ルイズの聖剣伝説   作:駄文書きの道化

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英雄と女神

「ルイズ? いる?」

「ティファニア?」

 

 

 夜。宛がわれた部屋の一室で身体を休めていたルイズはドアを叩くノックの音に顔を上げた。どうやらティファニアが訪れたようだ。何用だろうか、とルイズは部屋のドアを開けた。

 部屋のドアを開ければティファニアは不安げな表情を浮かべてルイズの顔を見ていた。入って良い? と問いかけを投げかければルイズは拒む事無くティファニアを部屋へと招き入れた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 ルイズはティファニアと一緒にベッドの上に並んで座る。暫し黙っていたティファニアだったが、ルイズと視線を合わせるように顔を上げてルイズの頬へと手を伸ばした。

 伸ばされた手はルイズの頬を撫でる。突然触れられた事にルイズは目を丸くするもその手を拒む事はない。不思議そうにティファニアの表情を窺う。

 

 

「……明日」

「ん? あぁ、まだ気にしてるの?」

 

 

 ティファニアの言葉にルイズは何かを察したかのように苦笑を浮かべた。自身の頬を撫でる手に自身の手を重ね合わせるように伸ばす。

 

 

「大丈夫よ。ねぇ? ティファニア。私はここにいるでしょう?」

「……うん」

「世界はイメージで作る事が出来るのよ。私は私を忘れない。そして貴方も私を忘れない。そうすれば私はそこにいる事が出来るの」

「でもっ! でも、変わっちゃうんでしょ!?」

 

 

 本当に良いの? と。不安に揺れる瞳を今にも落ちそうな涙を浮かべてティファニアはルイズに問う。

 困ったな、と言うようにルイズは眉を寄せて笑う。ルイズはティファニアの名を呼んでティファニアに身を寄せる。彼女の身体を抱きしめるように背に手を伸ばし、リズムをつけて背中を優しく叩く。

 

 

「何よ。今更怖じ気づいちゃったの? 良い、って言ってくれたじゃない」

「怖いよ! 怖くなったよ! ……怖いよ、だって失敗したら……」

「ねぇ? ティファニア。それ以上は怒っちゃうわよ?」

 

 

 そっと、ティファニアから身を離してルイズはティファニアの言葉を閉ざすように、ティファニアの唇に指を置く。

 

 

「私が選んだの。貴方の為、なんて言わないわ。私がそうするって決めたの。私がそうしたいから。そうする事が私なのだから。ねぇ? ティファニア、お願いよ。貴方が私の決定を奪うのは無しよ?」

「……そんな」

 

 

 それじゃあもう何も言えない。ティファニアは震える声で呟く。

 

 

「じゃあ孤児の皆が、マチルダが、アレクサンドルが苦しんで良いの?」

「……それは、嫌」

「ならそれで良いの。変えたいと思うのは貴方よ。私はその手助けが出来る。そして貴方は助けたいと望んだ。じゃあ、私は貴方の力になるわ。力を貸す事を選んだのは貴方の為だけじゃないわ。私もそう願うから。だから私はここにいるの。私は結局、私の為に戦うの。貴方の所為になる事なんて何一つない」

 

 

 だから良いの、と。ルイズはティファニアの手を握り、ティファニアの瞳を覗き込むように見る。

 

 

「例え、それで私がどれだけ変わっても、私が望んだものよ。ねぇ? ティファニア。望みは同じ筈よ? だから大丈夫よ。どんな事になっても私は私だもの」

「……本当に?」

「約束するわ。そうね、じゃあティファニア。明日、貴方にお願いしたい事があるわ」

「お願い?」

「マチルダに預けていたアレ。私は明日、アレを使うわ。その時、歌って欲しいの」

「歌?」

 

 

 えぇ、とルイズは懐かしむように笑みを浮かべて告げる。

 

 

 

「約束の歌を。“彼女”の為の歌を、私の為に歌って欲しいの」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 息を吸う。肺に空気を溜め、ゆっくりと吐き出す。呼吸を繰り返す内に自身の内にある感覚が研ぎ澄まされていく。巡る、巡る、巡る。何かが自分の中で巡り駆け抜ける。心臓から全身に行き渡るように強く、確かに巡っていく。

 呼吸する。世界に満ちる空気を吸い込んで世界に散りばめられた者達をかき集めるように何度も、何度もルイズは深く、ゆっくりと息を吸い込む。ゆっくりと瞳を開けば澄み渡るような青空が広がっている。

