卵に入れる砂糖は何時も通りやや大目だ。
和菓子屋の息子という事もあり、甘味に対する拘りは人一倍強い穂積は何時も卵焼きは甘めに作る。
サッと焼き上げ、一口サイズに切り分けた卵焼きの行き先は二つの弁当箱で、さらに箱の行き先はそれぞれ『ほのか』『ゆきほ』と刺繍された弁当ポーチである。
『ほのか』の内容はソーセージや卵焼きを挟んだサンドイッチ、『ゆきほ』の方は卵焼、ソーセージ、付け合せのサラダに白米のオーソドックスなものだ。
「よし、完成」
穂積はひとり満足気に弁当箱二つを並べ、満足気に一人ごちた。
ことりメイド喫茶事件から一夜。
ことりの弁明で知らない仲ではないことを理解したオーナーは穂積の排除は"一先ず"辞めたようで、今後とも贔屓にして欲しいとダンディズム溢れる営業を展開した。
最も穂積はオーナーを警戒してまともに話を聞いてはいなかったのだが。
そんなこんなで現在の時刻は朝の5時。
何時もならばロードワークの時間だが、今日は週に1度の休養日、一切トレーニングの類はせず身体を休める日である。
先日のジムワークとウェイトトレーニングで全身筋肉痛の現在ではトレーニングのやりようもない訳だが、何故こうして何時も通り穂積が早起きしたかというと、ただ単に早起きの習慣に従っただけのことだった。
店の仕込を始めるまではまだ少々時間があるので、暇を持て余さぬようにこうして妹たちの弁当を作っている訳だ。
「おはよう穂積、今日も早いわね」
「おはようお袋」
「あっ、卵焼き一つもらい」
料理の匂いに釣られたのか寝巻きのまま起き出して来た母は、いの一番に余りの卵焼きを頬張った。
「いやー、今日も息子の料理が美味いっ」
「娘のマネなんかして寝ぼけてんのか?」
「何よ、つれないわね」
朝っぱらからフザける母を雑にあしらいながらも、穂積の弁当箱に出来上がった料理を詰め込んでいく手は止まらない。
「もう一個作るの?」
「こいつは海未の分だよ。あいつ今日部活の予選会だから」
「…普通弁当作るほうと受け取るほう逆じゃない?」
「いいだろ。俺の趣味だ」
やや小ぶりな弁当箱に白飯とおかずを並べる手つきは手慣れており、母と会話している内に弁当は仕上がった。
昨日電話で海未に予選会の応援に行くことを伝えた穂積は、応援ついでに弁当を持って行くことを提案し、海未もそれを快諾した。
『穂積のお弁当は美味しいですから』
という幼馴染の期待に答えるべく張り切って作った弁当はサラダやミートボールなど、色取り取りで目に優しい取り合わせだ。
「随分気合入った出来じゃない」
「当然」
「どれ、一つ味見を」
「コラ」
「痛っ」
卵焼きに引き続きミートボールまで腹に入れようと伸ばした母の手をはたいて止める。
穂乃果の食い意地の張っているところは母親譲りのようである。
「海未のだと言ってんだろ。お袋んじゃねぇ」
「ちぇっ、折角美味しそうなのに」
「いいから顔洗って来いよ。寝癖ついてんぞ」
「はーい」
シッシッ、と野良犬にするかのように母親を追い払うと、母は洗面所へ向かうべくキッチンを出て行った。
「やれやれだ」
母を見送った後、ミネラルウォーターを入れ煮沸中のヤカンを火から上げるべく弁当は一先ず置いておくことにした。
火を止めてヤカンに温度計を挿入し、60℃キッカリであることを確認すると急須へお湯を注ぐ。
60℃のお湯で淹れるとお茶の渋みを押さえ旨みを引き出せるのだ。
後は魔法瓶に詰めるだけ――
「ミートボール頂き!」
「あっ!」
見送ったはずの母は気配を殺してキッチンへ舞い戻り、爪楊枝を使ってミートボールを弁当箱から強奪する暴挙へ出た。
穂積が気付いた時には既に母はミートボールを頬張っており、奪還は不可能であった。
「ン~!これなら海未ちゃんも落とせるわよ!」
「誰が味褒めろっつったよ!」
折角の弁当のメインを奪われた穂積の怒りが早朝の穂むらに木霊した。
予選会の会場は都内の弓道場で行われた。
個人戦と団体戦を行う予選会は弓道特有の厳かな緊張感ある雰囲気で執り行われ、会場の目立った音は矢が空気を裂き的に命中した鈍い音、命中した瞬間のギャラリーの歓声ぐらいのものだった。
