Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

46 / 46
第四十三話 黒黒黒黒

 その日の冬木市は朝を迎えた筈なのに、星のない夜のような闇に包まれていた。

 天と地を、手に触れられるような距離まで近づけている厚い灰色の雲が、曙光を隠しているのだ。

 ――嫌な空だ。

 ウェイバー・ベルベットは死に身の思いで街路を歩みながら、目に映った空から逃げるように項垂れた。

 霞掛った視界に在ってすら、暗いことが分かる。以前よりもはっきりと感ぜられる頬が空気を舐める感覚はやけに湿っている。

雨が降るかもしれないと、ウェイバーは考えた。併し、それでも歩みを止めなかった。

杖代わりに持ってきてしまったマッケンジー氏の傘を使うかもしれないとぼんやりと思いながら、何処にあるかも分からない目的を目指す。

 

「何処に行っちゃったんだよ……」

 

 その目的とは、キャスターのことであった。

 昨晩の山の翁との戦いの後、気を絶したキャスターを連れ一同がマッケンジー氏の家まで戻るとウェイバーはそのまま泥のように眠りに堕ちた。

 髑髏の騎士が放つ絶大な殺意と一人の少女を失うかもしれないという緊張感、そしてキャスターの霊薬が持つ毒素はウェイバーが考える以上に彼を疲弊させていたのだ。

 故にその後のことは覚えていない。起きたらライダーもミナも眠り、キャスターと薫がいなくなっていた。

 ウェイバーは慌てて飛び起き、既に起きて朝食を摂ろうとしていたマッケンジー夫妻に二人が何処に行ったか訊ねてみたが知らないという。

 ――何処に行ったのか、ではない。そんな人達は知らないというのだ。

 マッケンジー夫妻の記憶をキャスターが消したのだ。何故消したのか、ウェイバーには分からなかった。それを考える余裕すらなかった。

 兎に角探さなくてはという焦燥に駆られ、ウェイバーは自分の五体が不満足なものになっていることすら置き去りにして、今この瞬間にも聖杯戦争という殺し合いの只中であるこすら忘れ家を飛び出し、元々薫が住んでいたアパートに向かった。ウェイバーにはここしか宛てがなかったのだ。

 併し、二人はそこにいなかった。

 早速手詰まりとなり、ウェイバーは宛てもなく街を彷徨い歩く他なかったのだ。

 だが、その歩みすらも、止まることとなった。障害を抱えた足で歩き続け、ウェイバーの体力は早くも限界を迎えたのだ。況して、ウェイバーは危険を脱したというだけで、その体に悪竜の毒を抱えた儘だ。歩き続けるのは無理があった。

 ウェイバーはその場に崩れ落ち、

 

「畜生」

 

 と一言呟いた。

 自分から好き好んでこの体になった癖に、この時ばかりは忌々しかった。

 抱えるならばせめてもう少し軽い荷にならなかったのかと、運命を呪いさえした。

 

「なんで勝手にいなくなるんだよ……」

 

 そして次に恨み言を吐いた相手はキャスターであった。

 

「まだ有難うしか言ってないだろ……」

 

 自分にとって、本来ここに在る筈がなかった一人の少女にとって在り得なかった未来の道を作ってくれたキャスター。

 ウェイバーは彼に、まだ何も返しておらず、そして出来ることならこの恩に対して何か返すものがあれば良いと思っていたのだ。

 併し、キャスターはウェイバーに何か与えるものを作る時間さえ与えず彼の前から勝手にいなくなった。

 キャスターにとっては理不尽で身勝手な怒りであろう。彼にも何か事情があるのかもしれないのだから。けれど、それを承知の上でウェイバーは怒らずにはいられなかったのだ。

 

「ハハハ……ライダーに、何も言わずに出て来なかったのは失敗だったな」

 

 一人で立ち上がれない自分の無力さに、ウェイバーは乾いた笑い声を上げる。

 

「小僧ォ!」

「おにいちゃーん!」

 

 ウェイバーは渡りに船を得た。

 よく知った二つの声が耳に届いた。ウェイバーは辺りを見渡し、ぼやけた世界であっても見間違える筈のない大きなシルエットを確かに捉える。その横には小さく可愛らしい人影も見える。

 

「探したぞ、小僧。勝手にいなくなりおって」

 

 ライダーの声色はウェイバーに安堵を伝えていた。

 それがウェイバーには意外であった。この男はこんなことでは慌てたりはしないと思っていたから。

 

