ルイズの聖剣伝説   作:駄文書きの道化

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貴族たる者

 昼食の時間になると共にルイズは自室を後にした。自室にいる間は当時の自分の名残を懐かしげに見ていた。魔法を使えずともせめて心だけは貴族たらんと努力をし、貪欲にまで魔法の知識を学んでいた頃の自分の軌跡は何とも言えない感傷をルイズに与えた。

 あの頃にはもう戻れない。戻るつもりもないが変わってしまったという実感は複雑な思いを生む。故に変わってしまった事で得たのは諦観しかない。

 ここで過ごした記憶の中に良い思い出は少ない。余りにもここで望めるものが少ない事がルイズにとっては何よりも残念だった。

 鍛え上げた肉体も、自分の工房などもあった拠点も失い、心を通わせた友とも二度と会えない。思い返せば泣きそうになる程に、ファ・ディールの記憶はルイズに色濃く影響を残している。

 だからこそ、ルイズはこれからを考える。この後の自分の人生をどう歩んでいくかを。

 

 

「世界はイメージで作れるのよ。望むように描くだけ、ってね」

 

 

 そうでしょう? と誰かに同意を求めるようにルイズは笑った。目指すはアルヴィーズの食堂。まずは何よりも明日への為の糧を得る為に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズが食堂に入り、その騒動と出くわしたのは彼女が広場での追求を避ける為にわざわざ時間をずらしたからであろう。

 食堂の入り口にさしかかった所で勢いよく駆けていく誰か。怒り心頭、という表情で駆けていく誰かは、余りの勢いに誰か確認する事は出来なかった。マントが自分と同じ色だったから同学年の誰かである事はわかったが、それだけだ。

 

 

「何なのよ?」

 

 

 怪しむように呟きながら食堂に入ってみると何やら食堂の中が騒がしい。一体何の騒ぎかと覗き込む。何かあったのは一目瞭然。しかし、悲しいかな。小柄であるルイズには人垣に阻まれて何が起きているのかさっぱりだ。

 しかし、人に聞くというのもなかなかに難しい。こんな時にゼロと侮られた自分が恨めしい。そこでルイズは思う。考えてみればわざわざ首を突っ込む程、見る価値があるのかと問われれば微妙だ。

 元より学院は閉鎖空間に近い。そして娯楽はあまり少ない。ちょっとした出来事でもこうして人を集めてしまうのだろう。だからこの騒ぎもその一環にしか過ぎないのだろう、と。

 そう結論づけたルイズは本来の目的を果たそうと場を離れようとする。すると不意に視線に映ったのはメイド。痛ましげに騒ぎの中心を見やるメイド達が見えたのだ。メイド達の様子にルイズは引っかかりを憶えた。

 何故そんな表情を彼等はしているのか、と気になったルイズは彼女たちに近づき、声をかける事にした。

 

 

「ちょっと良いかしら?」

「え? あ、ミ、ミス・ヴァリエール!」

「これは一体何の騒ぎなの?」

 

 

 メイド達へと足を進めるルイズ。彼女はそこでようやく中の様子が伺えるようになった。すると聞こえてきたのは声。男の声だ。何やら怒鳴っているようだが、その声にルイズは聞き覚えがある。

 

 

「ギーシュ?」

 

 

 ギーシュ。それはルイズの同級生の少年だ。本名はギーシュ・ド・グラモン。メイジとして与えられた2つ名は“青銅”。その名から解る通り、彼は青銅を錬金する土メイジである。

 目立ちたがり屋でキザ、なのでルイズも何かと憶えている相手ではあったが、彼が怒鳴り散らしているのがどうにも野次馬を集めた原因のようだ。しかし怒鳴られている相手はどうやら平民のメイドのようだった。腰を抜かしているのか、その場に座り込み、ただ体を震わせながら頭を下げている。

 

 

「ちょっと、あの子、粗相でも起こしたの?」

「え、いえ、その、シエスタ……あ、あのメイドの名前です。シエスタはミスタ・グラモンの落とし物を拾っただけなんです」

「そしたら、それはミスタ・グラモンがミス・モンモランシから受け取った貴重な香水だったらしいんです。それで、どうにもお二人はお付き合いなさっていたようで……」

「最初、ミスタ・グラモンは自分のものではないと言い張っていて、シエスタもどうすれば良いか戸惑っていたら1年生のミス・ロッタが出てきて……その、ミスタ・グラモンは二股をかけていたそうなんです」

