえながら、海から泳いで未戸川を逆走、そこから用水路の注ぎ口に侵入した。
「人に見つからない良いルートなんだけどね」
とランサーは苦笑した。
冬木を人間の五体に見立てた時、地下水路は血管である。
街の至る所に通じており、ケイネスの工房が置かれている場所の傍まで行くことも可能であることはランサーも調査済みであったが……。
ケイネスが育った環境にまでは頭が回らなかった。
魔術はその研究に多大な資金を必要とする。その為、名門と呼ばれる魔術師の家系は表向き貴族や富豪が多く、ケイネス・エルメロイもその例に漏れない。
そして、その貴族という性質が、不潔という言葉を敷き詰めたようなこの環境に拒否反応を起こさせたのだ。
「すまなかったね。罪人上がりのごろつきの立てる方針なんてのはこんなもんなんだ」
「……フン」
皮肉ったようなランサーの謝罪の言葉にケイネスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
併し、実際のところそこまで怒っているというわけではない。
ランサーが最善だというならば、ケイネスはこの下水道にも耐えられた。
実際、ランサーの指示で視野を三六〇度まで、遠見視力十倍に強化するコンタクトレンズのような礼装“星詠夜鷹(オクルス・ミールウス)”を着け、そのお蔭で自分を狙う魔術師殺しの存在を察知することが出来たのだから。
だが、ランサーは水路に伏し、
「すまなかった」
汚水に前髪が浸かるまで頭を下げた。
「お、おいそこまでしなくとも……。私は別に……」
慌てて頭を上げさせようとするケイネスを、
「いや、こうさせてくれ」
と押し留めた。
「何もこのことだけで頭を下げるわけじゃない。さっきの戦いのことも含めてだ」
「先程の戦い?」
「ボクの独断でライダーからの誘いを断ったことだ」
ケイネスはその言葉に寧ろ、鳩が豆鉄砲を食うような感覚を味わう。
「……征服王イスカンダルに取り入り味方に付けられれば大きな力となっただろう。策としてはかなりの上策だったのに。その選択肢を蹴散らしてしまった。本当にすまない」
最早、排水を呑み込まんとするほどライダーは頭を下げていた。
「君を馬鹿にされたのが本当に許せなかったんだ。冷静さを欠いてしまった……」
ケイネスは言葉を失った。
ランサーはケイネスが聖杯を求める目的を知っている筈なのに。それでも聖杯をケイネスに齎すという誓いを守ろうとしていた。
もう一度、桃園に行くという願いなど頭の隅にも無く――ただ、ケイネスの勝利のみを求めているのだ。
「……頭を上げろ、ランサー」
「だけど」
「良いから上げろ」
そう言ってケイネスはランサーの額を軽く蹴飛ばし、無理矢理顔を上げさせた。
「ってぇー! 何も蹴ることはないじゃないか!」
ランサーはでこを抑え涙目でケイネスに訴える。
「黙れ、対して痛くないだろう」
ケイネスの態度は一見素っ気なかった。
はぁと大きな嘆息すらしている。
「あれのことなら良い。私が謗りを受けたのは元を正せばあれのマスターを糾弾し、征服王を無闇に炊きつけた所為だ。貴様に落ち度はない」
「でも……」
「加えて言うならば。若し私への罵詈に対して動かないようであれば、私はそのままお前を自害させていただろう。当然だ。主を軽んじる従者など万死に値する」
そして、ケイネスはランサーの目先まで下がり、彼の肩に手を置いた。
「だから――お前は正しいことをしたんだ。責任を感じる必要はない」
ランサーはそう言われ、目を見開いた。
常に不機嫌そうな仏頂面をしているケイネスが一瞬笑ったように見えたから。
「だが、正直それには自分で気が付いて欲しかったがな。お前の啖呵に乗った時点で」
それからすぐにケイネスは立ち上がり、腕組をすると不貞腐れたように、目線を逸らし、口を尖らせた。
「あはっ」
それが可笑しくて、ランサーは短く笑声を漏らす。
「何が可笑しい?」
「いや、別に」
ランサーはそう言って立ち上がった。
「それよりもボクはその責任をどういった形でとれば宜しいでしょうかね?」
いやらし気に口角を吊り上げ、訊ねるランサーにケイネスは溜息を吐きながら、呆れたように両手を挙げる。
「そんなことも分からないか。君は実に愚かだなぁ」
そして、馬鹿にしたようにケイネスはほくそ笑んだ。
「そんなもの料理で以て示せば良いだろう。君のそれは一流を名乗るべきものなのだからな」
刹那、意外そうに眼を開くと直ぐにランサーは微笑みを浮かべ、
「Yes(ヤェス), your(ユワァ) highness(ヒャイネス)」
と、まるで執事の如く、平手を胸に置いた。
†
戦が終わった海浜公園。
その上空一万フィート。奇妙な物体が浮かんでいた。
全長十mほどはある卵型で、断末魔を上げる人の顔面が張り付いている。無数の砲身が取り付けられており、三角形と丸と、それを割る様な一本線という特徴的な印が刻まれている。
その頭上に二人、何者かが乗っていた。
「成程、これが聖杯戦争なのか」
その声は、気だるげで霞の様に掴み所のない少女の声であった。
その時代ではまだ珍しいといえるブレザータイプの学生服を着ており、公園を見つめる倦怠的に半眼された濃鼠色の瞳が特徴的な少女。
右京薫である。
「大体分かったようだね。物分かりがよくて嬉しい」
そう彼女を褒める声は、少年らしくまた可愛らしい声であった。
ソロモンの星を背負うローブを纏った、王族然とした小柄な少年。
彼女のサーヴァント、キャスターである。
「それで、今後の方針は如何するの? 僕は君の決めた通りに動くよ?」
キャスターは薫に訊ねる。
すると、薫はそうだなと、唇に指を中てた。
本来ならば、あざといと思われるような仕草がキャスターには極自然に映る。
それだけに少女は可愛らしく、また美しい。
「セイバーちゃんは綺麗だよね。可愛くて可愛くて堪らないな」
「否定はしないよ。アルトリアは美しい」
キャスターは彼女の評を肯定した。
「バーサーカーは……なんというか、あれはちょっと怖いな。近寄り難い感じ」
「狂戦士というのはそういうクラスだよ、薫」
滑らかな口調でキャスターは、クラス特性について伝えた。
「ランサーとライダーは愉快な人達だよね。その二つの陣営はとても楽しそう」
「雲長とアレクは生というものを謳歌しているからね。それは楽しいだろうさ」
まるで見知った者であるかのようにキャスターは彼等に対して言及する。
「この二つの中からより楽しそうな方に着きたいな。それで良いだろうか、キャスター」
「構わないよ。君が望むなら」
そう言ってキャスターは顎に手を当てる。
「ふむ、より楽しそうな方か」
暫しキャスターは悩み、答えを導き出した。
その答えに、薫は微笑を零す。
「じゃあ、それで行こうか」
考えているのか、何も考えていないのか、それすら不明な相槌をして。