悪魔。
その概念は宗教に根ざした超越的存在のこと言う。または、悪しき超自然的現象なども然り。
仏教では仏道を邪とする存在、詰まるところ“煩悩”をそう呼んでいたりもする。
キリスト教では、神を誹謗中傷し、人々を惑わす存在として扱われている。西洋文化で生まれてきた悪霊の類を、日本語で我々は一般としてこれらを悪魔と呼んできた。
◇
1/
「悪魔憑き、ねぇ・・・」
突然、口を開いたのは担任である蒼崎橙子だ。自室同然のように扱っているここは一応学校の1室。美術準備室だ。自室の如く扱うのもどうかと思うが、それを上回る非常識さがこの人。あろう事か、学校の一室を魔術の工房同然に仕上げているのである。
本棚に並ぶのは、凡そ学校の授業とは無縁の品々。人避けの結界を部屋に張っており、一般生徒や職員の立ち入りを無くしている。
そんな用意周到で完璧な彼女が、ため息混じりにひ弱な声で呟いた。
「何なんですか?それ」
「いや。ちょっとした知人からの知らせなんだけどねぇ。関東にある“支倉市”って知ってる?」
「えぇ。たしかC県の・・・」
あまりにも遠い場所なので、それくらいしかわからない。ただ、ニュース等で聞き覚えのあった町だ。そこが一体どうしたのか、少し疑問に思う。
「そう。そこでね、ちょっとした殺人事件が起きたみたいなんだけど・・・―――これがどうにも不可解でね。その知人から、私の下に調査の依頼が来たって事よ」
出た。この人の顔の広さ。ブラハムが言ってた通り、凄い魔術師なんだろうけど、流石にこの顔の広さには驚きを隠せない。
この間の件もそうだ。
「まぁ、遠いし。金にならないから引き受けないけどねー」
そう。橙子さんは凄い魔術師なのにお金は無いのだ。だから、何かとそう言った金銭的に苦しい場面も見て取れる。関東までの交通費と、
「それとさっき言ってた悪魔憑きってなんの関係があるんですか?」
「ん?あぁ。強盗殺人事件なんだがね、被害者は3人。内1人は死亡、内2人は重症。死亡したのは強盗被害に遭った店の店員。重症として入院中の客2人の口から語られたのが、そいつは悪魔憑き。犯人は
「―――A異常症?」
全く1度も聞いたことの無い単語が読まれた。
A異常症なんて病気あったかな?
橙子さんは眼鏡を外し淡々と喋り出した。
「そうか・・・、この辺りのニュースでは報道されていないのか。
正式な名称を“
「悪魔憑き・・・」
そんな病気があって良いのか。そんな現象をもはや病気と言って済ませても良いのか。甚だ疑問だが、病気という以上治せるのは絶対だろう。どんな病気であろうと、治療法さえ見つかれば治せる筈なのだから。
「その病気って治らないんですか?なんか、悪魔って呼ばれるのは嫌じゃないですか。人間」
「残念だが、原因不明で治療も不可能だ」
「な―――」
あまりにも残酷な現実に思わず絶句する。
当然だろう。その病気にかかってしまえば治らないと言われたんだ。原因不明とは発病の原因がわからないという事だ。言ってしまえば、予防策も無いのに発病したならば治らないという事だろう。
「治療法がまだ見つかってないんですか?」
「いや、治療法なんて物は無意味なのさ。悪魔憑きって言うのも一概に、一括りには出来ないのさ。彼らは本質が違うから、患部も新部もバラバラ。患者Aの治療法と患者Bの治療法は違う。症状が同種でもその本質が違うなら、同じ治療法を実践しても治るはずがない。言うなれば、患者1人1人にそれぞれが適した治療法を、新たに開発していかなきゃならないんだよ」
「・・・」
声すら出なかった。もしも、自身や知人がそのような病気にかかったりしたらと考えると、ゾッとする。
「心配しなくても、君は感染しないぞ」
「―――え、どうしてですか?」
「A異常症の感染者は何故か、関東や近畿、東北以外では発見されていない。関西より西の地方では未だその症状を発病した人間が居ないのさ。だから、君は安心していい。
最後の一言が気にかかったが、まぁ、橙子さんが言うなら安心できるのも確かだ。
そうならないように、是非祈っておこう。