「それが2人にバレてしまって……。そしたら、その原因はシエスタの所為だ、とミスタ・グラモンが……」

「はぁ?」

 

 

 開いた口が塞がらないとはこの事か、とルイズは口を開けながら思う。要はシエスタというメイドの子が偶々拾った香水が原因でギーシュの二股が発覚して、シエスタが責められているのだろう。だが、それは流石にあんまりなのでは無いだろうか、と。

 シエスタが知っていてやったというのならば不味いが、そもそも知る由もないし、平民である彼女が貴族に喧嘩を売るような真似をするとは思えない。いいや、考えるなんて事すらもしないだろう、と。

 貴族には魔法という絶対的な力がある。魔法が使えない平民は貴族の魔法の前には無力も等しいのだ。故に平民は貴族に逆らうのは愚かだと知っている。

 聞く限りではどう考えてもシエスタに否があるとは思えない。あるとするならばギーシュだ。そもそも二股かけている方が悪い上に、バレるような要因を作ってしまったのもまた彼だ。明らかにギーシュの方に否があるのは火を見るより明らかだ。

 

 

「それでこの騒ぎ、ね?」

 

 

 呆れた声でルイズは呟いた。やれやれ、と言うように視線をギーシュと叱責されているシエスタへと目を向ける。ギーシュは皮肉めいた口調でシエスタを嬲り続けている。晒されたシエスタは憐れにも震え、怯える事しか出来ていない。

 

 

「仕様がないわね」

 

 

 ルイズの言葉に戸惑うようにメイド達はルイズへと視線を向ける。ルイズは視線を向けられた事に意を介さず歩き出した。

 ルイズは野次馬をしていた人垣を無理矢理掻き分けるように突き進んだ。人を押しのけ、ギーシュとシエスタの下へと辿り着く。そしてそのままシエスタの前に立ち塞がるようにしてギーシュの前に立つ。

 周囲にどよめきの声が湧く。突然のルイズが現れた事に誰もが驚きを隠せていない。そんな中でルイズはこれ見よがしに肩を竦めてみせる。

 

 

「昼食時になんて騒ぎを起こしてるのよ? ギーシュ」

「……ルイズ?」

「少し落ち着きなさい。自分が一体何してるのかわかってるの?」

 

 

 シエスタを庇うように立ち塞がりながらルイズは目を細めてギーシュに問いかける。突然乱入してきたルイズに場は一瞬騒然とする。誰もが目を驚きに見開かせ、ルイズを見ている。

 

 

「君には関係無いな。僕はそこのメイドと話があるんだ」

「まぁ、落ち着きなさいって。話は聞いたわよ。この子が香水を拾ったのが原因らしいけど……どう考えたって不可抗力じゃない。彼女に非を求めるのは酷じゃないかしら?」

「ぐっ!? だ、だがルイズ。僕は彼女が香水の事を訪ねた時、僕は知らないフリをした。それに合わせるぐらいの機転が……」

「言いたい事はわかるけど……それは余りにも無茶だって自分だってわかってるでしょ? それは余りにも都合が良すぎる貴方の願望じゃない」

 

 

 ルイズの呆れたように告げられた正論にギーシュは言葉を詰まらせる。ギーシュとて、ルイズの言っている事が分からない訳ではない。だが、彼は今、失恋のショックから理性的な判断が出来ないだけだろう、とルイズは考える。

 時間さえ置けば、彼は落ち着いて物事を考えられる筈だ、とルイズはそう考えていた。思考に沈んでいたルイズは自分に向けられた嫌な視線を感じた。ギーシュからの視線だ。黒く濁ったような瞳。

 ルイズはその瞳を見た事がある。負の感情に囚われた者が見せる淀んだ瞳。それは真っ直ぐにルイズに向けられている。

 

 

「随分と平民の肩を持つな、ルイズ。そうかそうか。魔法が使えない君だ。魔法を使えない平民に共感して助けてやろう、などと思っているのかい? 涙ぐましいものだ!」

 