 風が吹く。ルイズを取り巻くようにルイズの髪を揺らして去っていく風にルイズは片手でそっと髪を押さえた。少し崩れた髪を手で払うようにして流し、ルイズは正面を向き、空の向こうを見据えるように視線を送った。

 

 

「……来たわね」

 

 

 空に浮かぶ黒点。それは空を行く船の列。貴族派達が遂に王党派の最後の砦であるニューカッスル城へと進軍して来たのだ。望遠鏡で見れば船は無数に、地を行く軍隊の列も王党派の残存戦力を嘲笑うかのような規模だ。

 大規模な進軍だ。ゆっくりと逃げ場を奪い、首を締め上げるように確実に距離を狭めている貴族派の軍に王党派が戦慄を抱かない訳がない。だが、ルイズは何でもないように報告を受け、むしろ納得したように頷いた。

 

 

(……あれだけの戦力差があるなら圧殺する事も可能なんだろうけどね。やっぱり欲しいのは大義名分と正当性。故にジェームズ王かウェールズ皇太子の身柄が欲しい訳だ)

 

 

 良くも悪くもハルケギニアの始祖ブリミルの影響力は馬鹿には出来ないのだ。故に始祖ブリミルが開国したアルビオン王国の血筋には意味がある。

 正当性を求めるならば一番良いのは王族が完全に恭順し、降伏する事が望ましいのだろう。故に手間暇をかけてまで王党派を追い詰めるように軍を展開しているのだろう、とルイズは推測する。

 だが好都合だ、とルイズは頷く。ルイズの身は所詮一人でしかない。幾らルイズが強かろうと数で攻められればルイズに為す術はないのだ。故にこの状況は好都合なのだ。王党派に圧力をかけようと軍を展開し、留まっているだけというこの状況は。

 

 

「降伏勧告、か。時が来た、と言うべきなのか」

 

 

 貴族派からの要求は当然の如く、武装解除の上での完全降伏。威嚇と思わしき砲撃の音が耳を揺らし、兵達の間で緊張が駆けめぐる。

 そんな中でウェールズは目を閉じて小さく呟く。いずれ来るとは思っていたが、いざこの状況を迎えてしまえば手の震えが止まらない。恐怖、屈辱、悔恨、拳を震わせる感情は複雑で一つに纏まる事はない。

 一度、ゆっくりと息を吸い、吐き出す。呼吸を深呼吸で整え、ウェールズは並び立っていたルイズへと視線を向ける。

 

 

「ガンダールヴ殿、国王である父上に代わり、君の偉業の瞬間は私が立ち会おう」

 

 

 ウェールズは、ゆっくりと膝をつき頭を垂れる。同時に控えていた戦支度を整えた兵や貴族達が同じく膝をつき、ルイズへと頭を垂れる。

 皆の胸に宿る思いは一つ。この国を救って欲しいという願いのみ。そこに疑念や不信、屈辱や無力感など多くの思いがあるだろう。自分たちの力では守るべき君主を守れず、確証もない賭けに乗らなければならぬ事を嘆く者も勿論いるだろう。

 

 

「見せてくれ。信じさせてくれ。今、潰えようとしているアルビオンの命運を、どうか救ってみせてくれ……!」

 

 

 それでも選んだのだ。この得体の知れない、しかし超然と奇跡を起こすと、この国を救うと告げた彼女に命運を託すと。他ならぬこの国の王であるジェームズが。ならば臣下である我等もまたその意思に従い、願いを託そう、と。

 ウェールズの言葉にルイズは確かに頷く。彼等の輪から抜けだし、向かった先にはティファニアがマチルダを控えて待っていた。

 

 

「……ルイズ」

「ティファニア」

「本当に、大丈夫なんだよね?」

 

 

 やや視線を俯かせてティファニアはルイズに問いかける。拳を握った手が震え、声には不安が満ちている。

 ティファニアの様子にルイズは苦笑を浮かべて、一瞬迷ったようにティファニアの肩に手を置いた。肩に手を置かれた事によってティファニアの視線が上がり、ルイズと視線が合う。

 

 

「大丈夫よ。そんな心配そうな顔をしないで?」

「……うん」

「私は私だもの。それを認めてくれたこの子は私を裏切らない。だから心配しないで。貴方の不安もわかるけど、絶対大丈夫だから」

 

 

 空いた片手で拳を作り、胸を叩くように見せる。安心させるように笑みを浮かべながらルイズは語りかける。ルイズの笑みを見たティファニアは、不安げな色こそ消す事は出来ないが、納得したように小さく頷いた。