「失礼しまーす」
横開きのドアを開け、1人の男が入ってきた。
人避けの結界が機能している中、いに介さず入ってくる人間とは、そういう事だ。
「なんだ、西谷か」
西谷 翔。同じクラスの男子生徒。そして、現在は魔術使い並びに八咫の憑依体として、現在、蒼崎橙子が身柄を守ると言うのを名目に、彼の監視を行っている。
「いい加減、あの家を私に譲る気になったか?」
あの家とは、丘台の1等地に佇む洋館の事だ。
「なるわけ無いっすよ。それより、明日から冬休みだけど、俺ずっとあの家に居るんで。何かあったら来てくださいね」
「お前、それが人に物を頼む態度か?用事なら電話で済むだろうに」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。じゃあ、電話で済まない用事なら使い魔ください。あ、別にご自分で来られるのも構いませんけど」
そう言い残し、彼はドアを開け出ていってしまった。橙子さんは、明らかに不機嫌な様子だ。
「くそ。アイツには年末世話になった恩もある。これ以上は何も言えんな」
これ以上って、色々言いたい放題してたような気もするが、まぁ、黙っておくのが吉だろう。
「いい加減あの家は諦めたらどうですか?お金も無いんですし」
「こんな狭い工房じゃ何も出来ないよ。アソコなら充分なんだけどね。年末のアレの足止めで、勝手に仕掛けてた術式とかで派手に内装を壊しちゃって、西谷に怒られたんだよ。全く、器が小さいねぇ。アイツは」
それは明らかに橙子さんに非があるだろう・・・。
◇
数時間前。
終業式の長い話の中、
昨日の晩ご飯は何だったか。昨日の番組は面白かったな。果ては、去年の冬休みって何してたかな。とか、過去を省みてはため息をこぼす。
退屈な日常。もしも、過去と言うやつに縋ることができるなら、私は過去に戻りたい。戻って、何もかもやり直したい。
でも、はたして過去に、私の居場所はあるだろうか?少なくとも、幼少の私に私の居場所は無かった。なら、私が私である以上、過去に戻っても居場所などは無いのだ。
しかし、未来なんてものはもっと嫌いだ。
「未来は不確定。わからないからこそ、人はそれに縋り夢を見る」、などと現国の先生が言っていたが、私の場合、未来こそ最もつまらない物に他ならないのだ。
未来なんて少し考えればわかるのに。過去は、どれだけ縋っても追いつけない。結局の所、私は前にも後ろにもうんざりしていた。
退屈に過ぎていく毎日。過去に知った
「―――ぇ、・・・――ねぇ、瀬尾?聞いてる?」
突如私を呼ぶ声に、反応が遅れた。
「あ、―――ごめん。聞いてなかった・・・」
同じクラスの女の子。チヒロちゃんの声に気付かず、考え事ばかりに身が入っていた。
「もおー、何をボーっとしてんだよー。さっきからずっと1人で喋ってて恥ずかしかったじゃんかー!」
チヒロちゃんは少しだけふてくされて、私の両頬をつねっては弄くり回す。
「痛い痛い、ごめんへば。私が悪かったえふ」
すると満足したかのように笑顔になってつねるのをやめる。
「うんうん、わかればよろしい。瀬尾の素直さだけは、私も尊敬してるんだから」
うーん。素直さなんて、尊敬されても別に嬉しく無いような・・・。
あ、そうだ。確認がてら、現状の進行を聞いておこう。
「そういえばチヒロちゃん、活動の方は上手く行ってるの?―――ほら、チヒロちゃんが書いてくれないと私も描けないし・・・」
「お、聞くかー?昨日辺りからヤバいよ?アイディア閃きすぎて脳みそパンクしそうなくらいだぜ!あ、勿論期限までに出来上がるぜ?私が時間取って瀬尾が絵を描けなかったらマズイからね」
うん。そう言ってくれるのはありがたい。けどね、チヒロちゃんは間に合わない。これはもう決まってる事だから。
基本、この子の自信は意味なく湧き出てくるもので、根拠もなく得意げに宣言してみせるのだ。
気になって一応昨日
このやり取りも実に3日ぶり。あれは寝る間際、私が作業の合間に見た夢。この
「うん。期待せずに待ってるね」
「いやいや、そこは期待しろよ!」