 

 ギーシュの見下したような視線にルイズは静かに吐息した。その様はまるで呆れ果てたような仕草であった。

 

 

「別に魔法が使えないから助けた訳じゃない。ただこの子が怯えているから助けようと思ったたからだけよ。それがいけない事かしら? 逆に聞くけれど、不当な暴力を向けられて、傷つけられようとしている民を前にして立ち上がらないのは……貴族として、いえ、人として私は間違っていると思う。だから私はここに立っている」

「な……!」

「ねぇ? もう一度言うわよ? 少しは落ち着いて、周りを見て見たらどうなの? 今の貴方、ただの笑い者よ? そうしたのは貴方の責任じゃなくて? この子を責める前に貴方には謝らなきゃいけない子がいるんじゃないの? 貴方がすべき事は不運に怯えるメイドに八つ当たりをする事? ……無能である私を貶し、自らの優越感に浸る事が今の貴方がすべき事かしら?」

 

 

 ルイズは静かな声で告げる。だが、ルイズから静かに発せられる怒気は肌を焼くような錯覚さえ与えていた。しかしそれは抑えられているが故にその程度で済んでいる。

 ルイズの内心では深い怒りに包まれていた。反吐が出る、と言うように。あまりにも下らないと、失望すら覚える程に。

 

 

「魔法、魔法、魔法……。もううんざりよ。使えないから何よ。えぇ、確かに始祖ブリミルより賜った奇跡よ、魔法は。授けられた者は貴き者、貴族と呼ばれるでしょう。けど、その魔法による恩恵はこんな下らない事をする為に授けられた力?」

 

 

 はっ、とルイズは鼻で笑った。まるで聞き飽きたと言うかのように、冷笑を浮かべるルイズはギーシュを細めた瞳で睨み付ける。

 

 

「では! ご教授頂けますか? ミスタ・グラモン!! この私に、魔法を使えぬ貴族たり得ぬ者に貴族とは何たるかを!! その口で、貴き血に誓って、魔法を使えぬ矮小たる私に説いてくださいな!! 魔法とは何か! 魔法を使える貴族とは何か!! 今の行いに対する正当性を!! ―――言えるもんなら言ってみなさいよッ!!」

 

 

 渇、と。ルイズの叫びは世界を震わせた。

それは抗いの為の咆吼。憤りを秘めた問いは、今までルイズが溜め込んできた鬱憤の一部だ。過去のルイズはそれしか知らず、ただ魔法を扱えぬ己が身を呪うだけであったが、今は違う。

 無論、力も重要だ。それは世を動かす力なのだから。だが、だからこそルイズは心を忘れてはならないと胸に刻んでいる。

 心なき力は暴力。それは誰かを傷つける為にしかあらず。それが“貴族”たらしめるものではないと、そんなものに過去、自分が憧れていた筈がない。この世界への帰還を望む訳がない。

 故の叫び。そんなルイズの叫びを受けたギーシュは落雷でも受けたように目を見開かせて立ち竦んでいた。

 

 

「……僕は」

 

 

 何をしていた。いや、そもそも今、何を言った? ギーシュは自分自身へと問う。

 辺りを見る。野次馬達が集まり、騒ぎを見守っている。目の前に立つのはルイズ。そのルイズの背には怯え、震えているメイド。

 ギーシュの顔がさっ、と青く染まっていく。まるで冷や水をかけられたかのようにだ。懸想していた少女に最低と罵られて、感情に囚われていた自覚はある。

 確かに二人の女の子に声をかけ、愛を告げたのは事実。だがそれはギーシュにとっては真摯な思いだったのだ。可愛い女の子は愛で、慈しむものだと心の底より思っているからだ。

 故に起きてしまったこの事態にショックを受け、行き場のない感情を本来は非のないメイドにぶつけてしまった。そして今、自分の目の前にルイズが立っている。

 貴族とは何か、と真っ向からぶつかってきたルイズにギーシュは、簡単に言えば目を覚まさせられた。

 彼女の言うとおりではないか。これが貴族の行い? そんな筈がない。これではただのピエロでしかない。

 魔法が使えないから貴族ではない。だから平民と同じ? 違う。今、目の前でメイドを庇い、守らんとしている彼女こそが貴族たり得る姿ではないのか?