 そのままティファニアはルイズを抱きしめる。むぎゅ、とルイズがティファニアの胸に埋まり、不機嫌そうな声を漏らす。それを気にしないままティファニアはルイズを抱きしめて彼女に囁くように言葉を伝える。

 

 

「お願い。無事で帰ってきて」

「そんな心配しなくて良いのに。本当だったら見送りも要らないのよ?」

「見送りたいの。お願い、見送らせて?」

「……じゃあお願いするわ」

 

 

 ティファニアの背に手を回し、ルイズは優しくティファニアの背を叩く。名残惜しむようにルイズをもう一度強く抱きしめて、ティファニアはゆっくりとルイズから離れる。

 

 

「……じゃあ、やるわよ。デルフ」

「へいへい。見届けてやるよ、相棒」

 

 

 愛剣であるデルフリンガーと軽口を叩きながらルイズはティファニアを見送る。

 ティファニアが離れた事を確認し、マチルダがティファニアに手に持っていたものを差し出す。それはティファニアのハープだ。マチルダに差し出されたハープを手にとってティファニアは距離を取るように歩く。

 ルイズの周りには誰もおらず、ただルイズの髪を揺らす風が吹くのみ。そんなルイズの背を見つめていたティファニアは一度目を伏せ、深呼吸をする。

 

 

「っ、……―――」

 

 

 ハープを構え、そっと指を添える。ティファニアの指が旋律を奏で、ティファニアは口を開く。ティファニアの口から零れたのは歌。しかしそれはハルケギニアの歌ではない。

 ティファニアが歌うのはルイズから教えて貰ったファ・ディールの歌。マナの女神へと捧げた賛美歌。異世界の歌は今、女神の為ではなく一人の友人である少女の為に歌われる。

 

 

「―――」

 

 

 ティファニアの歌に耳を澄ますようにルイズは目を伏せる。そのままゆっくりと息を吸う。何度か深呼吸をし、ルイズは視線を上げてティファニアの歌に合わせ、自らも歌う。

 二人の歌声が重なる。ハープの旋律に合わせて二人の歌声は高らかに響き渡る。世界を震わせるように歌声は響くその様は神秘的で、誰も踏み入る事を許さないと言わんばかりに世界を作り上げていく。

 二人の歌声に魅せられる中、動く者がいた。マチルダだ。マチルダは手に袋を持っていた。その袋の中身をぶちまけるようにマチルダは口の開いた袋を振り抜いてルイズの方へと袋の中身を放った。

 開いた袋から飛び出したのは美しい結晶体であった。思わず見守っていた者達は驚きに目を見開いた。彼等にはわかったのだ。その石には尋常ではない程の力が秘められていた事が。その石の正体を知る者はここにはいない。―――もしも、アレクサンドルがこの場にいたら石の名を呼んだであろう。

 

 

 

 ―――マナストーン、と。

 

 

 

「なんだあれは!?」

 

 

 ウェールズの疑問の声を飲み込むように風が吹きすさぶ。放り投げられた結晶体はまるでルイズの下に集まるように浮遊し、ルイズを踊り囲むように空中を巡る。

 やがて結晶体はその身を砕き、砂のように散っていく。砂のように散っていた結晶体はきらきらと輝きながらルイズを取り囲み、光の膜を作ってしまう。

 やがて作り上げられた膜は覆ってしまうようにルイズを隠してしまった。そしていつしか膜の周りを飛び交う者達が姿を現していた。

 

 

「まさか……あれは精霊なのか!?」

 

 

 驚愕の声をあげたのは果たして誰だったのか。

 ファ・ディールに存在した世界にありし属性を司る8精霊。

 はしゃぐように、歓迎するように、慕うように。喜びの様を隠す事無く現れた8精霊達は舞い踊る。

 ウィル・オ・ウィスプとシェイドが歓迎するように舞って。

 ドリアードとアウラが顔を見合わせ、微笑み合って。

 ノームとジンがハイタッチし、弾けたように離れて。

 サラマンダーとウンディーネが手を繋ぎ、戯れて。

 やがて彼等もまた光の膜に飛び込むように姿を消していく。誰もが幻想的な光景に目を取られる中、ティファニアは未だ歌い続けていた。祈るように、願うように、思いを込めて歌う。

 

 

(―――ルイズ)

 

 

 ティファニアの胸にある思いを歌に乗せて。

 

 

(―――ルイズ!)

 

 

 初めての自分と年の近い友達の為に。

 

 

(―――ルイズ!)

