穏やかな日々
風を裂く音。一度、二度、三度、風を裂く音は立て続けに響く。次いで大きく木を殴打する音が響く。同時にぶつかりあっていた両者は距離を取るように飛び、後退る。
向かい合うのはルイズとアレクサンドルだ。ルイズの手には剣に似せて作った木剣。アレクサンドルは手には何も持っていないが、拳が握られていた。
ルイズはアレクサンドルと距離を計るようにじりじりと身体をずらす。応じるようにアレクサンドルもまた己の身体をずらし、ルイズとの距離を測る。互いに出方を窺うように互いの瞳を見据える。
「―――ッ!!」
何を切欠としたのか、飛び出したのはアレクサンドルだった。ステップを踏み、身体を左右に揺らしながらルイズへと迫る。緩急をつけたステップはルイズの目には一瞬、アレクサンドルが分身したかのように見えたが、すぐに木剣を掲げ、アレクサンドルから繰り出された蹴りを防ぐ。
そのままの勢いでルイズは蹴られた方へと身体を飛ばす。すぐさま態勢を立て直そうと地を踏みしめ、アレクサンドルを睨むも、眼前にアレクサンドルが迫る。息を呑むのは一瞬、ルイズは首を傾げ、ルイズの頭があった所にアレクサンドルの拳が振り抜かれる。
「――ッ!!」
今度は腹から蹴り上げるように迫った蹴り。ルイズは衝撃を殺すように腕で蹴りを止めながら飛ぶ。そのまま宙で一回転。身体を沈めるようにして着地し、鋭くアレクサンドルを睨み付ける。
「こ、のぉ――ッ!!」
咆哮と共にルイズは木剣を振るう。振るわれた木剣はアレクサンドルを襲い、アレクサンドルはルイズの一撃を避けて飛ぶ。その隙をルイズは逃さない。片手で握っていた木剣を両手で握りしめてアレクサンドルへと襲いかかる。
上段からの袈裟切り、身を捻ったアレクサンドルによって交わされる。追撃の左切り上げ。これは身構えたアレクサンドルが両腕でガード。ルイズはガードされるのがわかっていたように地を踏みしめて力を込める。
「飛べ―――ッ!!」
強引なまでに振り抜き。態勢を崩したアレクサンドルはそのままバク転。追撃をかけようと地を踏みしめて疾走したルイズの顎を蹴り抜くサマーソルト。が、それはルイズが咄嗟に足を止めた為、前髪をかする結果に終わる。
再び距離を取った両者。暫し睨み合い、再び距離を詰めて激突する。木剣を振り抜く音と拳や足を振り抜く音が響き、二人の舞踏はまだ終わる気配を見せない。
「はわー、よくやるねぇ」
ルイズとアレクサンドルの舞踏を見て暢気に呟くのはエルザだった。木の枝に腰を下ろして膝の上に肘を乗せて、顎を手で支えながら二人の舞踏を目で追っている。
エルザの足下、つまりは木の根元にはティファニアがいる。はらはらと心配そうに二人の舞踏を見ている。怪我をしないかどうか不安で仕方がないのだろう、とエルザは苦笑を浮かべた。
「嬢ちゃん、別に心配する事はねぇよ。相棒も相手も本気になっちゃいねぇんだから」
「ほ、本気じゃないって……」
「あれじゃ怪我してもすぐに治る程度の怪我しか負わねぇよ。しかし、アレクサンドルの奴もやるなぁ。相棒とあれだけ打ち合えるなんてなぁ」
「昔は一族で一番偉い人の騎士だったんだっけ? それなら納得かなぁ?」
ティファニアの隣に立てかけられたデルフリンガーが感心したように二人の戦いを見守りながら感想を零す。エルザは前に聞いた事を思い出し、アレクサンドルが実力者であった事に納得をしている。
こんな話をしてていいのかなぁ、と二人の舞踏を見守りながらティファニアは思う。言い出したのはルイズで、受けたのもアレクサンドルなので自分が口を出せる事ではないとわかっているのだが、怪我をするかもしれない、と思えば不安で仕方が無かった。