 対して自分は彼女に何を言った? 魔法が使えないから平民に同情している? 違う。違うだろう、と自身で推察する度に頭を殴られたような衝撃を走る。

 

 

「僕は……!」

 

 

 ――情けない。

 歯を噛みしめる程に悔しい。あぁ、数分前の自分を殴り飛ばしてやりたい。吐き出した唾はもう戻らない。それがルイズの怒りを呼び覚まさせた。

 確かにルイズは“ゼロ”と呼ばれ、魔法が使えない。魔法を失敗させて爆発による被害を出した事だって一度や二度じゃない。

 けれどそれでも彼女は貴族で在り続けた。ルイズが勤勉な生徒である事をギーシュは知っている。魔法を使えずとも座学において優秀な成績を残している事を知っている。

 そんな彼女に対して自身が言った言葉は、最低も通り越した発言だ。魔法が使えないから平民に同情しているなんて、そんな筈がない。彼女はただ貴族で在らんとしただけ。

 そんな彼女に貴族が何たるかを説け? あぁ、皮肉も良いところじゃないかとギーシュは眉を寄せる。“貴族”たる彼女に“貴族”を説く等と滑稽な自分には痛烈な皮肉だった。

 

 

「――おい、何黙ってるんだよギーシュ!」

 

 

 不意に、野次馬達の中から声がした。ギーシュは驚きのあまり声の主へと視線を向けた。それは同学年の男子生徒だった。何度か話を交わした事がある、その程度の認識の生徒だった。

 

 

「“ゼロ”のルイズに怖じ気づいたか!? まさか! 言ってやれよ! 自分で言ったとおり“魔法も使えない矮小な貴族”なんか貴族じゃないってなぁっ!!」

 

 

 嘲りの笑いが響く。少なからずその嘲りは野次馬の中で聞こえている。クスクスと、ルイズを嘲笑うかのように。

 

 

「平民を庇った所でメイドなんて“幾ら”でもいるだろ? たった一人、しかも粗相を働いた平民相手に何をムキになってるんだよ! ほら、ただ同情してるだけだろ、なぁ、“ゼロ”のルイズ!!」

 

 

 代わりなど幾らでもいる。あぁ、そうだろう。魔法を使えない平民は金さえ出せば幾らでも雇える。暴論だが、その暴論が罷り通ってしまうのがハルケギニアの現状なのだ。

 貴族は魔法という奇跡を扱える。それは始祖より授けられた奇跡にして、平民達を守る牙であり、生活を豊かにする奇跡の担い手なのだ。

 だからこそ平民は貴族に仕えて当たり前。平民が幾ら束になろうともの為せぬ奇跡を貴族は為す事が出来る。それは始祖の血脈から続く、先祖代々受け継がれたものなのだから、と。

 それはハルケギニアにおいて貴族の権威が保たれている絶対たる理由。――だが、野次を飛ばす生徒の論は余りにも暴論だ。

 平民たった一人。あぁ、たった一人だ。金で雇っている労働力の一人だ。いなくなればまた雇えばいい。“代替え品”など幾らでも金で雇えるのだから。それは余りにも極論である。だからこそ、ギーシュは頷かない。

 

 

「……ミスタ、少し黙っててくれないか?」

 

 

 

 ――あぁ、“反吐”が出る。

 ギーシュは静かに野次を飛ばした生徒を窘めるように告げ、ルイズに真っ直ぐと視線を送る。

 彼女はただ静かに見つめ返すだけ。僅かに細めながら自身を見つめてくる瞳にギーシュは息を呑む。だが、意を決したようにギーシュは言葉を紡いだ。

 

 

「ミス・ヴァリエール。非礼を詫びよう。君に侮辱の言葉を浴びせた事を謝罪する。そして貴族たるに相応しき君の在り方に心からの敬意を。そして我が身の不徳致す所、迷惑をかけて申し訳ない。そこのメイドの君にも謝罪を」

 

 

