花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり鹿児島へ
ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ。
金属と金属がぶつかる音が、馬の闊歩音と混ざり森を木霊する。小さいその音は耳を澄まさなければ聞こえないほどの大きさだというのに、森中に響き渡っていた。
音の主は屈強な肉体を持つ白色と栗色の馬達であり、それに跨る者たちによって生み出されていた。森に生きるもの達はなんだなんだと金属音から遠ざかっていた。
赤い馬具と飾りが武将の馬であることを辺りの者に伝えている。そこにいるだけで威圧感のある逞しい馬達は主の手綱に忠実に動く。ゆったりと、それでいて堂々たる歩みを見せ、道なき道を進んでいた。いわゆる獣道である。
白い馬と対になるように頭から鮮血を被り、元よりも赤く染まるその鎧、幾人の戦士の命を奪いその魂を啜ったのか分からない赤錆色は、依然雄雄しい兜の金色鹿角や鎧に編まれた黒や金の帯すらも赤黒く染め、その背中の六文銭までもが紅に滲んでいたのだ。戦の終え、命の奪い合いをしてきた鎧は草臥れ、作りたての頃など忘れたように所々繕われていた。
だが、そんな鎧を纏う者は、背を曲げることなく真っ直ぐとし悠々と馬に跨っている。まるで今まで戦っていたことを悟られないほど美しく。いつも猫背な姿が嘘のようだ。
「……ハァッ……ハァッ……」
だが息は上がっているのか、頬を流れる汗が顎紐に伝い地へと落ちていく。
お天道様は傾き始めている頃だが、未だ空は青く晴れていた。まるで徳川を称えるように見え怒りが込みあがってくるというもの。内心天すらも喧嘩を売っているのかと男は空に恨みを込めて睨んでいた。
この男、名を真田左衛門佐信繁、通称幸村。大阪夏の陣にて我が子と己が主と共に鹿児島を目指していた。
「ハァッ……ハァッ……クッ……」
荒げる息を無理やり抑え、鼻で呼吸を整える。額から流れる朱色に混じる汗が、幸村の目を赤く染める。だが彼は拭うことなく馬に跨る。痛みで瞑りそうな目を血で洗い覚まそうとしているのだろうか、その顔は絵巻物語で語り継がれる鬼と大差ないものだ。いや、目の前にいれば絵空事よりも恐ろしく感じるだろう。
この戦にて三度敵陣を駆け抜け、敵大将家康の首をあと僅かのところまで追い詰めたと言うのに斬るに至れなかった。もしも殺せていたならば秀頼様は未だ大阪城にいて蹴鞠をしていらっしゃっただろう。歳の近い大助と仲良うしてくれたのではないだろうか。幸村はそれだけが悔やまれるのか、下唇を噛みながら苛立っていた。
雨でも降ればいいだろうと、我が軍のために泣いてくれたっていいだろうと。幸村は尚も空を睨んでいた。
「ち、父上」
「幸村、その目は」
「……大助、秀頼様」
ふと声をかけられ後ろへ振り向けば、愛する我が子大助と敬愛する己が主秀頼の姿があった。前を歩かせていたはずの馬は既に後ろにいた。気づかぬ間に追い抜いていたのだろうと、鼻柱をつまんで気と取りなおす。その後不安を顔に表していた二人を見た幸村は一度己の両頬を叩き、優しげな笑みを見せた。
「ご安心くだされ秀頼様。じき九州へとつきますぞ」
「う、うむ」
「大助、お前も秀頼様を落とさぬようにな」
「はい……」
幸村の優しげな声に安堵する秀頼はふと後ろへ顔を向けた。この無理の遥か向こうでは家康が大笑いをしているのだろうかと、再び未だ出てこない自分の死体に怒りを向けているのではないかと再び安堵を不安へと変えてしまった。
再び震えだす秀頼にしがみ付かれている大助は己の未熟さに嘆いていた。後数年早く生まれていたのなら、もっと早く父と共に戦場を駆けて憎き徳川を討ち滅ぼしていたのにと心底悔やみ、歳の近い自分が秀頼様を守らなければと歯を食いしばって心の中で誓っていた。
大助は未だ14歳。元服して間もない若き命であった。
そんな二人を見た幸村は整った呼吸で、一息吹くと馬を併走させた。
「秀頼様。これより先は大助と共に参られてくだされ。島津には既に連絡はついております」
「な、何を」
「この老いぼれの体では足手まといになりましょう。ならばここで秀頼様が逃げる時間を稼ぎ、あの憎き家康をこの槍で突き殺すのがこの幸村最期の勤めでありましょうぞ」
「ゆ、幸村」
赤くぎらつく両眼が秀頼達に向けられた。真剣と例えられる武士の瞳はその時だけは秀頼を優しく包む。まるで我が子へ向けるようなその視線が送られ、安堵してもらうために優しく声をかけたのだ。幼い頃に父を失った秀頼にとっては、それがまるで秀吉の声に聞こえたとか。
「大助、秀頼様を頼むぞ」
「父上……」
「歳の近いお前だ……お前が最期まで秀頼様のお傍にて刃となれ。迫る敵を全て薙ぎ払うのだ」
「何故でございますか! 私にもここで戦わせてくだされ父上。私も秀頼様のために、そして真田のために戦い死にとうございます!」
目尻に涙をためながら、大助は父に己の思いを告げる。合戦夏の陣始まりの時も同じような事を言っていたなと、幸村は思い出し笑いをした。あの合戦がついこの間のように感じる、しかしあれからもう数週間経っているのだと思うと時の流れの速さを身に染みていた。