心配をするティファニアを余所にルイズとアレクサンドルの舞踏は激しさを増していく。攻め手はルイズ。真剣であれば一刀両断する勢いで振るわれた木剣をアレクサンドルは紙一重で躱していく。
攻撃が通らない事に焦れたようにルイズが舌打ちをして攻撃の手を止める。待っていたと言わんばかりに攻め手はアレクサンドルへと映る。フェイント込みの拳の乱打。ルイズは首を捻り、身を捻り、足の位置を変え、時に木剣で受け止めながらアレクサンドルの攻撃を躱していく。
「ハァッ!!」
「ッ!?」
焦れたような叫びと共に拳が振られる。ルイズの不意を打った拳はアレクサンドルの動きを一瞬止める。無理な体勢で伸びきったアレクサンドルの身体を今度はルイズは勢いよく蹴り飛ばす。
避けられない。伸びきった態勢では飛ぶ事も出来ない。蹴りを受けたアレクサンドルは勢いよく飛んでいく。追撃をかけようと踏み込んだルイズだったが、何かを察知したように木剣を振り抜く。
鈍い音を立てて木剣が根本から折れる。ルイズは緊張に強張った顔をゆっくりと息を吐きながら崩していく。そして、自分の木剣を折った原因のものを見る。それはカードだった。一見、変哲もないカードだったがこれがアレクサンドルの武器である事はルイズはよく知っている。
はぁ、と吐息してカードを拾い上げる。視線を上げれば腹をさすりながら歩み寄ってくるアレクサンドルが見える。感情が見えない微笑を浮かべるアレクサンドルに舌打ちをしながらルイズはカードを投げ返す。
ルイズの投げたカードを指で挟むようにキャッチし、懐へと戻す。カードを懐に戻したアレクサンドルにルイズはジト目で視線を送る。
「ちょっと、危ないじゃない」
「君なら叩き落とせると思ったからさ。じゃないと私が真っ二つだ」
「木剣で斬れる訳ないでしょうに。あー、作り直しじゃない。面倒くさいなぁ」
根本から砕けた木剣の柄を投げ、髪を無造作に掻き毟る。心底面倒くさそうにするルイズに肩を竦めて吐息するアレクサンドル。
二人が舞踏を終えたのを確認し、エルザとティファニアが二人の傍へと寄っていく。二人からタオルを受け取って汗を拭いながらルイズは呟く。
「んー、やっぱり勝てないわね」
「そう簡単に勝たせてはやれないからね。……とは言え、英雄様の相手は荷が重い」
「言ってなさい」
「ねーねー。稽古終わったなら早くご飯食べに行こうよ」
ふん、と鼻を鳴らしてルイズはタオルをエルザに返す。ルイズからタオルを受け取りながらエルザが言う。ぷぅ、と僅かに膨らませた頬は待たされた事に対しての不満をありありと示していた。
そんなエルザが可愛らしく思えてルイズはエルザの頬をつついた。ぶー、と空気が漏れる音を立てながらエルザがルイズを睨み付ける。何するのー! とルイズに両手を振り回して抗議するエルザにルイズが謝りながらエルザの頭を撫でる。
仲の良い二人の様子にティファニアは笑みを浮かべて小さく笑いを零し、そんなティファニアの様子を見てアレクサンドルが穏やかに微笑を浮かべる。
ティファニアがトリステイン魔法学院に来てから早数日。概ね、彼等の生活は穏やかなものであった。
* * *
「ティファニア、無理して全部食べなくて良いのよ?」
「で、でも残すと勿体ないし……」
貴族の食事は朝食でも豪華絢爛の一言に尽きるだろう。当初は自分に出された食事に目眩を覚えたティファニアだが、今でもまだ食事には慣れていない。更にはほぼ食べきれない量で出される食事を残さずに食べようとすれば、それは具合も悪くするだろう。
ルイズの場合は自身の朝食をエルザと分け合っているからいいものの、ティファニアの場合はこうも行かない。折角出されたものなのだから、と完食しようとしているティファニアは少し気持ち悪そうだ。
「ほら。そんな顔して食べられる方がよっぽど悪いわよ。もう止めておきなさい。エルザ、いる?」
