注:「だから彼女は空を飛ぶ」の設定を補完の為に幾らか使っていますが、基本本篇とは一切繋がりが無いことをご了承ください。
ここ数年は空梅雨であったが、今年ばかりは降らなかった今までの分を取り戻すかのように、連日雨が続いていた。
出かける際には傘を手放せず、今日もまたむせかえるほどの雨が降る。
今日は、いつもにも増して風と雨脚が強いようだ。
腹辺りまで濡れたコート。
さす傘が、これでは意味をなさない。
既に六月だというのに、外気は冬場の様に肌寒く感じた。
これだけ寒ければ、雪が降ってもおかしくはないのではなかろうかと錯覚してしまう。
いやまさかなと思い、傘を少しばかり上げて見上げるのは、汚れた雲。
雨が雪になる様子は、ない。
バシャりと。
空を見上げたままに歩く不注意は、道端に出来た深い水たまりを踏み抜くという結果となって返った。
水は買って間もないブーツの中を満たし、水浸しとなったソックスは不快感を抱かせ、思わずため息が出る。
………雨はどちらかといえば好きだった。
しかしこうも連日となると、流石に嫌気がさすものだ。
人は不思議なモノで、好きなモノが連続すると好きなモノであるにもかかわらず、飽き飽きするもので、例えば、食べ物の味に飽きる。
それは人の味蕾に関係して別段不思議ではないのだが。
なるほど、人は多感故に飽きが来るのかと、ひとり納得する。
「お待ちしておりました、久瀬二佐」
「………ああ」
雨は、どちらかといえば好きだった。
正確に言えば、あの空が好きだった。
今は?
今の俺は、どうだろうかと。
己に問うて、しかし答えは出ない。
◇◇◇
白川の水は、透明であったころを忘れたように酷く茶色に濁っていた。
その日街での用事を済ませた俺は、街の中心に向かって流れる人の流れに逆らって、見える日本三大名城に背を向けるように歩く。
人と人との無関心。
その
街を抜ければやがて、大橋が見えてくる。
大橋は街へのアクセスに重要なものの一つで、ここに来て以来四六時中車の往来が終ぞ途絶えるところを見たことが無い。
しかし不思議な事に、今日ばかりは渡りきるまでに車を一台として見る事は無かった。
はて、長い赤信号だと思うも、向かいの信号は青。
珍しいことがあるものだ。
そんなのんきなこと思いながら、ただ道を行く。
「――――あんなところでなんばしよっとやろぅかねぇ?」
「あんなはしたなか格好ばして、警察ば呼んだほうがよかとじゃなかか?」
橋を渡って川沿いの堤防、晴れの日にはよく猫が日向ぼっこをしているコンクリート道は他と変わらず濡れていて、所々に水たまりを形成していた。
それらを避けるようにジグザグに歩いていると、堤防の一段下にある高水敷からそんな話声が聞こえた。
中年主婦らのひそひそ話。
しかし声が甲高過ぎて、ひそひそする意味がない。
それにしても、こんな日にも井戸端会議か。
よくやるものだと感心して、彼女たちが見る視線の先をふと気になって、己も追ってみる。
彼女たちの視線は、渡ってきた橋の一つ隣の橋、その下。
つ、とその視線の先を追うと確かに、そこに誰かがいる。
ところで。
己の視力は、仕事上いい方であると自負しているが。
この両眼が捉えたものは、その自負を疑うモノであった。
「………子ども?」
目をこすって再度見るが。
子ども。
幼い女の子が、そこにいた。
としは10、11歳ほどか?
いやそれはいいのだが。
不思議なことにその少女は、上着は着ているものも、下は下着一枚というあられもない姿。
おいおい、痴女か?