午前のプログラムで団体戦は終了、順位は決定しており、現在は昼休憩中である。
「海未。お疲れ様」
「穂積」
射場外の一角のベンチに道着姿で腰掛ける海未を発見した穂積は彼女に声をかけた。
「隣いいか?」
「はい。どうぞ」
3人がけのベンチに並んで座ると、穂積は海未にリュックサックから取り出した風呂敷を手渡す。
「ほら弁当」
「ありがとうございます。早速開けていいですか?」
「おう」
海未は渡された風呂敷を膝上で広げ、弁当箱を開けた。
「おお、これは」
五目ごはんを主食とし、主菜はミートボールと卵焼き、副菜にサラダ菜、アスパラガスにミニトマトとバランス良くまとまっている。
別途のタッパーにはスライスしたキウイフルーツも入ってビタミンも補充できるようになっていた。
「美味しそう…頂きます」
礼儀正しく手を合わせてから箸で弁当を口に運び始める海未。
一口一口と嚥下する度、凛々しい顔が綻んだ。
「気に入ってもらったようで何より…はいお茶」
「緑茶ですか?」
箸を止め、手渡された魔法瓶を受け取った海未は中身を聞く。
実家が日本舞踊の家元という
そのため、人の淹れる茶には少々うるさかった。
「玉露だぜ。グイっと行け」
しかし穂積も和菓子屋の跡取りである。
当然和菓子に合う茶も研究しており、ベストな淹れ方も日夜研究していた。
「…ん、美味しい。流石穂積ですね」
「それは良かった」
魔法瓶の玉露は海未の舌を満足させることが出来たようだ。
「俺も飯にすっか」
甘い緑茶と弁当を交互に口にする海未を見て、穂積も食事を取ることを決めた。
リュックサックから取り出したのはコンビニのビニール袋。
中身は卵のサンドイッチとカツサンド、菓子パン、500mlペットボトルのコーラである。
「…穂積、それは炭酸ですか?」
キャップを開け、二酸化炭素がボトルから抜ける音を聞いた海未の顔が曇った。
「何だよ、緑茶よりコーラが良いのか?」
欲しいならやるぞ、と飲み口を海未に向ける。
「要りません!その辛くて痛いシュワシュワを飲むくらいなら干乾びた方がマシです!」
飲み口を押しのけ海未は激しく拒絶する。
海未は昔から炭酸飲料が苦手である。
『舌に突き刺さる刺激』がどうしても苦手であるらしく、過去に高坂兄妹が悪戯で水と摩り替えたラムネを飲ませたところその場で噴出、怒り狂った海未は高坂兄妹と三日は口を利かなかった程だ。
「そのシュワシュワがいいんだがなぁ」
穂積は炭酸の美味さを知らない海未を哀れみながらコーラを口にした。
「うわぁ…」
喉を鳴らし、一気に200ml程飲み込んだ穂積を見る海未の目は何か恐ろしいものを見るようなそれだ。
「ああ-っ!美味い!」
舌、喉、食道を通る炭酸の刺激を楽しみ、ボトルの半分を飲み干した穂積は感嘆の声を上げる。
そのままカツサンドを頬張る穂積の横で、呆れ顔の海未は食事を再開するのだった。
「ごちそうさまでした」
「オソマツさん」
雑談(主にコーラ論争)を楽しみつつ、二人は昼食を終えた。
「午後から個人戦だろ?」
「ええ…団体の結果が著しくありませんでしたから、個人で良い成績を残さないと」
「都内4位だろ?充分良いと思うが」
午前中に行われた団体戦、音ノ木坂学院弓道部は4位入賞となった。
この戦績は弓道部始創設以来最高の結果である。
「それではダメです。全国大会出場でもしないとアピールになりません」
「アピール?」
「廃校阻止の為です。私が出来ることはそれぐらいですから」
その言葉を聴いて穂積はああ、と納得する。
海未は全国大会出場を果たし音ノ木坂の名をアピールし入学希望者増加を狙っているのだろう。
「廃校阻止っていやぁ穂乃果にスクールアイドルに誘われてるだろ」
「うっ」
妹の名前を引き合いに出した途端に海未の表情が引き攣る。
いや、性格には穂乃果の名前より"スクールアイドル"の単語に反応したのだろう。
「無、無理ですっ!私にアイドルなんて…!」