 ギーシュは深々と頭を下げてルイズへの謝罪の言葉を口にした。どよめきが周囲で沸き上がるが、ギーシュは意に介さない。今、ここで見せなければならない。ルイズに対しての誠意を。

 見せなければこれから一生、自身は誰にも胸を張れないであろうと。この蔑みは甘んじて受けるべきもの。故にギーシュはただ、深々と頭を下げ続ける。

 

 

「謝罪を受けるわ。だから顔を上げて。ミスタ・グラモン」

 

 

 静かな、だがそれでいて通るような声でルイズはギーシュに告げる。ギーシュは暫し頭を下げたままだったが、今度はギーシュ、と柔らかな声で名前を呼ばれた事で下げていた頭を上げた。

 

 

「恥を認め、謝罪の言葉を紡いだ貴方の勇気と誠実さに心よりの賞賛を送るわ。だから、もう頭を下げる必要なんてない。胸を張って。貴方にはその資格がある」

「ルイズ……」

「後は、自分の身から出た錆を濯ぐだけよ」

 

 

 頑張りなさい、と。ルイズは静かに伝えてギーシュに背を向けた。そして呆然と事態の推移を見守っていたシエスタへと手を伸ばす。伸ばされた手にシエスタは戸惑いの表情をルイズに見せる。

 ルイズは仕様がない、と言うように笑い、シエスタの手を取って立ち上がらせるように引いた。未だ足下の覚束ないシエスタを支えながらルイズは、茶目っ気を込めたウィンクを送った。

 

 

「さ、もう行きなさい。ここに居ては仕事に差し支えるわ」

「ぇ……ぁ……?」

「ほら、早く」

「ぁ、あのっ、何故……!?」

 

 

 混乱が覚めない中、シエスタはルイズの手を握りながらルイズを見る。先ほどの野次馬の貴族が言ったように“粗相を働いたメイド”など斬り捨てられても仕様がない身だ。

 理不尽ではあるがそれがシエスタにとっての現実。平民はただ貴族に仕え、その機嫌を損ねる訳にはいかないと。故に打ち首にされても仕様がない失態をしてしまったのに何故庇うのか、と。

 ルイズはそんなシエスタにどこか困ったように笑みを浮かべ、しかしすぐに咳払いをして表情を顰めてみせる。

 

 

「心得なさい。ここは貴族の食卓。平民である貴方がいつまでも座り込んで、呆けていい場所ではないわ。……行きなさい」

 

 

 告げる言葉はどこか刺々しく、しかしそれは言う事を聞かない子を叱りつけるような暖かさに満ちた言葉だった。シエスタはルイズの言葉でようやく、先程まで堪えていた恐怖から解放されたという実感からその双眸を涙で歪ませた。

 言葉を発する事が出来ず、ただただ深く頭を下げてシエスタは場より去ろうと走り出した。向かう先は厨房へと。その背を見送りながらルイズはただ微笑を浮かべていた。

 

 

「……ミス・ヴァリエール」

 

 

 ふと、そこに声が響く。ルイズは微笑を消して振り返る。そこにはルイズの言葉に対して反論を浴びせかけた男子生徒が立っていた。

 彼はどこか呆れたような、それでいてルイズに浴びせかけるように敵意を向けながら言葉を続けた。

 

 

「君の行動に物申したい。君の行いは貴族の尊厳を著しく損なう行いだ。自覚はあるかね?」

「尊厳を損なうですって?」

「そうだ。罪には罰を。それはごく当たり前の法則だ。今の平民は貴族に対して“無礼”を働いた。それを罰する事無く許すというのは貴族の権威を著しく損なう行いだ。僕ら貴族は平民の上に立つ者だ。ならば罰するべきあのメイドに罰を与えようとした行いを“貴族らしからぬ”と否定する君は貴族の権威を損なわせている」

「……はぁ」

「ふん。流石はゼロのルイズだね? この程度の“常識”も弁えていないと見える。そこのミスタ・グラモンもだがね?」

 

 

 男子生徒の言葉にルイズは気の抜けたような返事を返す。自身の名を引き合いに出されたギーシュは静かに瞑目し、ゆっくりと息を吐き出す。

 

 