そんな下賤な考えが頭をよぎるが、そんな考えはすぐに改める。
少女は確かに、下は下着一枚というあられもない姿だが。
それを気にする様子もなく、気にした様子もなく。
それよりもと言わんばかりに、必死に何か………何か円筒状のものをいじり続けていた。
少女にとって、それはとても大切なものなのだろう。
時折、腕で眼元をこする仕草を見せる。
「………」
堤防から高水敷へ。
足は自然と少女のもとへと向いていた。
らしくないと思った。
そこにある意志は、ただの気まぐれ。
そう。
その時は、ただの、気まぐれのつもりだった。
◇◇◇
橋の下は、昼間だというのに夕闇の中の様に薄暗かった。
そこを突き抜けるように抜ける、横なぎの突風。
それは雨で冷えた体温をさらに奪わんとする。
断言するが、ここは雨宿りするにはあまり向いてない。
己の足音は、雨に紛れて聴こえない。
だからだろう。
彼女の傍まで近づいたにもかかわらず、少女は未だ俺の接近に気付いた様子はなく、円筒状の何かを弄りつづけている。
「おい」
俺が声をかけるとようやく俺の存在に気付いたのか、少女はハッと顔を上げ、そこでようやく少女が日本人ではないことに気付く。
白雪の如き、白磁の肌。
やや白みがかった、肩ほどまで伸びた灰色の髪。
――――そして頭と臀部から生える、狐のものらしき茶色の獣耳と尾
生えるそれらは、到底作り物には思えないもので。
そして虚ろで衰弱しているようでありながらも、真っ赤に腫らした両目で己を見上げる、雨に濡れた彼女の容姿。
それはあまりに蠱惑的で、外国人である以前にそもそも彼女が人間であるのかを疑ってしまう。
一瞬ではあったが、言葉を忘れた。
彼女は、人として美しすぎたのだ。
まるで
しかしそんな疑いは、すぐに晴れる。
二本の円筒状の何かを守るように背にし、
『英語は話せるか?』
両手を上げて己に害意が無い事を示し、国際的にスタンダードな英語で話しかける。
仕事の関係で中韓露米の会話はある程度のレベルを求められるので問題はないが、それ以外となると、意思疎通は難しい。
頼むから英語で返答してくれと祈るが。
「――――Wer sind Sie?」
世界を二人のみにする雨音。
弱弱しくも耳触りのよい透き通った声は、残念ながら英語以外の言語だった。
だが、少女の教本にして然るべきと言えるほどにハッキリとした発音は、おかげでその語る言葉がドイツ語であることをかろうじて思い出すことを援ける。
意味は確か、『誰』か?
「って、おい!?」
既に体力の限界であったのか。
少女はこと切れたようにその場に倒れてしまう。
あわてて駆け寄って少女を抱き起すが、彼女の身体が発するのは、今にも燃えてしまいそうなあつさ、熱。
「ああ、くそっ!!」
息を荒くし、苦しそうに顔を歪ませる少女を見捨てるのは目覚めが悪いと、タクシーを呼ぶ。
救急車を呼ばずタクシーを呼ぶのは、病院が目と鼻の先にあり救急車を呼ぶよりもタクシーを呼んで向かう方が早いからだ。
案の定、電話をかけて一分も立たないうちに、一台のタクシーが近くに停まる。
それを確認し次第、俺は少女を抱えてタクシーに乗せる。
「お客さん、行き先は?」
病院へ。
そう言いかけた正義感は、俺の意志で噤まれた。
少女の首から垂れた、鉄片。
あまりに見慣れたソレは、軍の
軍の認識票を掛けていた、それはいい。
しかし各国の現行のものに比べると些か粗さが目立つその認識票の形状は、ドイツ人らしき彼女がつけていては決して冗談では済まされないモノ。
運転手には病院ではなく、自宅のあるマンションの住所を告げた。
意識のない外国人の少女を抱える俺を、運転手はバックミラー越しに訝し気に見るが、幸いな事に追及はなく、車をゆっくりと発進させた。
「厄介な………」
少女の身に、己が身に着けていたコートを掛け、吐き捨てる。
少女の服の胸元についたワイマール鷹。
言語はドイツ語で。
そしてトドメは、首に掛かる認識票。
認識票は薄い楕円状で、センターに水平に3カ所打ち抜かれた溝状の穴がある。
それは戦死した兵士から認識票の下半分を折取るための加工だが。
この形状の認識票を使った国は、記憶する限りではただ一つ。
――――ナチス・ドイツ第三帝国
「戦争は、終わったばかりだぞ」
己の髪をくしゃりと潰す。
結論を決定づけるにはいささか短絡すぎるものかもしれない。
ただの子どものお遊びである可能性も捨てきれない。
しかし彼女をあそこに放置しておくのは、色々問題がある。
俺は携帯を取り出し、電話帳機能を起動する。
連絡先は、己が知る限り誰よりも情報を持つ人。
繋がるまで、耳元で鳴るコール音。
連続する電子音を聴く間、俺の視線は自然と外を向いていた。
雨がミラーをパラパラと打ち付け叩き、空はどんよりとしていて暗い。
未だ雨は、去る予定はないようだ。
ストパンはいいぞ(´・ω・`)