「嗚呼、ライダー。丁度良かった。肩を貸してくれ。一人じゃ立てなくて。あと、戦車も出して欲しいんだ」

「……如何して?」

「決まってるだろ? キャスターを探しに行くんだよ」

 

 ライダーからの返答はなかった。

 ウェイバーは訝し気にライダーを見つめる。一体彼がどんな表情をしているかウェイバーには分からない。

 屹度、ライダーが悲し気な顔をしていたとしても、今のウェイバーにそれを理解する術などなかった。

 

「おにいちゃん、あのね……」

「探しても無駄だ」

 

 ミナが話し始めようとして、漸くライダーは真実を告げる。

 

「奴は……キャスターはもう我等の元には戻って来ない」

 

 ウェイバーにとっては残酷かもしれなかった真実を。

 ――昨晩、ウェイバーが眠った後のことだ。

 彼に続く様にミナも眠りに落ちた後、ライダーと薫の二人で気を絶したキャスターを見守っていた。一体どれほど時間が経った後であったか、ライダーは覚えていないが、突然キャスターは目を覚ました。

 そして、不意にこのようなことをライダーに語り始めた。

 

『やらなければならないことが出来た。君たちとの同盟は解消する。此処にはもう戻って来ない』

 

 と。

 そして、次に薫に訊ねた。

 

『君はどうしたい? 僕と一緒に来るか、それとも彼等と共にあるか』

 

 それを聞かれ、薫はキャスターと行くと返事をする。

 一体何を言っているのか、ライダーには分からず詳しい訳を聞こうとしたその時――。

 

「――キャスターの手に琴が現れての。その音色を聞いた瞬間、意識が飛んでおったわ」

 

 恐らく、『オルフェウスの琴』だろうとウェイバーは考えた。

 アルゴノーツの一員であり、音楽魔術の祖として知られるギリシャの英雄オルフェウスは琴の名手として知られ、その奏でる音で三頭犬(ケルベロス)を眠らせたという逸話がある。

 キャスターには様々な時代の英雄の宝具がある為、恐らくオルフェウスの琴を扱うことも出来たのだろうとウェイバーは思った。

 

「でも、アイツがやらなきゃいけないことってなんだよ?」

「知らん。だが、聖杯を手にすることではないのは確かだ」

 

 若しそうだったのであれば、ライダーが意識を失った後に彼を殺めていた筈だ。にも関わらずこうしてライダーが現界し続けているということは詰り、聖杯とは別の目的があると考えるのが妥当だろう。

 

「……そういえばあの髑髏、キャスターに成すべきことをやれとか言ってたよな?」

「恐らく“それ”を思い出したんだろうなぁ」

 

 今までキャスターは記憶を失っていた。

 その中には彼の本来の目的もあったのだろうと二人は推測する。

 

「これだけじゃ何にも分からない……そうだ! アイツ、髑髏になんか変な名前で呼ばれてたよな? えっと、確か……」

「“カルタフィルス”」

「そうそれ!」

 

 真名が分かっているなら或いはキャスターの目的も分かるかもしれないと思ったウェイバーであったが、ライダーは重いため息を漏らすばかりであった。

 

「その名前だけ分かっていてもどうしようもない。第一、その真名で余の中にある知識通りの道筋を辿った奴だというならば……」

「いうならば?」

「尚のこと奴の目的など見えて来なくなる」

 

 ライダーの細められた瞳は分厚い雲の向こう側を見ていた。

 

 †

 

 闇の中と言えば良いのか。それとも一面黒塗りの部屋と言った方が正しいのか。

 否、“黒”という色そのものの中と表現すべきなのかもしれない。

 少女が見ていたのはそんな光景だった。その中にパイプ椅子が一つ逆さまに浮いていて、そこに腰を着いた人物が一人。

 極彩色の道化師を思わせるような目に悪い意匠の貴族服を纏い、ゴーグルが一体化した奇妙なシルクハットを被った服装からして胡乱な人物がパイプ椅子に足を組んで座っていた。

 ……当然、パイプ椅子は逆さまに浮いているのだからこの奇妙な人物も逆さまに座っているということなのだが、奇妙なことに被っている帽子やスカーフが落下してくることはなかった。

 だとすると逆さまなのは、自分なのか?