「困るんだよ。前例を作ればそこにつけ込み、勘違いをする平民が増える。これは由々しき事態だ。貴族の権威を損なう。貴族らしからぬ君が貴族を語って貰っては困る」

「……それで?」

「謝罪しろよ。頭を擦りつけて今の発言の全てを撤回しろ」

 

 

 にやり、と口の端を持ち上げて言い放つ男子生徒。ルイズは名目し、どこか疲れたように頭を掻きながら吐息混じりに言った。

 

 

「――ご免被るわ」

「……何?」

「私は貴族の尊厳を今の行動で損なうとは思えないからよ」

「君は平民に甘いって言うんだよッ!! 罰も無しに許せばつけあがるだけだ!! 君の勝手な振る舞いで貴族を舐めてかかる平民が増えたらどうしてくれるんだ!?」

「……罰なら散々ギーシュが叱責したじゃない。そしてギーシュは自分にも非があったと認めた。メイドも自らの非を謝罪した。お互いの非を認め、当人達が納得したならこれ以上、この問題を広げる必要はないじゃない」

「それもこれも君の甘言の所為だろ! 一体、何をしたのかは知らないが使い魔といい、ギーシュといい、一体どうやって誑かした!」

 

 

 誑かす? とルイズは心底不思議そうに首を傾げた。ルイズにくってかかる男子生徒は泡を飛ばす勢いでルイズに捲し立てる。

 

 

「自身が使い魔を召喚出来ないからと人の使い魔を奪おうとする悪女め! 更には貴族の権威まで脅かすか!!」

「……ちょっと、意味がわからないわね? 私がいつ、貴方の使い魔を奪おうとしたって言うのよ」

「広場での一件を忘れたとは言わさないぞ! 僕の呼びかけにも応えず、君と寄り添った使い魔の姿を! 君が何かしたんだろう!! 薄汚い奴め!! 貴族でありながら貴族の品位を捨てたか!! ヴァリエール!!」

 

 

 ルイズは男子生徒の言葉に合点がいったのか、掌に拳を置いて納得するそぶりを見せた。

 

 

「別に誑かすだなんて……」

「君が使い魔召喚を失敗したのは知っている! 妬んで邪法にでも手を出したのか? 貴族の面汚しじゃないか! 貴族に仇為す悪女め!」

「――ミスタ、いい加減にしたらどうかね? 悪女、と証拠も無しに罵るのは些か品位が欠けると見えるが?」

 

 

 ルイズが不愉快げに眉を寄せながら反論しようとするも、男子生徒の罵りは止まらない。

 そんな時だ。ルイズと男子生徒の間に立ってみせたのは他でもない――ギーシュであった。ルイズを背に庇うようにし、真っ向からギーシュは視線を向ける。

 

 

「ギーシュ! 証拠も何も、僕の使い魔が僕に従わなかった! それが証拠だ!! この悪女は何か邪法に手を出して僕の使い魔の心を奪ったに違いない!」

「だからそこにどんな証拠があるっていうんだね? ミスタ。君は些か冷静さを失っている。君の品位を疑いかねない発言が零れている事を自覚しているかね?」

「僕だけじゃない!! 他の皆だって知ってるだろう!! この悪女が使い魔を誑かし、侍らせていた事を!!」

 

 

 男子生徒は皆に訴えかけるように叫ぶ。周囲にルイズを擁護する気配は無かった。逆に少年に同調し始める生徒すらいる。

 事実、ルイズが使い魔達と戯れ、主人達の意に介さずルイズの傍らに在り続けたのだから。怪しむ者は確かにいた。成る程、邪法に手を出したという可能性もあるのか、と。

 

 

「君だって心奪われているんじゃないのか? さっきまであんなにモンモランシーとケティへの愛を語っていた君が何故ヴァリエールを庇うんだい? 平民を庇おうとする女を? おかしいと自分で思わないのか!? ギーシュ、君は今、操られているんだよ!!」

「――そこまでにしたらどうかね? ミスタ。幾ら温厚な僕とて、彼女へのそれ以上の侮辱は許容しかねる」

 

 

 ギーシュは努めて平坦な声で告げた。正直、腸が煮えくりかえりそうな状態だった。操られている? そんな事、万が一も考えられない。彼の言う通り、自分が愛を囁いた記憶も気持ちも残っている。

 その上でルイズの言葉に感銘を受けた自分が居る。ならばそれは嘘ではない。だから邪法で操っている? 馬鹿も休み休み言え、と言わんばかりの心境だ。真摯に向き合い、力なき平民を守ろうとし、自身の誠意に真っ向から相対してくれた彼女を何故、悪女と呼べようか!?