 

 

 自身と同じ秘密を抱えて、自分を受け入れてくれた彼女の為に。

 

 

 

「―――ルイズ!!」

 

 

 

 膜が、弾け飛んだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ―――かつてのお話。

 かつて世界には光しか無かった。

 光は自らの姿を見る事は出来なかった。

 だからこそ光の一部は闇になった。

 そして、闇は光に自分の姿を教えた。

 自分の姿を知った光は、やがて世界を作った。

 光は自分が生み出した世界を愛した。深く、深く、我が子を思うように。

 しかし、光が生み出した闇。それが世界から光を隔ててしまった。

 それが切欠で、光が生み出した世界は自らを滅ぼしかけてしまう程に争った。

 当然、光は嘆き、悲しんだ。違う、と。私は傷つけたい訳じゃなかったと。

 ただ自分の姿が知りたかった。姿を知って生まれた世界は愛おしく、愛おしいのに届かなくて。

 時は流れて、光はもう一つの光と出会った。自分よりも小さく、自分よりも弱く、自分と同じように闇を抱えていた光。それが突然、飛び込んできたのだ。

 大きな光は歓喜して、小さな光を受け入れた。飛び込んで来た小さな光は、やがていつか大きな光と寄り添い、一つになった。

 小さな光が、大きな光の闇を祓い、大きな光は、小さな光の闇を照らした。

 だから互いに、2つの光達は己の姿を知る事が出来た。だからこそ寄り添ったのだ。

 

 

 ――だから、知っている。

 

 

 彼女は全てをイメージした。世界を想像し、想像は創造となった。

 世界が生まれたのは、彼女の夢、彼女の描いた全て。それが世界。イメージしたものこそが世界を作り上げたのだ。

 全ての物は元を辿れば、世界は光に帰結する事を知っている。世界はイメージで作り上げられる事を……良く知っている。

 

 

 だから、私は―――。

 

 

 想像しよう。創造しよう。イメージを。もっと、もっと、もっと、イメージを。

 とくん、とくん、と。鼓動の音が二つ。

 重なり合った光が二つ。互いの姿を教える闇がやっぱり二つ。

 光の中に生まれた闇は姿となり、二つの姿は手を取り合うように重なる。

 影となった姿は決して美しいとは言えない。光に照らされた姿は見ようによっては醜い。

 だが、拒む事はないと言うように片方の影が相対する影を抱きしめた。

 強く、強く抱きしめる。もう離さないと言うように。

 応えるように熱が返ってくる。慈しむように頭を撫でられた。

 あぁ、その指の感触が愛おしい。感じられる熱も、声も、その存在が愛おしい。

 ねぇ、と。影の片割れであるルイズが問いかけを投げかけた。

 

 

「ねぇ? 貴方は知ってるわよね。だって貴方は、彼女じゃないけれども、でもやっぱり彼女なんだから」

 

 

 ねぇ? と甘えるようにルイズは全てを抱きしめて問う。

 

 

「一緒に来てくれる? 私とどこまでも一緒に。私の全てを受け入れてくれる? 私を……愛してくれる?」

 

 

 

 ―――ずっと一緒ですよ。一緒に生きましょう。一緒に行きましょう。一緒に往きましょう。

 

 ―――私の全ては貴方と共にあるのですから。愛おしき私の小さな英雄。

 

 

 

「―――ありがとう、マナ」

 

 

 

 ルイズの頬から涙が落ちる。ルイズが微笑み、彼女が……マナが笑った。

 そして二人の姿は重なって解け合い―――力が弾けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 歓喜するように吹き荒れる風が、光の膜が弾け飛ぶのと同時に凪いでいく。

 振り抜いた手が風を平伏させる。すっかり静まりかえり、見守っていた誰もが息を呑む中、“ソレ”は姿を皆の前に晒した。

 揺れたピンク色がかかったブロンドの髪は宝石を塗したように輝きを帯び、すらりと伸びた肢体は美しく、見惚れるような芸術的なバランスの身体には思わず感嘆の息が零れる事だろう。それだけならばただ美しい女性であっただろう。だが、違うのだ。

 その背には翼が生えていた。鳥や竜のような翼ではない。それは樹であった。生命に満ち溢れた樹の骨に薄い膜が張った翼。

 背にある翼を中心として、身体を這うようにツタが絡んでいる。身に纏う衣装は見たこともない素材で、神秘的にも思わせ、しかし人ならざる事実を強調させてしまう。

 デルフリンガーを構えた姿はまるで戦女神のようにも美しく、しかし美しすぎる故に悪魔にさえ見えてしまう。それが女性の、変貌したルイズの姿を見た者達の胸に生まれた思いであった。