「食べるー!」
「うぅ、ごめんね、エルザちゃん」
ティファニアが余した食事はエルザが元気よく食べていく。エルザの口についたソースを拭ったりと甲斐甲斐しく世話をしてやりながら三人の食事の時間は過ぎていく。
一息を吐く為にティファニアはワインを口に運ぶ。だが、飲む量はちびちびと少ない。トリステインではワインを水のように飲む習慣がある為、食事についてくる飲み物はワインとなっている。
これはトリステインでは水よりワインが安い為だ。慣れないティファニアには辛いものがある。かく言うルイズは慣れこそあれど、この食生活に満足しているか、と言われればそうではない。
今も元気に食事にがっついているエルザを見るともっと適度で健康に良いものを、と考えてしまうのはかつてファ・ディールで小さな同居人達と暮らしていた為だろうか。ルイズの脳裏にはかつての同居人達の姿が浮かんだ。
(……バド、コロナ)
バドとコロナ。ルイズが出逢ったまだ幼いエルフの双子。最初はいたずらをしていた所を咎め、戦いになっていた。そして気がつけばバドに弟子入りを申し込まれ、そのまま流れでコロナも自分の家へと上がってきた。
当時、魔法が使えなかったルイズは魔法に関しては二人に良く学び、共に研鑽した。ファ・ディールのものとはいえ、魔法が使えた時の感動は今でも忘れる事ができない。一つの事が出来るようになる度に三人で一喜一憂し、家にいたサボテン君に興奮混じりで語った事も昨日のように思い出す事が出来る。
魔法の事だけではない。ペットとして飼っていた魔物達と戯れたり、果樹園で出来たフルーツでデザートを作ったり、時には工房で一緒に頭を悩ませたりと色んな思い出が一つ、また一つと脳裏に過ぎる。
(二人には本当にお世話になったわね……。100年、か。寿命が長いあの子達ならもう大人になったぐらいかな)
かつて同居していた小さな同居人達に思いを馳せる。こちらで言うエルフ、森人である彼等と自分の時の流れは違う。そして世界も渡ってからの年月は途方もなく長い。
アレクサンドルは珠魅であるから変化はないように見えた。だが、故にこそ彼の100年という言葉が途方もなく現実味を帯びてしまう。かつていた世界は今はどんな世界へと変わったのだろうか。言いようもなく寂しくなる。
(まぁ、100年経っても変わらない奴もごろごろいる世界だったから気にならないかもね)
そしたら以前のように迎えて貰えるだろうか。別れは済ませて来たが、会うことが叶うならばまた会いに行きたい、と思う。
ルイズが思い耽っているとルイズの名を呼ぶ声をが聞こえた。声の方へと視線を向けてみれば、そこにはキュルケがいた。キュルケの傍らにはタバサとギーシュも揃ってルイズ達の座っているテーブルへと向かっていた。
「はぁい、ルイズ、エルザちゃん。それとミス・ウエストウッド」
「ティ、ティファニアで大丈夫です……」
「あらそう?」
ティファニアは慣れない敬称に身を縮ませる。この学院に入学する際、ティファニアは名をティファニア・ウエストウッドとして入学した。しかしこの敬称で呼ばれるのはどうにも慣れずに名前で呼んで貰う事をお願いしていた。
ルイズが傍にいる事によって敬遠されがちではあるが、奥ゆかしいティファニアの態度は学院の青少年達には一種の清涼剤のような効果を現し、本人が知らない間にティファニアの人気は鰻登りしていた。お近づきになりたいと思う男子生徒は後を絶たないだろう。
それをわかっているルイズはティファニアの故に傍にいるように心がけている。かつてゼロと蔑まれたルイズ。今となっては魔法が使えるように装っている為に蔑まれる事はないが、かつての経験からかルイズと距離を測りかねている生徒が多数なのだ。今ここにいるキュルケやタバサ、ギーシュ等の例外を除いて。