 少女がそう疑問を抱いた瞬間――

 

「安心したまえ。ハングドマンは私の方さ。君はちゃんと二本の足で立っている」

 

 男が少女の疑問に答えた。

 

「ようこそ、私のブラックルームへ。我が名はサン・ジェルマン。本物のサン・ジェルマンだ。サンで区切ってからジェルマンと続けてくれても構わないが此処は気安くサンジェルマンと読んでくれたまえ。偽物クンの友人よ」

 

 ――パチモンくさい。

 突然現れた本物のサン・ジェルマンに対する少女の率直な感想であった。

 

「世の中なんてそんなものさ。偽物の方がよっぽど本物らしく、本物なんて拍子抜けするようなものばかりというパターンが多い。例えば、アレキサンダー三世だ。かの偉大な王なんて影武者――君の言葉で言えば“パチモン”の方がアレキサンダー三世らしかったという始末だった」

 

 ――確かに私のイメージしていたアレクサンドロス大王は、あんな筋肉達磨じゃなかった。

 不本意ながらも、少女は本物のサン・ジェルマンに同意する。

 

「ところでこれは一体何なの? 私の夢に勝手に現れたみたいな感じ? 魔術か何かで?」

「それは違う。残念ながら私は魔術師ではない。況して、夢魔や魔法使いだったりもしない。ただの貴族でたかが詐欺師だ。強いて言うならこれは“最終回までセンパイに独占放送”というヤツさ。これが最終回だがね。ウッハハハハハ!」

「意味が分からないし、貴方みたいなただの貴族がいるものか。それに後輩だったらもっと奉仕精神旺盛な美少年が良いです」

「ということは、だ。君は偽物クンが好みのタイプということか!」

「……見た目だけならね。内面は正直分からないけれども。というか、あのキャスターが実は奉仕精神旺盛とか脳が蕩けるのでやめて下さい」

 

 少女の訴えにサン・ジェルマンは愉快そうな大笑いを上げた。

 

「というか、私を揶揄いに来ただけというなら帰ってくれないかな?」

「おいおい、そんなに邪険に扱わないでくれたまえよ。何も私はただ遊びに来た訳じゃないぞ? おっと、遊びに来ていたということを白状してしまった。いけないいけない」

「熱々のショコラを顔にかけるよ?」

「止してくれ。君には平和主義という言葉はないのかね?」

 

 ワザとらしく困った顔をしながらサン・ジェルマンは両手を上げた。

 

「一応平和主義者だよ。でも回りくどい男の人は嫌い。モテないと思う」

 

 はっきりと切り捨てられたサン・ジェルマンは涙も出ていないのに、まるで泣いているかのように目をこすった。

 

「酷いなぁ、君は。そうだな、仕方ない。回りくどいのは無しだ。率直に聞こう。偽物クンに――いや、キャスターに――いやいや“カルタフィルス”の内面に興味はないかね?」

「……最初からそう言ってくれないかな? 興味ありまくり」

「欲望に忠実だな、君は。良いことだと思うぞ?」

 

 そう言うと彼はパチンと指を鳴らした。

 すると、彼の隣に突然四角い光が現れた。まるでプロジェクターの映像を暗い部屋の壁に映したような光であった。ただ、映写機の類はどこにも無かった。

 

「“カルタフィルス劇場”、始まり始まりぃ。今まで偽物クンが歩いた軌跡のダイジェスト版だ。どうか最後まで楽しんでくれたまえ!」

 

 少女はポカンと口を半開いた。

 

「……貴方にプライバシーという言葉はないの? 最近そういうの五月蠅いから。下手したら捕まるかも」

「私にとってのプライバシーは、ボナパルトの辞書に於ける不可能と同義だと考えてくれ! 否、そんなことボナパルトは言っていなかったか? どうでも良いな。それより重要なのは捕まる云々の話を君が語る資格はないという点だ。だって私の知識が間違っていなければこの時代のジャポンでは未成年者の喫煙も援助交際も違法行為だからね」

「私のプライバシーも筒抜けかぁ……一人エッチとか見てないよね?」

「心配するな、興味はない」

「それは心外だね。私がオナってるとこ見ながら、おちん○んゴシゴシしてくれてたら嬉しかったのに」

 

 心底残念だという顔をする少女を見て、サン・ジェルマンは満足気な表情をする。

 

「さて、ではそろそろ開演といこうじゃないか! 準備は良いかい?」

「待って。ポップコーンは何処で売ってるの? あと劇場内での喫煙はOK?」

「残念、ポップコーンもホットドッグも売り切れだ! それと煙草はご自由に! いざ開演! 3、2、1キュー!」

 

 自分で逸る気持ちを抑えられないのかサンジェルマンは映像をスタートさせた。

 はぁとため息を吐きながら、少女は煙草に火を点け、まず一息。

 ――さて、一体どんな話なんだろう?

 

 

 

 

 




 色々と思う所があってタイトルを変更しました。
 これからも宜しくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。