「海未はルックスもいいしキレイな声してるんだからきっと人気出ると思うぜ」
「そういう問題ではありません!人前に出て歌って踊るなんて!」
ルックスは否定しないのか、と内心思いつつ、穂乃果の交渉は以前上手く行っていないことを、立ち上がってまくし立てる彼女の様子を見て穂積は察する。
「穂積の口からも穂乃果に言って下さい。アイドルは辞めた方が良いと」
「俺はアイドル賛成派だ」
「ああ、もう…」
幼馴染兄妹に、ベンチに座りなおした海未は頭を抱える。
「思いつきだけでアイドルをやって上手く行く筈ないのに…」
「だけど穂乃果はマジだ。現に毎日情報誌読み漁って独学で練習やってる」
「それは…」
「なぁ海未。アイツ、マジにアイドルやって廃校阻止しようとしてんだ。ぶっちゃけ見通しが甘いとこもあるけど本気で学校守ろうとしてる。お袋の思い出を守るんだー、っつってな。別に妹に付き合ってアイドルやれって訳じゃなくて、ちゃんと話し合って欲しい。それで穂乃果が納得すれば、また話は変わってくるかもしれないし」
「…ハァ、分かりました。明日穂乃果と話し合ってみます」
「本当か?」
海未は渋々、といった感じではあったが、穂乃果との話し合いを前向きに考えてくれる気になったようだ。
「ハイ。お弁当のお礼もありますし、私も頭から否定しすぎてましたから」
「海未、サンキューな」
「次のお弁当はお豆腐のハンバーグが良いです」
「オーケー。任しとけ」
「期待してますよ?…そろそろ戻ります。個人戦の準備をしないと」
「おう、頑張ってな」
「それでは」
軽く会釈をして海未は会場へ戻っていった。
時刻は13時前、穂積は午後の部開始まで適当に会場外で時間を潰すことにした。
「ねぇねぇ。園田さんが一緒にお昼してたのって彼氏さん?」
「は?」
個人戦開始前の控え室、弓の弦の貼り具合を見ていた海未は同学年の弓道部員の発言に素っ頓狂な声を出した。
「いやさ、お昼誘おうと思ったんだけど、どこにもいないから探したら外のベンチで男の人からお弁当貰って一緒に食べてんだもん。アタシびっくりしちゃってさー。あ、あのお弁当もしかして彼氏さんの手作りだったり?」
「おお!料理男子じゃん!」
「園田もやることやってんなぁ。てっきり恋愛に興味ないかと思ってた…ひょっとして家柄的に許婚?」
「それに結構イケメンだったよ~!」
「マジで!?」
「ちょっ、ちょ、ちょっと待ってください!」
いつの間にやら周りに集まった部員たち(主将含む)のボルテージが上がっていくのを海未は慌てて制する。
女子校とはいえ彼女らは青春を謳歌している10代後半の少女たち。
人の
「違います!あの人は唯の幼馴染で、かっ、彼氏とかいいい許婚とかそういうのじゃないですから!」
試合前だというのに顔は紅潮し汗もかいて必死に否定するも、部員らは毛ほども信じない。
「えぇ~?唯の幼馴染はお弁当作ってきたりしないっしょ~」
「ちがっ、本当に昔から付き合いがあるってだけで」
「そうやってムキになって否定するのがさらに怪しいな」
「先輩まで!」
「ねぇねぇ!彼氏さんとは何処まで行ったの?」
「何処にも行ってません!」
「チューか?チューまでやったんか?その先までイってしまったんか?
「ちゅちゅちゅちゅチュー!?」
色恋沙汰とは無縁、と思われていた海未なだけに部員たちの食いつきぷりはハンパでは無く、同級生や先輩、観戦に来たOBまでノッてくる始末だった。
「うぎぎぎ…!」
海未の主張とは関係なしに盛り上がっていく噂話に海未の羞恥心はあっさりと限界を迎え、反論する気すら潰えてしまった海未は弓を手に取った。
「この場の全員を射殺して私も死にます!!!」
「わーっ!園田が怒ったー!」
その後、海未は鬼の形相で個人戦に挑み、見事1位を獲得した。
何故かその顔は終止紅潮しており、原因となった男と別れ、帰路に就くまで顔の赤みが引くことは無かったという。
穂積君女子力発揮&うみみちゃん説得回でした
今回のタイトル『皆殺しのメロディ』はTHE BLUE HEARTSの曲で、マキシマムザホルモンもカバーしています