「何の用よ? キュルケ」
「噂の転校生が気になったからに決まってるでしょ?」
「ま、だろうけど」
座れば、と備え付けられていた椅子に視線を送る。たまたま近くを寄ったのだろう。かつてルイズが助けたメイドであるシエスタは三人の為に椅子を用意した。
ギーシュは若干気まずそうにしていたが、素直に礼を告げていた。一瞬、驚いたような顔をしたシエスタであったが、すぐに一礼をして去っていってしまう。仕事が忙しいのであろう。去っていくシエスタの背中を見送ってルイズ達は改めて顔を見合わせた。
「噂の新入生も、“魔女”の懐にいれば安心って訳?」
「“魔女”?」
「知らなかった? 今の貴方の二つ名よ」
「……明らかに良い意味ではないでしょうね」
眉を寄せてルイズは不機嫌そうに言う。そんなルイズを楽しげに見ているキュルケは順を追って説明する。そもそも、この魔女という二つ名を広めたのは、かつてルイズにくってかかった生徒が広めたものだと言う。
ルイズによって同じ魔法で叩き伏せられる、といった経験は生徒にとっては今までの報復であったと思ったのだろう。それ以来、恐怖が先走って“魔女”という言葉が出たのだ。それは密かに広まり、段々と定着していったのだ。
唐突、態度を変えて大人しくなり、魔法を扱えるようになったルイズに対する畏れとして広まったのだ。吸血鬼を使い魔として従えていた、という事からルイズが既に眷属化されてしまっているのではないか、という話まで広がっているという。
「何それ。気分悪いなぁ」
機嫌が悪そうに呟くのはエルザだ。仕方ないといえば仕方ないのだが、エルザからしてみれば自分がルイズを害するという事はない。
それが人から見れば自分がルイズを従えているなどと触れ回られるのは癪に触るというものだ。まぁまぁ、と不機嫌に顔を歪めるエルザにキュルケは宥め賺す。
「まぁ、話してみればそうでもない、ってのはわかるんだけどね。ほら、今までが今まででしょう? 素直に賞賛も出来ないし、かといってルイズも態度がまるっきり変わっちゃったから別人になった、何か企んでる、とか思われても仕方ないわけよ」
「なによそれ。じゃあ、私が今までみたいに癇癪持ちみたいに振る舞ってた方が良いって言うの?」
「自覚があったのか……」
「何か言った? ギーシュ」
「いや、何も」
不機嫌そうに眉を寄せて呟くルイズにギーシュは小言で呟く。ギーシュの小言を逃さずに拾ったルイズはジト目でギーシュへと視線を向ける。
視線を向けられたギーシュは爽やかなまでな笑顔を浮かべて告げた。額に汗が浮いてなければ完璧だっただろう。
「にしても、ねぇ。私も自信あったんだけど……上には上がいるものね」
「……あら。私の前でその話題を出すって事は殺して欲しいって事かしら?」
キュルケがほぅ、と吐息を吐いて視線を向けるのはティファニアの胸だ。瞬間、青筋を浮かべながらルイズが据わった目でキュルケを見た。目が笑っていないのに顔だけが笑っているその様は恐怖を呼び起こすには充分過ぎた。
流石に空気で不味いと悟ったのか、キュルケはホホホ、と笑い誤魔化す。ギーシュに至っては顔を真っ青にして震えていた。タバサでさえ冷や汗を掻きながら戦闘態勢を取ろうとした身体の力を抜く。エルザはルイズを哀れな者を見るように見つめ、ティファニアはよくわからず首を傾げた。
「やっぱり私の胸っておかしいのかな?」
「は? おかしいに決まってるじゃない」
「ぇぅ!? う、うぅ、じゃあやっぱり変だから視線が集まるのかな……?」
「ティファニア? 私を怒らせたいのかしら? ん? 喧嘩売ってるなら買うわよ? 今なら大出血サービスよ?」
「ちょ、ちょっとルイズ?」