「真田のためにと言うのならば聞くのだ、大助。ワシが真田の当主だ。ならばワシの命を聞くのが真田のためではないのか?」
「そ、それは……そうでございます」
至極当然だと思うばかりに大助の声は次第に小さくなっている。今は戦国の世。上下の関係が尊まれる。それは生死にかかることも含まれているのだ。そのことを理解しているからこそ、大助は何も反論できないでいた。だが自分も戦いたい。父のために、秀頼のために、真田のために、そして何より己自身のために。
だがその心が分からない幸村ではなかった。
「……生きよ、大助。一時の恥などいずれ消えるのだ。死ねば終わりよ。ならば強くなれ。命あるならばまた戦えるわい。それに……」
それは親心であった。戦いたいという彼の願いを叶えてやりたい。だが未だ元服して3年も経っていないのだ。嫡男であろうと実子であろうと関係ない。生きてほしい。それが父の望む息子への本心なのだ。
「秀頼様は繊細なお方だ。栗毛を誰もが素晴らしい馬だと言っても秀頼様をお乗せするには少し荒い。お主が傍にいて、秀頼様を支えよ。それが、今の真田の生き方と理解せよ」
「……わかりました」
大助は返答し、栗色の馬は速度を上げてあっという間にその姿を森の中へと消してしまったのだった。残ったのは白色の馬と1人の老いぼれのみ。
突如ふらつく幸村は馬から降り、ふと近場の木陰に腰掛けた。額の汗の量が先ほどよりも多く流れている。
「……ハハッ、月影よ。少しやせ我慢が過ぎたか」
鬼と比喩されたあの幸村が弱音を吐く。しかし月影と呼ばれた馬は顔を近づけて愛情を向ける。最期まで傍にいると、まるで武士のような雰囲気を纏っていた。そんな月影に幸村は先ほどの大助の言葉を思い出し、苦笑した。
馬はよくて、息子は駄目か……と。
「ふっ、弱音はワシには合わんな」
暫くの間、戦場を共に駆けた盟友を撫でながら、彼はその体を癒した。
もう今の体力では、この戦で稼げることなど高が知れているのだ。
太陽の光が木々の間から木漏れ日として体に当たる。心地よいぬくもりがその体の癒しを早める。雨が降れば体が冷えて弱まっていただろう。さっき文句言って御免と幸村は掌を返した。
ならばどうするか。もうあそこまで開いたのだ。自分の影武者やらが変わりに死んでしまっているかも分からない。
「……ならば、ワシも少しは生きておかねばな」
(武士とは死ぬ事と見つけたり。事実そうなのだが、では将はどうなのだという話だ。将がいなければ武士などただの1人の刀を持った男。将がいるからこそ、武士が映えるのもまた事実。ワシは死ねないのだ。息子も兄も生きている。ならば最後は武士として戦い死ぬのも良かろう。だが、ワシはこの瞬間までまだ将なのだ)
体が癒え、覚悟が固まった幸村は所要時間10分とかからず立ち上がり、再び月影に跨ると来た道を引き返していく。
(島津といえばワシと同い年の男がいたな……一つ、酒を交わしながら話がしたかった)
思いに耽る。もしかすればあったであろう未来、あったであろう過去。今更遅いと言うものだが、あれば良かったと。幸村はふと思うのであった。
そんな時だ。今までいたはずの森はなく、歩む先には白い世界。
「っ……何事か、妖の類か!?」
突然の出来事に思考が追いつかない。何が起きた、一体誰が、何のためにと。考えても全く答えが出てこない。本当に刹那よりも速い出来事だったのだ。
理解できない状況に呆けていた幸村は白と扉の世界の視界の先に、なんとも面妖な姿をする男を見つけた。濃い金色の髪を靡かせ、東洋の服とは思えない何かで身に纏っている。顔には何かわからないものをつけており、机にて白と黒の紙を眺めていた。
「……ここはどこだ。いったい何が起こったのだ」
わけも分からず、幸村は男に話を聞こうと歩み寄る。だが突然重力は右へと傾いた。
吸い寄せられるように手が穴へと向っていく。大きな力でその場で踏みとどまるのも難しいほどだ。幸村はとっさに持っていた槍を地に突き刺し、足と手を絡め、その場に踏みとどまる。
「月影よ、踏ん張れよ!」
彼の言葉に月影は唸り声を上げ、大地に蹄鉄を突き連ねた。さすがは重い武者を乗せて走るだけはある。微動だすることなく幸村と共にその場に残った。
「貴様、突然何をするか!」
空いた手を使い腰の刀を抜き、その切っ先が男の額に触れるか否かで止めた。今すぐやめなければならここで斬ると言わんばかりにその眼は赤く輝く。体は疲れ果てても鬼は健在。今にもその首を切り裂きそうである。
男が幸村へ視線を向けた。真っ直ぐとこちらを見る目は、まるで心の奥底を覗いているようで、幸村になんともいえない感情がわく。男の自分を見る目は懇願の目だと受け取ったのだろう。
「……今、正して欲しい世界がある」
男の言葉を聞くと、幸村少し考えると刀を鞘に戻し、月影にもう大丈夫だと手を軽く上げた。月影はその手を見るやいなや蹄鉄が抜き、穴へとゆっくり引き寄せられていった。彼の言葉を信じたのだろう。穴へと入っていくその姿は最後まで悠々たるものだった。
「お主が誰かは分からん。だが、お主の目は信じよう」
槍を引き抜いた幸村は月影の後を追うように穴の中へと吸い寄せられていく。
最後に耳にしたのは、
「感謝する」
という、男の謝辞であった。
「この死にぞこないの老いぼれに助けを求めるとは……良かろう、真田左衛門佐信繁。出陣する」