 

 

「ギーシュ!」

「君の言う事は見当違いだ。僕は既に先程のメイドに罰を与える為に叱責した。同時に僕にも至らない点があった。自身の間違いも認め、正す事も上に立つ者の責務だ。先の謝罪に誤りなどなし。この問題はこれで解決だ。ルイズはあくまで至らぬ僕を正してくれただけに過ぎない。それを悪女と罵るのは僕が許さない。彼女は正しい。そして優しく、誇り高い。故に君の使い魔も懐いたんじゃないか? 彼女ほど、高潔ならば使い魔達が心許した可能性だってあるだろうに」

「“ゼロ”のルイズだぞ!? 魔法も使えぬ無能者が高潔だと? 寝言は寝て言えよギーシュ!!」

「魔法が使えない事が今、ここで議論を交わす論点となり得るか? いいや、ならない。魔法は確かに権威の象徴ではあるけれど、魔法が使えるから高潔であるなんて論理にもならない。魔法を使えぬと見下し、侮っているのは君だろうミスタ。それ故に自身の使い魔がミス・ヴァリエールに懐いた事に嫉妬したか。君の方が存外醜いんじゃないか?」

「――貴様ァッ!! 侮辱するかッ!!」

 

 

 ギーシュの挑発に男子生徒は怒りのままに手を伸ばしたのは杖だった。一瞬、小さく悲鳴をが上がる。

 杖を手にしたという事は魔法が使われる前動作だ。ギーシュは己が熱くなり、言動が宜しくないものになっていた事を悟り、舌打ちをする。

 

 

「許さないぞ! 僕を愚弄しやがってェッ!!」

 

 

 激昂のまま、魔法を繰りだそうと発動の為のルーンを紡ごうとする。ギーシュもまた、懐に入れた杖を抜こうとする。

 ――その、刹那。

 まるで砲弾のように勢いよく駆けだした影が行く。一直線へと杖を抜いた生徒に向けて駆けたのはブロンドの髪を靡かせたルイズその人。

 迷いがない疾駆は間も空けずに男子生徒の懐へと入り込む。突然の乱入者に男子生徒の動きが止まる。それが致命的な隙となり、ルイズが到達するまでの時間を与えてしまった。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 ルイズは動きを止めた生徒の懐へと飛び込み、足払いをかけて態勢を崩す。突然の衝撃に生徒は自らの態勢を保つ事が出来ず、バランスを崩す。

 その崩したバランスに合わせてルイズは杖を握る生徒の手を掴み、勢いを殺さぬまま生徒を転がした。加速された勢いに生徒は抗う事が出来ずに地を這い蹲る。

 ルイズは俯せに倒れた男子生徒を手を鮮やかなまでの動きで後ろでに押さえ込む。少しでも動けば苦痛が走る体勢へと追いやられた生徒は苦悶の声を上げる。

 

 

「――杖を離しなさい。腕を折られたくなかったらね」

 

 

 ぼそ、と。ルイズは冷ややかな声で生徒に囁くように言った。同時に捻り上げられる腕に生徒は悲鳴を上げながら杖を手放した。

 杖が生徒の手から離れ、からん、と静まりかえった空間で杖が落ちる音が鳴り響く。そのまま少年を押さえ込むようにしながらルイズは吐息を吐き出した。

 

 

「こんな所で杖抜くなんて何考えてるのよ……!」

 

 

 怒り心頭、と言わんばかりにルイズは自身が押さえ込んでいる男子生徒を睨み付ける。

 誰もが呆気取られ、動けずにいた所にコルベールの怒声が響き渡る。

 

 

「貴方達、一体これは何の騒ぎですかッ!?」

 

 

 注目がコルベールに集まる中、ようやく事態が治まると、ルイズは小さく安堵の吐息を零した。

 

 

 

 

 

 


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