自分の胸へと視線を落として悩みながら呟いたティファニアの言葉を、ルイズは満面の笑顔で地に叩き落とす。ルイズの反応にはティファニアも涙目になって自分の胸に手を添えた。
その度にルイズの纏う雰囲気が悪鬼羅刹の如く歪んでいく。顔は満面の笑顔なのに纏う雰囲気はオーク鬼のようだ、とはどんな悪夢か、と流石のキュルケも引きつった表情を浮かべている。ギーシュは意識が飛びかけていて、タバサすら冷や汗を流していた。エルザはどうしようもならん、と左右に首を振った。
「あのね? ティファニア。……そのね、貴方の胸は確かに他の人と違うわ」
「……キュルケさん」
「でもそれは変だから注目を集めるんじゃなくて……そう、貴方の胸は特別なのよ」
「特別、ですか?」
「はっ! その胸には大きな希望が詰まってます、って? なに、つまり私は絶望? それとも絶壁とでも言いたいのかしら? ツェルプストー? 誰が上手い事を言えと言ったのかしら?」
「被害妄想じゃない!? ヴァリエール、なんで貴方、この話題にそんな過敏に……あ、ごめんなさい」
「謝った!? 謝ったわね!! 良いわ、良いわツェルプストー、長きに続いてきたヴァリエールとツェルプストーの因縁、ここで晴らすわ!!」
「どんな因縁の付け方よ!?」
「あとギーシュ。二人の胸に目を奪われたアンタは後で殺す」
「ひぃっ!? ル、ルイズ、男の性なんだから仕方がないじゃないか!?」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ出す三人を見てティファニアは目を丸くしている。目を血走らせて今にもキュルケに襲いかかりそうなルイズと、ルイズの雰囲気に飲まれながらもなんとか諫めようとしているキュルケ。そして巻き込まれたギーシュ。
呆然と三人の様子を見ていたティファニアだったが、不意に両肩からぽん、と手が置かれる。左右にはそれぞれタバサとエルザがいた。タバサは無表情のまま、エルザは呆れたように左右に首を振った。
「気にしなくて良い」
「所詮は個人差だからさ」
二人の言葉を受けてティファニアは、なんだかなぁ、と釈然としないまま頷くのであった。
* * *
「くそ、くそっ! 一体何が起きたというのだ!?」
深夜、双月が浮かぶ夜に男は荒れ狂っていた。叩き付けたワイングラスがまだ残っていたワインと共に床に叩き付けられ、砕け散る。それでも男の気は済まないのか、何度もワイングラスの破片を踏み砕いて怒りを露わにしていた。
男のいる部屋は高級な調度品で囲まれていて、男の着る衣服も彼が位の高い者である事を示す高級なものだ。わなわなと肩を震わせながら男は収まらぬ怒りの吐き場を探していた。
「何故なのだ! 何故、こんなにも唐突に貴族派が壊滅したのだ!!」
突然届いた知らせに頭が真っ白になってから早数時間。酒を飲んでも紛れぬ気はどうやっても沈める事が叶わない。何度目かわからぬ悪態を吐きながら男は荒れ狂う。
そう、この男はかのアルビオンの反乱軍、貴族派に荷担していた男であった。しかし協力者という立場であり、アルビオンに居なかったが為にアルビオンの悲劇に巻き込まれずに済んでいた。
しかし唐突の貴族派の崩壊は彼の出した支援金を悉くを無に帰してしまった。徒労に終わってしまった支援。それが男には堪らなく口惜しい。思い描いていた夢もまた夢想のままに終わってしまった。
―――……夢を抱くか?
故に、闇が囁く。
「な、何者だ!?」
「―――そなたの夢、実に良い。故に力を貸してやろう」
「何……?」
「貴様にくれてやろう。“王”となるべき相応しき力を」
すっ、と差し出された指輪を見て訝しげに目を細める男の前に立つのは、フードで顔を隠した謎の男。僅かに見える口元だけが愉悦に歪んでいた。
闇は、光届かぬ場所でただ静かに、だが確実にゆっくりと蠢いていた。