 

 

「……ッ、ルイズ!」

 

 

 不安げに、涙を滲ませながらティファニアはルイズの名を叫ぶ。

 ルイズが振り返った。ルイズの面影を残し、彼女を成長をさせたような姿にティファニアは逸らさないように視線を向ける。

 ルイズはティファニアに淡く微笑みかける。樹の幹が軋む音を立てながらルイズの頬を浸食し、彼女に寄り添い、同化していくように絡んでいく。絡んだ枝は竜の角のように髪をかき分けて伸び、時間を追う事にルイズを人ならざる者へと変えていく。

 

 

 ―――大丈夫。

 

 

 そう、確かな声で呟くように。

 ティファニアにそれだけの言葉を残してルイズは翼を羽ばたかせた。羽ばたきの度に樹の軋む音を立てながら、樹木の翼はルイズに浮力を与える。

 そして地から足を離れた瞬間、ルイズは風に導かれるようにニューカッスル城より飛び去った。呆然とその姿を見送るアルビオンの民と、心配げに胸の前で両手を組み合わせたティファニアと、ティファニアを支えるマチルダを置いて。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 最初にその姿を見つけたのは貴族派の軍船の見張り台からニューカッスル城を望遠鏡で覗いていた兵士であった。

 最初は鳥だと思った。しかし鳥はあんなに早くは飛ばない。では竜なのか、と警戒を強めて改めて望遠鏡を覗き込んだ兵士はやがて驚愕した声で叫んだ。

 

 

「せ、船長!!」

「どうした?」

「お、女が……! 翼の生えた女がこっちに向かって飛んできます―――!!」

 

 

 何を言っている、と船長が見張りに対して声を荒らげようとした時であった。

 

 

 

 ――“去れ、始祖の血を仇なす屍を率いし外道共よ”

 

 

 

 声が、響いた。

 風が震えるようにして声は届いた。それは感情を窺わせぬ、人ならざる者の声。

 

 

 ――“去れ、偽りの理想を掲げし始祖の意思に背く背信者達よ”

 

 

 しかし、それは怒りを感じさせた。声には明らかな拒絶が込められ、敵意を以て声を震わせていた。

 人ならざる声は自分だけでなく周りの者にも聞こえているのだろう。動揺した様が兵達に見られる。

 声は何を言っている? 屍を率いし外道? 偽りの理想? 始祖の意思に背いた背信者? この声は何を言っている?

 

 

「せ、船長ぉ!? あ、あれ! あれを!!」

 

 

 見張り台に立つ兵士が恐怖に駆られて叫ぶ。慌てて見張り台に立つ兵士が示す先を見た。

 そこには―――神秘的にまで美しく、しかし美しさ故に人ならざる悪魔にも見える女が宙に浮いていた。

 

 

 ――“去れ。始祖の子に仇なせば……災いが下ると知れ”

 

 

 アレが、この声の主なのか。

 アレが、あの女が、あの化け物が、あの悪魔が、この声を我等に叩き付けているのか。

 

 

 

 ――“去れ。さもなくば虚無の意思を以て汝等を滅ぼすぞ”

 

 

 

 そして、女が眩い光を放つ。まるで蛍のような光が現出し、女の身体に吸い込まれていくように消える。淡く輝きを放つ中、女は手に掲げた剣を勢いよく振るった。

 瞬間、虹色の光が振り抜いた先に奔る。まるで線を引くように奔った光はわずかな間を置いて―――大地を爆ぜさせた。

 鼓膜を破らんばかりの轟音と、遅れて大地が崩れる音が響き渡る。それは船の下に陣を構えていた軍の鼻先を掠めるように深く抉られ、巻き上がる大地。それは一瞬、現実のものとして認識する事が出来なかった。

 

 

 ――“去れ。去らねば……見せしめもいるか?”

 

 

 見せしめ。それは、次はあの暴力的なまでの“光”を自分たちへと向けると言うのか?

 ぞっ、と背筋が凍った。アレはなんだ。アレは化け物だ。自分たちの理解の外側にいる圧倒的な強者。逆らってはいけない、逆らってはいけないと脳内で警鐘が鳴り響く。

 

 

 

「ぜ、全軍撤退! 撤退――ッ!!」

 

 

 

 まるで蜘蛛の子を散らすかのように貴族派達の軍勢は撤退を開始した。空中でその様を嘲笑っているように見える悪魔を背にして。

 


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